透明人間たちのひとりごと

ウサギとカメの物語 <1>

 日々の暮らしのなかで、ちょっとした出来事に遭遇した
ときに、ふっと思うのです。

 実に 深い。  深いなぁ~ … と、

 なに って、『イソップ物語』 ですよexclamation2

 あの、子供だましの単純な誰にもわかるイカニモな話 …

 … ですが、イソップ物語は単なる童話ではありません。

 実は、未来人への謎解きの挑戦状 だったのです。

 「イソップ物語に登場する話を何か言ってみてください」
と尋ねると、“ウサギとカメ”とか、“アリとキリギリス”とか、
北風と太陽”あたりが、まず真っ先に挙がってきます。

 他にも、“金の斧と銀の斧”や“肉をくわえた犬”だとか、
オオカミ少年”の話も有名ですよね。

 でも、その子供向けの教訓的な単純明解なる話のなかに
こそ、深い謎と秘密が隠されているようなのです。

 
 イソップは、紀元前6世紀の古代ギリシャの時代に、低い
身分の奴隷の子供として生まれましたが少年の頃から鋭い
洞察力と比類のない豊かな表現力に恵まれていました。

 アンデルセン(イソップよりもさらに2300年もあとの人)の
場合もそうなのですが、当時は現代のように表現の自由が
保障されていたわけではないので、主義・主張や意見・思想
といったものをストレートに表現するのは危険なことでした。

 特に、イソップの場合は奴隷の身分ですからなおさらです。
 
 仮にある事柄が真実だとしても真実を言えば罰せられる。
国や権力者を批判すれば、投獄はおろか、すぐにでも殺され
てしまうような危険極まりない時代だったのです。

 現代でも、表現の自由が権利として保障されていない国々
が一部にはありますが、当然のことながら、イソップの時代
にはそんな権利などあろうはずもありません。

 もちろん著作権もなければ肖像権も商標権もありません。

 あったのは、市民階級と奴隷階級という厳然たる区分けの
身分差別だけでした。

 ところで

 「あいつはカメのようにゆっくりだけど確実に仕事はこなす」
とか、「うそつきのオオカミ少年にだけはなるな」 とか …

 何かあると、喩えとして引き合いに出されることの多いのが
『イソップ物語』 に登場するキャラクターたちです。

 このことは、それだけ私たちの生活のなかにイソップ物語
が浸透しているという証しでしょう。

 その意味からは、イソップの企ては、まんまと嵌(は)まり、
彼の目論みの半分以上は成就していると言えるでしょう。

 あとは、その隠された秘密がいつ解き明かされるのかquestion2
 … の一点に係っているのです。

 「たわいのないたとえ話」 だとか「子供だましの教訓話」 を
装って、未来の社会へ発するアラームメッセージ などを
子供向けの単純な話のなかに織り込み、聞くべき人が聞き、
読むべき人が読めばわかるようにと、その意図を巧妙かつ
見事にカムフラージュしたのです。

 ですから、彼ら(キャラクターたち)には、特別な任務
与えられていたのです。

 今回は、その中から、ウサギカメにスポットライトを
当ててみることにします。

 それでは、早速、ウサギカメの御両名に登場してもらい
物語の謎を解き明かしていこうと思います。

           「ウサギとカメ」
              ― 要約 animal1 ― 

 ある日、「カメさん、君はどうしてそんなに足がのろいの」
 とウサギは、カメをからかった。
 カメは、ムッangerとして 「むこうの山のてっぺんまで、どっちが
 先に着くか競争しよう」 と ウサギに言った。
 「よし、わかった」 と ウサギは笑って言ったかと思うまもなく
 、たちまち山のふもとまで走って行ってしまった。
 振り返ってもカメの姿は見えなかったので、ウサギは横に
 なって休み眠ってしまった。
 その間に、カメは追いつき眠っているウサギを追い抜いて
 山の頂上近くまで登った。
 目を覚ましたウサギは大急ぎで追い駆けたが間に合わず
 ひと足違いでカメが勝った。

 おおよそ、こんな話でしたね。

 その意味するところも、足の速いウサギに代表されるよう
に才能を認められたエリートへの決して 《油断をするな》 と
いう戒めと、カメのように愚鈍でも 《一生懸命努力をすれば、
いつかは必ず報われる》 という励ましとのどちらにも通じる
教訓です。

 現実に晩熟(オクテ)の成功者は大勢いますし、キラキラと
輝くような才能を持て余しながら成功できない人もいます。

 一方には油断をするな。 他方には決して諦めるな。

 まったくもって、その通りで見事なレトリックです。

 まさに、イソップが言いたかったことは、その両面性
普遍性にあるのです。

 そして、そこにこそ、実に巧妙なカムフラージュ
あるのですが …。

 それは、これから記事を進めるなかで追い追い話してゆく
ことにしましょう。

 人生の機微や泣き笑いは、一見すると、個々の特殊
ケースのように思われがちですが、単に経験するか、しない
かの違いだけで誰にも共通する普遍性のある真理
あることの方が多いのです。

 そして、皆さんが日々経験する些細な出来事やあなたに
とっての大事件も、万人に共通する事柄のひとつであること
が、イソップをしてイソップ物語イソップ物語たらしめて
いるのです。

 つまり、一面においては、イソップが演出した物語に登場
するキャラクターたちの演技があなたの人生予告し、
人類の …、そして、地球未来予言している
とも言えるのです。

 前振りと言うか、前置きに随分と紙幅を費やしてしまった
関係で肝心の 「ウサギとカメの物語」 の謎解き
は次回以降に持ち越すことにします。

 中途半端な結末になってしまっては、ウサギカメから
とんでもないクレームをつけられそうなので …

 でも、そうすると、今度は皆さんから文句を言われそう
ですので、ヒントをいくつかご紹介してお茶を濁すことに
します。

 たとえば、女がウサギで男はカメでしょうし、デジタルが
ウサギでアナログがカメでしょう。

 先進国がウサギで後進国がカメならば、強大国がウサギ
で弱小国がカメにあたるでしょう。 あるいは古参(老人)が
ウサギで新参(若者)がカメとかいう場合もあるでしょう。

 ローカルな話題ですが、静岡県の無料中古車情報誌で
言えば、先行した 「のるぞ~F」 「くるこむ」 は ウサギ で、
今回(6/20)創刊したCar Get(カーゲット)は カメ なの
かもしれません。 (ここまでくると意味不明、理解不能かも …)

 とにかく《ウサギにカメが勝つ》 というような単純な話
ではないことだけは確かです。

 アンダーラインを引いた 「とにかく」 も、当て字では、
<兎に角>となります。

 この当て字は、夏目漱石が好んで多用したことで
広く用いられるようになったと言われていますが、元々は
仏教語の 「兎角亀毛(とかくきもう) から転じたもの
と考えられているようです。

 ただし、その意味は兎に角や亀に毛は存在しないので、
現実にはあり得ないものの喩えや、ないものをあるとする
場合に使用されたもので、意味のうえでの関連性は乏しい
ようです。

 ただ、なにゆえに ウサギカメ なのかは追求して
みる価値は大いにありそうですが …

 では、この辺でバイちゃ(売茶)symbol5 って、

 それじゃ、お茶濁すんじゃなく、売ってんじゃん。

 えっ、売っているのは、お茶 じゃなくて、 なのぉ

 バイちゃsymbol5 といえば、自称・天才科学者 則巻千兵衛氏の
製作によるアンドロイド・アラレ(ちゃん)の決めゼリフ
ですが …

 キーン、 あっ、ホントだ。 、売ってる~exclamation2

 はい、 整いました。 して、そのココロは … 

 んちアラレには 必要 だっちゃ

 、もう、謎かけの ねづっち じゃないっつう~の

 確かに、アラレ で揚げるのもあるけどね。

 こっちは、謎かけ じゃなくて 謎解き なんです。

 でも、こうして タラタラ ase を売ってちゃ

 やっぱり、それは、マズイでしょう

 んに、この アラレ おいしいよぉ

コメント一覧

バカボンのパパのパパ
兎にも角にもそうなのだ!

「それでいいのだ」
傍観者
イソップの時代くらい前だと、世の中は意外と自由だったとも考えられないかなー。ピラミッドが奴隷による強制労働の結果ではなかったみたいに・・・・。
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