2日の夜は、長男と次男親子とわれわれ夫婦の3家族が、わが家で寝た。3日は朝から小雨。子供たち親子は昼間の秩父市内に出かける予定だった。しかし、様子見で昼近くになり、昼食を食べてから出かけることになった。久しぶりに石釜に火を入れ、ピザを焼くことにした。手捏ねでなく、生地と一次発酵はホームベーカリーに任せることとした。それでも1時間半はかかる。その間私はもっぱら窯の燃焼管理、妻はトッピングつくりに専念。焼きあがるや否や完食。作り甲斐はあった。
あわただしかったので、残念ながら、ピザつくりの場面を撮影する余裕はなかった。
結局、子供たちが秩父に出かけたのは夕方になり、おのおの家族が別々に出立した。
このあと、残り火を利用してパンを焼くことにした。ピザと同様に生地はホームベーカリー任せ。成形と2次発酵はわが手で行った。食パンとバターロールを焼いた。焼きあがったころは、日暮れ近かった。

焼きあがった食パンとバターロール
パンを焼きながら、気になっていることがあった。秩父出身の落語家林家たい平師匠が、屋台に乗ること、139年ぶりに中近笠鉾が運行されるとのことの二つだ。ピザと焼き上がりたてのパンを試食したので、満腹状態だ。夜祭に出かけることにした。
現地に着いたのは20時を過ぎていた。もう、山車は曳き回しに出て、2時間ほど立っているだろう。山車の集合場所の御旅所にいってみた。残念ながら人山と有料観覧席で御旅所の山車は見えなかった。アナウンスによると、中近笠鉾はすでに御旅所に着いていた。
たい平さんが乗る中町はまだらしい。とりあえず、一般客が見られる最後の直線である聖人通りに向かった。道路の左右は混雑していた。
何とか観覧できる場所に着いたところ、祭りの法被を着た人が、スマホを耳にあて大声で話している。聞耳を立てずとも、話内容が分かった。どうやら次に来る山車にたい平さんが乗っているらしい。「休憩するのかな?・・・しない!・・・左側だね。こっち側だ・・・」と言っている。それから待つこと20分。太鼓の音が大きくなり、中町の屋台がやってきた。「ホーリャイ、ホーリャイ」と張りのある大きな声で、囃し手のたい平さんの姿を見上げて見ることができた。囃し手は、夜祭の花形といえる存在が屋台や笠鉾(かさぼこ)の上から声を張り上げ、曳(ひ)き子たちを鼓舞するする役目だそうだ。
隣の男性が「たい平さ~ん。たい平さ~ん」と連呼していた。写真撮影のため顔を向けてほしかったようだ。たい平さんの囃しも何と言っているのか聞き取れにくい。男性の声もたい平さんには届かなかったようだ。そして、屋台の進行速度はゆっくりだが、立ち見の観衆の前は一瞬で通り過ぎる。私もフォーカスをあわせる間もなく、数回シャッターを切った。

「ホーリャイ、ホーリャイ」と張り上げるたい平さんの乗った中町の屋台
中町の屋台が去るや否や周囲の見物客が立ち去り始めた。まだ屋台が来るのにと思った。という、私も目的を達した一人だ。その場から立ち去る観衆の仲間入りをすることにした。別の山車の曳き回しを見るため、山車の運行とは逆方向に歩きだした。
途中で近道と思われる細い路地を歩き、囃しの音が聞こえる大通りに出たところ、女性の声のアナウンスが聞こえた。「この山車が最終尾です。このまま後を付いて行っても、込み合うため、見物できません・・・」というような内容だった。もう21時近くになる。花火を見ながら駐車場にもどった。

花火の主役スターマイン

乱舞する花火

双子かな? 兄弟かな?

ふたつ上がった花火が重なって見えた

早めに繰り出した息子が撮ったもの。139年ぶりに運行された中近笠鉾
夜祭見物は、祭典の行事表を見ながら、昼間から来て、夜までいるのがベストだとつくづく思った。昨年は昼間も見物し、それぞれの町内の「会所」も見ることができた。華やかな夜の曳き回しと花火だけでない祭の姿が見られる。もちろん夜の姿は圧巻であることには違いないが・・・。できれば2日、3日の二日間見物するのがベストだ。また、欲張れば5日には流鏑馬がある。「秩父夜祭・観光祭行事表」によると日程は「平成12年12月1日~6日」とあった。3日は大祭だが、6日までは、祭の後の街並みも楽しめそうだ。
そして、一か月もしないうちに大晦日、正月を迎える。初詣も混みそうだ。元旦の秩父神社の初詣に来てみたいと思って何年過ぎたことか。今年はどうかな?
(写真)
あわただしかったので、残念ながら、ピザつくりの場面を撮影する余裕はなかった。
結局、子供たちが秩父に出かけたのは夕方になり、おのおの家族が別々に出立した。
このあと、残り火を利用してパンを焼くことにした。ピザと同様に生地はホームベーカリー任せ。成形と2次発酵はわが手で行った。食パンとバターロールを焼いた。焼きあがったころは、日暮れ近かった。

焼きあがった食パンとバターロール
パンを焼きながら、気になっていることがあった。秩父出身の落語家林家たい平師匠が、屋台に乗ること、139年ぶりに中近笠鉾が運行されるとのことの二つだ。ピザと焼き上がりたてのパンを試食したので、満腹状態だ。夜祭に出かけることにした。
現地に着いたのは20時を過ぎていた。もう、山車は曳き回しに出て、2時間ほど立っているだろう。山車の集合場所の御旅所にいってみた。残念ながら人山と有料観覧席で御旅所の山車は見えなかった。アナウンスによると、中近笠鉾はすでに御旅所に着いていた。
たい平さんが乗る中町はまだらしい。とりあえず、一般客が見られる最後の直線である聖人通りに向かった。道路の左右は混雑していた。
何とか観覧できる場所に着いたところ、祭りの法被を着た人が、スマホを耳にあて大声で話している。聞耳を立てずとも、話内容が分かった。どうやら次に来る山車にたい平さんが乗っているらしい。「休憩するのかな?・・・しない!・・・左側だね。こっち側だ・・・」と言っている。それから待つこと20分。太鼓の音が大きくなり、中町の屋台がやってきた。「ホーリャイ、ホーリャイ」と張りのある大きな声で、囃し手のたい平さんの姿を見上げて見ることができた。囃し手は、夜祭の花形といえる存在が屋台や笠鉾(かさぼこ)の上から声を張り上げ、曳(ひ)き子たちを鼓舞するする役目だそうだ。
隣の男性が「たい平さ~ん。たい平さ~ん」と連呼していた。写真撮影のため顔を向けてほしかったようだ。たい平さんの囃しも何と言っているのか聞き取れにくい。男性の声もたい平さんには届かなかったようだ。そして、屋台の進行速度はゆっくりだが、立ち見の観衆の前は一瞬で通り過ぎる。私もフォーカスをあわせる間もなく、数回シャッターを切った。

「ホーリャイ、ホーリャイ」と張り上げるたい平さんの乗った中町の屋台
中町の屋台が去るや否や周囲の見物客が立ち去り始めた。まだ屋台が来るのにと思った。という、私も目的を達した一人だ。その場から立ち去る観衆の仲間入りをすることにした。別の山車の曳き回しを見るため、山車の運行とは逆方向に歩きだした。
途中で近道と思われる細い路地を歩き、囃しの音が聞こえる大通りに出たところ、女性の声のアナウンスが聞こえた。「この山車が最終尾です。このまま後を付いて行っても、込み合うため、見物できません・・・」というような内容だった。もう21時近くになる。花火を見ながら駐車場にもどった。

花火の主役スターマイン

乱舞する花火

双子かな? 兄弟かな?

ふたつ上がった花火が重なって見えた

早めに繰り出した息子が撮ったもの。139年ぶりに運行された中近笠鉾
夜祭見物は、祭典の行事表を見ながら、昼間から来て、夜までいるのがベストだとつくづく思った。昨年は昼間も見物し、それぞれの町内の「会所」も見ることができた。華やかな夜の曳き回しと花火だけでない祭の姿が見られる。もちろん夜の姿は圧巻であることには違いないが・・・。できれば2日、3日の二日間見物するのがベストだ。また、欲張れば5日には流鏑馬がある。「秩父夜祭・観光祭行事表」によると日程は「平成12年12月1日~6日」とあった。3日は大祭だが、6日までは、祭の後の街並みも楽しめそうだ。
そして、一か月もしないうちに大晦日、正月を迎える。初詣も混みそうだ。元旦の秩父神社の初詣に来てみたいと思って何年過ぎたことか。今年はどうかな?
(写真)