政治的なのは、やはり、そこはかとない ものから
そこはかとした ものへと 不安 の 正体 が
徐々に収斂(しゅうれん)化されてきたからだろうか …

それとも、写真週刊誌ふうに、
エイドクルーたちの脳裏に フォーカス されていると
でも言えばいいのだろうか

ともかくも焦点が定まり、何かが見えてきたようなのです。

、「その場所は、彼(か)にある処」 そこは何処、ここは其処、
ここは何処、其処は此処(そこはここ)…って感じですかね。
「はか」 は、「計(はか)り」 と同源で、目当て、「当てど」 の
意味もあるとか、ないとか …。
つまり、
「そこはかとない」 とは、そこでもなければ、ここでもない。
あちらと思えば、またまたこちらのようにふらふらしていて、
掴みどころや捉えどころのないさま。




ピンクレディに歌われた『渚のシンドバッド』状態を指します。
それが、そこはか としてきたとは、そこ かと思えば
、やっぱり そこ や ここ だったのね。ってわけなのです。
「政治」 というと堅苦しくて、難しそうなイメージですが、
簡単に言ってしまえば、力関係、つまり、『力学』 です。

その星には二人以外には誰もいません。
そんな、たった二人っきりの世界でも、時を置かずして
支配する者と支配される者という力関係が生まれてきて、
やがて、その星で生活するという政治活動が始まります。
人間が集まれば政治が始まるのは必然なわけです。
二人以上で 「政治」 が始まり、三人寄れば文殊の智恵
ならぬ 「派閥」 が出来上がるのです。
二人や三人ならばインタラクティブ(双方向)的な関係線で
つながりますが、人数が増えて集団が大きくなればなるほど
関係線は入り乱れて複雑化します。
人間は自分の夢や希望を実社会のなかで実現させようと
努力する動物なのですが、十人十色、千差万別というように
その意見や希望も好みも利害もそれぞれに食い違います。
たとえ、親子や友人同士でも、完全なる意見の一致を見る
ことは極めて稀であり、自らの意見や希望を通そうとすれば
摩擦やいざこざなどの争いごとが起きるでしょう。
二人から始まり



都道府県の地方政治



衆参両院の国内政治

かかわる人数が増加して規模や舞台がどんどんと大きく
なれば政治の性格や表情も目まぐるしく変化します。
そこで、登場してくるのが、ポリティカル・アニマル という
奇妙キテレツな習慣をもつ「政治家」とよばれる特殊な
「種族」 たちです。
日本のみならず世界各国において世襲政治が横行する
理由は、その特殊なる世界観と特殊なる集団がゆえのこと
なのです。
彼ら「種族」に宿命づけられた悲しい性(さが)は、公僕
としての職業意識と利益代表としての使命感のはざまで揺れ
動くこともなく、その葛藤に躊躇ない決定が下せるという点に
おいて、私たち一般市民とのあいだに大きな精神的な乖離
を有するのです。
三つ子の魂 … ではないけど、奇妙な職業集団の複雑な
運命は、ドラマや映画の題材としても多く用いられます。
それは精神上の特殊性だけではなく、一生涯の出来事が
そのままドラマチックに展開する内容をもっているからです。
血は水よりも濃い

青は藍より出でて、本当に藍より青いのだろうか

とにかくも、彼ら「種族」の特徴を列挙してみましょう。









思いつくままに並べてみたけど、まだまだ出てきそうです。
要は、ドラマチック で ミステリアス で スキャンダラス な
「種族」 なわけです。
そんな怪しげで危うい「種族」 たちに、いつまでも日本
の政治を牛耳られては堪りません。
そんな 「種族」 との無理心中は、御免こうむりたいの
ですが、救世主が現れません。
天秤にかける対象も見つかりません。
もう、なにもかも、破れかぶれです。
ドラマチック でなくとも ミステリアス でもなくともいいから
もっと言えば、清廉潔白ではあって欲しいけど、もうそんな
贅沢は言わない。
スキャンダラス であってもいっこうに構わないから、
この日本をなんとかしてくれる救世主を求めます。
日本国のトップリーダー(総理大臣)を求めています。
龍馬の如く 「日本をいまいちど洗濯いたし申候」 ならぬ
平成の世の日本の大掃除が大事であり必要なのです。
そうです

平成の世の 大掃除 が 大事 だと …
おお、そうじだいじ ん を …
WANTED! Japanese Prime Minister
求む

日本国首相 (総理大臣)を
