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4月12日

知人の山川 建夫氏(やまかわ ゆきお)からのメッセージです。共通の友人から送付された文章の転載です。

山川氏は元フジテレビアナウンサー、現フジテレビお台場アナウンススクール講師。1985年退社し、北海道小樽市の1年半を含む2年半、ワンボックスカーで家族と全国を旅し、1987年に市原の自然に出会い、同年暮れから住む。田畑を耕し、野山を歩く日々を送りながら、フリーアナウンサーとしての活動も行っている。環境保護や自然と親しむ暮らしについての講演などでも活躍中です。

以下、山川氏からのメッセージです。

いよいよ「その時」が来た!というのが実感です。
宮城県から茨城県にかけての太平洋側のプレート境界の岩盤が南北およそ400km以上にわたって崩壊。そのため、マグニチュード9.0という史上最大規模クラスのエネルギーが解き放たれた結果、その沿岸地域に巨大な地震と津波がもたらされた。万を越す人々の生存が確認できないまま、続いて福島県の原発群が重大な事態を迎えている、
 国と電力会社は、これまで、原発は何重にもわたり安全装置がほどこされているので、絶対安全だと豪語してきた。しかし、その絶対安全な筈のシステムが今回は全く機能せず、炉内の冷却水が補給できないため、温度上昇を回避できない事態となった。さらに、冷却水の減少に伴い露出した核燃料棒の温度上昇によって生じた水素が、格納容器や建屋に漏れ出し爆発。また停止中の別の原発では収納していた使用済み核燃料の貯蔵プールの冷却水が枯渇し火災が発生した。
 これらの事故の共通の原因は津波によってバックアップシステムが破壊されたためだが東京電力の責任者は想定外の出来事だったと責任を転嫁している。”想定外の津波”のせいにするということは、自然を見くびっていたということだ。地球上のいきものは、自然という掌の平で生かされている。自然が怒って手を握ればその上の生き物はひとたまりもない。勿論人間もそうした運命から逃れることはできない。そうした厳然たる事実を忘れて私たち人間はこの地球上で何をしてもよいと思い上がってきた。その結果が今回の事態である。どこかの知事が「津波は天罰」と云ったそうだが、その天罰はそう言った知事本人に真っ先に下されるに違いない。また今回の事故で日本の技術力に対する信用は大幅に低下するだろうし、財政再建に対する不信も増し、日本国債の格付けが更に落とされ、株価の下落も止まらず日本経済はパニックに陥るかもしれない。これが「天罰」でなくてなんであろう。
 いずれにせよ、今回の事故が最終的にどうなるのか予断を許さないが大切なことは、この事態を日本が生まれ変わるきっかけにしなければならないということだろう。 まずは全力を挙げて福島の原発のこれいじょうの炉心溶融を食い止め、冷却を更に進めて安全を回復すること。そのうえで、この狭い世界で冠たる地震大国に50基以上の原発が犇めき合うという異常な状況を脱し、原発に頼らなくてもよい社会を創ること。社会の価値観のベースを「マネー」から「いのち」へとシフトすること。「いのち」を支える、空気・水・食べ物、そして信頼に裏付けられた人と人とのつながりを大切にする新しい時代を生み出すこと。
 人類がこれからもサヴァイバルしようとするならばこれしかないのだから、この国が率先して世界に範を示すべきだろう。
 でも何故この国はこうした破滅的な事態を迎えてしまったのだろうか。
日本のまさに持続不可能な社会をこれから少しづつ、しかししつこくひん剥いて行きたいと思う。  山川建夫 3月15日

 我が家の周辺では田植えの準備に余念がなく、今日も一日中、田をうなう農業機械のエンジン音が聞こえていた。普段と変らぬ日常の時間が流れていた。その音を聞きながら、我が家の畑では、放射能汚染から守りたいとの一心から、春キャベツの苗の上をマルチ用の透明なビニールシートで覆ったり、椎茸の種駒を打ち込むために積み上げてあるホタ木の山をブルーシートですっぽり被せたりした。2メートルほどの高さの篠竹の支柱にからみ始めたキヌサヤは覆い切れないので諦めることにした。最後に取り残してあった大根を全て抜いて家の中に収めた。
 大震災後の被災地の復旧作業、福島原発の事故対策作業を見ていると本当に歯がゆく、腹立たしく、情けない思いの連続だ。
やるべき事は誰が見てもはっきりしている。ひとつは非難している被災者の生存を保障すること。もうひとつは、福島原発での炉心のメルトダウンによる大爆発と、使用済み核燃料貯蔵プールでの大量の放射性物質の飛散を防止することである。両方ともスピードが要求される。時間との戦いでもある。しかし、実際の作業は後手にまわりっ放しで、事態を改善することができていない。17日には、救援物資を積んだ国交省のチャーター船が折角、釜石港に接岸していながら、現地との連絡不備のため、荷降ろしができなかったという!
 非常事態時こそ自衛隊の出番。自分が自衛隊の最高責任者だとは知らなかったと管首相は言ったが、今こそ、最前線で強力な指揮を執り「男」を上げる時だ。
 被災地の沖合いに大型船を停船させ、上陸用舟艇でピストン輸送することは今すぐにでもできる。そのうち日本海側から復旧作業が終了した線路が太平洋側まで延びてきて輸送は一気に回復するだろう。 同じく17日、福島第一原発3号機への空中からの水の投下という任務を担った自衛隊のヘリコプターが現場上空まで到着しながら、放射線量が公務員の浴びてよい50ミリシーベルトを4倍ほど上まわっているとして引き上げてしまった。そして翌日放射線防護服を着て出直すという。
 このニュースを聞いてあきれてモノが言えなかった。日本人の危機意識の現状がこのことに表れていると思った。防護服ぐらい着ていけよ!大体、自衛隊とは本来戦争をするのが仕事だろ。「敵」と撃ち合っている時、放射能レベルが基準をこえていたらさっさと帰ってくるのかよ。幸いこの国には平和憲法があって他国との戦争は禁じられている。だったらこういう時こそ命を懸けてくれよ!もし福島の原発事故を防いだら世界中から称賛されることは間違いないんだから。
 この事に関しては、今日の報道で原子炉物理学者が上空から投下された水の衝撃で使用済み核燃料プールの中の最悪の猛毒物質であるプルトニウムが環境中に飛び散ることが心配だと言っていたが確かにそうだ。そして本日公務員の放射線量の上限を250ミリシーベルトに引き上げる法律の変更をしてから1日7.5トンの水が上空から4回投下された。しかし、投下前と後で、現場の放射能の濃度に変化は無かったという。ただ確実にプルトニウムが空気中に飛び散ったことをのぞいては。
「計画停電」について。
これは福島原発分の電力が失われたために行われる。電力需給関係で需要が供給を上回った際の大規模停電を避けるための措置である。でも本来は原発に頼り切った大量エネルギー浪費社会を見直すためにこそ必要な措置である筈である。千葉県の旭市のように津波で大勢の人たちが避難していた街が突然停電を食らって大騒ぎになったり、やり方が乱暴すぎる。本当は原発の電力を除いた電力で暮らして行けるような社会につくり直すことだ。
23分の間隔で電車がこなくても良いだろう。コンビニだって全部が一斉に店を開けることもないだろう。自動販売機が半分になっても困らないだろう。原発の電力に頼らない暮らしはそんなに不可能なことではない筈だ。皆の意識のチャンネルを切り替えてそうしよう!と思えばすぐ出来ることだと思う。
 ところがメディアでは「津波による被災者の皆さんのために計画停電に協力しましょう!」と繰り返し呼びかけている。ライフラインが切断され孤立した被災者にとって救援物資こそ必要であって計画停電は直接関係ない。とにかく必要なものが届けられることが大切で、それを国や東電が手を拱いたまま、被災者の皆さんのためなどというおためごかしやめろと言いたい。これは従来のように東電側の情報をメディア側が無批判的に垂れ流しているのだろう。これまで国と電力会社とメディアは「原発は安全だ!地球温暖化防止の切り札だ!クリーンエネルギーのエースだ!」などと大プロパガンダを行って来たが、計画停電はその延長線上にあると見てよいだろう。もうそろそろ目を覚まし、原発依存に象徴される欲望全開の“原発体制”から抜け出したいものだ。これが最後のチャンスだと思う。この国の皆が力を合わせこの大ピンチを克服して真に自然と共存できる社会を実現させられたらと心から願うばかりである。
 思い起こせば、米ソ核戦争の一歩手前まで行ったキューバ危機を目の当たりにして震え上がった人々が、「核の平和利用」という口あたりの良い甘言に乗せられて、原発の導入を許してしまったのがそもそもの始まりだったような気がする。
キューバ危機が仕組まれた陰謀だったという説もあるが、その真偽は別にして、危機を最大限に利用して原子力をカネの成る木に仕立て上げたアメリカのしたたかさはその後の「9.11テロ」に通じるものがある。  「核の平和利用」はたくさんの人の心を動かした。人間をひたすら信じようとした手塚治虫の世界では主人公はアトムとウランちゃんだった。そうした人間の善性を利用してこの国にも原発が導入されたが、その仕掛け人は読売新聞社主の正力松太郎だった。
 彼は日本で最初の民放テレビ局を設立して原発導入のための意識の醸成をはかった。国と電力会社とメディアは三位一体となってこの国の人々の欲望を煽り、日本中に大金をばらまき、この地震大国の狭い国土に原発を建設しまくって“原発体制”を築いてきた。その流れの危うさに気付かせてくれたのが1979年のアメリカ・スリーマイル島原発事故であり、1986年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故だった。
その後、世界は原発の新規建設にブレーキをかけ、安全な代替エネルギーへの転換をはかり始めた。ところが、1990年代から地球温暖化の危機が叫ばれ始め、その原因と言われる二酸化炭素を出さないという触れ込みで原発が見直されてきた。その中心に当時のアメリカ副大統領アル・ゴアがいたと言われている。日頃の人間活動が地球のバランスを崩しているのではないかと心を痛めていた人々の心配につけ込み、「不都合な真実」という映画を通して、このままでは破滅的な事態になるという意識を強烈に刷り込むことに成功した。そのことによって、彼と国連のIPPCはノーベル平和賞を受賞した。
 核戦争の恐怖を利用して原発をカネの成る木に仕立て上げて以来、度重なる事故により「神通力」を失っていた原発が、再びカネの成る木として復活したのだ。今や原発保有国による原発セールス合戦が世界中で展開されている最中での事故だった。
原発は「命」より「マネー」という現代社会の中心的な価値観の象徴的な存在である。私たちは、今回の事態をきっかけに「マネー」から「いのち」へという価値観の根本的な転換を実現できるか否かという本当に大きな岐路に立っている。
今日の東京外国為替市場では東日本大震災の被害回復のため円の需要が高まるだろうという、円相場の値上がりを見越した投機筋からの巨額の投機マネーが投入され、円は15年振りの最高値を記録したという。   3月17日

 昨日の19日は、昨年の夏、30センチ位の乾燥させるために積み上げてあった丸太を割って薪にする作業をした。取り敢えず10日分ほどをいつでも取り出せるようにした。福島原発事故の行方が相変らず予断を許さない状況にあるのは変りないが、この冬の暖房用の薪の準備はあとどのくらい必要だろうか。
1968年、僕は民放テレビ局に入社したのだが、ほどなく、テレビというメディアが、大衆の欲望を全開させるための道具として使われていることに気が付いた。消費を煽り、生産を拡大し経済を成長させるという浪費社会を国を挙げて追及していた。そのためのエネルギーとして原発が使われた。その時の正直な感想は「こんなことがいつまで続くのだろうか?」というものだった。人々の欲望充足を促すためにバラ色のイメージを注ぎ込む装置としてのテレビには巨額のマネーが集まった。この路線はバブル経済の崩壊まで突っ走ることになった。バブルの崩壊後、メディアは欲望の裏返しである不安や恐怖を煽ることによって消費を拡大してきた。いかがわしい情報が巷を席巻し人々は安心を求めてお金を使うようになった。
 1985年、僕はテレビ局を辞めた。
虚構の世界に抗うことに疲れ果て、健康も害したからだ。以前から芽生え始めていた実の世界である自然と共に在る暮らしへの希求を実現するため家族3人で新天地と出会う旅へ出た。そして2年余りのち、現在の房総の里山の麓に建つ大正時代の古家と出会い、第二の人生のベースとした。あと数年空家のままだったら崩れ落ちていたであろう、その家の電気のブレーカー容量は15アンペア。かまどと五右衛門風呂。よしここから始めよう。原発のエネルギーに頼らない暮らしにはもってこいだ。抜け落ちた台所をはじめとする家の中の補修が終って一段落すると家の前の畑を耕し、さらにその先の田んぼで米づくりを見よう見まねでやりはじめた。もう本当に無農薬かどうかを心配する必要はない。自分で育てているんだからこんな確かなことはない。気が付いたら家族の食べ物を自給していた。
 その一方でこの狭い地震大国で、原発と共存できないことを訴え、この物質的に過剰な社会を自然と文字通り共存出来る社会につくりかえたいと願い行動してきた。
朝、目が覚めると原発の無事故を願い、就寝時に今日一日の無事故を感謝するという日々を送ってきた。小さな事故は限りなくあったが、その都度、国と電力会社は心配ない、絶対安全ですという“安全神話”を繰り返してきた。国民もまたいつの間にかそれを信じるようになってしまった。
 そこへ今回の地震と津波である。僕たち国民が安全神話を許してきてしまった結果ではあるが、当事者の東電も感覚がマヒしてしまっていた。正規の電源と非常時用の電源が使えないのなら、どこからか電気を引っ張ってくるしかないことは、素人でもすぐ解ることだが、東電の言う「外部電源」を東北電力の高圧線から引き終ったのは地震発生8日後の夜だった。その東電は地震発生の3日後、最悪の事態を回避できないとして原発からの全面退去を政府に打診していたという。その申し入れを首相が拒否した際、東電関係者は「撤退は許さない」というのは「被爆して死ぬまでやれ」と言っているようなものとの不満を漏らしたという。こんな人たちに日本人の生命を預けていたわけだが、恐れていたとはいえ、実際にこうした事態を迎えてみると、これまで自分がやってきたことが一体何だったのかと笑うしかない。福島の太平洋岸に10基の原発が立ち並んでいたことを多くの人が知らなかったという「無知」につけ込んで、国と電力会社とメディアは原発を思うがままに操ってきた。しかしこの事故で今度という今度は事実を知った。願わくばこれを機会に原発に頼らない、しかしシンプルで心豊かな社会の実現のために、この国が動いて行って欲しい。これまでのように物質の成長に偏った世界は必ず破綻するのだから。
 その思いと同時にこの原発事故が、これ以上の被害を出さずに収束して欲しいとひたすら願っている。幸運にも事故がこれ以上ひどくならずに収まったとしたら人々は「ああ良かった!」と言って、原発の無い社会の誕生にまで想いを深めることはしないのであろうか。過剰な豊かさを手放すことをしないままなのだろうか。今最も必要なのは事故の回復作業と併行した原発に頼らない新しい社会像の構築である。それが出来ないのなら、行き着くところまで行くしかないだろう。
チェルノブイリ型の大爆発は起こらないという“専門家”もいるが、いま頑張っている事故現場での作業員と厚さ15センチの鋼鉄製の圧力容器がギブアップした時、「カタストロフィ」はやってくる。この文章を書いているこの瞬間にも中性子線をはじめとする激しい放射線を浴びながらも圧力容器は健気に頑張っている。しかし、その崩壊熱に耐え切れず、容器が劣化し切った時、全世界に放射能をまき散らす大爆発がやってくる。その可能性が一番高いのは空焚き状態が続いている2号機だろうが、その瞬間、ほかの5基の原発はどうなるのか、各建屋内のプールで冷却されている使用済み核燃料はどうなるのか。想像するだに恐ろしい。
原発に頼らない真に自然と調和した社会の到来のためには、これだけの犠牲を払わなければならないのか。まさに正念場である。
 居ても立ってもいられないので現地へ行って被災者の皆さんを助けたい、現地へ行けないのなら何か出来ることをしたい! という人が多勢いる。その方々に言いたい。
今回、地震を起こした太平洋プレートは関東地方、中部地方から四国まで延びている。地下で何か物凄いエネルギー活動が集中的に起きていて、プレート境界の崩壊は東海から中南海、南海地震へと連続して起きる可能性がある。ですから何かやることがあるとすれば、静岡県の浜岡原発を止めることです。福島原発を襲った巨大津波が発生することは間違いないからです。脱原発。原発に頼らない社会の到来をはっきりイメージできた時、福島原発の二の轍を踏むことは決してないでしょう。行動あるのみです。  第3信 山川建夫  2011・03・20

地震発生から半月が過ぎました。
その間、被災者の皆さんの救援活動もなかなか進展していないようですし、福島の原発事故の方も、現場で命懸けの作業をしている方々の尽力にもかかわらず予断を許さない状況が続いています。その一方で、今回の地震を起こした太平洋プレートの境界線に沿って東海、東南海、南海での地震が連動して起こる危険性も繰り返し叫ばれています。
 もし、東海地震がこの瞬間にでも起これば、その震源域の真上に立地している浜岡原発が福島と同じ惨禍を蒙ることは火を見るより明らかです。そうなったら、この国はおしまいです。地震は神様の領域ですが、原発は人間界のものです。地震は止めることはできませんが、原発は人間の手で止めることできます。
しかし、予想された事とはいえ、浜岡原発を所有する中部電力の社長は、「浜岡原発は止めない!」と頑固に主張しているようです。考えたくもありませんが、東海地震が起こって4基の原発が制御できなくなれば恐らくこの国はおしまいです。中部電力も企業として存続できなくなるのでしょう。とすれば株主の利益も吹っ飛ぶというものです。それを避けたければ、浜岡原発を止めるしかありません。緊急に株主総会を開いて原発停止を議決してください。会社が無くなったら元も子もないのですから。同時に総理大臣、静岡県知事、超党派の国会議員で浜岡原発の停止を即刻実施していただきたい。
 福島原発の復旧作業の方ですが遅々として進んでいません。東北電力の高圧線から引いたケーブルが原発敷地内まで延び、13号機では中央制御室の照明が点灯したという。しかし原子炉本体の冷却機能の回復がいつになるのかは全く分らないという。はたしてその間最終的な重大事故を防ぐことができるのかどうか不安は増すばかりです。福島原発の4機の圧力容器は事故発生以来、強烈な放射線、なかでも中性子線を浴び続けていて、ボロボロに傷付いていると思われるが、健気に頑張っている。いつまで持ちこたえることができるのか。
アメリカの「社会的責任を果たす医師の会」の元会長が「福島第一原発のそれぞれの原子炉には広島型原爆の1000倍の放射性物質が含まれている」と発言していたが、これが1基でも火を噴いたらとんでもない事態となる。しかも狭い敷地に6基並んでいるため連鎖的に爆発するだろうと広瀬隆氏は言っている。もう観念するしかないという気持ちになるが、放射能汚染は地球規模で拡散されるから、これはもう日本一国の問題ではない。奇跡的に冷却作業に成功して核分裂反応が収まることを祈るばかりです。その後は放射能がこれ以上漏れ出さないよう、ぶ厚いコンクリートで覆うことになるでしょう。
いずれにせよ、この事故は全人類の問題であり、原発に象徴される、エネルギーをひたすら浪費する文明の在り方を根本的に変えることができるのかを、この時代を生きる一人ひとりが聞かれているのだと思います。 
2011・03・27 山川建夫

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