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合気道⑮ Q&A 第二巻(武術経験者編)

2020年04月24日 | 合気道
鴻心館合気道Q&A(武道経験者マニア編)

Q1:
合気道と他の武道武術の違いは?
A:
分かりません!  というのが正確な私の答えです。
分からないというのは、
無責任な言動はできないということです。
しかし、空手や居合道、内家拳法などをやってまいりました
ので居合道と合気道
両武道の対比をカンタンに書いてみます。

(ア)合気道と居合道
 合気道と居合道の源流(歴史的な背景をたどれば)は違います。

  合気道は、太刀の技術として戦場(室町中後期~安土桃山くらい)にその
 元ネタがあります。
 しかし
 居合道のほうは、一般的に知られているのは
 その源流、初めのはじめは室町時代ではなく
 織田信長の活躍していたころだという説もあります。
 でも
 それは居合として世間に知られたということだと考えています。
  では、本当の元ネタは?
これも合気道、柔術の源流である室町時代の中後期だと思われます。
 その根拠は、「集団戦法」となった頃ということです。
 それでは
 合気道と居合道の元ネタ、
 それはどちらが先だったのかいう疑問が出てきます。
  私の見解では
 居合の元ネタが先です。
 その後、または居合の元ネタが生まれる戦い方があった
 (戦場で主武器である槍などが使用不可になった際の太刀や小刀での戦い)
 その直後、
 それも戦いの最中に使えなくなった太刀や小刀が使えなくなった
 そのような、客観的事実(難儀)が起こった、
 まさにその瞬間咄嗟にとった体術が
 合気道や柔術の元ネタです。
 概要は以上です。
  詳しくは、私の生徒さんになった方にはこの続きはお伝えいたします。
 
Q2:
植芝盛平翁の合気道とは実際はなんであったのでしょうか?
A:
私の武術探求のスタイルは「アップデート方式」で合気道
を探求していますので
今の時点での答えです(未来の答えは違っているか、少し変わっていると思います)

 身体操作では、どう見ても、どう工夫しても、どう考えても、どうやっても
 乗り越えられない壁を盛平翁はある時経験しました。

 それは盛平翁が、今までにない、未経験のテクニック
 にであった瞬間でした。
 
 それが
 武田惣角の技術であり、武術における本質的なテクニックでした。
 そのメイン、根幹はもちろん身体操作ではありません。
 (武田惣角:会津藩士・武田惣吉の次男として生まれる 1859~1943年)

 しかし、武田氏はその根幹の技術、本質を
 おそらくは隠したかった、または、積極的に伝授したくなかった。
 どうしてかというと
 複数の理由があったはずです、
 ここからは想像ですが、

 一つは、「 飯の種」
 つまり生計を立てるための手段であった事。
 もう一つは、
 武田氏の持っているテクニック(意識の技=気の操作)、それは
 相手に対して使ってはみるものの、
 技を掛けたりしてみても、そこ止まり。で、
 どんな方にも伝授できない事由なにかあったんじゃないかと。
 または、
 武田氏も師からの直接伝授はなくて
 師のテクニック
 元ネタがあって。そのを自分なりに創意工夫をして
 完成させた苦労があったから。

 以上、カンタンに植芝盛平翁の合気道のベースになる
 テクニック習得までの流れを見てきました。

 盛平翁の道歌に 
 『合気とは 解けばむつかし 道なれど ありのままなる 天のめぐりよ』
 
 これが一番、
 植芝盛平翁の体得した"宝物"を後世の
 体現し、理解できた者へ向けた、盛平翁からの
 プレゼントの一首だと思っています。
 
 植芝盛平翁の合気道とはなんであったか?
その答えは、
 植芝盛平翁の心象風景(技を掛けていくその時々に、こころで描いた景色)を
 各個人個人の合気道家が
 自分の身体を使って再生、再現することで初めて
 "植芝盛平翁の合気道"が何かがわかります。
 ですから、
 答えは、
 あなた自身にあるということです。
 
 これはプロ向きの解答です。
 もしくは、
 私の妄想ですので「違うでしょ!!」と思われる方は
 無視してください。
 
 
 
 
 
   
 

 


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