珍盤奇盤のある風景

日本音楽史の暗闇を彩った奇蹟の名曲たち

10曲目 山平和彦「放送禁止歌」

2005-10-08 03:56:22 | 放送禁止歌


放送禁止歌
作詞:白井道夫 曲/唄:山平和彦

世界平和 支離滅裂
人命尊重 有名無実
定年退職 茫然自失
職業軍人 時節到来
皇室批判 人蓄無害
被害妄想 原論統制
七転八倒 人生流点
七転八起 厚顔無恥
放送禁止 自主規制
奇妙奇天烈 摩訶不思議

衆院参院 百鬼夜行
失言放言 珍粉漢粉
農薬公約 有害無益
賭博収賄 不言実行
脱税小者 戦々恐々
汚職大者 天下泰平
七転八倒 人生流点
七転八起 厚顔無恥
放送禁止 一目瞭然
奇妙奇天烈 摩訶不思議

男女平等 親父格下
女房横暴 貧乏辛抱
売春禁止 欲求不満
痴漢続出 不満充満
猥褻行為 興味津々
赤線復帰 乞御期待
七転八倒 人生流点
七転八起 厚顔無恥
放送禁止 先刻承知
奇妙奇天烈 摩訶不思議



この歌を唄った山平和彦は1952年秋田県飯田川町に生まれた。
秋田市立高校在学中に“秋田フォーク・ソング・クラブ”を
結成し、高校三年生であった1970年にURCレコードより
レコードデビューをする。
デビューシングルのA面は『7月21日早朝に』。アポロ11号の
月面着陸で沸き返る最中、原爆症でひっそりと亡くなった女性を
唄ったものだった。

この『放送禁止歌』は72年2月にシングルリリース。
同年4月に同名タイトルのアルバムを発売するも、
タイトル曲含む3曲が放送禁止の憂き目に遭い、
さらには発売禁止の措置を受ける。
その後、5枚のアルバムを発売するが、
あっさりと引退してしまう。

……以上が「伝説の放送禁止歌手」山平和彦の
もっとも一般的な知識であろう。

しかし彼自身はこの曲について「放送禁止」という措置が
とられることを全く予想していなかった。歌詞に
「放送禁止 先刻承知」という部分があるにもかかわらずだ。


「……だってこの曲は、本当にみんなに喜ばれると
 思ってましたからね」
「みんなって誰ですか?」
「すべての人にです。もっと言えば放送局の人にもね。
 実際に放送禁止になるなんて、全く予想していませんでしたね」
           (『放送禁止歌』森達也著/解放出版社)


そして、彼はこの曲が放送禁止になった経緯について
こう語る。


「確かね、タイトルがふざけているとか、
 そんな理由だったと思いますよ」
「タイトルがですか?」
「そう、民放連の、確かそういう禁止歌を決める部署があるんでしょ。
 そこの人たちが自分たちを舐めていると怒ったという説明でしたね。
 歌詞が問題になったとは聞いていません」
                          (前掲書)
 

彼の語る事実が真実であるならば(もちろん当事者の弁なので
限りなく真実に近いとは言えるだろう)、これほどお粗末な
理由はない。理屈は理解できるものではあるが……。

さらに「問題のなかった」歌詞についても、発売前、
一番にある「職業軍人 時節到来」という一節が
レコード会社内部で問題になり、彼は
「山平和彦 時節到来」というように改変したという
事情があったとされる。

そしてこの曲の悲劇はまだ終わらない。

そのような事情を経てシングルリリースされ、支持も
受けていたこの名曲が収録された同名アルバムは、
『大島節』『月経』という2曲が発売禁止に指定された
その結果、2曲が削除された形でアルバムは再プレスされる。

ところが今度は、歌詞を直したはずの
『放送禁止歌』について「タイトルが問題」となり、
削除された『大島節』と共に放送禁止の措置がとられる。
最後にはアルバムそのものまでが店頭から消えたのだ。

こうつらつらと事実を追って行くとこの曲はまさしく
悲劇の名曲と言える。しかし、だからこそこの曲は
今も息づいているのではないだろうか。

最後に前掲書のなかで彼が語っていた言葉を書き留めておきたい。

「……歌がもし生きているとしたら、……僕は誕生間もない子供を
 殺されたようなものかもしれないですね。……あんな理不尽な
 規制にあうようなことがなかったなら、もしかしたらまだ今も、
 僕は歌を続けていたのかもしれないな」



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山平和彦
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『山平和彦 FirstAlbum/放送禁止歌』収録。

ニューロックの夜明け 番外編9 キング・ニューロック・シングル集 ファンキー・ダッコNo.1
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Pヴァイン・レコード

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こちらは『大島節』『月経』収録。



彼についての後日談を記しておかなければならない。

引退後、彼はイベント制作会社を設立。表舞台から完全に姿を消す。
「歌を唄うこと」は完全に趣味としていたという。
しかし、折からの「放送禁止歌」ブームの波を受け、2001年に
活動を再開させた(その事情についてはこちらに詳しい)
だが、2004年10月12日、足立区竹の塚の路上でひき逃げ事故に遭遇し、
翌13日未明に死去(享年52・犯人は今年1月26日に検挙)

もうすぐ1周忌。氏のご冥福を改めて祈りたい。合掌。

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ビクターエンタテインメント

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彼のバックバンドだった「マイペース」をプロデュースした、フォーク史に残る名曲。

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3 コメント

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山平氏と思い出 (kitaさん)
2012-03-23 22:30:19
1985年に山平氏と知り合い(私自身は、中学生時代から氏のファンでした)ました。マイペースも一緒でした。一ヶ月以上、4人と仕事をしました。オベーションのギターもいただきました。一度、氏に聞いたことがあります。「ねえ、どうして歌、やめたの?歌いたくならないの?」彼は言いました。
「あのね、歌わない事が、歌になることもあるんだよ、毎日の暮らしの中の風景を僕は声を出さずに歌っているから、だから、KITAさんにギターをあげたんだよ。」
新宿でベロベロになるまで飲んで、足立区の氏の家に泊めてもらい、朝ごはんをご馳走になり、氏の事務所でギターを弾き、夜になるとまた、新宿でベロベロ。でも、もう、山平和彦はいないんだな。
山平和彦さんをしのぶ (さとぶう)
2012-06-10 22:57:00
東海ラジオのミッドナイト東海で山平さんの歌を聞き、DJを聞きすぐファンになりました。
当時は受験勉強漬けの毎日でしたが、彼の饒舌ではないが親しみが湧く声が、私の心を癒してくれました。
CDが販売されているのを昨年知り、即購入して車で聴いています。
あれから36年、山平氏より長生きしてしまった。
大切に持ってます (まっさ)
2014-07-17 15:55:49
山平和彦さんの放送禁止歌のレコードを
今でも大切に持っています。
高校1年正だったかな
歌詞が漢字ばっかりで・・・・・
懐かしいです。
ありがとうございました 山平和彦さん

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