ゆずにっき

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新年早々②

2007-01-07 | 1型糖尿病

続きです。

病院に行った方がいいだろうな、と心の中で思ってはいても、会話がほとんど成り立たない状態のわたしは意志を伝えることができません。

救急車が到着したとき「なぜ救急車?」と思いつつもこれで病院に行けるとホッとしました。
午後10時40分頃だったと思います。
 
冷静に考えると自分で歩くことはほとんど不可能だったので、救急車の要請は妥当だったでしょう。
質問をいろいろされ、答えは頭の中に用意できるのに言葉にならない。
そんな状態でした。
 
10分ほどで病院に到着しました。
意識レベルの確認などが行われ、「ああ、救急車で運ばれると、こんなにたくさんの人に囲まれるんだな」なんて考えながら一通りの検査が行われていきます。
私が記憶してるだけでも、採血、採尿、血圧、検温、血ガス、頭部CT、腹部X-P、インフルエンザなんかは検査しました。
余談ですが、血ガスの採血をするとき、医師が鼠径部に穿刺するのを見て、「あぁ、血ガスだよね、動脈血は医師じゃないと採れないもんね」などと思いながら、「血ガス?」とやっとの思いで言葉にできました。
近くにいたナースが振り返ってニッコリし「うん、そう」と言ったので、初めて会話が成立したことにかなり満足し、そのあと少し眠りました。
 
病院到着後の血糖は確か110くらいだったと思います。
その後250前後まで上がり(家でレスキューを摂取したせいかな?)担当医師は「絶対に低血糖じゃない」と断言し、グルコースなどの処置は全く行われませんでした。
 
血圧が160とか熱が38度だとか、尿ケトン(4+)、アシドーシスなしなどいろいろな検査結果が聞こえてきました。
 
発熱と嘔吐があったので(除雪の時点では全くありませんでした)感染性の胃腸炎では?意識障害については原因不明。ということで入院になったわけです。
病棟にあがったのは午前1時頃だったと記憶しています。
 
病棟ではインスリンの投与の仕方についてもめていました。
病棟でCSIIの操作は全くわからない、ということらしかったです。
少し言葉が出るようになってきたわたしは、猛烈な眠気を感じながら「自分でCSIIの操作ができるか」の質問に「今は無理」というような答えをしました。
結局その会話の途中で眠ってしまい、点滴でインスリン(N)を1U/1hを投与されていたことを知ったのは朝でした。
 
朝になると言葉の問題はほとんどクリアになり、手元の細かい作業が少しぎこちないとか新聞のような細かい活字を読みにくいなどの軽い低血糖症状が2日ほど続きましたが、その日のうちに退院となりました。
 
ここに書かれていることはほとんどわたしの記憶によるものです。
自分では正確に記憶しているつもりでも、もしかしたら違っていることがあるかも知れません。
そのあたりは差し引いて読んでいただけるとありがたいです。
 
1月になって受診した外来でも、主治医に「どういうことだかわからない」と言われましたが、実はわたしの中では夫が最初に血糖を測ってくれたとき(つまり自宅で、午後8時の時点で)、どういうことなのか予測ができていました。(正しい予測だったかは不明ですが…)
 
10数年前、何かの本(確かエキスパートナース、糖尿病なんとかマニュアルだったと思います)で低血糖が遷延し、血糖が正常に戻ったあとでも意識障害が続いた症例を見ていたからです。
低血糖を放置した時間がどれくらいだったのか、全くもとの状態になるのにどれくらいかかったのかなどは覚えていませんけど。
きっとこれだな。
そう思いました。
低血糖の持続時間が3~4時間だとすると、ちょっと短いような気がするけど、たぶんそうだ。
 
何度も説明しようと夫や看護師に訴えてみても、出てくる言葉が全く意味をなさない。
きっと除雪のエピソードや搬送前にレスキューを摂取したことなんかは伝わってなかったんじゃないかな。
そんなわけで、結局その時の血糖で判断され、グルコースなどの処置が行われなかった。敗因はこれだと思います。 
 
もちろん感染性胃腸炎かなんかもあったんでしょう。
そして重たい気持ちを抱えたまま、なんとか新年を迎えます。