フレームとフレームが交錯する瞬間。
ベテランも現役代表も関係ない。己が瞬間のため、譲れない。 . . . 本文を読む
かつて、日本のアイススレッジホッケーシーズンは「長野オープン」から始まった。
最後の長野オープンは試合としては紅白戦が開催されたが、合宿としての側面が強まっていた。
少しでもみんなが集まれる時間を、勝負のために有効に使いたい。スタッフも必死だった。 . . . 本文を読む
製氷完了直後のウォームアップ・ランと思われる、遠藤隆行のスケーティング。
翌週は1999年長野オープン・合宿開催週。生涯初ゴールを決めたウィンターゲーム以降最初の試合直前の姿。
2枚の刃の間隔の広さが、時代を感じさせる。 . . . 本文を読む
試合終了時、彼等の表情には悔しさが見て取れた。
しかし、フェイス・オフのたびに、韓国チームと私達の距離は、少しずつ詰まってきていた。
彼等の気配を背中に感じながら、それでも前を行くトップチームを追い続けなければならない。
下位チームから中堅チームに。日本代表のメンバー一人ひとりの意識が確実に変わったのが、この時期だったのではないか。 . . . 本文を読む
2001年の八戸遠征の中核戦力となったのは、第二世代と言える「ポスト長野パラリンピック世代」のメンバー。
これに第一世代を代表するFW、吉川守、ベテランDF内藤寛一、日本からスレッジホッケーを「技術移転」した松井順一などの長野パラリンピック代表メンバーがチームを支える。
ベテランの知力と若手の腕力。どちらも団体競技を勝ち進む上では欠かせないもの。 . . . 本文を読む