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L.A.日記

L.A.での留学生活を綴ります。

デスバレー国立公園

2008年04月28日 17時34分27秒 | 旅行
ラスベガスから日帰りでデスバレー国立公園に行ってきました。(前々回の日記の続き)

デスバレー・・・「死の谷」ってすごい名前ですね。19世紀にこの谷に、ソールトレークを出発してカリフォルニアを目指したキャラバンがこの谷に迷い込み、立ち往生しましたが何とか脱出を果たし、その際に「Good Bye, Death Valley」と言ったことが名前の由来とされています。
まあその伝説の信憑性はさておいても、実際ここは、西半球で最も低く、かつ、最も暑い場所なのです。谷の中心部の標高はマイナス86m、真夏には気温が50℃を超えることもザラだそうです。ちなみに、年間降水量はわずか50mm(『地球の歩き方』参照)。

相当暑いだろうな~と覚悟して行ったのですが、まだ4月なので35℃程度だったようです。それでも十分暑いですが・・・。

最初のポイント、ザブリスキーポイント。泥が1000万円前に湖底に沈殿してできたものだそうです。



ちょっとトレイルを歩いてみましたが、なんせ暑いのと日差しが強いので体力の消耗が・・・



次のポイントは「バッドウォーター(Bad Water)」。またこれもすごい名前ですが、昔大きな湖だった場所の水が暑さのため全て蒸発してしまい、塩だけが凝縮されて大塩原になっている、という場所です。遠くからは本当に湖のように見えたのですが、全て塩の結晶です。



地面には、塩の結晶で波のような模様ができています。塩を少しなめてみましたが、ミネラルたっぷりなせいか、意外と美味しく、お料理にも十分使えそうな味でした。



最後は「悪魔のゴルフコース」。塩の結晶と泥が混じってできた岩石がゴロゴロしている場所です。もちろん、こんな場所で誰もゴルフなんてできません。(したらドライバーが折れそう・・・)一見、固い岩に見えるのですが、実際は塩の結晶でできているので歩いてみると結構安定感が悪いのです。しかも結構とがっているので、割と危険かも・・・。実際、「ここ歩くのは危ないよ。」という注意書きの看板もありましたが、やはり歩かずにはいられないのでした。



このデスバレー国立公園、実は非常に広大な公園なのですが、ツアーで行ったのでポイントを車で回ってさっと帰ってくる感じになりました。まあ暑いので、どっちにしてもあまり長くはいられないでしょうが・・・。ラスベガスから車で片道2時間弱。実は、ザイオンやグランドキャニオンよりお手軽に行ける国立公園なのでした。

何だか「Star Wars」を彷彿とさせる景色だな~、と思ったのですが後で調べてみると実際に「Star Wars」や「猿の惑星」のロケ地に使われたそうです。
一緒に行った友人は、「これは地球温暖化の果ての地球の未来の姿かも~」と言ってました。この地を訪れ、自然の偉大さを感じるのか地球の終焉を感じるのか・・・不思議な場所でした。

そういう場所からたった2時間で100%人工の虚構の都ラスベガスへ帰着。この激しいギャップ・・・180度次元の違う非現実と非現実の間を往復する旅、これはやはりアメリカでしか体験できない最大の醍醐味なのかも。
























メキシコ④

2008年01月16日 20時14分00秒 | 旅行
メキシコ最終日は、お正月。バルコニーから、カリブ海の日の出を見ることができました。
明けましておめでとうございます



最終日は、半日のツアーを予約していたのですが、これまた行ってみると予約が入っておらず、結局諦めました。最初から最後まで、ロジは全くなっていなかったカンクンです・・・
余った時間はホテルのプールとプライベートビーチでのんびり過ごしました。これまた最初から最後までホテルに救われた感じです。こういうリゾート地では、あまり動き回らずホテルでのんびりするのが正しい過ごし方なのかも(特に大晦日とか元日は)。

夕方の飛行機でカンクンを出発。LAに向かいます。
機中、長い冬休みも終わりに近づき現実が戻ってくることを考え、そしてふと、今やLAでの生活が今の自分にとっては日本よりもリアルに「現実」であるということに気づき、ちょっと愕然としました。この留学生活はある意味、日本での「現実」からの逃避行でもあったのですが、どんな場所でもある程度住んでいると色んな人間関係やしがらみが生まれ、それは「現実」に回帰していくのだな~、・・・等ととりとめもないことを考えているうちにLA到着。

まずは久しぶりの「我が家」に、ただいま。

















メキシコ③

2008年01月16日 17時34分44秒 | 旅行
3日目は、コスメル島へ。コスメル島はダイビング・スポットとして世界的に有名な場所です。目的は、もちろんダイビングです。

コスメル島はカンクンからは結構遠く、まずセントロ(ダウンタウン)まで市バスで行き、そこから高速バスに乗り換えてプラヤ・デル・カルメンという港町まで行き、そこからフェリーの乗ります。片道所要約3時間。

フェリーの発着するプラヤ・デル・カルメンも立派なリゾート地になっていました。



屋台も沢山あり、フェリーの切符も買ってないのに既に目と足が屋台に惹きつけられている夫・・・特にフルーツカップの屋台がお気に入りのようです。まず切符買おうよ



無事フェリーに乗り込み、30分ほどでコスメル上陸。ダイビングまで少し時間があるので街中のレストランで昼食を。お魚料理が美味でしたすっかりご満悦の夫。



ちょっとウィンドーショッピングも。メキシコ帽子。もちろん買いませんでしたが。



すっかりご機嫌でダイビングの待ち合わせ場所に行ったところ、まさかのトラブルが・・・!何と、入れたはずの予約が入ってなかったのです(日本人に日本語で予約してたのに)。ここまではるばるやって来て、まさかダイビングできない・・・すったもんだの末、当初予約していた日本語サービスを英語サービスに変えた上で、参加できることになりました。

二人ともライセンスカードを持参していなかったので、体験ダイビングのみ。それでも、6年ぶりのダイビングはドキドキでした。
10メートルほど潜っただけですが、さすが透明度を誇るコスメル島だけあって、カラフルな色彩の魚たちや、大きな伊勢海老(ロブスター)を見ることができました。遠くのほうに、かなり大きな魚も見えました。
海から上がった途端に、同じグループだったおじさんが「今日は夕食にロブスターを食べるぞ~!」と(笑)。どうも、皆の食欲を誘ったダイビングになったようです(笑)。

夕方コスメルを出発し、8時頃カンクンに到着。ここまでは順調でした。が、ここでまた一つ落とし穴が・・・。レストランがどこも一杯なのです。そう、この日は大晦日。どこのレストランも予約客で満席になっており、どこに行っても門前払いされます

まさか年越しは絶食・・・と暗い気分でトボトボとホテルに戻り、どうせホテルのレストランも満席だろうな~、と思いつつも一かバチか行ってみることに。あらゆるレストランで門前払いを食わされてすっかり卑屈な気分になっていた私たちは、「予約してないんだけどディナーできますか?」とすっかり弱気でレストランのレセプションに。そしたら何と、OKでしたしかもレストランは閑散としており、私たちのほかには1組しかいません。しかも味も素晴らしく、メキシカン・チーズフォンデュなど、メキシコ風フランス料理といった感じで、これまでで一番美味しい食事ができました。まさに、「灯台下暗し」です・・・。

こうして、ホテルに救われて無事、平穏な年越しを迎えることができました。ベランダで眠りこける夫をたたき起こして「明けましておめでとう」と言いました。
メキシコで年越しをするなんて、きっと最初で最後だろう(最後にしたい)、と思いつつ、ともあれ2人一緒に新年を迎えられたことに感謝しつつ。

















































メキシコ②

2008年01月15日 13時43分39秒 | 旅行
メキシコ2日目は、友人夫妻とともにレンタカーでマヤ文明の遺跡、チチェン・イッツアへ。カンクンから車で約2時間という好ロケーションのため、日帰りで行くことができます。

行きのドライブはとても快調で、ちょうどお昼頃到着。昼食後、さっそく観光開始です。

チチェン・イッツアの遺跡群は、6世紀頃のマヤ古典期に属する「旧チチェン・イッツア」と、トルテカ文化と融合した10世紀以降の「新チチェン・イッツア」の2つのエリアに大別されます。旧チチェン・イッツアは、マヤ人の自発的な遷都(マヤ人は暦によって定期的に遷都を行っていました)によりいったん廃れ、10世紀になり再びこの地に戻ってきたのです。新チチェンは、13世紀初頭にマヤパン族によって滅亡させられました。現在残っている主だった遺跡は、ほとんどが新チチェン時代のもののようです。

というわけで、まず新チチェン・イッツアから回ります。
チチェン・イッツアのシンボル的な神殿、エル・カスティージョ。



四面すべてに付けられた階段が特徴ですが、残念ながら、現在はこの階段は登ることができません

北側階段には、ククルカン(羽毛の蛇)の頭が設置されています。毎年春分と秋分の日には、この階段の側面部分がククルカンの羽の形の影になって映し出されるのだそうです。



ククルカンの頭が設置されている北側側面の全体像。羽の現れる春分・秋分の日にはククルカンがピラミッドに降臨したように見えるそうです。マヤ文明の天文学、建築学の高さが示されていますね。どんな風に見えるのか全然想像つかないけど・・・



戦士の浮き彫りが施された石柱群に囲まれた「戦士の神殿」。石柱群は、当時は回廊を構成していたようです。



「聖なる泉」セノテ。



古代マヤ人は、干ばつや疫病が流行するとこの地に巡礼し、この泉に生贄や財宝を投げ入れたそうです。実際、1911年の発掘調査では、21体の小児、13体の成人男子、8体の女性の骨に加え、黄金細工やヒスイなども発掘されたそうです。ただし、投げ込んだ後一定時間たっても生きていた者は救い上げられた、という説も。

ちなみに現在の泉の水はドロ~っとした汚い緑色で、とても「聖なる」感じはしませんが、生贄の歴史を聞いたせいか、何となく暗いイメージの場所でした。

マヤ文明では生贄の風習が盛んだったようで、神殿系の遺跡には、必ずといっていいほど生贄を捧げる台がありました。
また、生贄になるのは名誉なことだったことを物語る遺跡がありました。球戯場です。



マヤ人の球技は娯楽ではなく宗教儀式だったそうです。ゲームは、生ゴムのボールを壁に取り付けてある輪(写真の赤丸部分)にくぐらせて競われ、勝ったチームのキャプテンが栄光をにない、生贄として捧げられたそうです。うーん、そんなゲーム嫌だなあ・・・マヤ人って、そんなシチュエーションでも本気で勝とうとゲームを競ったんでしょうか?それとも、お互いできるだけ自分のチームが負けるように負けるようにと消極的にプレーしたんでしょうか?壮絶・・・。こんな時代に生まれなくて良かった・・・。

旧チチェン・イッツアの遺跡群は、新チチェンに比べると(当然ですが)保存状態が悪く、修復されたものが多いようです。

旧チチェンの目玉、カラコル(天文台)。ただし、建物は新チチェン時代に改装されているそう。現代と同じようなデザインですね。



カラッとしたカンクンに比べ、チチェン・イッツアは非常に湿度が高く、歩き回っていると結構疲れました。
夜にはライトアップが行われるようだったのですが、早めにカンクンに戻ってゆっくりしよう、ということになり夕方チチェン・イッツアを出発しました。しかし・・・何と道に迷ってしまい、結局高速に乗れないまま延々と下道で帰ることに。カンクンにようやく帰り着いたのは夜の10時頃でした。

そんなハプニングもあったものの、憧れのマヤ遺跡を訪れることができ、思い出に残る1日になりました



























































メキシコ①

2008年01月11日 18時01分25秒 | 旅行
日本から夫と一緒にLAに戻り(運よく同じが取れたのです)、その翌日の夜行便でメキシコに向けて出発しました。午前2時45分LAX発のMexicana(「メキシカーナ」ではなく「メヒカーナ」と発音します)に乗り、途中寄港地(都市名不明)で入国審査のために一度降り、その後メキシコシティーで乗り換えし、睡眠不足でヨレヨレになりつつ、昼の1時頃にようやく目的地カンクンに到着しました。

赤道に近いカンクンはほとんど常夏のようで、飛行機から降りた瞬間むっと熱い空気に包まれ、自分たちのセーター姿が何だかとても場違いでみっともないように感じました

空港から宿泊先のOmni Cancun Hotel & Villaへ。今日からカンクンで3泊します。ホテルのスタッフはとても親切で、ウェルカムドリンクつきで出迎えてくれました。お部屋もとっても素敵で、バルコニーからカリブ海が一望できますLAの海とは全く違う、ターコイズブルーの海ですホテルのプールも素敵。



早速、ホテルのプライベートビーチへ。
ビーチサイドにはプールバー(プールの壁面がバーカウンターになっていて、温水プールにつかりながらカクテルを注文できるバー)が備えつけられていて、海を眺めつつ温水プールにつかりつつ、カクテルを楽しむことができますもちろんトライ。こういうの、一度はやってみたかった・・・。リッチな気分が味わえて大満足です。写真はプライベートビーチ。意外と波高し。



夜は、ちょうど同時期にカンクンに居合わせていた友人夫妻と合流し、一緒にメキシコ料理を食べに行きました。
夜のカンクンは不夜城のようで、ちょっとラスベガスに似ています。



この「Coco Bongo」というお店はカンクンで人気No.1のクラブだそうで、開店前からすごい行列ができていました。(入りたかったのですが、あまりの列の長さに結局3日間とも断念。)

LAを出発してから既に24時間、長い長1日がようやく終了しました

































サンディエゴ旅行”記録”

2007年09月05日 16時13分28秒 | 旅行
昨日、サンディエゴから戻ってきました。
今回は、アムトラック(アメリカ大陸横断列車)に乗るのがメインの目的の一つ。ロス~サンディエゴ間は、車窓の風景が綺麗なことで有名なのです。期待どおりの車窓からの景色も楽しめ、久々の電車の旅に心なごみ、そしてサンディエゴで再会した友人夫婦+赤ちゃんとの時間も楽しいものでした
ただし、ロスのユニオン・ステーション(アムトラックの駅)からサンタモニカの自宅に戻ってくるのに、2時間以上かかりましたが・・・。ロスはやっぱり広すぎですね。ダウンタウンはやっぱり好きじゃないし。サンディエゴくらいの大きさがいいな~、と思ったのでした。

今回は大学時代の友人夫妻宅に滞在させてもらいました。産まれて8ヶ月になる赤ちゃんがいるので、生活ペースは赤ちゃん中心。今まで、赤ちゃんと寝起きを共にした経験がないのでかなりドキドキしていたのですが、とても人懐っこく、私にも(友人夫妻いわく)すぐ慣れてくれたようで、笑いかけてくれたりするようになりました。赤ちゃんの笑顔って、ほんとに無垢で純真で、全身全霊で守ってあげたくなっちゃうような笑顔です。私にもこんな時期があったのかな~?

というわけで今回はあまり観光メインではなかったのですが、2泊させてもらって、ホテル・デル・コロナドやラ・ホヤ地区、オールドタウン歴史公園などを散策しました。2日目の夜は、友人夫妻の通っている教会の集まりで、モレ湖というところでBBQをしました。このモレ湖、サンディエゴから車でたった1時間あまりのところなのですが、インディアン居留区のすぐ側にあって、周りは砂漠。サンディエゴ市内とは全く違った雰囲気で楽しかったです。

実は、このモレ湖からサンディエゴに戻る途中で大変なことがありました。
サンディエゴは、メキシコからの不法移民の流入ポイントのため、時々道路をcloseして、Border Control(国境警備隊)が検問を行っているのですが、何とそれにつかまってしまったのです・・・。Border Controlを見ても、「あ~メキシコ人じゃないから関係ないよね。」とノンキに思っていたら、白人じゃないからなのか、車をまず停止させられました。「アメリカ市民か?」と聞かれ、運転手のMさんが「違う」と答えると、「じゃあビザを見せろ。」と言われました。ビザを見せろって言われても、そんなの24時間持ち歩いている外国人なんて、(少なくとも私の知っている限りでは)いません。結局、私も友人M夫妻もビザを持ち合わせておらず。「なぜビザ持ってないのか?」「どこに行こうとしてるのか?」と、検問官の質問は続きます。まずい・・・。雰囲気的に、運が悪ければ「身元が判明するまで拘置所で拘束」ぐらいは十分あり得る状況です。まさか、こんな映画のBabelみたいな事態に自分が陥るなんて・・・。3人そろってすっかり青ざめてしまったのですが、ここで赤ちゃん大活躍!彼女はアメリカで生まれたため、アメリカ国籍を有するのです(アメリカは日本と違って生地主義)。M夫妻が必死で、「彼女はサンディエゴで生まれ、アメリカ国籍を持っている。私たちは彼女の両親です。」と説明すると、検問官は一瞬、狐につままれたような顔をし、納得したのか単に面倒くさくなってきたのか、それとも赤ちゃんが可哀相だと思ったのか、私たちを釈放してくれました。「長期滞在外国人は、24時間ビザの携帯義務がある。それを怠れば、厳密には強制送還になる。」というお説教つきで。
ビザを携帯してないと強制送還になるなんて、恥ずかしながらその時まで全く知りませんでした・・・。「不保持」だったら強制送還になるんだろうけど、「不携帯」なだけで強制送還はさすがにないと思うけど・・。まあ、アメリカのことだからまかり間違えばそういう目にも遭いかねない、ということだと解釈しました。何にせよ、パスポートのコピーくらいは常に携帯するほうが良さそうです。それから、少なくともメキシコとの国境近辺を走るときは、パスポート+ビザをきちんと用意するべきなのですね。

とんだ冷や汗をかいてしまいましたが、赤ちゃんに助けられたのでしょうね、きっと。
「外国に住む」ということが、書類1枚を地盤にして成り立っている非常に不安定な身分である、ということを改めて痛感させられた事件でした。

何だか今回は支離滅裂な文章になってしまい、「旅行記」って感じでもないですが、折角なので、今回の写真を最後にのせておきます。

ラホヤ海岸の散歩道。ジョギングをしている人が沢山いました。なんて贅沢な。



ラホヤ海岸で、野生のアシカを見つけました。岩に寝そべってゴロゴロしてたのに、大波をかぶって慌てふためいているのが面白かったです。



ホテル・デル・コロナドとホテルのプライベート・ビーチ。このホテルは、ケネディ大統領とマリリン・モンローの逢引にも使われたそうです。





BBQをしたモレ湖。



スペイン開拓時代の面影を残すオールドタウン歴史公園。



今回乗ったアムトラックと車窓の景色。



窓が曇ってた(汚れてた)のでちょっと暗く見えるけど、とっても綺麗な海でした!水も透明で、ロスの海とは違います・・・。



サンディエゴ訪問は、今回でもう4回目。さすがにもう見つくしたかな~、と思っていたのですが、やはり今回も、新しい魅力を見せてくれました。良い街です、サンディエゴ。


P.S. 
旅行記が全く進んでません。でもさぼっているわけではなくて・・・。
今日は、友人の空港送迎、別の友人のプレゼント購入、洗車、AAA(日本のJAFのアメリカ版)に行き地図をゲット、大学関係の雑用etcやってたら夜になっちゃってました。言い訳。




































































アメリカ東海岸旅行~NY②~

2007年08月22日 05時20分09秒 | 旅行
NY観光2日目は、自由の女神を見にリバティ島まで。9.11テロ以降セキュリティーが強化されており、自由の女神像の内部に入るには、事前に予約をしておく必要があります。それでも入れるのは台座まで。島に渡るフェリーも、当日チケットは長蛇の列でした(私たちは事前予約していたので、並ばずにすみました

満員のフェリーは、マンハッタンを後にし・・・



そして、いよいよ見えてきました、自由の女神像!



到着したリバティー島では、これまた事前予約してあったオーディオツアーで、島内をめぐりました。自由の女神像は、もともと「フランス国民」(「フランス政府」ではないところがポイント)がアメリカ独立100周年を祝ってプレゼントしたもので、アメリカ側が用意したのは台座のみ。パリのエッフェル塔を後に設計することになるG.エッフェルも女神像の設計に携わりました。
女神像を贈られることになったのはいいものの、アメリカ側の台座建設はかなり難航しました。なかなか資金が集まらず、「ピューリッツア賞」の創設で知られるジョセフ・ピューリッツァが台座の建設基金のキャンペーンを行い、アメリカ国民からの寄付を募ったそうです。
それにしても、アメリカとフランスって、元々はこんなに仲が良かったんですねえ・・・。

女神像を真下から撮影。女神像は銅製ですが、緑青のため現在は緑色になっています。



さて、女神はどんなお顔をしているのでしょうか・・・?実はこんな顔。



怖い・・・ これは、女神像の顔部分を実物と同じ大きさで再現したレプリカです。
横から見ても怖いし。



このお顔、女神像の製作者が自分の母親の顔をモデルにしたと言われているのですが、それにしても、もう少し優しい顔に作れば良かったのに・・・。まあ遠目からじゃどうせ分からないけど。

リバティ島は世界各国からの観光客で一杯でした。移動その他にも時間がかかって、午前10時過ぎのフェリーで出発したのに戻ってきたのは午後3時間過ぎ。これでも、事前予約していた&エリス島を飛ばしたのでスピーディーな方だと思います。本当に、自由の女神詣では1日がかりです
ちなみに、NY在住20年の親戚は、いまだに一度もリバティ島まで足を運んだことはないのだとか。近くに住んでいると、そんなものなのでしょうか。まあとりあえず、一生に一度行けば十分、という感じはします。

マンハッタンに戻ってきて、少し早めの夕食をチャイナタウンで。NYのチャイナタウンは、味のレベルが高いことで知られています。日本人の先輩方が大絶賛だった「ジョーズ・シャンハイ(鹿鳴春)」へ。ここは小籠包が特に美味しいそう。早速トライ。



とってもジューシーで美味しかったですあふれ出すスープに悪戦苦闘していたら、お向かいにいた女の人が「スプーンの上の載せて食べるといいよ。」と教えてくれました。

食後、レストランの向かいのマッサージ屋さんでしばし和み、その後、今日の夜の目玉、「blue man group」のショーを見に行きました。言葉を発しない3人の青い男性によるコントのような独特のショーで、面白かったです。最後に、一緒に写真も撮ってもらえました。ちょっと渡邊健に似ているような気がします・・・



今日も一日、よく歩きよく遊びました~








































































アメリカ東海岸旅行~NY①~

2007年08月21日 11時39分49秒 | 旅行
NY観光のスタートは、セントラル・パーク。ホテルから歩いてセントラル・パークまで行き(途中、屋台で購入したベーグル・サンドで朝食)、公園内でレンタサイクルをしました。



残念ながら曇り空だったのですが、朝のすがすがしい空気の中のサイクリングは、とっても爽快!

ジョン・レノンを記念したストロベリー・フィールズにも立ち寄りました。お花で綺麗に飾られていて、周辺には人が一杯。ストロベリー・フィールズの最寄りの出口から公園を出ると、ジョン・レノンが暗殺されたダコダ・ハウスが見えます。



午後は、ブロードウェーでミュージカル『ヘアスプレー』を鑑賞。素晴らしく迫力のあるダンスと歌で、楽しめました。別に悲しいストーリーでは全くないのですが、夫は涙ぐんでました。素晴らしい芸術には、やはり人を泣かせる力があるようです。



夜は、birdlandというジャズ・バーでジャズ鑑賞。老舗のジャズ・バーで、質の高いミュージシャンと観客が集まるとのこで、確かに落ち着いた良い雰囲気。



しかし・・・私たちには難しすぎましたようです。はっきりとしたメロディーがなく、ひたすらピアノとギターの音の絡み合いが続きます。時々ミュージシャンがアレンジを入れているようで、そういう時には観客から笑いが起きるのですが、私たちには何が面白いのか良く分かりません・・・。それどころか、居眠りを始める夫ふと周りを見渡すと、視界に入る限りの全ての日本人男性は居眠りをしていました・・・。このバー、ガイドブック等で紹介されていることもあってか日本人がかなり居ましたが、その他は全て、ジャズに詳しそうな年配の落ち着いた人が中心でした。居眠りしている日本人と、ミュージシャンのアレンジを楽しむことのできるその他のアメリカ人観客。日本人として、ちょっと恥ずかしかったです

ジャズ・バーを出てホテルに戻る頃にはもう深夜でしたが、ホテルのあるタイムズ・スクエア近辺は不夜城のように明るく、昼間とあまり変わらないくらい人も歩いていました。夜には早々と店が閉まってしまうLAとはかなり違います。M&Mの大きなLED画面が印象的でした。



今日は1日、よく歩きました~!明日は自由の女神観光です。























アメリカ東海岸旅行~ボストン郊外②~

2007年08月20日 17時04分39秒 | 旅行
タングルウッドから戻ってきた翌日は、Y君とお別れして、レンタカーで南へ。行き先は、ケープコッド半島。ここは、歴代のアメリカ大統領を始めとするセレブリティ(アメリカでは、「セレブ」とは一般に映画スターを指すようですが、ここでは日本語的な意味で)の別荘地ともなっているアメリカ屈指のリゾート地です。

ボストンから車で約3時間で、ケープコッド半島の先端の町、プロビンスタウンに到着します。ここは、1620年にメイフラワー号が初めて新大陸に上陸した所でもあり、18世紀には捕鯨基地として反映しました(「地球の歩き方」のぱくり・・・)。現在は、芸術家が集まるお洒落な町であるとともに、ゲイの聖地のようにもなっています。

街中にはためくゲイのシンボル、レインボーの旗の下を歩く夫。至るところ、レインボーだらけです。言わずもがなですが、夫はゲイではありません(笑)。



レンタサイクルで、デューンと呼ばれる砂丘まで足を伸ばしてみました。



途中、かなりの人とすれ違いましたが、そのほとんどか「いかにも」って感じの男性二人連れ・・・。皆さん柔和な顔をしていて、むしろ一般的なアメリカ人より良い人そうなのですが、ちょっと独特の雰囲気をしています。夫は、「目が合うとゾワーっとするねえ。」と、身の危険を多少感じているようでしたが、女性にとっては全く危害ありません(笑)。

ここでもまたクラムチャウダーを食し、本日の宿泊地、サンドイッチへ向かいました。(本当はケネディ家の別荘のあるハイアニスにも行ってみたかったのですが、時間が足りませんでした。)

同じ半島内でも、プロビンスタウンとサンドイッチは、車で1時間半ほどと、結構離れています。町の雰囲気も、開放的でちょっとLAっぽかったプロビンスタウンとは対照的に、サンドイッチは英国風のこじんまりした可愛い町です。宿泊したホテルも、町に溶け込んだ可愛い建物でした。フロントのある棟は、教会だった建物を改装したものでした。



サンドイッチ到着が夜だったので、翌日、ホテルをチェックイン後に町の探索。ホテル周辺を散策後、ヘリテージ・ミュージアム&ガーデンへ。ここには、美しい庭園の中に、自動車博物館など幾つかの博物館があります。庭園の風車は、およそ200年前に建てられたもの。



美しいクラシック・カーに、



100年ほど前に作られたというメリー・ゴー・ラウンド。ちゃんと動きます。私たちも乗せてもらいました。



お昼頃サンドイッチを出、ボストンに戻りました。ボストンのローガン国際空港でレンタカーを返却し、そのまま飛行機でNYへ。実は、ボストンのチャイナタウンとNYのチャイナタウンを結ぶ「チャイナバス」なるバスが、1人15ドルで運行しているとのこと。ここまで格安でなくとも、ボストン~NY間は、バス、アムトラック等の陸上交通が便利で安いらしく、飛行機で移動する人はあまりいないようでしたが、後の祭り

ボストンは、ボストン自体の街なみも美しく、少し足を伸ばせばタングルウッドやケープコッド半島、今回は時間がなくて行けなかったけれどアメリカ最初の植民地プリマスや、魔女の町せーラムなど、個性のある町が沢山あり、なかなか興味深いエリアでした。寒くさえなければ、そしてもう少し日本からのアクセスが良ければ、こっちのほうが留学先としては良かったかも・・・と思うほど、大満足のボストン&ボストン近郊でした

明日から、NY観光です。

























アメリカ東海岸旅行~ボストン郊外①~

2007年08月19日 07時41分50秒 | 旅行
旅行3日目は、ボストン郊外のタングルウッドへ。夏の間は、ボストン・シンフォニーここを本拠地としてコンサート活動を行っているのです。タングルウッドのコンサート会場は半屋外式なので、屋外席ではワインを飲んだり食事をとったりしながら、気軽に音楽を楽しむことができます。

タングルウッドへは、ボストンから車で3時間ほど。まずローガン空港でレンタカー。夫、私、Yくん、Mくんの4人でタングルウッドへ向かいました。

走ること3時間。タングルウッドは、名前の通り森の中で、森の中のピクニック場のようなところにコンサート会場が設置されています。写真の奥にある建物がコンサート会場。



コンサート開始までに、敷地内にあるデリでサンドイッチと飲み物(私はビール)を買い、軽くピクニック。



2:00pm、いよいよコンサート開始です。今日の演目はベートーベンの交響曲第9番。写真は、開始前の様子(演奏中は写真が撮れません)。



意外とおとなしめの演奏でしたが、バイオリンの響きの美しさとバリトン歌手の迫力ある声が印象的でした。最後には、皆でスタンディング・オベーション。ちなみに、私たちの席は屋内席だったので、ワインは抜きで真面目に鑑賞しました(笑)。

コンサート後、敷地内を散策すると湖の見える開けた場所が。



Yくんの提案で、4人でここでフリスビーにしばし興じました。・・・Yくん、こっそりフリスビーを持ってきてたのね
フリスビーは初体験でしたが、結構面白くて、周りに人がいなくなるまで熱中してやってました。あらぬ方向に走るフリスビーを追いかけたりしていると、結構な運動量に。童心に帰ってみんなで騒いで、楽しかったです。

ボストンに戻ってくるともう夜。4人で夕食に行きました。今日もロブスターとクラムチャウダー。ボストンに来てから、(夫の希望により)ほぼ毎回クラムチャウダーを食べているので、さすがに私は食傷気味。せっかくの美味しいレストランですが、ここは自重して私一人ベジタリアン・メニュー。まあたまにはね。

ここで、ボストンの食事情について少し。ボストンに特徴的なファーストフード店として、①ダンキン・ドーナツと②Au bon painの2つがあります。ダンキン・ドーナツは東海岸全域にあるのですが、ボストン発祥らしく、ボストンには至るところに(日本のコンビニくらいの頻度で)このお店があります。②のAu bon painは、スープやサラダ、サンドイッチなどの軽食を提供するお店。西海岸では見かけないのですが、ボストンには沢山ありました。店内は広くて清潔で、食事の味も美味しく、なかなかでした。LAにも進出してくれればいいのにな~。

ボストンにもしょぼいながら日系スーパーがあります。1つ連れて行ってもらったのですが、本当にしょぼく、LAの日系スーパーの10分の1の大きさもないでしょうか。ただビックリしたのは、何とこんなモノに出会ったのです。



これは、知る人ぞ知る養々麺シリーズ。九州の店舗が販売しているもので、私の母親が密かに愛用している食品なのですが、まさかボストンで出会うとは思ってもいませんでした。シリーズ一式、全て揃ってます・・・NYでもLAでも見たことないのに、なぜ「日本食マイナー」のボストンに??ただし、お値段は一袋6ドル程度と高めでした。

そんなこんなで3日目も楽しく終了しました。