Akatsuki庵

後活(アトカツ)中!

2024春彼岸の旅~その3 ン十年ぶりの景色?

2024年05月08日 06時36分27秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

3月21日(木)の朝。
関西滞在にして珍しい平日だったんだけど。
相変わらず、ノリの悪さは続く。

2時間半待って出かけた場所ではまとも空振り。
やはり、出張という形では難しいナ。
遠隔操作?自宅近くのオフィスから予め対応することを検討。
ま、もうちょっと切羽詰まってからにしよう。

と思いつつ、久しぶりに阪神電車に乗った。
阪神梅田駅(正しくは阪神大阪梅田駅)を利用。懐かしい。

甲子園浜?に行く。

 六甲山が見える。

写真じゃわかりづらいけど、六甲山が白い。雪が降って残っている。
この時期にこの風景って、記憶を遡っても1度あったかなかったか。
「冬コート着ておいて正解だったなぁ」と改めて思った。

 海側は小春日和なんだけどね。

所用の戻り、これまた久しぶりに阪神甲子園球場の前を通った。

ちょうど春のセンバツ(選抜高校野球大会)が開催中だった。

再び阪神電車で大阪市内に戻った。

とある場所で昼食。

 お好み焼き。

大阪でお好み焼きだから当然のことながら関西風だと思っていた。
んー。なんか違うなぁ。麺を入れても同じ値段、でも食べれるかなぁ~と躊躇したら「半分だけにしとく?」。はい、それで。
食べていて、なんか違うなぁ。

だいぶ後になって気づいたんだけど、広島風のお好み焼きだったのかも。
ならば理解できる。(関西風だと思い込んで広島風を食べるとこんなに違和感だらけなんだ)

午後の用事を済ませて、その後はフリーなのでいつも行かない場所を歩いてみたくなった。
地図を眺めていて気になったところを通ることにする。

 

川を渡るのではなく、下を潜る隧道。けっこう利用されているようだ。(確かに付近に橋がないもんね)

図書館へ行ったら休館日。(T_T)

歩いてお宿へ戻った。歩数計が4万歩を超えてしまった。

帰りに夕食を調達。ちゃんとお箸ももらった。

 前日撮影し忘れたので、一応。(まだチェックインされていないキャビン)

この廊下、なんか落ち着く。

弁当をキャビンに置いて、先に入浴。

 暖簾がかかっている。まるで銭湯みたい。(1月までは暖簾はなかったよ~)

さっぱりして夕食。

 

前回、電気ポットがあることがわかったので、今回は味噌汁つけた。

食後はコインランドリーも利用しつつ、ゆっくり過ごして就寝。

翌日に続く~
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2024春彼岸の旅~その2 2日目の朝も寒かった

2024年05月07日 05時31分05秒 | 泊りがけの旅行

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前日からの続き~

3月21日(木) お彼岸後半に入ったのに冷え込みが厳しい。

定宿に連泊する際は中日(なかび)は朝食つきにしておくのだが、
今回は予約時にそのコースがなかった。
ま、宿の朝食は高いしね。大阪駅構内で済ませようか。

と、早前に出たものの~
結論からいえば、6時台はどこも開いてない。
ほとんどが8時か8時半の開店。

寒くてそんなに待てないので、マクドナルドに入った。
マック(いや、大阪だからマクドか)に入ったのでン十年ぶり?

先に座席確保を忘れて仕切り直し、一番安いチーズマックセット290円を注文して店員さんに「え?」という顔をされた。
(恥ずかして朝食写真も撮れず)

長テーブルの隅っこで「チーズバーガーも珈琲もさすがに美味しくなったなぁ」と思いつつ食べていると、
向かい側に座っていた男子2人(明らかに夜行バスを降りてきた感じ)のうち一人が「水原一平が解任だってさ」。
え? 大谷亮平の? 仲良さげだったのに? てか2~3日前に夫婦そろって2ショット写真が公開されたよね。
通訳解任して、あとどうすんの? イチローと違って、奥さん英語ペラペラな感じじゃなさそうなのに。

などなど、たった一言で思考がクルクル。
いかん、いかん。ここは客の回転率速そうだし、私もとりあえず食べ終わったから出なければ。

と、行く当てもないのに店を後にした。(正確にいえば9時半にならないと目的地が開かない)

約2時間、どう時間を潰そうかと思いつつ、とりあえず南下。
御堂筋に至る。
大江橋手前から堂島浜通(天満市場線)を東へ。

難波橋を横目に見ながら更に東へ進み、阪神高速の高架を潜れば、そこは天満菅原町。

 昔ながらの建物がっ。

再現もの? でも、明らかに古い蔵もある。

2月から3月にかけて『あきない世傳 金と銀』を一気読みしたので、つい聖地めぐりをしたくなった。

電子版を出してないので、かったるいと思いつつ、2~3冊ずつ買い足したわん。
てか、角川春樹は電子書籍を嫌っているのか?
弟の角川歴彦は電子書籍を超推進していたのに。スタンスが真逆じゃないか。(まぁ、仲が悪いとも聞いているが)

天満橋は何度が行ったことがあったけど、橋を渡った天満宮の辺りは馴染みがない。(御堂筋の東側って、用事ないし)
何年か前に天神橋商店街を南から北上したし、前回も南下したけどね。

これからはちょいちょい散策してもいいかも。

 天満宮にも参拝。

天神橋商店街のはずれにレトロ喫茶を発見。

 

朝食を済ませてしまったことを軽く後悔した。また今度。

 天神橋。渡るのは初めて。

小説には何度も登場するからねぇ。

 渡っていても、つい中之島を眺めてしまう。

渡った先は前回も歩いた道。(藤田美術館→ベトナム料理屋)

同じルートを辿りつつ、わざわざ高麗橋を渡って高麗橋筋を西へ。

 ここから惣次さんが「いつか、ここで店を持ったる!」って言ったのねぇ。

そういえば、堺筋のあたり。今はパッとしないし、北浜のあたりも静かなビジネス街だけど、
昭和の終わり頃までは三越百貨店があって、三越劇場もあった、ような。(昭和63年に映画を観に行った記憶がある)

平成になってだいぶ変わっちゃったんだろうなぁ。
(そういえば小説でも江戸から下ってきた越後屋が~というくだりがあったっけ。そっか、そこが三越百貨店の場所?)

高麗橋筋もこの辺りが船場でいちばん呉服屋が多かったなんて、今では信じられない。
布地を扱う店はもっちょっと南、本町筋っていう印象がある。

道修町は薬問屋が多かった名残は今はあるけどねぇ。

そこいくと適塾が今もまんま遺っているのは奇跡だな。

御堂筋を横切って、土佐堀通を錦橋を渡った。

あ、昔の賑わいを描いた浮世絵だ。(あるのは知っていたけど、ちゃんと意識して眺めたことがなかった)

 たしか、天神橋 もしくは難波橋。

  たしか、高麗橋からみえる高麗橋筋を描いた風景。

 中之島と船場あたり。

土地割は江戸時代も令和も変わらないけど、風景だけは変わったね。

次回に続く~
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2024春彼岸の旅~その1 初日、彼岸なのに寒かった

2024年05月06日 16時34分09秒 | 泊りがけの旅行

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GW最終日。ふと気づけば昨日が立夏だった。
こんな時にお彼岸頃の話をするのはこそばゆいが、備忘録は遺しておきたい性分なので。

年度末は春の青春18きっぷを利用した旅を出る習性がある。
旅といっても、半分は関西への往復。これで2回か3回分消費。残りで他へ小旅行。

が、今年はどうにも気分がのらなくて。
残暑の頃にコロナ療養で4日間消化して予定が狂ったことにもメゲず、2日間とっておいた有給休暇をつかって
西に向かった。

3月20日(水)。この日は「春分の日」にて特定休。

毎度のことながら、「三島行きでも間に合うんだけどなぁ~」と思いつつ、1本早い品川発の小田原行きに乗った。
今回は姑息な(?)対策は取らず、米原で新快速を待とつことにしよう。

早朝の出発時は彼岸の時期にもかかわらず、すごく寒かった。
前日の天気予報を確認しても、関西においても気温の低さは週末で続くという。

例年ならは服装は春夏のレギンスに長袖Tシャツに薄めのカーディガン、朝晩用に春コートをスカーフ。
というラインナップなのだが。
迷いに迷って、ヒートテックの長袖タートルシャツに極暖レギンスの上にマジカルサーモコート。
マフラーにもカーディガン代わりにも使えるショールという冬物を着て出た。
(結果的にはこれが大正解だった)

小田原→熱海→浜松→豊橋→大垣→米原。
祝日で春休み期間中ということもあり、同じ18きっぱーの乗り継ぎ客多し。
それでもリュックを背負って迅速に乗り換えしたから座席キープにも成功。

前回と違って、JR東海区間で事故もなく、ダイヤも順調できっぱーの多くは名古屋でどっと減った。

大垣で当日朝に用意した握り飯を食べる。

電光掲示板には特急の案内が。行き先は敦賀。
北陸新幹線の開通とともに、在来線の特急も敦賀止まりになってしまった。
敦賀から先の北陸本線は第三セクターになっちゃった。
一抹のさびしさが心をよぎる。

大垣から先は、というか伊吹山は雪で見えない。
「なごり雪」というには激しすぎる勢いで吹雪いていた。「嘘でしょう?」

米原に着いた。
ホームで立って待つのはつらい。
みぞれ交じりの雪が横から吹き付けてくるし。

新快速が来るまで雨風がしのげる場所で待機するか、それとも快速でとりあえず京都あたりまで行くか。
思案したところでアナウンスが入った。

東海道本線上で事故がかり、長浜からくる次の新快速は運休です~とのこと。
で、網干行きの快速さえも数分遅れてホームに入って来た。
それまでの時間、ホームに立っているのがまぁつらかった。(冬仕様の服装、ごていねいウール帽子も持参してヨカッタ)

JR 西日本管内は季節外れの雪と事故がごっちゃになってダイヤが混乱していた。
なぜか、京都発の新快速が急遽運行されることになり、京都で乗り換えた方が早く大阪に着きます~
と、一瞬聞き間違いか?と思う車内アナウンスが入り、疑心暗鬼になりながら京都でいったん降りる。
アナウンス通りが新快速が入線してきた時は、何やらキツネに化かされたような。

そうして2時半ぐらいだったかなぁ、大阪に着いた。

宿によって荷物を預けようかと思っていたけど、時間がロスなので、そのままダイヤモンド地下街に入り、
駅前第三ビルのあたりで地上に出た。
「本当にあるのかな? シネコン」と思ったら、道を渡った向こうにあった。
(きっと地下から直接行けるルートもあるだろうが、そこまで詳しくない)

で、15:30上映の映画「ゴジラ-1.0」を観た。
水曜日なので割引料金になるかと思いきや、何回選び直しても1.900円なので係員のおにーさんに聞いたら 
「Dolbyシアターなんで」。
背に腹は代えられない。それにグレードアップされた映像と音響で観るのも一興。
なんたって、アカデミー賞獲った作品だし。

 確かに、Dolbyでよかった。

山崎貴監督作品といえば「永遠の0」が印象に残っているが、あのラストの先っぽいところもあったのがよかったなぁ。

観終わって、シネコンが入ってるビル地下から地下街を抜けてお宿へ。
たぶん、大阪へ観光に来た人を迷わす迷路のような地下街。
しかも私はダイヤモンド地下街が完成してすぐに転勤で大阪を離れたのだけど、
だけど、なんか土地勘が残っているのか適当に歩いても目的地に到達してしまう。
そのホーム感が安心できる。

チェックインして荷物を置いてから、夕食を調達。
(開封してから箸をもらい忘れたことに気づき、また外に出てもらって戻った。
 改めて、あの店近っ!)

 

身体が冷えてしまったので、食後はお風呂入ってさっさと寝た。

2日目に続く~
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レインボーブリッジ遊歩道

2024年05月05日 07時17分44秒 | 日帰り旅行・散歩

2024年のゴールデンウィークもはや終盤。

昨年に続いて、今年も旅行には出かけず、自宅と定期券で行ける範囲でのんびり楽しんでいる。

今年のGW期間中、国内で一番多く人が集まる観光地は「東京」なのだとか。
海外からの観光客はもちろんのこと、国内の地方からもわんさか人が東京とその周辺に集まってきている。

昨日の午後、大した用事じゃないけど横浜駅に降り立ったら大変な混雑ぶり。
そういえばGW前半も丸の内の書店へ出かけたら、道中のあちこちが観光客で溢れかえっていた。

大きなキャリケースをゴロゴロしながら人込みを歩くのだけは勘弁してほしい。

ということでなるべく人がいるところへは行きたくない私なんだけど、
それでも近場でどこかへ行きたいと思い、以前から気になっているスポットに朝一で訪れてきた。

JR山手線(&京浜東北線)の三田駅から真っ直ぐ東へ向かう。
上京した四半世紀は前はすごく遠回りしなきゃならないなと地図を見て敬遠していたが、
再開発された今はすごくシンプルに行きやすくなっている。

遊歩道が通れるのは朝9時から。
10分前に到着したら、すでに10人ぐらいの行列ができていたけど、
東京のど真ん中の観光地でこの人数は「すっごく空いている。ラッキー」という印象。

意外と知られていないのかな?
(でも、日本人だけじゃなくて中国人ファミリーもいた)

開門と同時に入り、エレベーターで上がる。
ちなみに遊歩道は北側(ノースルート)と南側(サウスルート)がある。
迷うことなくノース側を選択。

 おっといきなり一般道。

考えてみれば、車で何度かレインボーブリッジは渡ったけれど、大抵は上の首都高だった。
一般道の方は久しぶりだ。ゆりかもめも並行している。こちらはかなりご無沙汰だ。

 築地・汐留と勝鬨(月島)が見えてきた。

 東京スカイツリーが高層ビル群の合間から見える。

振り返れば東京タワー。 

この2年間余り、いつもレインボーブリッジとお台場を眺めながら弁当を食べていた。
だから「橋からこっちを眺めてみたいものだ」と思っていた。

 ほう。こっちからはこう見えるのかぁ。

見上げると橋脚が。

カラッとした風と隅田川河口の風景を満喫しながら20分ほど歩いて橋を渡り切った。

 レインボーブリッジと東京タワー。

浜離宮と東京フラッグのあたり。

 画像のサイズを横広にしてみた。

 こうして眺めると改めて麻布台ヒルズの高さを感じる。

そろそろお台場に着くなぁ。

当初の目論見ではお台場から有明、豊洲市場を突っ切って築地に戻ろうつもりだったけど、
めんどくさくなって橋の下を横断。

 

サウスルートを通って元の場所に戻ることにした。

 フジテレビかぁ。懐かしいな。

 

お台場。幕末の名残だね。

行きと違い、南側の風景には何の感慨も湧かなかった。
いや、品川とかそれなりに見慣れた風景もあるでしょう~と自分で自分にツッコミを入れたが、
本当に何にも感動がない。

それがただた違和感だった後半の20分。

橋を出て、再び北側を眺めてホッとした。

 振り返って、出入り口で記念撮影。

橋の下ってのもいいもんだ。

東京のいい思い出となるだろう。

 

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ホーチミン年越し旅~その22 御名残惜しいけど

2024年05月04日 08時35分43秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

ホーチミンへの旅、いよいよ最終盤。

観光バスから降りて、高島屋へお土産を買いに行った。
初日にあたりをつけておいた個別包装になっているクッキーを購入。
上品で美味しく洗練されていた。逆によすぎてベトナム感が薄くなってしまった、かも。

同じく初日にのぞいた雑貨屋さん「キト」も訪れた。→ご参考
お目当てのアンティークな器を購入。
 
購入してすぐ頑丈に梱包していただいたので、開封したのは後。
これは帰国してから抹茶を点てた際の写真。お菓子の器もホーチミンで購入した。
 
アンティークって、どれくらい古いの? → 1961年とのこと。
店主さん自ら買い付けに窯元に出向くのだとか。
1961年ねぇ、昭和36年かぁ。。。と思っていたら、店主さんが「同い年くらいじゃないの?」
 
いや、私はそこまで歳とってない!と反論しそうになって、引っ込める。
確かに、身をやつしてないし、化粧もろくにしていないから実年齢より年寄りに見えるのかなぁ。
でも、ベトナムでその年齢(62歳)に見えるってショックだなぁ。
ま、四捨五入したらアラカン(around60)だから、当たらずとも遠からずって感じかぁ。
 
と、一瞬の間に思いが駆け巡る。
 
そして、「あれ?」。
1961年って、ベトナム戦争の真っ最中じゃないか。
戦時中なのに、こんな豊かな器が焼けたの?
 
と、驚いた。
それも、すぐに考えを巡らす。
戦争ったって、1955年~1975年の20年にも及ぶ長い期間。
その間、ずっと激戦を繰り広げていたわけではない。
それにこれはソンベ焼き。
 
村そのものが焼き払われ、村民が虐殺されたのはもっと後(『ベトナムのダーちゃん』の話は1969年あたりだったかな)で
ベトナムの中部あたりだった。
 
だから、こういうやさしい文様の器が焼かれたことも、それが戦災に遭うこともなく遺ったことも不思議ではない。
日本の太平洋戦争時も同じではないか。厳しい戦時態勢になったのは昭和20年に入ってからのことだったし。
 
などなど、戦争に対する思いも駆け巡った数分間だった。
 
買い物も済ませて、サイゴン川沿いを歩く。
友人が「銀行に寄っていきます」
 
 
この日は正月2日だけど、改めて「ベトナムは平日なのねぇ」と実感。
平日といえば、学校もフツーに登校する日。
インターナショナルスクール(小学校)の前を通りがかったら、
ちょうど下校時刻でお迎えのママさんと子供たちが帰宅するのを見た。
なんか、かっこいいなぁ。
 
 友人宅方面へ向かう際にいつも通る飲食店。
「京都勝牛」の支店かと思いきや、全然違った。
 
それにしてもバイクが多いなぁ。
 
この光景も慣れた。
逆に日本に戻ってきて、改めて「スクーターって、減ったなぁ」と思う。
 
友人宅近くまで戻ってきて、スパへ案内される。
  実は初スパ。
 
アロマオイルを塗ってもらって1時間のマッサージを受けた。
 
その間、スマホはロッカーに入れておいたのだけど、、、
マッサージが終わった後、スマホを取りだしたら、またもやニュース速報が。
 
「羽田空港が炎上」
 
は? 炎上って? 私はこれから羽田空港へフライトするんだけど~。
まさしく「目が点」になった。
 
現地時間で午後5時すぎのこと。
日本との時差2時間ありから、東京は午後7時すぎ。
事故発生が17:50ごろなので、速報をキャッチしたようだ。
 
海外ではNHKプラスやTVerが視聴できない。
朝日新聞デジタルの速報記事を読むしかできなかったんだけど、
この時点では海保機の存在も取材側で把握できていなかったようで
ただ「日航の旅客機から発火、炎上した」としか報じられておらず、
何が何やら~ワケわからんない。
国内線か国際線かもわからないし、滑走路もどの?
 
呆然としながら夕飯を食べに食堂へ。
 
 ごはん!の周りに好きなおかずを盛りつけてもらうスタイル。
この形式は過去の海外旅行先(ネパール、ブータン)と一緒なのでウレシイ。
やっぱり、同じ大陸、同じアジアの国!
 
夕食後はマンションに戻り、少しまったりし、荷物の最終確認をし、いよいよ帰国へ。
 
現地時間の20:20ごろ、自分のスマホでgrabを立ち上げてタクシーを呼ぶ。
思ったより到着が早く、慌て気味で外へ。
マンション前で友人に見送られて出発した。
 
余談だが、この時じゃなくて食事からマンションに戻った時にエレベーターホールで
不思議な言語を(スマホで)話す白人の若者に遭遇。
ドイツ語? いや、似てるけど違う。
後で友人に「ドイツ人みたいだけど、違うよね?」と尋ねたら、「オランダ人だと思う」。
あ、あれがオランダ語なんだー。
オランダって、江戸時代から長崎の出島を通じて貿易の関係があったし、←出島観光もしたことあるし!(参考
オランダ由来の日本語も多い。
勝手に身近に感じていたけど、よく考えればオランダ人に接したことも生のオランダ語を聴く経験もしたことなかった。
 
もっと言えば、外国人が多く住むという東京、横浜、神戸(そして筑波)に暮らした経験が人生の大半を占めているにもかかわらず
実際に生活する外国人の日常に遭遇したことすらない。
 
多国籍の人たちと一緒に生活環境を共有しているって、自らも外国人として日本でない国に暮らすって
すごいことだなぁと改めて友人を尊敬した。
 
すごい大切で貴重な経験をしてるね。
 
帰国の話に戻る。
来た時と同じで帰りのタクシーもカード払い設定をしていたので、運転手さんとしても楽勝な客だったようで
空港も国際線ターミナル前まで入ってくれて荷物も下ろしてくれた。
そして、さっさと行ってしまった。
 
ところで、料金というのが実際、いくら払ったのか。この時はわからない。
友人によれば「だいたい1,000円くらい。それに深夜料金が加算されるくらいですかね」
 
表示されたドンの料金にレート計算したら、往復で1,938円。
行き(空港→友人宅)が182ドン、帰りが141ドン。行きは深夜だったから割り増し。
実際に引き落とされた料金は1,926円だった。(決済日のレートが微妙に違っていたのだろう)
 
なるほど、友人の助言&ガイドブック道理だ。
移動時間は約30分だタクシーったから、日本に比べると安い。
(ま、日本は公共交通機関が充実しているけど、ベトナムはそうじゃないからそういう違いもあがいるのだろうけど)
 
結局、経済面で理解できたのは空港までのタクシー料金だけだったなぁ。
 
かくて、外国の空港に一人放り出された格好になった私。
わからないなりに人の流れに沿って建物に入り、ANAのロゴを探して航空券を発券してもらう。
さっさと出国手続きへ向かった。
やはり、ちょっと混んでるかな?
 入国ほどじゃなかったけど。
 
検査場も順調に通過。
と、いきなり免税店前へ。
 
きらびやかさと立ち込める香水の匂いにフラッとくる。
 
まだ時間あるし、のぞいてみようかと思ったが、ハタと気づく。
「私、無一文じゃん!」
 
正確に言えば日本円は持っているし、クレカもある。
でも、そもそも買い物の仕方がわかっていない。(全部、友人にやってもらったから)
なまじ見て、欲しいものに出遭ってしまったらコワいので、背を向けて待合ロビーへ。
 
ここでお手洗いをすませ、30分くらいボーっと座っていた。
 
背中合わせに座っていた女性2人組の会話が聞こえてきた。
「今日も2万歩超えちゃったわぁ」
 
あ、いっぱい歩いている外国人観光客は私たちだけなかったんだぁ!
と嬉しくなった。
というのは、日中に街歩きをしていて「なんか、歩いているの私だけ?」と思うことがしばしばあったからだ。
けっして人通りが少ないわけじゃない。
 
歩けば棒に当たるぐらいの頻度で飲食店やカフェがあり、そこで座っている人は多く
道はひっきりなしに車やバイクが行き交っている。
だけど、歩いている人がほとんどいなかったのだ。
 
中心部の繁華街はもちろん人込みにあふれていたけれど、
ちょっと外れると歩行者の姿を見かけない。

友人も「歩かせちゃってスミマセン」。
いえいえ、日本国内を一緒に旅行する時はとにかくよく歩いたから
こっちの方がしっくりむしろ有難い。
慣れない外国でお腹も壊さず、食欲旺盛でいられたのも
しっかり歩いて運動したからだし。
 
ちなみにホーチミンで歩いた歩数は以下の通り。
12/30  10,899歩
12/31  34,405歩
1/1   26,038歩
1/2   24,539歩
 
友人も普段なら通勤はタクシー利用だし、そんなに歩けないとのこと。
オバサンと2人連れだし、安心して好きなだけ歩けたということでこの休暇はよかったかもね。
 
そんなことを考えていたら、搭乗案内の時刻になった。
 帰りも同じ飛行機かぁ。(来るときに乗った機体がまた日本に戻るんだね)
 
現地時間21:50に着陸した機体が給油と整備・清掃を経て23:05に再びテイクオフかぁ。
国内線と同じ仕組みだな。飛行機も忙しいこった。
 
羽田空港で炎上事故の詳報が気になったが、機内アナウンスによれば「当機の着陸に影響はございません」。
なんだ、無事に羽田に降りれるのかぁ。
羽田空港が封鎖され、別の空港に降ろされでもしたら面倒なことだと危惧していたけど、その心配は杞憂となった。
 
現地時間の23時台。日本だと深夜1時台。
とっくに就寝している時間なんだけど、目がさえている。
というのも隣の若い女子がおもしろくて。
 
20代前半なんだけど、たぶん初めて日本へ行く(旅行?)らしくもう楽しみで仕方ないという感じ。
日本大好き!というオーラが全身からあふれ出していた。
(だからって、何もユニクロの袋で搭乗しなくても~。)
 
帰りも視たい映画がなかったので、時々フライト画面を表示させながら、ぼーっとしていた。
2時間ちょっと経過したところで、お食事タイム。
ちょうど台湾の東海上あたり。だいたい半分きたところか。
 
 「朝食」になっているけど、実質「夜食」だよねぇ。
 
出されたものは食べる!(夕食から9時間経っていたからお腹もそこそこ空いてたし)
面白かったのは隣の女子。
最初は自分流の食べ方だったけど、チラチラと私の食べ方を観察してきて(食べ方を)真似し始めた。
(別に私のお作法が日本の!ってワケじゃないんだけど~)
そのうちにモニターも私と同じフライト情報画面に。
彼女なりに日本を一生懸命理解しようとしているのだろうな、と。
 
日本を好きでいてくださることは有難いんだけど、
現在の日本は能登地震でごたごたしているだろうから、それがウキウキ気分に水をささなきゃいいけど~と思った。
 
 いよいよ日本の領海に入ってきたぞ~
 
九州、宮崎県の海外線は見えた。帰って来たなぁとしみじみ。
たしか定刻より10分ほど遅れたように思うけど、無事に着陸。
どのあたりで炎上事故があったかは全くわからず。
(その時間帯、国内線はストップしていた)
飛行機降りてからは順調で荷物もまだ出てこず。
その間に機械で入国手続きすべしと貼り紙があちこちにあったので、
荷物が出てくるベルトコンベア近くにあった機械で試みるも上手くいかず。
四苦八苦していたら見かねた係員が介助してくれて手続き完了。
 
ホッとしたところでベルトコンベアが動き出した。
なかなか私のゴールドキャリーケースが出てこなくてイラッとしかけたところで、発見。
事前に手続きしたおかげで関門はすんなり通過できた。
 
 空港出たら、本当に正月休みかと思うくらいにガラ~ンとしていた。
 
奇しくも1月3日の早朝。
2年前の同じ日、始発のフライトでUターンラッシュでごった返す中、神戸空港を飛び立って羽田へ降りて人込みをかき分けて京急の駅に辿り着き、職場へ直行したなぁ。
その記憶がまだ鮮明だったので、京急もひとつ前の始発駅から国内線を下りてきた人々で混雑しているだろうと。
乗り込めるかなぁ。大きな荷物を持っているのに嫌だなぁと思っていた。
しかし、来た電車の中はガラ空き~。
 
行きと違って、途中で2回乗り換える羽目になったが、それも常にガラ空きだったので苦にならず。
羽田空港線は事故の影響があるからわかるが、本線は川崎大師への初もうで客で混雑しているのでは?と思ったが、それも全くなし。
 
これは地震の影響か?
 
というわけで、混雑とは無縁のまま帰宅した。
 
まだ8時すぎ。
そうだわ、箱根駅伝の復路を観戦しなくちゃ。
 
そして荷物を開封しながら走る若人たちをボーっと眺めていた。
(なんども、睡魔にガクッとしながら) 
 
 ホーチミンのスリッパ。
 
というわけで、ホーチミン年越し旅の話はおしまい。
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