サリーガーデン ブログ

ハーモニカ、ギター、パーカッション、など、楽器に親しむ生活
気楽に、気長に‥‥

『どこにもない国』

2018年03月25日 | テレビ、映画、etc.

3/24(土)、なかなか凄いドラマを観た。

NHKの特集ドラマ『どこにもない国』

第二次大戦後、満州に取り残された人たちの悲劇のドキュメンタリーやドラマは何度か見たことがある。

このドラマもその一つだが、迫真に迫る画面だ。

後編の放送は来週。

 


3 コメント

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引揚者です (菜園す)
2018-03-26 20:21:37
ご無沙汰しております。
私は昭和20年3月奉天で生まれました。父はその3ヶ月後あの「根こそぎ動員」で出征。
多くの方の手記によると武器も無し、塹壕を掘るスッコプすら無し、そもそも基本的な訓練すら受けずいきなり前線へ。
そして8月9日ソ軍は驚くほどの速さで都市迄侵攻。
私達母子は難民となりました。
 母は当時のことを話したがりませんでした。あまりにも悲惨だったのでしょう。
ソ連兵は腕に番号入れ墨の囚人が多かったとか、軍服軍靴がボロボロで(シベリヤ刑務所とかヨーロッパ戦線からの転戦)モラルのかけらも無かったと・・憎々しげにポツリと。
 日本に帰り着いたのは1年半後。
父の行方は分からず、厚生省の返事は「不明です」 だけ。
何年も後に通知されたのは「戦友の証言で20年9月に戦死」と言う公報1枚。ソ連との戦闘で死んだらしい。軍部は停戦命令を前線に伝達せず、ソ軍は停戦を守る気はも無い結果です。
8月15日が終戦記念日と云うけれど、中国・満州でも南方でもその後多くの人が意味の無い死を強要されていたのです。
国家とはそんなものです!

つい長々と書いてしまいました。お許し下さい。
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コメント、ありがとうございます (aki-pan)
2018-04-03 21:40:07
>菜園すさん

コメントありがとうございます。

そうでしたね。
以前、ちょっとお聞きしました。
まさにドラマの当事者だったのですね。

私は戦後生まれですが、子どもの頃、大家族だったので、曾祖母、祖母、父などから少しは戦争の体験談を聞いています。

・私が生まれて間もなく他界した祖父は日中戦争に従軍したらしい。
・昭和ヒトケタの母親の国民学校や縁故疎開中の思い出など。
・昭和二十年4月の空襲で家が全焼、おかげで昭和ヒトケタの父親は買ってもらったばかりの学生服が一度も着ることなく燃えてなくなってしまった。戦後は無一文からのスタート。
等々

それとよく覚えている印象的な言葉は、
・祖母が「(戦後)マッカーサーが来て、よかった。ワタシゃマッカーサー大好き」と言ってたこと。
・私が子供の頃、父親に「もし日本が戦争に勝っていたらどうなっていたと思うか?」と聞いてみた時、「そしたら、オマエ、軍人がもっとえばってえばって、もうどうしようもなかったんじゃないの?」と言っていたこと。
等々

「根こそぎ動員」という言葉は初めて知りました。
満州にいた日本の政治家、官僚、資本家など特権階級は、戦況が怪しくなると早々と、帰国、逃亡していたらしいですね。さらに、日本の降伏が近づくと、軍人も逃げた。
で、民間邦人は置いてけぼり、というか、ソ連軍侵攻の盾にされた。
ホント、酷いですね。

そして、そういう戦争仕掛けて逃げた連中の子孫が今の政府に何人も混じっている。
しかも、反省していないどころか、自分らの爺さん連中がしたことを肯定したがっているからたちが悪い。

というか、ホント、怖いです。

怒りましょう!

歴史については知らないことも多いので、遅ればせながら勉強しようとは思っています。
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Unknown (菜園す)
2018-04-04 19:18:33
沢山書いて頂いてありがとうございます。
お父様の言葉、全く同感です。

現政権は若い世代の支持率が高いそうです。
「若人よ、権力に楯突きなさい!」
「官僚よ、向く方向を間違えるな!」

ありがとうございました。
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