黄金の歴史ウンチク解読ブログ

天皇家を中心にウンチクを語っていきます。自分が今までに読み貯めた知識によるので、多少あれって表記もあるかもしれません。

郁芳門院(いくほうもんいん) 

2007-01-29 12:36:47 | 女院
郁芳門院(いくほうもんいん) 媞子(ていし)内親王

72代白河天皇の第一皇女、生母は中宮 藤原賢子。
もともとは伊勢斎宮であったが、父帝の鍾愛が深く、同母弟・堀河天皇の准母として女院号を宣旨されることとなる。
生母の藤原賢子は、白河天皇が最も寵愛したと言われている女性で、その間に産まれた媞子内親王は、面影が賢子にとても良く似ており、殊の外天皇に鍾愛されて育ったのである。
賢子が若くして病で亡くなると、天皇の嘆きは深く、賢子の亡骸を抱いて離さなかった、とも言われている。
媞子内親王が斎宮に卜定された際は、天皇自ら野宮まで行幸するという、異例中の異例の行動すら起こしている。
斎宮退下後は、こともあろうに同母弟である堀河天皇の准母として、中宮に冊立するという事態になった。
天皇の同母姉妹でもあり、婚姻関係にない中宮冊立など、前代未聞であり、廷臣たちの反感を多いに買ったという。
これが、後世で稀に見られるようになる「准母立后」の始まりである。
媞子内親王は容姿端麗で、寛容な性格な女性であったらしく、田楽を愛したと言われている。
しかしもともと体が弱く病がちでもあり、ついには21歳という若さで儚く世を去ったのである。
媞子内親王にまで先立たれた白河天皇は、嘆きのあまりその二日後に出家したのである。



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