今日は特番です。テーマは「江戸の食」。
まずは隅田川(江戸時代は東京湾)。
お台場の近くの島、佃島。僕も物の本で「佃煮」という話を聞いたのですが。
江戸時代、そばや寿司はファストフード。一方で佃煮などはスローフードでした。
佃島の小さな水門を抜けると、漁港のような...
実は江戸前の魚の取れる拠点でした。歩けば地形の変化がわかります。
メインストリートを背骨に、島の痕跡があります。
江戸の初期、佃島・石川島が誕生。ここで住吉神社もできました。
大阪の住吉神社からスタッフを呼んだことで、漁業振興を図ったのは徳川家康。
江戸には漁民というのがまだいなかったため、大阪の技法を取り込んだとも。
島の西には住吉神社の緑の鳥居も。大阪を懐かしんだことでしょう。
それから佃煮屋さん。
雑魚の調理のために編み出されたのが佃煮。これは醤油とみりんの絶妙なバランス!
ここから漁師町の名残を探します。
すると井戸がそこかしこに...流し水、打ち水に使います。
また、井戸のある家の中には元魚屋とか元氷屋というのが多いそうです。
その仕組みがすごい!敷居を外し、土間で魚をさばき、そこから日本橋へ...というもの。
さらに江戸時代の将軍献上の箱というもの。
これは二重構造になり、御本丸御用という文字も。
実は徳川家の白魚献上は今でも行われているのだ!
で、徳川家では初日は生、翌日は卵とじに...
白魚を献上した理由は、なんと頭に葵の御紋というからだそうな。
佃島の魚は日本橋へ。家康が整備した運河などを駆使して、すばらしい街に。三越にその名残をとどめます。
魚河岸の名残は日本橋のいたるところに江戸の食堂があることでもわかります。
が、かつおぶし問屋の立ち食いそば屋が。ここのかけそばは出しがきいている。
江戸時代はそばは屋台の店だった。
男社会であった江戸時代、屋台はもちろんだがチェーン店、料亭なども存在。
江戸時代にはミシュランのような料理ガイドも。
もしかして、ミシュランは江戸の料理店ガイドを参考にしたんじゃないか?とタモリさん。
さて、野菜市場もすでにありました。
やっちゃ場、というところの名残でブラブラしていると「庄之助最中」へ。ここ、一度食べたいです。
サカエヤミルクホール、ここはラーメン屋ですが面白いネーミング。
実はこの斜向かいにバナナの室というのがあったらしい。
(そのへんで青物市場は誕生した)
すると発祥の地というあたりで400年続く真綿問屋の話で、バナナの室の情報をゲット!
すると近所でやっちゃ場時代のバナナの室が。
ここは板の間の地下みたいなものですね。我が家にもありました。
この室は、青いバナナを熟すためにつるす部屋でした。なるほど...
次は豆腐屋。おぼろ豆腐とは違う、という豆腐を食す。
神田のバケツ豆腐、というのは面白い。
豆腐と言えば我が家にもある「豆腐百珍」。
中には秘伝、一般的という理由で調理法が記載されなかったものも。
今度は一八稲荷。ここで神田稲荷のすごろくを。
僕も岩手一周すごろくゲームなんて考えてたけど、神田の稲荷神社をめぐると狐の形に、というから驚きだ。
しかも狐の目は神田明神を指しているのだ。
ということで神田明神。明神下には銭形平次がいますよ~
神田明神が立っているのは本郷台地の端っこ。
神田は元々神の田んぼ、つまりお茶の水あたりから上野にかけてが田んぼなんです。
元々湯島もそんな感じですかね。サッカー通りも歩きましたし。
で、神田明神の裏手から清水坂下へ。ここは湧水地でした。
ここから棚田を作っていたのではないか?と国士舘大学の原田先生はおっしゃるのです。
水源があって、傾斜があるベストな土地。ここが古代の水田だったというのもうなづけます。
そういえば弥生町もこの近く。まさか、まさか...つながりましたか?
神田明神の境内で甘酒を。神社の甘酒は巫女さんにお酌してもらいましょうwww
鶴岡や神宮の御神酒でもいいですが。
その麹室があるということで、見せてもらうことに。
実は麹室、僕も日本酒の現場で見せてもらいましたが...
麹室は地下深くにあります。中はすごい臭いで、むせそう。明治37年に作られ、今なお使われるところ。ここで蒸し米に麹菌が付着します。
また、一定温度に保つ役割を果たすのが関東ローム層だったり、上から麹菌をふりかけたり...と。いい香りがしますね。
最後は江戸の料理。江戸の日常料理はこんなものでした。
・大根おろしの乗った揚げ出し大根
・掻き鯛の煎り酒かけ
・胡椒飯
煎り酒は酒と梅干しを使ったもの。僕も作りましたよ。
胡椒飯は胡椒をかけたご飯に茶漬け。
また、江戸時代は大食い大会・大酒大会が流行しました。
酒をかなり飲むなんて、いくらなんでも僕は...
しかし江戸時代は色々楽しかったですね。
世知辛い2012年ですが、おいしくいきぬきましょうや!
まずは隅田川(江戸時代は東京湾)。
お台場の近くの島、佃島。僕も物の本で「佃煮」という話を聞いたのですが。
江戸時代、そばや寿司はファストフード。一方で佃煮などはスローフードでした。
佃島の小さな水門を抜けると、漁港のような...
実は江戸前の魚の取れる拠点でした。歩けば地形の変化がわかります。
メインストリートを背骨に、島の痕跡があります。
江戸の初期、佃島・石川島が誕生。ここで住吉神社もできました。
大阪の住吉神社からスタッフを呼んだことで、漁業振興を図ったのは徳川家康。
江戸には漁民というのがまだいなかったため、大阪の技法を取り込んだとも。
島の西には住吉神社の緑の鳥居も。大阪を懐かしんだことでしょう。
それから佃煮屋さん。
雑魚の調理のために編み出されたのが佃煮。これは醤油とみりんの絶妙なバランス!
ここから漁師町の名残を探します。
すると井戸がそこかしこに...流し水、打ち水に使います。
また、井戸のある家の中には元魚屋とか元氷屋というのが多いそうです。
その仕組みがすごい!敷居を外し、土間で魚をさばき、そこから日本橋へ...というもの。
さらに江戸時代の将軍献上の箱というもの。
これは二重構造になり、御本丸御用という文字も。
実は徳川家の白魚献上は今でも行われているのだ!
で、徳川家では初日は生、翌日は卵とじに...
白魚を献上した理由は、なんと頭に葵の御紋というからだそうな。
佃島の魚は日本橋へ。家康が整備した運河などを駆使して、すばらしい街に。三越にその名残をとどめます。
魚河岸の名残は日本橋のいたるところに江戸の食堂があることでもわかります。
が、かつおぶし問屋の立ち食いそば屋が。ここのかけそばは出しがきいている。
江戸時代はそばは屋台の店だった。
男社会であった江戸時代、屋台はもちろんだがチェーン店、料亭なども存在。
江戸時代にはミシュランのような料理ガイドも。
もしかして、ミシュランは江戸の料理店ガイドを参考にしたんじゃないか?とタモリさん。
さて、野菜市場もすでにありました。
やっちゃ場、というところの名残でブラブラしていると「庄之助最中」へ。ここ、一度食べたいです。
サカエヤミルクホール、ここはラーメン屋ですが面白いネーミング。
実はこの斜向かいにバナナの室というのがあったらしい。
(そのへんで青物市場は誕生した)
すると発祥の地というあたりで400年続く真綿問屋の話で、バナナの室の情報をゲット!
すると近所でやっちゃ場時代のバナナの室が。
ここは板の間の地下みたいなものですね。我が家にもありました。
この室は、青いバナナを熟すためにつるす部屋でした。なるほど...
次は豆腐屋。おぼろ豆腐とは違う、という豆腐を食す。
神田のバケツ豆腐、というのは面白い。
豆腐と言えば我が家にもある「豆腐百珍」。
中には秘伝、一般的という理由で調理法が記載されなかったものも。
今度は一八稲荷。ここで神田稲荷のすごろくを。
僕も岩手一周すごろくゲームなんて考えてたけど、神田の稲荷神社をめぐると狐の形に、というから驚きだ。
しかも狐の目は神田明神を指しているのだ。
ということで神田明神。明神下には銭形平次がいますよ~
神田明神が立っているのは本郷台地の端っこ。
神田は元々神の田んぼ、つまりお茶の水あたりから上野にかけてが田んぼなんです。
元々湯島もそんな感じですかね。サッカー通りも歩きましたし。
で、神田明神の裏手から清水坂下へ。ここは湧水地でした。
ここから棚田を作っていたのではないか?と国士舘大学の原田先生はおっしゃるのです。
水源があって、傾斜があるベストな土地。ここが古代の水田だったというのもうなづけます。
そういえば弥生町もこの近く。まさか、まさか...つながりましたか?
神田明神の境内で甘酒を。神社の甘酒は巫女さんにお酌してもらいましょうwww
鶴岡や神宮の御神酒でもいいですが。
その麹室があるということで、見せてもらうことに。
実は麹室、僕も日本酒の現場で見せてもらいましたが...
麹室は地下深くにあります。中はすごい臭いで、むせそう。明治37年に作られ、今なお使われるところ。ここで蒸し米に麹菌が付着します。
また、一定温度に保つ役割を果たすのが関東ローム層だったり、上から麹菌をふりかけたり...と。いい香りがしますね。
最後は江戸の料理。江戸の日常料理はこんなものでした。
・大根おろしの乗った揚げ出し大根
・掻き鯛の煎り酒かけ
・胡椒飯
煎り酒は酒と梅干しを使ったもの。僕も作りましたよ。
胡椒飯は胡椒をかけたご飯に茶漬け。
また、江戸時代は大食い大会・大酒大会が流行しました。
酒をかなり飲むなんて、いくらなんでも僕は...
しかし江戸時代は色々楽しかったですね。
世知辛い2012年ですが、おいしくいきぬきましょうや!