☆11月30日(土)
【本日の稽古】
・本日は休館日となっています。
全ての空手、合気道、杖道稽古はありません。
【刀の手入れ】
・昨日は日本刀の手入れをする。
以前のブログで目釘の点検はとても大切ですと書きました。
本身1口、模擬刀2口、鞘付木刀1本
本身は特に目釘は確実にみます。
以前、直接に聞いた話です、ある先生と弟子が正面に位置して
おり、その弟子の抜いた刀身が抜けて飛んできた。
先生は膝横を傷つけてしまったといいます。
その先生は、その後ずっとびっこを引いているとか。
ですから居合の練習においては、先生と弟子は正面で刀を抜
き付けないのです。
また演武においても、もし審査員の方が正面におられたら
正面を少し外しての立ち位置となるよう気を配ることも
エチケット、マナーとして常識です。
もし刀身が抜けて飛んできたら大きな事故となるかもしれない
からです。刀身がぬけるその原因はほぼ目釘です。目釘は消耗
品と考えて常に点検しないといけません。
その居合では、横一文字の抜きつけをはじめに行ったためほぼ正面
で刀のスピード、力ともMAXとなることから正面方向に刀身が飛んできた
と考えられます。
日本刀のことですが、
私が最近読んだ本です、以下に引用します。
『闇に葬られた歴史』副島隆彦著
P76
第三章より
ここで、日本刀をやたらと振り回す、例のサムライドラマになる。『チャンチャンバラバラ』と日本人はいまでも言うけれども、本当にそんな刀(長い大きか包丁)を振り回して実際に人斬り殺す、などという極端な行為をやった人間など、どんな時代にもいたはずはないのである。戦国時代と幕末のほんの一時期のことだ。……
本当に自分でやってみろ。刀を振り回すとか、真剣勝負とかそんなことは絶対にできない。いい加減にしろよ、と私は思う。本当に人(敵)を殺しに行く、自分も悲惨な殺され方をしても構わない、という状況にまで到るのは極度の政治思想の対立の涯(はて)か、自分の親兄弟を殺されたことへの激しい憎悪の復讐心があるときだけだ。
引用終わり
上記の書は、発売日が2013年10月28日、この間でたばかりです。
とても興味深い本です。聖徳太子論や徳川家康論などが特に
おもしろいと思い読んでいました。
ネットで
検索してみれば結構読みたくなると思います。
ちなみに私は約4時間(二日にわけて)かけて例の場所で読みました。
上記の引用文を読んだだけでは部分的な事なので、この書全体を通じて
みないと何とも言えないと(当ブログの読者は)思います。
私は、引用した部分に関して異論はありますが、それはさて置きまして
通常の精神状態であれば、目の前の相手(敵)が
真剣に、日本刀で正眼に構えられたらこんな恐ろしい武器はないと思います。
また、持ってみればすぐわかりますが、日本刀は重い、ズッシリくるものです。
テレビ時代劇や映画のチャンバラのような扱いはできないという事は
素人でもわかります。
西南戦争で西郷隆盛も「刀で斬られたら痛いだろうなぁ」というような
ことばを残したと、この書にあったと記憶していますが、
西郷隆盛は西南戦争で死を覚悟していたことから、側の者に言ったもの。
こういうエピソードもなかなか人間味が現れていて興味あるものです。
【For my opinion 千葉女性刺殺事件より】
千葉県で22歳女性が男に腹を刺され死亡した事件がありました。
護身というのに対して考えます。
この事件からも分かるように世間でいうところの護身術が役に立つのか?
・役に立つ場合・役に立たない場合・役に立つとも立たないとも言えない場合
以上3点を考えることが大切です。
・まず私の意見として
護身という定義と
何からの護身なんだろうか?(ストーカー、電車内の痴漢、自然災害、危険運転・・・)
を考えないといけません。
ここでは、喧嘩をふっかけられた等の構える時間のある護身は省きます。それらは
対処法が本にあったり武術を習っていたりすればある程度解決できる問題です。
広い意味での護身は難しい問題です。ですからそんな意味合いで
道場に入門してきた人に対し、護身に必ず役に立ちますよと断言はしません。
それはあとに書いていますが、
HPやその他宣伝的なチラシに「護身」を前面にだして謳っていません。
護身という言葉は用いていますが誤解のないように前面にはだしていないです。
護身一般として広く教えないとそれはある意味無責任なことだと思うからです。
理由は、こういった刃物事件や地震、社会の暴力や圧力などは
それらはいつも突発的に起こるからです
「そんな・・・!」「 青天の霹靂」、「まさか」というふうにやってきます。
誤解しないでもらいたいのは、狭義の護身として受け技、受け身、反撃法を
教える事やその技術は大切です。
しかしもっと深く考えないといけない事は、世間で護身を必要とする際には、
構えをとる時間的ゆとりや心の準備をしている時間は皆無な場面があきらかに
多いということです。
これを先ず第一に教えないといけません。
まさに「ガーン」とか「ダダーッ」と何かが起こる場面があった時、どうするか?
それを強調し、念頭においていないとダメです。
それが武術、武道など指導者の役割だと思います。
ただ技術的な事のみを指導するのはかえって恐ろしく無責任な事です。
・護身の定義
護身とは「人から、自然から、社会から受ける禍に対して、自分の身は
自分でなんとかする。安全を確保するということです。」
・護身には
①社会的な護身(企業など) ②個人攻撃からの護身(今回の刺殺事件、上司のパワハラなど)
③自然災害からの護身(地震、津波、竜巻、雪害等)
があります。
以上の3点に共通することは何だと思われるでしょうか?
突然襲ってくるということです
まさに突然、次の瞬間に起こるかもしれないものです。
過去に起きた例を挙げれば
・広島上空での原爆核爆発
・阪神淡路大震災、3.11の地震、津波
・アメリカでの同時多発テロ事件、
・登校中の小学生の列に車が突っ込んだ事件
・登下校中の誘拐事件
・コンビニ、銀行、郵便局強盗
・ストーカー殺人
・ミナミの繁華街を歩いていて後ろからレンガで頭を打たれる、頭蓋骨陥没
(今はない三原台道場で私がその本人から直接聞いた話)
・火山噴火に火砕流
・ゲリラ豪雨での水位急上昇、がけ崩れ
・車に追突されたり、列車の追突などの事故
刃物で刺される事も原爆被害にあう事も地震、航空機テロもそれらが起こるとは
被害を受けた当事者自身が直前まで夢にも思っていなかったという事です。
ここでこんな事をぜーんぶひっくるめ考えれば、ある対応法が考えられます。
一つには、起こるであろう何かを事前に察知する能力を持つこと。
もう一つは、何かが起こったまさにその瞬間の対応、0.1秒前後の対応能力
(※0.5秒でも1秒でも構わない、瞬時という意味)それで何をしたか、何が出来
たかによって結果が大きく違ってくる場合があると思います。
以上の二点に集約されると思います。
最後に、「運」だろうと思います。原爆投下の際どこにいたのか、地震のときに
どうしていたかによって運よく難を逃れたということ、そんな運です。
運も実力のうちと言いますが、そう言えるのか?それは分かりません。
・明日に続く
【本日の稽古】
・本日は休館日となっています。
全ての空手、合気道、杖道稽古はありません。
【刀の手入れ】
・昨日は日本刀の手入れをする。
以前のブログで目釘の点検はとても大切ですと書きました。
本身1口、模擬刀2口、鞘付木刀1本
本身は特に目釘は確実にみます。
以前、直接に聞いた話です、ある先生と弟子が正面に位置して
おり、その弟子の抜いた刀身が抜けて飛んできた。
先生は膝横を傷つけてしまったといいます。
その先生は、その後ずっとびっこを引いているとか。
ですから居合の練習においては、先生と弟子は正面で刀を抜
き付けないのです。
また演武においても、もし審査員の方が正面におられたら
正面を少し外しての立ち位置となるよう気を配ることも
エチケット、マナーとして常識です。
もし刀身が抜けて飛んできたら大きな事故となるかもしれない
からです。刀身がぬけるその原因はほぼ目釘です。目釘は消耗
品と考えて常に点検しないといけません。
その居合では、横一文字の抜きつけをはじめに行ったためほぼ正面
で刀のスピード、力ともMAXとなることから正面方向に刀身が飛んできた
と考えられます。
日本刀のことですが、
私が最近読んだ本です、以下に引用します。
『闇に葬られた歴史』副島隆彦著
P76
第三章より
ここで、日本刀をやたらと振り回す、例のサムライドラマになる。『チャンチャンバラバラ』と日本人はいまでも言うけれども、本当にそんな刀(長い大きか包丁)を振り回して実際に人斬り殺す、などという極端な行為をやった人間など、どんな時代にもいたはずはないのである。戦国時代と幕末のほんの一時期のことだ。……
本当に自分でやってみろ。刀を振り回すとか、真剣勝負とかそんなことは絶対にできない。いい加減にしろよ、と私は思う。本当に人(敵)を殺しに行く、自分も悲惨な殺され方をしても構わない、という状況にまで到るのは極度の政治思想の対立の涯(はて)か、自分の親兄弟を殺されたことへの激しい憎悪の復讐心があるときだけだ。
引用終わり
上記の書は、発売日が2013年10月28日、この間でたばかりです。
とても興味深い本です。聖徳太子論や徳川家康論などが特に
おもしろいと思い読んでいました。
ネットで
検索してみれば結構読みたくなると思います。
ちなみに私は約4時間(二日にわけて)かけて例の場所で読みました。
上記の引用文を読んだだけでは部分的な事なので、この書全体を通じて
みないと何とも言えないと(当ブログの読者は)思います。
私は、引用した部分に関して異論はありますが、それはさて置きまして
通常の精神状態であれば、目の前の相手(敵)が
真剣に、日本刀で正眼に構えられたらこんな恐ろしい武器はないと思います。
また、持ってみればすぐわかりますが、日本刀は重い、ズッシリくるものです。
テレビ時代劇や映画のチャンバラのような扱いはできないという事は
素人でもわかります。
西南戦争で西郷隆盛も「刀で斬られたら痛いだろうなぁ」というような
ことばを残したと、この書にあったと記憶していますが、
西郷隆盛は西南戦争で死を覚悟していたことから、側の者に言ったもの。
こういうエピソードもなかなか人間味が現れていて興味あるものです。
【For my opinion 千葉女性刺殺事件より】
千葉県で22歳女性が男に腹を刺され死亡した事件がありました。
護身というのに対して考えます。
この事件からも分かるように世間でいうところの護身術が役に立つのか?
・役に立つ場合・役に立たない場合・役に立つとも立たないとも言えない場合
以上3点を考えることが大切です。
・まず私の意見として
護身という定義と
何からの護身なんだろうか?(ストーカー、電車内の痴漢、自然災害、危険運転・・・)
を考えないといけません。
ここでは、喧嘩をふっかけられた等の構える時間のある護身は省きます。それらは
対処法が本にあったり武術を習っていたりすればある程度解決できる問題です。
広い意味での護身は難しい問題です。ですからそんな意味合いで
道場に入門してきた人に対し、護身に必ず役に立ちますよと断言はしません。
それはあとに書いていますが、
HPやその他宣伝的なチラシに「護身」を前面にだして謳っていません。
護身という言葉は用いていますが誤解のないように前面にはだしていないです。
護身一般として広く教えないとそれはある意味無責任なことだと思うからです。
理由は、こういった刃物事件や地震、社会の暴力や圧力などは
それらはいつも突発的に起こるからです
「そんな・・・!」「 青天の霹靂」、「まさか」というふうにやってきます。
誤解しないでもらいたいのは、狭義の護身として受け技、受け身、反撃法を
教える事やその技術は大切です。
しかしもっと深く考えないといけない事は、世間で護身を必要とする際には、
構えをとる時間的ゆとりや心の準備をしている時間は皆無な場面があきらかに
多いということです。
これを先ず第一に教えないといけません。
まさに「ガーン」とか「ダダーッ」と何かが起こる場面があった時、どうするか?
それを強調し、念頭においていないとダメです。
それが武術、武道など指導者の役割だと思います。
ただ技術的な事のみを指導するのはかえって恐ろしく無責任な事です。
・護身の定義
護身とは「人から、自然から、社会から受ける禍に対して、自分の身は
自分でなんとかする。安全を確保するということです。」
・護身には
①社会的な護身(企業など) ②個人攻撃からの護身(今回の刺殺事件、上司のパワハラなど)
③自然災害からの護身(地震、津波、竜巻、雪害等)
があります。
以上の3点に共通することは何だと思われるでしょうか?
突然襲ってくるということです
まさに突然、次の瞬間に起こるかもしれないものです。
過去に起きた例を挙げれば
・広島上空での原爆核爆発
・阪神淡路大震災、3.11の地震、津波
・アメリカでの同時多発テロ事件、
・登校中の小学生の列に車が突っ込んだ事件
・登下校中の誘拐事件
・コンビニ、銀行、郵便局強盗
・ストーカー殺人
・ミナミの繁華街を歩いていて後ろからレンガで頭を打たれる、頭蓋骨陥没
(今はない三原台道場で私がその本人から直接聞いた話)
・火山噴火に火砕流
・ゲリラ豪雨での水位急上昇、がけ崩れ
・車に追突されたり、列車の追突などの事故
刃物で刺される事も原爆被害にあう事も地震、航空機テロもそれらが起こるとは
被害を受けた当事者自身が直前まで夢にも思っていなかったという事です。
ここでこんな事をぜーんぶひっくるめ考えれば、ある対応法が考えられます。
一つには、起こるであろう何かを事前に察知する能力を持つこと。
もう一つは、何かが起こったまさにその瞬間の対応、0.1秒前後の対応能力
(※0.5秒でも1秒でも構わない、瞬時という意味)それで何をしたか、何が出来
たかによって結果が大きく違ってくる場合があると思います。
以上の二点に集約されると思います。
最後に、「運」だろうと思います。原爆投下の際どこにいたのか、地震のときに
どうしていたかによって運よく難を逃れたということ、そんな運です。
運も実力のうちと言いますが、そう言えるのか?それは分かりません。
・明日に続く