わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

欠陥医学から~ あなたならどうする?

2006年05月19日 | 医学と健康
続きでこのサイトを読んでいたら、思わず膝を叩いてしまいました。

出だしを間違ってしまった近代医学
その父のような存在だったパスツール先生は死を迎える床で悔悟したそうですが、それも時既に遅し、そのまんまで進歩(退歩)してしまった近代医学。
さて、その結末は?
どうなるって言う前に、あな~たな~らど~うする~ あれ、誰の唄だっけ?


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
ここから
http://www.geocities.jp/renaissais/mm/ill-health.html


不健康と病の性質を理解する

今日の医療のアプローチと基礎はすべてルイ・パスツールの細菌理論という欠陥のある概念に基づいている。 病状は、隔離された出来事としてみなされ、症状が現れる部位に限られる。(例えば、耳の感染症、目の感染症、歯茎の感染症、肺がん、皮膚病など。)この理論においては、微生物や腫瘍が 理由はわからないが無作為に患者の体に広がり、手術で切り取ったり、レーザーで焼いたり、薬で毒を投与したりして、体から追い出さなければならない。
現在主流のモデルでは、解決方法は機械的、化学的なやり方で模索される。そもそも、感染や病状がなぜ現れたのかについては真剣に問われない。病状を和らげる薬を処方して即座に直すことが典型的な今日の解決法である。

ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー

飲む、打つ、切る、焼く・・・
得意中の得意なんですよ。っていうじゃな~~い。

でも、やる方ばかりを非難していたんじゃ片手落ちですよ。
こりゃあ、したくてたまらない人の方が多いんだから、仕方なくやってんですぞ、あなた。

911テロ事件じゃあないでしょうけど、奴らはいつも外部からやって来るってもんで、とにかく、内側になど目を向けるひまはない。
これは細菌理論の基礎中の基礎でしょうから、いつまでたってもテロを恐れて戦々恐々っていうんでしょうか、常にやつらこそ悪党だって思っているから、とにかくめくらめっぽうのたぐいでしょうね。

わたしゃ、こんな事やられるのは本心から怖いから やめて~~ といつも言うんだけど、親戚の者からはしろ~~い目で見られるんですね。
「早く、飲んだら?切ったら?」と恐ろしくせっつかれるんですよ。

「いやん」とやんわり拒否しようもんなら、それはもう鬼かどうか分かりませんが、この非国民めって感じで、いじめられるんですよ~~


おい、自分も外のせいにしているんじゃないか!って、言われるので愚痴はやめておきますけど、とにかく、いまの医学教の教義から外れているとみんなが「白内障」にかかっているのじゃないの?って風に思えてくるんですね。



ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

パスツールと同時代の人物、アントワーヌ・べシャーンは 病状が何故現れるのかについて異なる見解を持っていた。彼は、血液の環境、あるいは生態学が病状が現れるかどうかについて、重要な役割を果たすと感じていた。
代替治療は特定のエネルギーの場を弱め、弱まった体の部位に病状がを発生させる 患者の生活上のストレス(環境、生物学的、化学的、心理学的、情緒的なもの)について調べた。
健康な状態を保つためには、体内のエネルギーシステムがすべてバランスのとれた均衡な状態になければならない。バランスが崩れると不快な状態になり修正されなければ 不健康な状態になる。中国人とインド人(?)は何千年もの昔からこのやり方を用いてきた。

ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー

これを読むと同時代に反対の選択肢がちゃんと用意されていたんですね。いつも時代もそうでしょうけど、悪魔がいればそこにはちゃんと神様も居られる。
ただ、あなたはどちらを選んでもいいですよ~ってわけ。
そして、大多数の人が選んだのがいまの医学の基ともなっているパスツール先生の説でした。

まあ、しょうがないですよね。
「こっちの水はあまいぞ~」ってどちらもいい顔されて、やさしく声をかけてきた分にはね。
いや、却って醜い方がやさしくあまい声だったかも知れませんけど。
人をみる時も注意しなきゃ。

本当の善人(というのが居るかどうかは別)は無愛想で甘い声などださないかも知れません。う~む、うんとあまい声ですがられてきたんじゃ断り切れない性分ですから(何を言ってるんじゃ)


ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

正統主義的、対処療法的医療は有毒なもの(薬)を使い、病状を抑えるために死なない程度の量を処方する。このアプローチでは、病状の原因を特定することもしなければ、患者を治す責任すら果たしていない。薬を使えば、病気の表面的な部分は短期的に抑えられるが、同時に病を体内のより深いところまで沈めておいて、それが後により重篤な慢性的な形で再発するのである。正統主義的なアプローチの欠陥のひとつは患者ではなく、病状にだけ」焦点をあてることである。患者の物理的、情緒的、精神的エネルギーをすべて考慮にいれて診断をする内科医のことを区別するために、ホーリスティックという言葉ができた。

ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー


対症療法の一番大将は、やはり、薬ですね。
薬の無い病院など、何も無いと同じと言っても反対はされないでしょうけど。
それほど、薬剤は現代医学の治療の柱ですから。
医師が治すのでは無いですね、薬が治すのですからね。

いや、本当の本当は薬でもないんですが。
患者本人の治癒の力以外にないのですけど。

でも、薬はその治癒力を高めるために・・・という言い分が医薬を使う大義名分になっているので、そこんとこが チガウ! といつも言っているんですけど、どうも聞き入れてもらえなくて・・・・


症状が消えたから治ったとは言えない所に問題が、いや重大な錯覚があったというのが岡田茂吉の医学論でしたね。症状が消える事と治る事とはチガウってですが。

でも、宗教家だったからなあ・・・・
宗教ってのはもう迷信だけと思われているから、科学信仰者に受け入れられるはずもなく・・・・いままで来てしまった。



ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
病気の原因についての見解や哲学的なものだけが、対処療法と代替医療の違いだと考えないで頂きたい。国際的な製薬会社や医療組織にがたくらむ一致強調した組織的な計画がある。それは 薬を使わないが「効く」治療法をすべて抹殺しようというものである。何故か?

ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー

日本でもそうなっていますね。
時々、ニュースで流される医学以外の療法をやっている所や人が手入れを受けて逮捕されたりしています。

その中にはほんとにインチキなものがあるんでしょうけど、それ以外に本当に効果を得ているものまで十把一絡げにされて排除されているって事です。

そりゃあそうでしょ。
現代医学以外は治療を施してはならないという法律があるからでしょう。
その他で治してはいけないんですよ。
だから「治す」とか「治る」とか言えない様になっているのが医学以外の療法だと思いますが、チガウでしょうか?

言ってみれば独占企業グループの利益を守るために強いたとしか思えない法律に思えるのですが、たとえ間違っている法でもそれに従わないのは悪人になるのです。

例えば戦前、戦中の「戦争反対」などと言えばたちまち捕縛されてしまう様な。いまの北朝鮮で「自由を守る」などと言えば逮捕されそうですが、その「自由」が今の医療制度には無いんですね。


・・・・して、その理由とは

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
それは患者が薬とさらなる治療を受けるために病院に通い続けてほしいからである。患者が治れば収入源が減るわけである。やや回復傾向にある 病気の患者はコントロールしやすい患者である。患者をコントロールするとは、毎日診療所にいって、処方箋を更新することである。コントロール可能な患者は永続する収入源なのだ。 これを数億倍の患者数で掛け算してみればなぜこうした欺瞞がのさばっているか、察しがつくだろう。いわゆる「ヘルスケア」業界がよろめいているのだ。

ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー

「治る人ばかりではおまんまの食い上げだ」とは言わないですよ。
そんな事言ったら、患者さんが怒り出しますから。

僕もそういう下心など持っていないと思いますね。

でも、実際には結果としてそうなっているから、意識的にやっているんじゃ無くて、原理上そうなってしまうってのが本当なんでしょ。

医師や病院が悪いって非難したって始まらないんですよ。
それは共謀罪ってわけ。
つまり、共謀して来たのは患者側という意味です。奥の方を言うと、あんただって前世ではちゃんと医学関係者だったという様なものですね。

共謀罪って言うけど、罪じゃない。
うっかり、みんなして嘘にのってここまでやってきたってことでしょ。
だれかれの罪なんて言っているとこれも自分は善だけど悪はあっちだよって、また誰かを罪人にしなきゃあ収まらないですから。







ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー
正統主義的なやり方、対処療法は 一時的に苦痛を和らげることである。病状の原因を特定することは決してしない。このやり方で、患者を定期的に来院させ、薬局で薬をもらわせる。諸君、これがゲームの正体である。簡単にして明白だ。 これを拒否するか加担するか、それにしがみつくか、逃げ出すか、あなた次第だ。
ーーーーーーーーーーー以上ーーーーー


これも岡田茂吉が昭和の初期に医学の論を書いていたので、ようやく、そういう事がよく見えてきたということでしょうか。

「拒否」ってはかなり勇気がいりますけど、なれればたいしたことはない、どんどん仲間も増えてきているので大丈夫です。

とっつかまえて、むりやり飲ませようなんて事もないですから。
ただし、口では相当言われますね。じっさい、親子の縁も切られても仕方がないって風にもなる場合もあるでしょう。

でも、もうすぐ少数派が多数派になる可能性がどんどん進展していますがから、心配は無用。

天皇の侍医だった入沢達吉博士など、辞世の句に
「義理なれど、人に飲ませし薬、われも飲む」とか何とか残していったそうですが、博士も知っていたんですね。
あの当時としては偉いお人だったようです。

「私が助けたのは、川へ飛び込もうとしていた人だけだった」などとは医学で治療して人助けをしているつもりの医学者にはとても言えない話でしたから。

だから家族の愛情に義理で飲むとか切るとかいう人もかなり居られる様ですし、後は経済的に苦しい人はつい今の医療制度でしか受けられない援助を考えて受ける事も多いでしょう。


家族としても、世間の目が気になりますからね。
「医者にもかけないで死なせた」なんて言われた日にはもう。
その気持ちも分かりますから、要はなんでもお好きなようにどうぞとしか言えませんね、僕には。


ほんとうは
「どれでもお好きなように」

と気楽に言える社会なら、別にいいんですね。こんな話をわざわざ書いている閑もないし、好きなことして遊んでいた方がよほど楽しい。

でも、「そうしなさい」とか「そうしなければならないのだ」とか押しつけられる医療制度がある限り、そうはいきませんよ。

まだまだ暴露します。「世界はこうしてだまされた」っていう話のネタは無尽蔵にありますから。

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