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別途、新しく作り直すことにしました。
同じ内容ですが、画像はその限りではありません。
新たなページは、
(以下、本文)
コロンブスやマゼランが危険を
冒しながらも命の保障のない大航海
の旅に出たのは何故でしょうか
名誉や金銭欲に駆られた結果とも
言われますが、その最たる動機は未知
への憧れや飽くなき冒険心や探究心
というパンドラから受け継いだゼウス
の「罠」に由来する「好奇心」に
尽きるのかもしれません。
ところで、
映画『シン・ゴジラ』が大ヒットだそう
ですが、ヒットの裏にあるものは現実離れした
破天荒な物語の中に、日々の営みから
は感じ得ないスリルと恐怖が喚起され、
否応もなく冒険的な「好奇心」が
刺激されるからだと思われるのですが ・・・
いわゆる「怖いもの見たさ」という
恐怖心を上回る好奇心ですね
そういえば、
初めて一人で映画館に観に行った映画が
『キングコング対ゴジラ』でした。
案の定、その夜にゴジラが暴れまわり、
必死の形相で逃げ惑っていた恐怖の夢
のドキドキが懐かしく思い出されます。
その次の『モスラ対ゴジラ』では、
わが地元(沼津)の静浦(獅子浜)がロケ地
(劇中では「静ノ浦」)で、ここにモスラの
卵が漂着することから物語は始まります。
人間の味方であるモスラが悪玉として
のゴジラと戦うわけですね
続く、
『三大怪獣 地球最大の決戦』
では、ゴジラが初めて善玉として描かれ、
ラドンとモスラそしてゴジラといった
地球の三大怪獣が、力を合わせて、
宇宙最強の怪獣キングギドラを
やっつけるというストーリーだったような ・・・
映画館で怪獣映画を見たのは、多分これが
最後だったと思いますが、怪獣同士が戦う姿
にどこか違和感があったのか それとも
ちょっぴりオトナになっていたのか
東宝は東宝でも『若大将シリーズ』
に心はすでにシフトチェンジを始めて
いたというわけですね
ちなみに、
『シン・ゴジラ』第二形態モデル「ラブカ」
『シン・ゴジラ』では、劇中で何度か
ゴジラがその姿を変身させるそうで、
「ラブカ」OpenCageさん撮影 Wikimedia Commons
そのうちの第二形態のモデルが深海ザメ
の「ラブカ」だということで、地元にある
深海ザメ「ラブカ」 沼津港深海水族館
沼津港深海水族館は盛況です
<ahref="http: dwuwmknmae"="" pic.twitter.com="">http://pic.twitter.com/DwUwmknmAe
さて、
水爆実験の落とし子であるゴジラ
には、反核(反原水爆)のアイロニー
(風刺)が込められていたのですが、
言わば、それはカオスの象徴として、
既成の枠をぶち破るための破壊と
再生を司る「神」だったわけです。
要するに、
日本での「ゴジラ」は、どこか畏怖
すべき恐ろしい存在で、善玉にも悪玉
にもなり得る対象 「破壊神」
として主役を張っていたわけですね
但し、
そうした「エトス」(倫理的な習性)や
「パトス」(畏怖的な感性)の源には、
ヒンドゥー教や仏教や神道など
の宗教に見られる イデオロギー
(思想)やドクトリン(教義)があって、
これが一神教の世界、ハリウッド映画
での『GODZILLA』ともなると
反核の意識はうすれてしまい主役
はあくまでも人間ということで、
突然変異しただけのリアルな姿
の恐竜に成り下がった「ゴジラ」は
脇役に転じてしまいます。
そして、
悪の権化 「サタン」の化身
と化した「ゴジラ」は人間に倒される
対象物となって、乗り越えるべき障害
や標的ということになるわけですね
これだけでも、アングロサクソンの国家と
日本との価値観の違いを感じないわけ
にはいきません。
ところで、
知ってか、知らずか、故意か、偶然か、
『最後の晩餐』でのユダが持つ
銭袋と仏教での「破壊神」たる
「大黒天」(ヒンドゥー教のシヴァ神の
化身であるマハーカーラ)が左肩に背負う
大きな袋との類似性ですが ・・・
出典: www.lets-bible.com 大黒天
まあ、これは単なる偶然でしょう
ただ、
「破壊神」とは、既存の秩序や
文明の腐敗を破壊・消滅させる
もので、単なる殺戮や物理的な破壊
や消滅を意味するものではありません。
常時、宇宙では生成と消滅が
繰り返されています。
つまり、
再生と消滅の「循環」においての
「死=破壊」こそが万物の基本
にあって、破壊と消滅を経て宇宙は
初めて秩序ある姿と機能を取り戻し、
新たなる創造へと向かうわけで、
宇宙スーパーウェーブ blog.goo.ne.jp
「すべてはひとつ」であるとする
ダ・ヴィンチの究極にある到達地点
は、まさにそこにあったのです。
それがユダの持つ銭袋とペテロが
握るとされるナイフの意味のひとつで、
再生と消滅を投影させるメタファ
(生成する袋と破壊するナイフ)を
対比・構成・演出しているわけです。
おそらく、
アンドロメダ銀河
我々の知り得る循環システムのなか
でも、最長期間に及ぶサイクルで反復
しているのが宇宙であって、あたかも人間
が呼吸をするかのように超ロング・スパン
でゆっくりと生成と消滅を繰り返している
のが宇宙空間です。
天の川銀河
こうした再生と消滅の循環を地球
の規模で見てみれば、
『ダ・ヴインチの罠 冥王代』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/503.html
のなかで述べたような
パンゲア大陸の移動 jamstec.go.jp
大陸の分離・移動・合体だったり、
水の循環 www.gov-online.go.jp
「水の循環」や「食物連鎖網」
や動植物の「共生システム」などで、
食物連鎖網 yogananda.cc
ダ・ヴィンチは幻で見た影をベース
に人体の解剖などを通じて、
そうしたことに思い到ったというわけです。
この辺りの考察については、
『ダ・ヴィンチの罠 異星人』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/443.html
『ダ・ヴィンチの罠 小宇宙』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/429.html
などを参考にしてみてください。
「解剖してわかったことだが、
人間は死ぬように
できているのだ」
「人間は古代人によって小宇宙と呼ばれた。
女性の人体解剖図
この言葉は実に当を得ている。
なぜなら、人間には肉を支える枠組みとして
の骨があり、地球には土を支える岩がある。
人間は血液という湖を持ち、そこでは肺が
膨らんだり しぼんだりして、呼吸作用をして
いるように、地球には 海があり、四六時中、
湖の満ち引きが宇宙の呼吸作用を繰り返す。
人体解剖図(心臓)
血液の湖からは静脈が出ており、体中に
枝分かれしていくように、海は地球に無限
の水脈を広げている」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
このように、
今で言う「ガイア論」に通じる考えを
持っていたダ・ヴィンチは、風や水などの
浸食による地形の変化を、経年変化
による容姿の変容として捉え、人間に
とっての「血のめぐり」を地球上で
の「水の循環」に見立てて、呼吸を
「空気の循環」、つまり、酸素や窒素
や炭酸ガスの循環システムとみなし
共生システム yogananda.cc
ていたばかりでなく、宇宙空間さえも
ひとつの巨大なる「生命体」である
と考えていたようなのです。
つまるところ、
見方を変えればユダは「破壊神」
の水先案内人であって、イエス自身も
「破壊神」の一部かもしれません。
それが、
光に対する闇としての物質の生成
や生命の出現及び知識の出発に
はじまる第二幕の主要テーマであり、
人類進化 grace-church.or.jp
“昼”に対し“夜”と疎まれた「地」
であるところのルシファーやサタン
に貶められた「知性」や「品性」として
の真実の姿を表現しているのです。
大雑把に言えば、
ユダが握りしめる銭袋の中身は
「エトス」(地球倫理)の胤(子孫)で
ペテロが握るとされているナイフが
「パトス」(生命感情)の卵(子供)で
あるということです。
従って、
ペテロの右手に握られているとされる
謎のナイフの真の持ち主は、
「エトス」の胤としての「パトス」
の卵であるヨハネであるわけで、
『最後の晩餐』のヨハネ 『岩窟の聖母』のマリア
この場合には、
聖母マリアとマグダラのマリア
の二役を演じているわけです。
マグダラのマリア
さて、
愛する弟子と師であるはずのヨハネと
イエスは何故に反目しあうように互いに
距離を置いているのでしょうか
それは
「エトス」の胤と「パトス」の卵
の確執や敵意の表現であり、それを
演じるのが、ヨハネとイエスなのです。
「わたしは、お前と女の間に、また、お前
の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼は
お前の頭を砕き、お前は彼の踵を砕く」
(創世記 3:15)
これはアダムとエヴァが善悪を知る
知恵の実を食べたあとに、
エヴァをそそのかした「蛇」に対して
「神」が言った言葉ですが、
ここでの彼を、『新約聖書』では
イエスのことだとしています。
果たして、そうなのでしょうか
次に、
空っぽの皿に同時に手をつけようとする
ユダとイエスの思惑とは何でしょう
ズバリ言えば、見ることのできない
「エトス」の胤と「パトス」の卵
の融合であり、永遠のパラダイス
への通行手形や真実の世界への
パスポートや招待状の類です。
それは、
『ダ・ヴィンチの罠 核融合』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/502.html
での水素(洗礼者聖ヨハネ重水素)と
ヘリウム(イエス・キリストヘリウム3)
の核融合による新エネルギーの
開発やイデオロギーの統合など ・・・
すなわち、それらは、
「ロゴス」(サムシング・グレート)の
正体と「ハデス」(冥界)の実体
についての真実です。
そして、
イスカリオテのユダが何故に裏切者
の烙印を押されることになったのか
『最後の晩餐』 イスカリオテのユダ
それは、
「エトス」の胤を「パトス」の卵
と引き換えにイエスを売り渡して銀貨30枚
を得たとされているからに他なりませんが、
これも事実とは異なります。
実相としての真実は第三幕での偽りの歴史
(事実)として改竄・糊塗されているからです。
詳しくは、
第三幕の観劇の時点で解説しますが、
第二幕から第三幕への移行時にイエスの
誕生という大きな分岐点(事件)があり
理性(ことわり)から感性(たましい)へ
の転換が行われた結果、「パトス」
(生命感情)の卵に暴走が起こり、「人」
としての「感性」の中に欺瞞や疑念
のエネルギーが渦巻くようになります。
その結果、
文明の衝突や宗教戦争やテロが多発する
世界として描かれているのが、
IS(イスラム国)
第四幕であり、現代の世相を想起
させる内容になっています。
最終幕の「ハデス」(冥府冥界)では、
すべての要素が復活・再生して終演
(エンディング)を迎えることになりますが、
それが未来の世界での現実なのか、
冥界での一コマか、それとも、誰かが
操るコンピューター上の仮想現実の中
の出来事なのかは不明です。
R6 R5 R4 R3 R2 R1 L1 L2 L3 L4 L5 L6
NHK復元CG画像
いずれにしても、
『最後の晩餐』の最終幕の舞台設定
には冥府・冥界の存在があり、イエス
の復活が描かれているわけですが、
イエスの復活 true-ark.com
「破壊神」が持つもうひとつの側面
である復活・再生が希求されていると
いうことに唯一の救いを見い出すことしか
いまは出来ないのかもしれません
そんなことないよ !!
パンドラの箱 wikipedia
パンドラの箱に残ったカルピスが
あるじゃないか
いや、カルパス、いやいや、ヘルペス・・・
何か、どんどん遠ざかって行くようですが、
あっ、そうそう
エルピス(希望)でしたね
「それ、わしが前回のオチに使ったから」
「えっ、そうなの。ユダだけに油断した」
「なんちゃってね」
それはそうと、
重水素とヘリウム3の核融合に
よる新エネルギーの開発はともかくも、
イデオロギー(思想)やドクトリン
(信条)の統合なんて可能でしょうか
なになに、
「イデオロギーとドクトリン」
それは、
「ドクターマリオのことじゃな」
そう、これこれ、
「イデオロギー と ドクトリン」
・・・って、それは、
「ウイルスとカプセルです」
ぜんぜん違うし、まったくカスってもねえし、
それじゃあ、
「ウイルスとワクチン」では ・・・
アンタ、「破壊神」かよ !!
… to be continue !!
次回は、より具体的な内容を予定しています。
冒しながらも命の保障のない大航海
の旅に出たのは何故でしょうか
名誉や金銭欲に駆られた結果とも
言われますが、その最たる動機は未知
への憧れや飽くなき冒険心や探究心
というパンドラから受け継いだゼウス
の「罠」に由来する「好奇心」に
尽きるのかもしれません。
ところで、
映画『シン・ゴジラ』が大ヒットだそう
ですが、ヒットの裏にあるものは現実離れした
破天荒な物語の中に、日々の営みから
は感じ得ないスリルと恐怖が喚起され、
否応もなく冒険的な「好奇心」が
刺激されるからだと思われるのですが ・・・
いわゆる「怖いもの見たさ」という
恐怖心を上回る好奇心ですね
そういえば、
初めて一人で映画館に観に行った映画が
『キングコング対ゴジラ』でした。
案の定、その夜にゴジラが暴れまわり、
必死の形相で逃げ惑っていた恐怖の夢
のドキドキが懐かしく思い出されます。
その次の『モスラ対ゴジラ』では、
わが地元(沼津)の静浦(獅子浜)がロケ地
(劇中では「静ノ浦」)で、ここにモスラの
卵が漂着することから物語は始まります。
人間の味方であるモスラが悪玉として
のゴジラと戦うわけですね
続く、
『三大怪獣 地球最大の決戦』
では、ゴジラが初めて善玉として描かれ、
ラドンとモスラそしてゴジラといった
地球の三大怪獣が、力を合わせて、
宇宙最強の怪獣キングギドラを
やっつけるというストーリーだったような ・・・
映画館で怪獣映画を見たのは、多分これが
最後だったと思いますが、怪獣同士が戦う姿
にどこか違和感があったのか それとも
ちょっぴりオトナになっていたのか
東宝は東宝でも『若大将シリーズ』
に心はすでにシフトチェンジを始めて
いたというわけですね
ちなみに、
『シン・ゴジラ』第二形態モデル「ラブカ」
『シン・ゴジラ』では、劇中で何度か
ゴジラがその姿を変身させるそうで、
「ラブカ」OpenCageさん撮影 Wikimedia Commons
そのうちの第二形態のモデルが深海ザメ
の「ラブカ」だということで、地元にある
深海ザメ「ラブカ」 沼津港深海水族館
沼津港深海水族館は盛況です
<ahref="http: dwuwmknmae"="" pic.twitter.com="">http://pic.twitter.com/DwUwmknmAe
さて、
水爆実験の落とし子であるゴジラ
には、反核(反原水爆)のアイロニー
(風刺)が込められていたのですが、
言わば、それはカオスの象徴として、
既成の枠をぶち破るための破壊と
再生を司る「神」だったわけです。
要するに、
日本での「ゴジラ」は、どこか畏怖
すべき恐ろしい存在で、善玉にも悪玉
にもなり得る対象 「破壊神」
として主役を張っていたわけですね
但し、
そうした「エトス」(倫理的な習性)や
「パトス」(畏怖的な感性)の源には、
ヒンドゥー教や仏教や神道など
の宗教に見られる イデオロギー
(思想)やドクトリン(教義)があって、
これが一神教の世界、ハリウッド映画
での『GODZILLA』ともなると
反核の意識はうすれてしまい主役
はあくまでも人間ということで、
突然変異しただけのリアルな姿
の恐竜に成り下がった「ゴジラ」は
脇役に転じてしまいます。
そして、
悪の権化 「サタン」の化身
と化した「ゴジラ」は人間に倒される
対象物となって、乗り越えるべき障害
や標的ということになるわけですね
これだけでも、アングロサクソンの国家と
日本との価値観の違いを感じないわけ
にはいきません。
ところで、
知ってか、知らずか、故意か、偶然か、
『最後の晩餐』でのユダが持つ
銭袋と仏教での「破壊神」たる
「大黒天」(ヒンドゥー教のシヴァ神の
化身であるマハーカーラ)が左肩に背負う
大きな袋との類似性ですが ・・・
出典: www.lets-bible.com 大黒天
まあ、これは単なる偶然でしょう
ただ、
「破壊神」とは、既存の秩序や
文明の腐敗を破壊・消滅させる
もので、単なる殺戮や物理的な破壊
や消滅を意味するものではありません。
常時、宇宙では生成と消滅が
繰り返されています。
つまり、
再生と消滅の「循環」においての
「死=破壊」こそが万物の基本
にあって、破壊と消滅を経て宇宙は
初めて秩序ある姿と機能を取り戻し、
新たなる創造へと向かうわけで、
宇宙スーパーウェーブ blog.goo.ne.jp
「すべてはひとつ」であるとする
ダ・ヴィンチの究極にある到達地点
は、まさにそこにあったのです。
それがユダの持つ銭袋とペテロが
握るとされるナイフの意味のひとつで、
再生と消滅を投影させるメタファ
(生成する袋と破壊するナイフ)を
対比・構成・演出しているわけです。
おそらく、
アンドロメダ銀河
我々の知り得る循環システムのなか
でも、最長期間に及ぶサイクルで反復
しているのが宇宙であって、あたかも人間
が呼吸をするかのように超ロング・スパン
でゆっくりと生成と消滅を繰り返している
のが宇宙空間です。
天の川銀河
こうした再生と消滅の循環を地球
の規模で見てみれば、
『ダ・ヴインチの罠 冥王代』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/503.html
のなかで述べたような
パンゲア大陸の移動 jamstec.go.jp
大陸の分離・移動・合体だったり、
水の循環 www.gov-online.go.jp
「水の循環」や「食物連鎖網」
や動植物の「共生システム」などで、
食物連鎖網 yogananda.cc
ダ・ヴィンチは幻で見た影をベース
に人体の解剖などを通じて、
そうしたことに思い到ったというわけです。
この辺りの考察については、
『ダ・ヴィンチの罠 異星人』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/443.html
『ダ・ヴィンチの罠 小宇宙』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/429.html
などを参考にしてみてください。
「解剖してわかったことだが、
人間は死ぬように
できているのだ」
「人間は古代人によって小宇宙と呼ばれた。
女性の人体解剖図
この言葉は実に当を得ている。
なぜなら、人間には肉を支える枠組みとして
の骨があり、地球には土を支える岩がある。
人間は血液という湖を持ち、そこでは肺が
膨らんだり しぼんだりして、呼吸作用をして
いるように、地球には 海があり、四六時中、
湖の満ち引きが宇宙の呼吸作用を繰り返す。
人体解剖図(心臓)
血液の湖からは静脈が出ており、体中に
枝分かれしていくように、海は地球に無限
の水脈を広げている」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
このように、
今で言う「ガイア論」に通じる考えを
持っていたダ・ヴィンチは、風や水などの
浸食による地形の変化を、経年変化
による容姿の変容として捉え、人間に
とっての「血のめぐり」を地球上で
の「水の循環」に見立てて、呼吸を
「空気の循環」、つまり、酸素や窒素
や炭酸ガスの循環システムとみなし
共生システム yogananda.cc
ていたばかりでなく、宇宙空間さえも
ひとつの巨大なる「生命体」である
と考えていたようなのです。
つまるところ、
見方を変えればユダは「破壊神」
の水先案内人であって、イエス自身も
「破壊神」の一部かもしれません。
それが、
光に対する闇としての物質の生成
や生命の出現及び知識の出発に
はじまる第二幕の主要テーマであり、
人類進化 grace-church.or.jp
“昼”に対し“夜”と疎まれた「地」
であるところのルシファーやサタン
に貶められた「知性」や「品性」として
の真実の姿を表現しているのです。
大雑把に言えば、
ユダが握りしめる銭袋の中身は
「エトス」(地球倫理)の胤(子孫)で
ペテロが握るとされているナイフが
「パトス」(生命感情)の卵(子供)で
あるということです。
従って、
ペテロの右手に握られているとされる
謎のナイフの真の持ち主は、
「エトス」の胤としての「パトス」
の卵であるヨハネであるわけで、
『最後の晩餐』のヨハネ 『岩窟の聖母』のマリア
この場合には、
聖母マリアとマグダラのマリア
の二役を演じているわけです。
マグダラのマリア
さて、
愛する弟子と師であるはずのヨハネと
イエスは何故に反目しあうように互いに
距離を置いているのでしょうか
それは
「エトス」の胤と「パトス」の卵
の確執や敵意の表現であり、それを
演じるのが、ヨハネとイエスなのです。
「わたしは、お前と女の間に、また、お前
の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼は
お前の頭を砕き、お前は彼の踵を砕く」
(創世記 3:15)
これはアダムとエヴァが善悪を知る
知恵の実を食べたあとに、
エヴァをそそのかした「蛇」に対して
「神」が言った言葉ですが、
ここでの彼を、『新約聖書』では
イエスのことだとしています。
果たして、そうなのでしょうか
次に、
空っぽの皿に同時に手をつけようとする
ユダとイエスの思惑とは何でしょう
ズバリ言えば、見ることのできない
「エトス」の胤と「パトス」の卵
の融合であり、永遠のパラダイス
への通行手形や真実の世界への
パスポートや招待状の類です。
それは、
『ダ・ヴィンチの罠 核融合』
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/502.html
での水素(洗礼者聖ヨハネ重水素)と
ヘリウム(イエス・キリストヘリウム3)
の核融合による新エネルギーの
開発やイデオロギーの統合など ・・・
すなわち、それらは、
「ロゴス」(サムシング・グレート)の
正体と「ハデス」(冥界)の実体
についての真実です。
そして、
イスカリオテのユダが何故に裏切者
の烙印を押されることになったのか
『最後の晩餐』 イスカリオテのユダ
それは、
「エトス」の胤を「パトス」の卵
と引き換えにイエスを売り渡して銀貨30枚
を得たとされているからに他なりませんが、
これも事実とは異なります。
実相としての真実は第三幕での偽りの歴史
(事実)として改竄・糊塗されているからです。
詳しくは、
第三幕の観劇の時点で解説しますが、
第二幕から第三幕への移行時にイエスの
誕生という大きな分岐点(事件)があり
理性(ことわり)から感性(たましい)へ
の転換が行われた結果、「パトス」
(生命感情)の卵に暴走が起こり、「人」
としての「感性」の中に欺瞞や疑念
のエネルギーが渦巻くようになります。
その結果、
文明の衝突や宗教戦争やテロが多発する
世界として描かれているのが、
IS(イスラム国)
第四幕であり、現代の世相を想起
させる内容になっています。
最終幕の「ハデス」(冥府冥界)では、
すべての要素が復活・再生して終演
(エンディング)を迎えることになりますが、
それが未来の世界での現実なのか、
冥界での一コマか、それとも、誰かが
操るコンピューター上の仮想現実の中
の出来事なのかは不明です。
R6 R5 R4 R3 R2 R1 L1 L2 L3 L4 L5 L6
NHK復元CG画像
いずれにしても、
『最後の晩餐』の最終幕の舞台設定
には冥府・冥界の存在があり、イエス
の復活が描かれているわけですが、
イエスの復活 true-ark.com
「破壊神」が持つもうひとつの側面
である復活・再生が希求されていると
いうことに唯一の救いを見い出すことしか
いまは出来ないのかもしれません
そんなことないよ !!
パンドラの箱 wikipedia
パンドラの箱に残ったカルピスが
あるじゃないか
いや、カルパス、いやいや、ヘルペス・・・
何か、どんどん遠ざかって行くようですが、
あっ、そうそう
エルピス(希望)でしたね
「それ、わしが前回のオチに使ったから」
「えっ、そうなの。ユダだけに油断した」
「なんちゃってね」
それはそうと、
重水素とヘリウム3の核融合に
よる新エネルギーの開発はともかくも、
イデオロギー(思想)やドクトリン
(信条)の統合なんて可能でしょうか
なになに、
「イデオロギーとドクトリン」
それは、
「ドクターマリオのことじゃな」
そう、これこれ、
「イデオロギー と ドクトリン」
・・・って、それは、
「ウイルスとカプセルです」
ぜんぜん違うし、まったくカスってもねえし、
それじゃあ、
「ウイルスとワクチン」では ・・・
アンタ、「破壊神」かよ !!
… to be continue !!
次回は、より具体的な内容を予定しています。