珍盤奇盤のある風景

日本音楽史の暗闇を彩った奇蹟の名曲たち

23曲目 喜びの飛行(Happy Flight)

2012-01-06 12:44:38 | 珍盤奇盤
「箱根駅伝」―不可能に挑んだ男たち
原島 由美子
ヴィレッジブックス

「箱根の山登り」を完全生中継するという壮大な
ミッションに挑んだ伝説のテレビチームの物語。
箱根駅伝オタは必読。本項とおおいに関係があります(笑)




箱根駅伝は巨大になりすぎたのかもしれない



……突然、スポーツニッポンの金子逹仁コラムのような、よくわからない
始まりになってしまったが、今回取り上げる曲は、つい先日行なわれ、
歴代4位の高視聴率を記録した「箱根駅伝」にまつわる一曲である。



特段、「珍盤奇盤」というわけではない。
これまで紹介してきた曲たちにように「手に入りにくい」とか
「廃盤である」というようなものでもない。


ただし、書かずにはいられない。


箱根駅伝中継といえば「日本テレビ」である。
毎年、インターネット内では、
「瀬古うるさい」
「上重アナはカミカミすぎないか?」
「瀬古黙れ」
「ブ、ブレーキは? こ、ことしはブレーキないの?」
「ああ、あったよ。●区の□大だ」
「瀬古もうしゃべらなくていい」
「大東文化は出てないの?」
「瀬古は早稲田の応援団か」
「法政もいないじゃん」
「1号車の解説は瀬古じゃなくて谷口浩美(もしくは金哲彦)にしろ」
「いや増田明美で」
「解説はオヅラさん…いやいや…やっぱだめだ。ヤツは」
「徳さんはいた?」
「オツオリって亡くなったんだよなあ」

などといったさまざまなコメントであふれるが、
なんだかんだいって、生中継はありがたいものである。



さて、今年(2012年)の箱根駅伝は「第88回」であったわけだが、
ちょっとさかのぼること3年前より「テーマ曲」が変わっている。
理由は「85回記念」だったからだ(細かな他要因もあったが)。
新聞でも取り上げられたし、もちろん本放送の中でも、
たくさん流れているので、ご存じの方も多いだろう。


問題は、先代(いや初代)のテーマ曲である。
愛好家には、今回取り上げるオープニング曲だけでなく、
エンディング曲についても思い入れのある方が多いが、
そのエンディング曲については別の機会に取り上げたい。


例のごとく、大百科事典ことウィキペディアの引用から始めよう。


第84回(2008年)までのオープニングテーマには、
映画『ネバーエンディング・ストーリー』のサウンドトラックに収録されている
『喜びの飛行』(クラウス・ドルディンガー作曲)が使用されていた。
提供クレジット表示中には、時間短縮されたバージョンが使われた。
初期のスタッフである平谷修三がディレクターに推薦したとされる。




冒頭に紹介した本からも引用したい。初回の放送(1987年)では、
現在と少々オープニングテーマ挿入のスタイルが異なっている。
1987年1月2日。午前8時、大手町をスタートしてすぐである


小川(光明アナ:当時の日テレスポーツアナウンサーのエース格)が
明るく盛り上げた後、映画『ネバーエンディング・ストーリー』の挿入曲
「喜びの飛行(Happy Flight)」が流れた。主人公の少年アトレイユが
幸運を呼ぶという白い竜ファルコンに乗って空を飛ぶシーンで使われた、
のびやかな楽曲だ。実はこの曲を田中(晃氏:初代中継ディレクター。現在は
スカパー・コミュニケーションズ取締役)に推薦したのは、平谷だった。平谷は
「これから何かいいことが起こる」という雰囲気のあるこの曲のファンだったのだ。



「喜びの飛行(Happy Flight)」。なんて素晴らしいタイトルなんだろう。
誰もが一度は聴いたことがあるであろうこの曲。さあどうぞ。








というわけでそれから20年以上、「喜びの飛行=箱根駅伝」という
イメージが出来上がるほど、この曲はファンに浸透したかに思われた。
ところが、前述のように、2代目の「例の曲」に変わることになる。
すると…




箱根駅伝のテーマ曲が前の方が良かった件

1:ゼッケン774さん@ラストコール:2009/01/03(土) 19:49:25 downup
あの曲を聞くと「ああ、今年も箱根なんだな・」って思ってたのにな。
まあ俺は青森の高卒だが

5:ゼッケン774さん@ラストコール:2009/01/03(土) 20:09:59 downup
2チャンとmixiの人とかが抗議したら相当な人数になるかな

11:ゼッケン774さん@ラストコール:2009/01/03(土) 20:43:22 downup
完全同意。
あの新春の澄み切った空にバッチリのテーマ曲だったのに・・

23:ゼッケン774さん@ラストコール:2009/01/03(土) 22:01:33 downup
箱根気分に浸りたくて昔のOP何度も見てしまった・・・。
やっぱりあの曲がないと箱根じゃない。

92:ゼッケン774さん@ラストコール:2009/01/04(日) 16:37:08 downup
箱根は黙って、喜びの飛行だ!





1年後、またもや同じようなスレが現れる。




箱根駅伝のテーマソングを戻して

1 :喜びの飛行:2009/12/30(水) 18:20:24
今年もボチボチやりますか。

30 :ゼッケン774さん@ラストコール:2009/12/31(木) 20:00:33
喜びの飛行の壮快なかんじな。富士山麓の息吹を感じるわ。

100 :ゼッケン774さん@ラストコール:2010/01/05(火) 22:57:07
箱根は曲はまってたからね
変える必要はなかったな

106 :ゼッケン774さん@ラストコール:2010/01/06(水) 02:01:52
やっぱり、っていうか絶対「喜びの飛行」がいい。
これ聴かないとお正月じゃない。
この曲じゃないと箱根駅伝じゃない。
まだお正月も箱根駅伝も始まってない気分です。

151 :ゼッケン774さん@ラストコール:2010/01/09(土) 09:59:42
曲がかわってもいいような曲であれば大事件にはならない。
箱根駅伝の場合は大事件だ。






映像そのままに、本来流れている2代目(現在のテーマ曲)の曲を
「喜びの飛行」に差し替えて、編集を施したMAD動画まで現れる始末。











結論。


完 全 同 意 。 曲 を 戻 せ よ 日 テ レ ち ん。



おまけ。
「現在の箱根駅伝中継を観ながらつぶやいてる、初代箱根駅伝中継スタッフ田中氏」をまとめたもの。曲には触れてないものの興味深い。


ネバー・エンディング・ストーリー
サントラ
EMIミュージック・ジャパン

「カジャ・グーグー」のボーカルだったリマールが歌う主題歌は、いちおう80年代の名曲、
ということになっている
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22曲目 「福岡市ゴジラ」

2012-01-05 10:56:54 | 珍盤奇盤
ゴジラ音楽と緊急地震速報~あの警報チャイムに込められた福祉工学のメッセージ~
クリエーター情報なし
ヤマハミュージックメディア


例のごとく、この本と本項とは何の関係もありません



日本が世界に誇る映像コンテンツに『ゴジラ』がある。

初の公開日は1954年11月3日。日本ではその後、
2004年までに28作ものゴジラ関連作品が制作されている。

そして、伊福部昭氏によるそのテーマ曲もおなじみだろう。
まずは、その曲を一聴して頂きたい。




さて、このゴジラのテーマ。お聴き頂くとすぐにわかるとおり
歌詞のない「インスト」である。
ところが「そこに歌詞を付けてみたらどうなるか」という、
きわめて実験的な試み(あそび)を行なったグループが存在した。


まず、グループ名は


「少年刑事ケンイチくんと青島博士とカクテル長官」

である。あえて、このグループ名にはツッコミを入れないほうがいいだろう。
作詞は3名の方が共同でしているらしい。

そして、タイトルは


「福岡市ゴジラ」


なぜ、「福岡市」なのかは、今となっては
タイトルを付けた本人しかわかるまい。居住地だったのか、
出身地なのか、はたまた、ただの思いつきか。

歌詞のほうは至って明快である。潔い、とも言えよう。
誰でも歌える。そしてすぐ覚えられる。

歌詞を記したい。



ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ

ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ

ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ

ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラとゴジラとゴジラ


モスラ モスラ モスラとメカモスラ

ラドン ラドン ラドンとメカラドン

ヘドラ ヘドラ ヘドラとメカヘドラ

モゲラ モゲラ モゲラとメカモゲラとモゲラとモゲラ

ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ


(間奏)


サザエ サザエ サザエとメカサザエ

カツオ カツオ カツオとメカカツオ

ワカメ ワカメ ワカメとメカワカメ

イクラ イクラ イクラとメカイクラとイクラとイクラ

ハイジ ハイジ ハイジとメカハイジ

クララ クララ クララとメカクララ

ペータ ペータ ペータとメカペータ

オンジ オンジ オンジとメカオンジとオンジとオンジ

ゴジラ ゴジラ ゴジラとメカゴジラ




とりあえず、歌詞の中でゴジラとウルトラ怪獣とサザエさんと
アルプスの少女ハイジがごちゃ混ぜになっていることはわかる。
「3字 3字 9字」という単調なワードとリズムの積み重ねは、
聴けば聴くほどに、脳内に混乱が生じるという麻薬的なものだ。


では、この特異な曲が生まれた背景について記そう。

この曲は、25年以上前にNHK-FMにて放送されていた坂本龍一氏の
ラジオ番組『サウンド・ストリート』内で募集されていた
「素人がデモテープを送ると、オンエアの上、教授自身が批評をしてくれる」
コーナーに投稿されたものである。つまりはアマチュアによる曲だ。


そして、「それ以上の情報がない曲」である。


ただし、このコーナーを編集したアルバムがある。
その名も『DEMO TAPE‐1』。プロデュースは、坂本龍一&矢野顕子。
のちに離婚することになるが、当時の業界における大物夫婦が制作している。
こうしたアルバムの常であるというか…当然のごとく廃盤だ。


DEMO TAPE‐1
佐々木朋子,テイ・トウワ,三村美智子,岡本清郎,野村達士,坂本龍一
ミディ



最後に、「福岡市ゴジラ」というタイトルについて、
もう一度、考察してみたい。そのテーマは、

「福岡市にゴジラは来ているのか」

である。


ゴジラは、確かに日本各地に出没し、
そのつどその地のシンボル的な建物をぶっこわした。
福岡市にはいつ来たのか、いやそもそも来ているのか。
来ているなら何をぶっ壊したのか。
この疑問が解ければ、「福岡市ゴジラ」というタイトルの謎も
おのずと解けるのでは…そう考えたのだ。


さまざまな文献を読みあさったが、ヒントとなるものが皆無だったので、
結局たどり着いたのはウィキペディアであった。


まず、「ゴジラは福岡に来ているのか?」いう疑問だが、
結論から言うと「来ている」。

つぎに「いつ来たのか?」。

じつは、この疑問に答えてしまうと、先述した
「この疑問が解ければ、「福岡市ゴジラ」というタイトルの謎も
おのずと解けるのでは…」
という一文が根底から覆されることに(たった今)気づいた。


『DEMO TAPE‐1』がリリースされたのは1986年。CD化は1991年。


そして、福岡にゴジラが初上陸したのは「1994年」であった。
両者に相関関係がまるでないことが、ここで立証されてしまったのだ。

なので、ここでタイトルについて解明することは潔く放棄し、
該当作品について記すことで筆を置きたい。ネタ元は(書くまでもないが)
すべてウィキペディアである。


● ゴジラ福岡来訪記録
『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年12月10日公開)。
ゴジラシリーズの第21作である。観客動員数は340万人。
配給収入は16億5千万円。キャッチコピーは「破壊神降臨」。
ゴジラがやや人類の味方寄りに描かれており、このシリーズで
唯一ゴジラがヒーロー的に扱われているのが特徴。
主要襲撃地点は鹿児島、熊本、別府、福岡。
当作品はゴジラ九州初上陸ということでも話題になった。
また札幌、山形、神戸などはスペースゴジラの餌食となった。



ゴジラvsスペースゴジラ [DVD]
橋爪淳,小高恵美,柄本明
東宝ビデオ


福岡における襲撃物は(観ていないため)不明。



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