1年目のシーズンは初アシストを記録して以来、余計なことを考えなくなったからかコンスタントに得点やアシストを挙げることが出来、個人の成績としてはまあまあ満足のいく結果ではあった。
周りからもだいぶ信用されるようにもなっていたし、慣れない社会人リーグを最終節までやりきれたことは自信にもなった。
それでも自分自身は納得のいかない部分があったことも否定出来なかった。
社会人リーグを経験して一番感じたことは体の大きさの違い。
まだ高1で身長が伸びきっていなかったのは仕方がないが、それ以前に体の線が細すぎた。
それにより当たり敗けをすることも何度となくありその度に悔しい思いをした。
スタミナのなさにも苦しんだ。
慣れないポジションをいくつも経験したが、スタミナ配分が分からないまま動いていたことや、当たり負けも多かったせいかスタミナがやたらと奪われていき試合終盤には全く走れなくなったりもしていた。
高校に入り社会人リーグを経験してからは体の細さとスタミナのなさ、この2つを特に自分自身の課題として自主練では平日の日には筋トレと毎日5kmの山へのランニングを欠かさず行うようにした。
休みの日に時間がある時はボールを触った練習もしていたが、とにかく高校時代は1から体作りをすることを一番に考えながら自主練を繰り返していた。
自分自身が一番嫌だった中1の1学期のメニューを自主練で進んでやる。
心もずいぶん成長したんだなと改めて思う。
スタミナ不足と言えばティーチャーズの試合では学校の先生ばかりの集まりの影響から土日に学校の部活があり試合に来れないメンバーも多くいた。
そのせいで試合を9人でやったり10人でやったりということも何度もあった。
そうなると自分のポジション以外のカバーやフォローが必要になるためスタミナも普段以上に使うことになる。
そのためかなり体力的に厳しかった試合も何度も経験した。
それでもこのチームは結局一度も負けることなく優勝をした。
一度こんなこともあった。
メンバーがどうしても集まらず試合放棄にならないギリギリの8人で試合に臨んだことがあった。
僕もその日はバスケットの試合がありどうしてもリーグには行くことが出来ず、前の日にも
「何とかならないか?」
と連絡がくるほど人が集まらない試合があった。
その日は僕も行けずじまいで試合がどうなったのかも分からなかったが次の日の新聞を見て結果を知ることが出来た。
当時は市内リーグの試合は新聞に毎回掲載されていて、それを知っていたため起きてすぐに結果を見た。
結果は、8-0の圧勝だった。
8人しかいないチームが8-0?
さすがに何かの間違いで新聞の結果が違ったのでは?とも疑ったが、後日メンバーから聞いた話でそれが本当のスコアだと分かった。
何だこのチームは?
本当に強すぎる。
リーグ最終戦を終え、全勝優勝をしチームとしては最高だった。
自分自身は2年目のシーズンは更に頑張って飛躍の年にしたい。
そう思っていた時にチームの10番をつけていた人から声をかけられた。
「若いんだし、来シーズンからはお前がチームの顔になれ」
そう言われ持っていた10番のユニフォームを僕に手渡してくれた。
登録の問題もありシーズンが終わってからという形にはなったが、元々10番を着ていた人は早い段階から僕に譲ることを他のメンバーにも話していたらしい。
どうしてそう思ったのか、詳しい理由は聞いてはいないが渡された時に若いんだからと言われたこのセリフが本音だろう。
それでもサッカーで10番と言えば昔からチームの中心選手が普通は着る。
そうなってほしいという思いもあったのだろうが、正直このチームのレベルの高さを考えると僕にはまだ10番を背負える資格はない。
そう思っていたが他のメンバーからも
「この背番号が似合う選手になれ」
「10番のプレッシャーを味わえ」
色々半分冗談のようなことも言われたりもしたが、結局次のシーズンからは僕が10番を背負うこととなった。
自分自身にとっては人生初の背番号。
番号負けせず気負うことなくやればいい。
そんな風に思うようにはしていたが、元々サッカーを始めたきっかけは漫画の影響で好きな選手はみんな10番をつけていた。
自分自身にとっては憧れだった背番号。
しかも今シーズン、ダントツで市内1部リーグを制したチームの10番だ。
正直言えば重くは感じていたが、絶対にこの背番号に負けない選手になり2年目は更に活躍する。
そう誓い1年目のシーズンは終わりを告げた。
ちなみに1年目のシーズンの途中からはようやくポジションを固定され真ん中のMFのポジションを任されていた。
2年目はこのポジションから暴れまくる。
続
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