・合気道はやってはいけない その4
当会は合気道を教えています。
がしかし、合気道を無条件に
すすめるつもりはありません。
体験者(無料・有料の区別なく)にも入門を勧めません。
でも、入会してくれる人は
ほっておいても入門を自主的に判断していただけます。
これは意外に大切なことですが、自主的かというのは
その後、続くか、続かないかを決定づける最大の要因です。
続けないという選択をしても、
その選択の後が違ってきます。
次に頑張れるからです。そういう方は。
合気道は一般の人にも、高校生、大学生にとっても
やらなくても全く問題はありません。
それが合気道です。
人生の必修科目じゃないという事です。
自主的に判断して入門希望してくる方にも
2パターンあります。
キチンと私の話に向き合ってくれる方(自我は当然あるけれど、器の大きい方)
それと
私の話を知識として跳ね返し流している人(自我の歪んだ人)
当然のことですが、キチンと私の話を聞いてくれる方に
入門していただいています。
そんな■自我が強い人はそんなにいないと思われるかもしれませんが
実際は少なくないものです。
❖合気道はやってはいけないはやってはいけない
継続は力なり
これだけではよくわからないので
武術や人間の本質をちょっと言葉にしていれてみれば
『意識を学んでいく"継続は力なり"』 となります。
今日も三国丘道場が始まる前に
誰もいない会場で居合道の稽古を独りでしていました。
2本の刀を持ち歩いています(居合刀と真剣の2本)
以下は、通常のよくない例ですが、
「居合刀で稽古をしていき
ある時に真剣に変えたときに意識が変わります。
居合刀で稽古を始めた時から、真剣だとかなんだとかの区別なく(意識)やっていけば
真剣をもってもあまり意識としては変わりません。」
何が言いたいかというと
結論は、
意識によって技が変わるという事です。
意識が技を作るという事です。
真剣を扱う意識のまま、模擬刀(=居合刀)を振っていても特に問題はありませんが
居合刀を扱う意識から真剣を振る際に「真剣を扱う意識」に変えてしまう事がダメだといっています。
つまり意識が変わると、身体操作もそれまでのモノとは微妙に変化します。
すると抜き付けが変わる
鞘を破り指を飛ばしたり、怪我する、
つまり意識によって身体操作(技)がかわるということです。
合気道も同じです。
つまり運動したいという意識
健康体操として合気道をやる意識じゃなくて
危ない武術だと意識してやればということです。
そういう武術としての目で観れば「四方投げ」の味方も変わるし
稽古の向き合い方
私の口をついて出る言葉にも
耳を傾け方も変わってきます。
合気道はやってはいけないというのは
そのまま捉えてはだめです。
合気道をやってはいけない内容を理解して、合気道をやってはいけないはいけないなんです。
鴻心館合気道では
一旦入門していただいたからには
武道で何かを得てもらいたいという願いがあるだけなんです。
当会は合気道を教えています。
がしかし、合気道を無条件に
すすめるつもりはありません。
体験者(無料・有料の区別なく)にも入門を勧めません。
でも、入会してくれる人は
ほっておいても入門を自主的に判断していただけます。
これは意外に大切なことですが、自主的かというのは
その後、続くか、続かないかを決定づける最大の要因です。
続けないという選択をしても、
その選択の後が違ってきます。
次に頑張れるからです。そういう方は。
合気道は一般の人にも、高校生、大学生にとっても
やらなくても全く問題はありません。
それが合気道です。
人生の必修科目じゃないという事です。
自主的に判断して入門希望してくる方にも
2パターンあります。
キチンと私の話に向き合ってくれる方(自我は当然あるけれど、器の大きい方)
それと
私の話を知識として跳ね返し流している人(自我の歪んだ人)
当然のことですが、キチンと私の話を聞いてくれる方に
入門していただいています。
そんな■自我が強い人はそんなにいないと思われるかもしれませんが
実際は少なくないものです。
❖合気道はやってはいけないはやってはいけない
継続は力なり
これだけではよくわからないので
武術や人間の本質をちょっと言葉にしていれてみれば
『意識を学んでいく"継続は力なり"』 となります。
今日も三国丘道場が始まる前に
誰もいない会場で居合道の稽古を独りでしていました。
2本の刀を持ち歩いています(居合刀と真剣の2本)
以下は、通常のよくない例ですが、
「居合刀で稽古をしていき
ある時に真剣に変えたときに意識が変わります。
居合刀で稽古を始めた時から、真剣だとかなんだとかの区別なく(意識)やっていけば
真剣をもってもあまり意識としては変わりません。」
何が言いたいかというと
結論は、
意識によって技が変わるという事です。
意識が技を作るという事です。
真剣を扱う意識のまま、模擬刀(=居合刀)を振っていても特に問題はありませんが
居合刀を扱う意識から真剣を振る際に「真剣を扱う意識」に変えてしまう事がダメだといっています。
つまり意識が変わると、身体操作もそれまでのモノとは微妙に変化します。
すると抜き付けが変わる
鞘を破り指を飛ばしたり、怪我する、
つまり意識によって身体操作(技)がかわるということです。
合気道も同じです。
つまり運動したいという意識
健康体操として合気道をやる意識じゃなくて
危ない武術だと意識してやればということです。
そういう武術としての目で観れば「四方投げ」の味方も変わるし
稽古の向き合い方
私の口をついて出る言葉にも
耳を傾け方も変わってきます。
合気道はやってはいけないというのは
そのまま捉えてはだめです。
合気道をやってはいけない内容を理解して、合気道をやってはいけないはいけないなんです。
鴻心館合気道では
一旦入門していただいたからには
武道で何かを得てもらいたいという願いがあるだけなんです。