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I'LL TO THE WORLD

うのあいるのブログです。日々の感じたことをそのままお伝えします。
幸せホウテイシキ&生き方方程式を提唱してます。

母が天に召された。

2025-04-24 07:03:43 | あいるの小部屋へようこそ

母が突然に逝きました。
あと5年、10年は

突然でした。

自宅での突然死
知人の医者を呼ぼうか。

それでも迷惑かけそうだからと
救急隊に連絡して

それから警察の現場検証
病院ではないので仕方ないですね。

それから、警察署にて検視
夜中に電話があり引き取れますよ。

葬儀屋さんの手配である。

通夜や葬式なんて必要ないから
そのまま荼毘にふすことにしていた。

コロナ禍での家族葬とか
一昔前とは違いますね。

火葬場は母の住んでた地でやる。
安置は名古屋市内であった。

名古屋市内の葬儀屋さんに出向いてから
火葬場に向かった。

7年前の兄の時は地元の葬儀屋さん
電話で問い合わせてそこに決定

通夜から葬儀から火葬場まで手配
すべて業者さんにお任せした。

坊さんも呼ぶだけの時間はあった。
今回はじぶんでひとりで送ろうと

直葬でいいかなと申し込んだ。
亡き母の顔は拝んでいるから

火葬して骨になるだけ。

お顔は見れませんよ。
火葬だけに特化したプランなんだと。

警察署からの引き渡しの際も
見ないほうがいいですよと。

丁度タイミングよく
妹から連絡が入り

夕方には駆けつけるからと
それまでの手続きはお願いしますと。

市役所で葬儀屋さんと打ち合わせで
再度、火葬場までの流れを確認した。

安置しているのは名古屋市内で
そこから、この地の火葬場まで

顔はもう拝めないですと。

妹との最終の打ち合わせで
電話でのやり取りをした。

顔は最期に拝みたい。
そして、からだも綺麗にして
顔もお化粧してほしいと。

そうしてプラン変更になり

申し込みも完了して

母の家での待機となった。
夕方に妹と合流した。

ここに安置していると
今から思うとそういうプランも

それでも結果オーライである。

そんな死んだときのために
いろいろなプランなんて探さないし

それでも、今から思うと少しは下調べするのも
ありかな。

もううちでは、わたしだけだし

このままだと突然死した場合
身内なしで無縁仏になるかも

そもそも無神論だから

自然に帰ればいいのだ。

そんな方には家族葬で直葬もありかな。

兄の時は、突然死でしかも事故死
母との相談で通夜から葬儀に火葬場まで

地元の葬儀屋さんにお願いした。

簡素にしたけれど80万円くらい
わたしの仲間や兄の仲間やらで

集合してくれた。

今回はわたしの知人がひとり
あとは妹家族で5人での火葬

妹も自然に帰ればいいというので
そこでは意見は同じではある。

信仰心のある方ならば

それなりの方法があるのだろう。

信仰心はないけれど

母が天に召されたことは
感じています。

兄の時には天には召されていない。
今もまだあの山を目指しているな

勝手にそう感じています。
それでもわたしが逝くときは

兄もつれていくからと
そんなことを感じている。

まだまだ先だと思うのだが
突然に来るかもしれないから

悔いなき人生を送りましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


何でだろう

2025-04-18 17:07:19 | あいるの小部屋へようこそ
 
コミュニケーションの達人は何で悪さするんだろう。
N.L.P.というコミュニケーション心理学を体験してN.L.P.プラスという活動をしてます。コミュニケーションの達人は悪さばかり それって騙しですか。お金、か......
 

 


みんなぼーけ

2025-04-12 20:18:55 | あいるの小部屋へようこそ

この国、やばいです。
ボケボケしてたら

 

いろいろ起こりますから

 

いろいろご相談ください。

もちろん無料です。

 

なんでかって、やばいからです。

 

政治家たちはヤバいです。

当てになりません。

 

わたしが総理になったら

住みよい国にします。

 

それでも無理がある。

 

みんなの意識が低すぎて

誰かに何かをしてもらう

 

あなたは何しますか。

 

投票しましょう

 

どこにですか

 

わたしにです。

 

まだ政党もないですけれど

 

 

 

 


今日は兄貴の命日だ。

2025-04-07 23:44:09 | あいるの小部屋へようこそ

あれから10年以上過ぎた。

妹も10年以上会っていない。

生きてる間に会えるかな。

そう考えると家族のつながりは大切である。

離婚したわたしが言うのも何ですが。。。。。。

家族って当たり前じゃないんだよなあ~~~。

兄貴の存在がそれでした。

だからわたしはひとりで飲むしかないのである。今は。

 


自分らしく生きる。

2025-04-02 20:49:47 | あいるの小部屋へようこそ

簡単じゃない。
何でだろう。

まわりの理解があるか。

ないのであればわがまま。

それでも仲間がいればいいだろう。

じぶんらしくとは他人との調整である。

だからおかしくなる。

独りよがりとも違う。

いろいろな体験があって

気づくのだ。

どこでするんだろう。(笑)

わたしはじぶんらしく生きてます

という人間に限って

支配されている。

何だろうか。

すご~く繊細な作業なんだ。

社会性という言葉からの離脱

人間関係という縛りからの離脱

人は自分勝手に生きてます。

当たり前です。

それでも会社という枠組みの縛られて

家族という役割に縛られて

いろいろ感じている理不尽さを

どこかで紛らすしかないのさ

 

そんな生き方も有りだけれど

 

じぶんらしく生きてみよう。

 

いろいろ気づくから。。。。