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ビューティフル・マインド  ケム川の流れに

素直な瞳はその心の美しさをそのままあらわしている。それは、素直とは全く正反対の瞳とくらべればよくわかる。

蟹工船とロマンポルノの巨匠神代辰巳 しんゆり映画祭

2009年09月03日 | 日本東アジア
こんなタイトルだと石頭の共産党の連中に殴り込まれそうだが、これは 第15回しんゆり映画祭 の(隠れた)タイトルだ。昨年はこの映画祭のオープニングで96歳になる新藤兼人監督が「石内尋常高等小学校 花は散れども」の講演を行った。ちょっと前まで駅超近なのにタヌキたちが好き勝手に暮らしていた新百合の北口が大開発され、タヌキが棲んでいて「万福寺」なんだから、そのまま使えばいいものをなぜか「山の手」(むしろすり鉢だよ)と命名され、その入り口に映画劇場と演劇劇場をもった川崎市アートセンターが建設されてそこが映画祭の中心となった。東芝と富士通の本社が東京に逃げ税収がどーんと減った政令指令都市(国立大学がひとつもない)川崎市が、なにを血迷ってか「芸術のまちー川崎」のスローガンを掲げて、南口に「昭和音楽大学」を「駅から歩いて3分+公園つき」の至れり尽くせりで「来ていただいて」、それに「アートセンター」を造った。子どもの数の大減少で統合された小中学校(独立を維持したところが一学年20名まるで「黒川村分校」の復活だ)の跡地の民活で「映画大学」構想なるものも噂されている。でも所詮「うつわもの」ばかり増えているのにすぎず、内容がまったく伴わない。駅前では、ストリートミュージシャン・アーティストを気取った連中が演奏したり大道芸が繰り広げてそれなり頑張っているけど、ロンドンなどではクラシックの連中も地下鉄の通路でよく演奏しているが、「昭和音大の根性のない連中」はまったくその大道芸に「積極的に」参加していないし、オペラが上演できるご立派な劇場も年に数回ぐらいしか公演に使われていない。ともかく見せてものになるかならないかの世界なのにまったく怠慢この上ない。コベントガーデンなんか日曜は一切の公演がなくたって何らかの催しがあり、いつでもなんかやってフルに使われている。

ノーマ・フィールド「小林多喜二」岩波新書は、帯タイトル「蟹工船の作者の等身大の姿とは? 絵画も音楽も映画も愛し、ひたむきな恋に生き。。」そのとおりに今まで知られていなかった多喜二の生の姿が描かれている。特に驚いたのは、多喜二が拓銀の初任給で弟の三吾さんにバイオリンを買って練習をさせ、 三吾は戦後東京交響楽団の団員となったこと(47ページ)、そして地下活動に入った後、特高警察に拷問により虐殺される半年前に、バイオリストのヨゼフ・シゲティの来日コンサートで 三吾と最後の出会いをし「シゲティの演奏ぶりに涙し生きる喜びを感じたといった」(224ページ)というくだりである。そこまで多喜二が音楽を愛していたとは。

「中国語で聴く阿Q正伝」のCDを初めて聴いた時、思いもしなかった激しいリズムの連続で驚いてしまった。それまでは当然日本語訳でしか読んだことがないが、魯迅の意図するところをじっくり読み解こうといったストーリを追っていく、それでも十分すぎるほど恐ろしいなとおもうが、中国語の朗読では狂乱するリズムのなかで、その渦に巻き込まれてストーリを追っていくなどの余裕すらない。多喜二の「蟹工船」でも重苦しいなかに地の底から這い上がってくる激しいリズムを感じる、良く似ているのではないのか。多喜二が志賀直哉を尊敬したのは、おそらく、あの「暗夜行路」にあるゆっくりと静かだがとどまることのないいつまでも続きそうなリズムに憧れたのではないかと思う。最近プロムスでは、ラベルのピアノ協奏曲をよく演奏する、今年はアルゲビッチとシャルル・デトアのコンビだった、あの第2楽章のような感じだろうか。

醍醐聰著「会計学講義第3版」を読んだ時、さまざまな会計学理論・概念がドイツ会計学のそれからてんこ盛りに導入されて説明されているのに、これは腰を抜かしてしまった。後で本屋で立ち読みした「会計学講義第4版」では、ドイツ会計学理論の色彩は随分と薄くなっているような気がするが(だから第3版が良かったか)、会計学=Accounting=英米会計学と思い込んでいたので、どうしてなのか聞いてみると、「帝大系はドイツ会計学、高商系は英米会計学だよ。」と指摘され、あーあなるほどと思った。

戦前の共産党の指導者の多くが東大新人会や河上肇などにみられるよう帝大系でありマルクス主義の原典はドイツ語なのであり「ドイツ語的翻訳」である。それに対して小樽「高商」卒で後にD.H.ローレンスの「チャタレー夫人の恋人」の翻訳で刑法175条猥褻物頒布罪にとわれた伊藤整が後輩として多喜二の文学におけるライバルであったことを思うと、「シカゴ大学教授」ノーマ・フィールドがまったく疑問に思わないように、多喜二は英米系である。戦前の共産党指導部の<「帝大」「独系」>と<「高商」「英米系」>と超図式化すると小林多喜二は右側の随分と変わった位置にいる。ロンドンのマルクスはどんな英語を話したのだろうか?大英図書館の近くのバブに良く行っていたという。そういえばTrade Unionの本部もある。休みの日にはマルクスは、娘たちを連れて歩いてすぐ行けるハムステッド・ヒースで野外ランチや散歩を楽しんだであろう。ウォールストリートジャーナルに、「狩りを楽しむ将軍」エンゲルスが皮肉っぽく紹介されたというが、「英米系」そのものなんだからいいじゃん。「等身大」の小林多喜二、さらにマルクス(あの「風の男」白州次郎も20歳代にはマルクスを耽読したといっている)をもう描く時代ではないのか。

小樽商科大学出身の元日本オラクル会長の佐野力氏の支援のもと白樺文学館そして多喜二ライブラリが開設されていたが、白樺文学館は志賀直哉が住んだ我孫子市 の管理になり多喜二ライブラリは有限会社ゆとりというところが管理しているとのこと。2008年オックスフォード小林多喜二記念シンポジウムがキーブルカレッジKeble Collegeで開催されたとのことである。多喜二がロンドンにいることができたならば、「PROMS season ticket」を購入して毎日コンサート通いをしたであろう。