山形市教育委員会が調査している山形城の
土塁発掘現地説明会から
屏風折れ土塀の礎石が良好な状態で発掘された
現存事例が非常に少ない礎石でした
黄色の棒がお堀側に出ている
教育委員会で作成した土塀模式図
土塀か造られたのは、最上家改易後の鳥居氏の時代(1622~)
と考えられる説明を受けた
幕府も防衛に力を入れていたと思われる
礎石は当初は内折れ作られていたが土台が弱く(礎石が小さい)
雪害か台風かで倒壊したらしく、のちに外折れになったらしい
山形市教育委員会が調査している山形城の
土塁発掘現地説明会から
屏風折れ土塀の礎石が良好な状態で発掘された
現存事例が非常に少ない礎石でした
黄色の棒がお堀側に出ている
教育委員会で作成した土塀模式図
土塀か造られたのは、最上家改易後の鳥居氏の時代(1622~)
と考えられる説明を受けた
幕府も防衛に力を入れていたと思われる
礎石は当初は内折れ作られていたが土台が弱く(礎石が小さい)
雪害か台風かで倒壊したらしく、のちに外折れになったらしい