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G7首脳 広島原爆資料館へ

2023-05-14 21:40:28 | ニュース
https://www.nhk.or.jp/                                                                                         G7首脳 広島原爆資料館へ
初訪問 難航した水面下交渉

5月19日から3日間、被爆地・広島で開催されるG7サミット。ウクライナ情勢や世界経済、核軍縮などを主要7か国の首脳らが議論する。
議長を務める総理大臣・岸田文雄が強くこだわってきたのが、初日で調整されている、G7首脳による原爆資料館訪問だ。実現すれば初めてとなる。
G7の核保有国の中には、資料館に足を踏み入れることさえ難色を示す国も出ていた中、首脳に何を見てもらうのか。シビアな水面下の交渉に迫る。
(清水大志、五十嵐淳)

米も仏も英も難色
「被爆の実相を見てもらわないとな」
G7サミットの広島開催を去年5月に決めて以来、岸田は、G7首脳による原爆資料館訪問の意味について、周囲にそう強調してきた。

被爆地選出の国会議員として「核廃絶」をライフワークに掲げてきた岸田。
被爆地でのサミット開催は、おととし秋の総理就任時から温めてきたプランだ。

なかでも原爆資料館訪問の実現にはこだわりを見せていた。

その意を受けて、外務省が各国に打診を始めたが交渉は難航する。
交渉過程について報告を受けた岸田は、焦りをにじませ、周辺にこう漏らしたという。

「アメリカだけじゃなく、フランスやイギリスも難色を示しているんだよな」
G7メンバーのうち、アメリカは78年前に広島・長崎に原爆を投下した当事者で、いまもロシアと並んで世界最大の“核大国”だ。
フランスやイギリスも核保有国である。

ある政府関係者は次のように解説する。
「原爆資料館には原爆の惨状を伝える数々の展示物がある。その場所を首脳が訪れれば、いま核兵器を保有し抑止力を必要とし正当化している国の立場が揺らぎかねない、という懸念があるのだと思う」


ウクライナ情勢を強調
どうすれば各国の首脳に、原爆資料館への一歩を踏み出してもらうことができるのか。

日本が強調し続けたことの1つがウクライナ情勢だった。
政府関係者はこう明かす。

「核軍縮をめぐる立場は各国、温度差は現実としてある。しかし、対ロシアでは一致できるはずだと踏んで、粘り強く働きかけた」
侵攻が長期化する中、ロシアは核兵器使用の威嚇を行っていた。
現実にまた核兵器が使われてしまうかもしれない。

そうした脅威が世界中を覆い、G7各国もロシアの行為を一斉に非難していた。

政府関係者の1人は「核廃絶に向けた第一歩は核による威嚇をしないことだ。そのメッセージを発する場にしたいと強調した」と語る。

「G7首脳が原爆資料館を訪れることは、各国の核保有をいまただちに否定するメッセージを伝えるためではない。将来の人類共通の目標として、核廃絶というゴールを共有する意義がある」と、各国に理解を求めたという。

そして、交渉開始から半年余りの去年12月下旬。

「資料館訪問はなんとか大丈夫そうだ」
関係者の1人が取材にこう漏らした。
G7首脳でそろって原爆資料館に訪問するメドがたったというのだ。実現すれば初めてのことだ。

(政府関係者)
「G7首脳に直接、原爆被害の実相を見てもらう。核廃絶や平和のメッセージを発信する上で、これ以上の舞台はない」
さらなる壁は“何を見るか”
しかし、ここでもう1つ大きな壁が立ちはだかる。
資料館を訪れた上で、何を見るかという点だ。
原爆資料館は「東館」と「本館」に分かれていて、被爆の実相を詳しく伝えるのは本館だ。


原爆投下直後の広島市内の様子や被爆者の姿を写した写真。
亡くなった被爆者の衣服。
遊んでいる時に被爆し亡くなった子どもが乗っていた焦げた三輪車などが展示されている。


日本としては、この本館までしっかり見てもらいたい。
しかし、今度はその点に難色を示す国が出てくる。
資料館は訪問するにしても、あくまで選ばれた展示物をいくつか見るにとどめ、時間をかけて本館を視察するのは避けたいというのだ。
ある政府関係者は背景をこう説明する。

「例えばアメリカには、『原爆投下は日本との戦争を早く終わらせるために必要だった』という意見が根強く残っている。来年はアメリカ大統領選挙を控えている。そのように、各国のなかには、国内世論への影響を避けたいという思いもあるのではないか」

オバマの資料館訪問は短時間

アメリカについては、大統領による資料館訪問は初めてではない。
7年前の2016年、当時のオバマ大統領による訪問が最初だ。
このとき、岸田は外務大臣として訪問に同行し、オバマ大統領への説明役を務めていた。

中でどのようなやりとりがあったのか。

7年が経過した今でも、岸田は誰に聞かれても「それは今後もずっと言わない約束になっているから」とだけ話し、固く口を閉ざす。アメリカ大統領の発言内容が明らかになって国際社会に与える影響を思慮しているのだろう。
当時を知る関係者によると、オバマは東館に短時間滞在したのみで、本館には入らなかったと見られている。

関係者の1人は振り返る。

「オバマ大統領は、ほかの場所との移動の合間に、休憩も兼ねて原爆資料館に立ち寄ったという設定だった。そこに数点の展示品を運んで見てもらった」
直接、原爆資料館だけを訪れたわけではないという立場をアメリカ国内向けに示す意味があったのではないかとの見方がある。
別の関係者は「岸田総理には、アメリカ大統領を広島に呼び、原爆の被害に触れてもらったという感慨の一方で、もっと被爆の実相を知ってもらいたいという心残りもあったのではないか」と話す。
渡り廊下でつながった資料館の本館と東館の距離は、わずか数十メートル。
岸田にとっては、被爆の実相を国際社会に伝える上で、はるかに長い距離のようにも思えるほど、大きな宿題として残った。

「本館を見なければ…」粘る岸田

「バイデン大統領だけ“置いてきぼり”でいいのか。外務省もそれでいいってことだな」
サミット開催が近づいてきたことしの春先。

本館を訪れるかどうかをめぐり「アメリカを説得するのは難しい」と報告した外務省幹部に厳しく問い返す岸田の姿があった。

なんとしても本館を見てもらいたいという7年越しの思いがあるのだろう。
さらに、ことし3月、岸田には資料館訪問への思いをより強くする体験があった。

それはウクライナ訪問だ。

キーウ郊外ブチャでロシア軍による虐殺現場に直接足を運んだ。
多くの民間人が埋葬された教会を訪れて献花し、当時の様子を、写真なども交えて関係者から聞いた。

同行していた関係者は「岸田総理のあんなに厳しい表情は見たことがなかった」と振り返った。

そして岸田はキーウに戻る途中、誰に対してでもなく「ちゃんとやらないといけない」とつぶやいたという。

政府関係者の1人は、岸田の胸の内をこう推測する。
「総理はブチャ訪問で戦争の実態を直接知ることの重要性を改めて痛感したと思う。世界の安全保障情勢や核廃絶などについて議論するサミットで、資料館を訪れる意味は大きいという思いをいっそう強めたんだろう」
シビアな調整“本館訪問”

本館の訪問は実現するのか。

サミット開催まで残り1週間余りとなった時点でも、調整はまだ終わっていない。
政権幹部は、こう明かした。
「かなりシビアな調整が続いていて決着していない。やはり、本館に行くことは相当ハードルが高いようだ。なんとか実現したいが、押しっぱなしでもよくない。原爆資料館への訪問そのものがなくならないよう慎重に交渉しないといけない」
強引に進めようとすれば、一部の国が取りやめる姿勢に転じ、G7首脳そろっての資料館訪問そのものがだめになる事態を懸念しているのだ。

バイデン大統領は、4月末、来年の大統領選挙での再選を目指して立候補を表明した。

今後激しい選挙戦が予想され、アメリカ国内の世論に慎重に配慮しなければいけない状況とみられる。

日本政府は、各国の情勢も見極めながら対応しているとみられる。
また、本館訪問が実現しても各国に配慮して詳細は公表されない可能性もある。

ウクライナ情勢や世界経済、それに国際保健やグローバルサウスへの対応など、多岐にわたる課題が議論されるサミット。

今回は被爆地でのサミットであることを踏まえ、首脳宣言とは別に、核軍縮・不拡散に関する成果文書を発表することが検討されている。

原爆資料館の訪問はサミット初日に行われる方向だ。

G7首脳そろっての資料館訪問が実のあるものとして実現するかどうかが、その後のG7議長としての岸田の采配や首脳間の核軍縮・不拡散の議論に影響を与える可能性もあるだけに、まさにぎりぎりの交渉が続けられている。
(一部敬称略)


第一次オイルショックが起きた1973年、全国のスーパーからトイレットペーパーが消えた。

2023-05-14 21:31:04 | ニュース
https://www3.nhk.or.jp/news                                                                           2023年4月30日 19時21分
第一次オイルショックが起きた1973年、全国のスーパーからトイレットペーパーが消えた。

その発端とされているのは大阪のあるスーパーだった。

なぜトイレットペーパーは消えたのか。

あれから50年。店が閉店するのを前に、当時を知る人たちを訪ねると意外な理由が見えてきた。
「これはえらいことや」
「当日出勤したら、午前10時の開店前に200人ぐらいの大行列ができていた。もうびっくり仰天。これはえらいことやと。」

1973年10月31日。

大阪・千里ニュータウンのスーパー「大丸ピーコック 千里中央店」の従業員、清水暉人さんは目を疑った。

突然、主婦たちが押しかけ、トイレットペーパーを次々に買い求めていく。

これまで、トイレットペーパーを買うための行列なんて見たことがなかった。
訳が分からない。

行列騒ぎは連日起き、新聞やテレビを通じて全国へ伝えられた。1973年11月2日 毎日新聞朝刊
『買いだめ騒ぎ』広がる
「一日、大阪・千里ニュータウンの「大丸ピーコック」で、午前十時の開店を前に主婦ら二百人以上がナガーイ列。トイレットペーパーを手に入れるため」当時の店員 清水暉人さん
「なんとか騒動が収まってほしいと思って、トイレットペーパーの製造メーカーを走り回り、店に商品を届けてくれるようにお願いしてまわりました。当時、毎日トイレットペーパーの夢を見るほど大変でした」当時のことを住民たちは今でもはっきりと覚えているという。住民 赤井直さん
「陸橋の反対側まで、大勢の人々が2・3列になって整然と並んでいた。みんな子ども連れですよ。小さい子どもを連れた人がたくさんいてたから、よけい人数が膨らんで見えた」住民 山口靖利さん
「並んだけど店の中は入れへん。店の前で「もうこれで終わりです」言われてしまいやん。みんなで『えぇっもう売り切れたん』って。『隠してるんちゃうの?』っていう人もおった」買いだめの対象はやがてトイレットペーパー以外にも砂糖や塩、洗剤などさまざまな日用品に及び、全国的な“モノ不足パニック”へと広がった。1973年 大阪市内でトイレットペーパーを求める行列第4次中東戦争をきっかけに始まったこの騒ぎ。

背景には、原油価格の引き上げや供給量の削減が決まり、あらゆる物の値段が上がるのではないか、という世の中の不安があった。

いわゆる「オイルショック」だ。

各地で物が買い占められている様子は「オイルショック」の象徴的なシーンとして、中学校の歴史の教科書にも載っている。
ニュータウンならではの事情が…
でもなぜ、真っ先にトイレットペーパーが無くなったのだろうか。
そこには、この街ならではの事情があった。

大阪万博が開かれた1970年にかけて建設された、千里ニュータウン。
5階建ての団地などに、若い世代が一挙に入居してできた新しい街だった。上下水道完備で、当時はまだ30%程度の普及率だった水洗トイレが、この街では各家庭に当たり前のようにあった。

従来のくみ取り式のトイレでは、主に「ちり紙」と呼ばれる紙が使われていたが、水洗トイレでは水に溶けるトイレットペーパー以外は使えない。住民 山口靖利さん
「トイレに“トイレットペーパー以外は使わないでください”って書いてあったのに、代わりに新聞紙を流して詰まった人がいっぱいいた。下の階で詰まったらアウト。上の階まで汚物が上がってしまう。トイレットペーパーが無くなるのを想像するのが怖い」千里ニュータウンに暮らす12万人にとって、トイレットペーパーは“生活の命綱”だった。

そこへ、あるうわさが流れたという。住民 赤井直さん
「八百屋さんのおばさんと話してたら、こられたお客さんが『大変や。オイルショックでトイレットペーパーがなくなるらしいよ』っていうんです」

「『え、何で?』って聞いたら『なんか知らんけど、オイルショックで機械を動かす油がなくなるから、トイレットペーパーが作れなくなるんだって』と」

「みんなが驚いて『え、本当?トイレットペーパーがもう作れなくなるの!?そりゃ大変や!』って」うわさ自体は、情報の出どころすらもわからない、不確かなものだった。

当時、紙の需要が高まったため、通産省から紙の節約が呼びかけられていて、役所にも古紙回収箱などが設置されている状況だった。“オイルショックでトイレットペーパーが作れなくなる”という真偽不明の情報はあっという間に広がっていく。

若い子育て世代が多く、住民どうしの助け合いが当たり前だった町では、うわさの“拡散”も早かった。

住民の多くが入居していた団地は階段を挟んで玄関どうしは向かい合わせ。

こうした団地ならではの構造も、拡散に拍車をかけたという。住民 赤井直さん
「お互いにドアを開ける音が聞こえるから、こちらがドアを開けたら向こうも顔を出して、日常的にいろんな話をしている。同じ階段を共有する10軒で集まって、知っていることはなんでも共有していた」

「『5分あったらわぁーっとうわさが広がっちゃう』っていう意味で『千里5分』と言っていたくらい、この街では情報の広がりが速い」このころ、町のあちこちのお店でトイレットペーパーが次々と売れ始めていた。
重なった偶然
実はこのとき、まだトイレットペーパーは十分にあった。翌年の国民生活白書にも「生産実績は落ちているわけではない。生産の不足はなかった」と記されている。

むしろ前の年よりも多く生産されていたのだ。

しかしタイミングが悪かった。

10月31日、「大丸ピーコック」の新聞の折り込み広告に特売品として載っていたのが、トイレットペーパーだった。

1パック4ロール入りで138円。

予想を上回る客が殺到し、用意していた分があっという間に売り切れた。オイルショックの6年後 取材を受ける清水さん当時の店員 清水暉人さん
「いつも水曜日にチラシを入れていて、たまたまこの日はトイレットペーパーが特売品だった。特売は1か月ほど前から計画していて、まさかあんな事態になるとは想像していなかった」「どんな商品でもかまわないからほしい」

特売品がなくなった後も、客が後を絶たない。

そこで清水さんたちは、別の商品をふだん通りの価格で店頭に並べた。
それでもトイレットペーパーは飛ぶように売れていった。

この騒ぎを新聞記者が聞きつけていた。

当時の新聞には、店内で奪い合うようにトイレットペーパーを買い求める人々の写真と共にこんな記事が載った。<1973年11月1日 毎日新聞 大阪版 夕刊>
紙の狂騒曲
「折込み広告では「一個(四巻き)百三十八円」となっていたのに、品切れを理由に実際の値段は『一個二百円』。アッという間に六十二円も“値上がり”したわけだが、主婦はこぼしながらも買いあさり、開店三十分で全部売り切れてしまった」清水さんにとっては寝耳に水だった。当時の店員 清水暉人さん
「特売品が無くなったから通常の値段の商品を出しただけなのに、値上げしたみたいにセンセーショナルな書き方をされた。本当に憤りを感じた。特売チラシがきっかけになって騒動が広まったとまで言われることもあった」
「嘘だと分かっていても買ってまう」
清水さんの店に行列ができているという話は「トイレットペーパーがなくなる」といううわさと一緒にすぐ広まった。

「そんなはずはない」と思いながらも、つい買いだめに参加してしまったという人もいた。

86歳の山口靖利さんもその一人だ。1979年 大丸ピーコック店内住民 山口靖利さん
「『トイレットペーパーがなくなる』といううわさは聞いていたけど『そんなアホなことはない』と信じていなかった。どうせ単なる店の売り惜しみだろうと」

「だけど、嫁はんに呼ばれて実際に行列を見たら『やっぱり本当に無くなるのか』と思った。戦後、物がなくてお金を持っていても買えなかった経験が身に染みているから、『明日あらへん』というのは嫌、もうこりごり。買いだめするのは悪いと分かっていても、家族のためにも買っておかなきゃしょうがないと」山口さんは、会社の慰安旅行先でもトイレットペーパーを買って帰ってきたという。そのころトイレの棚には、6パックが所狭しと詰め込まれていた。

当時のニュースでは「生産は順調」だと盛んに伝えられたが、騒ぎはすぐには収まらなかった。

関西各地で棚が空になったり、人が殺到している様子が伝えられていた。

ようやく落ち着いたのは、やがて店に大量の商品が入荷されるようになってからだった。

人々が躍起になって買いだめに走った、トイレットペーパー騒動。
その実態は、ニュータウンという特殊な環境に、不安な社会情勢やさまざまな偶然が積み重なり、うわさが広まったことによるものだった。

千里ニュータウンの歴史に詳しい専門家はこう指摘している。関西大学総合情報学部 奥居武 特任教授
「住民も若くて行動力があり、同世代が多くて口コミの回りも早く、人口もほぼピーク。4人家族が多くトイレが使えないと困る…といった諸条件が重なったために、騒ぎにブーストがかかった。この出来事は『千里ニュータウンの黒歴史』として、長く住民が口を開くことははばかられてきたが、絶対的な悪人は、誰もいなかった」
再び消えたトイレットペーパー
それからおよそ半世紀。
トイレットペーパー騒動は再び繰り返された。

2020年、新型コロナウイルス感染拡大の不安のなか、SNSで広がった「トイレットペーパーが不足する」といううわさが発端だった。全国各地のスーパーやドラッグストアに、買いだめをする客の行列ができた。

「ウソだとはわかっているけど買ってしまう」という声がまた聞かれた。

そのころ、NHKは全国のニュースで「在庫は十分」だと繰り返し報じている。大量のトイレットペーパーの映像と共に。この騒動を、オイルショックに振り回されたスーパーの店員だった清水さんは冷静に見ていた。当時の店員 清水暉人さん
「また『何でかな』と。人間って変わらへんのやろうね。トイレットペーパー騒ぎを若いときに経験した方が、コロナ禍でまた買い急ぎしている。そして次の世代も同じ行動を起こしている」

「50年前も、1パック買えばいい人が2つも3つも買ったから品薄になったんだと思う。普通の家庭で消費するだけなら、そんなに慌てて買う必要はない。もうこんなことがないように願っていますよ」
スーパーは姿を消しても
うわさ話が広がると、それが真実に見えてくる。
近所のおしゃべり、マスコミ、SNS、伝える手段は変わっても、デマの本質は変わらないのかもしれない。

そんな歴史を見てきたスーパーが入る商業施設が4月30日に閉館し、53年の歴史に幕を閉じた。閉店を見届ける人たち店はたとえ姿を消しても、当時の経験と教訓は忘れないようにしたい。二度とトイレットペーパー騒動を繰り返さないために。大阪放送局 映像制作
蓑輪幸彦
2010年入局。ふだんはニュースの映像編集を担当。去年から千里ニュータウンの歴史や市民活動を取材。トイレットペーパーを使いすぎ家族によく怒られる。 

妊娠・出産で50万円「育休制度はあれど…」「お金がなくて休めない」

2023-05-14 18:24:36 | ニュース
https://news.infoseek.co.jp/                                                                                妊娠・出産で50万円「育休制度はあれど…」「お金がなくて休めない」日本の子育ての現実
幻冬舎ゴールドオンライン / 2023年5月13日 22時15分



少子化が深刻である今、子どもを育てやすい環境づくりが求められています。本記事では「令和3年度雇用均等基本調査(厚生労働省)」の結果とともに、日本の会社が抱えている問題についてみていきましょう。

男性の育児休業「制度」はあるけど…
「令和3年度雇用均等基本調査(厚生労働省)」によると、男性の育児休業取得率は13.97%(女性の取得率は85.1%)という結果になった。取得日数は「5日~2週間未満」が26.5%と最も多く、「5日未満」の取得者の割合は25.0%で、2週間未満の取得者が5割を超えている。

また、男性の子育て目的の休暇取得に関する調査研究(内閣府、2019年度)では、子どもが生まれた直後に58.7%の男性が半日または1日以上の休み(年次有給休暇、配偶者出産時等に係る特別休暇、育児休業等)を取得している。

【休暇を取得した父親の職場の特徴】
子どもが生まれた後2ヵ月以内に休暇を取得した人の割合は、「300人以上」の大企業に勤務している人66.4%、「官公庁・その他」に勤務していると66.5%と高い一方、「30人未満」の小規模な企業では42.0%と低迷している。勤務先の従業員規模による差が大きい。

また、休暇取得促進のために必要な要素として「休暇の取りやすい職場」が最も多く挙げられており、休暇を取りやすくするための環境を作っていく必要があることがわかった。

子どもが生まれる前の男性の家事・育児参画意識については「必要だと考えている」が95.8%と、意識としては高いが、やはり仕事の関係で休暇が取れないものが多いようだ。

また国民健康保険中央会の調査によると、妊娠・出産費用の平均額は50万円5,759円となっている。その後も各年50万円以上は教育費にかかるので、休みたくても休めない実情があるだろう。

内閣府は、日本経済団体連合会、日本商工会議所、経済同友会の協力で、男性の育児休暇に関する企業の制度を紹介した。動画『そうなの?さんきゅうパパ』や、さんきゅうパパ広報大使(元NHK『おかあさんといっしょ』の小林よしひさ氏)任命式による大規模キャンペーンを実施している。

子育てにやさしい社会・職場づくりを支援

また、厚生労働省でも、育児を積極的に行う男性=「イクメン」を応援し、男性の育児休業取得を促進する「イクメンプロジェクト」の一環として、働きながら安心して子どもを産み育てることができる労働環境の整備推進を目的に、企業や個人を表彰している。

「イクメン企業アワード2020」では、グランプリとして株式会社技研製作所と積水ハウス株式会社、奨励賞が双日株式会社、理解促進賞は江崎グリコ株式会社、特別賞として、日本航空株式会社(コロナ対応)と株式会社プロとソリューション(地方特別)が選定された。



知らなかったでは済まされない「空き家」問題…国土の5分の1が所有者不明

2023-05-14 18:22:19 | ニュース
知らなかったでは済まされない「空き家」問題…国土の5分の1が所有者不明の土地
日刊ゲンダイDIGITAL / 2023年5月14日 9時26分
空き家が目立つ群馬県南牧村の集落(C)共同通信社

 4月1日から改正民法が施行された。主眼は所有者が不明な土地、空き家の円滑な利用だ。一体なにが起きているのか。

■空き家・空き地が増えた背景
 今年3月に首都圏で発売されたマンションの平均価格が初めて1億円を超えるなど最高値を記録し続けている。その一方で、空き家や空き地が日本中で大問題になっているという。

 実は日本の国土の5分の1は所有者不明の土地だ。2016年度の地籍調査によれば、不動産登記簿上で所有者の所在が確認できない土地の割合は約20%だった。

 また総務省の「平成30年住宅・土地統計調査」では、空き家数は848万9000戸と増え続けている。 

 なぜこのようなことが起きているのか。国土交通省「所有者不明土地等問題」のリポートなどが参考になる。それによれば次のようなことが理由に挙がる。

・人口減少・高齢化の進展に伴う土地利用ニーズの低下。
・地方から都市等への人口移動。
・土地の価格が下落し、土地所有意識や利用意識が希薄化、などなどだ。
 土地が高騰した1980年代後半までのバブル期と異なり、土地の価値が下がり、取引が減った。

 相続しても転売できなければ登記費用がかかるだけなので、放置される。そのような未登記の不動産がさらに相続されれば、土地の共有者を特定することはますます困難になる。今後は第1次ベビーブーム世代の「団塊の世代」(47年から49年生まれ)が平均寿命を超えていく。相続機会が増え、所有者不明(未登記)の土地はますます増加することは明らかだ。
2024年は相続登記義務化、制裁も

■国も乗り出したが
 一方で、所有者不明の土地が国の直轄事業の用地取得のあい路案件になっている比率は2006年から16年の10年で2倍に増加。そこでゴミ屋敷などの迷惑空き家問題も含め、国は対策に乗り出した。

 今年4月から施行される所有者不明土地管理制度・管理不全土地管理制度、相続土地国庫帰属法などだ(表参照)。

 たとえば、所有者が不明の土地について、その管理について利害関係を持つ人や地方公共団体の長が地方裁判所に申し立てることができるようになった。地裁が管理人を選任すれば、管理人は不動産売却や取り壊しができるようになった。

 また倒壊寸前の家やゴミ屋敷などについては、被害を受ける隣地の人も管理人を選任申し立てが可能に。いずれも、申し立てには予納金といって数十万円程度の費用が必要だ。

 さらに、相続土地国庫帰属法の施行で、費用を払えば遠隔地の相続不動産を国に引き取ってもらうことが可能になった。