東海岸 - 音楽、食、犬の娘など

クラシック音楽、オペラ、食、ふわふわの犬の娘のこと、などをつれづれなるままに...

[MET 2011-12]: Faust メト ファウスト

2011-12-06 | オペラ


WARNING きけん:
以下、かなりねたばれしてしまっていますし、非常に勝手な個人的解釈を書いております。今回のプロダクション、HD上映前に知りたくない、先入観を持ちたくない、という方は鑑賞後にお読みになるようお願いいたします。


今回のプロダクションに関しては、演出の問題についてプレミア日のラジオ放送、そしてカウフマンのもやもやした思いについて、と随分書いてしまったけれど、とうとう見に行きました。

ファウスト Jonas Kaufmann ヨナス・カウフマン
マルグリート Marina Poplavskaya マリナ・ポプラフスカヤ
メフィストフェレス René Pape ルネ・パーぺ
ヴァランタン Russell Braun ラッセル・ブラウン
シーベル Michèle Losier ミシェル・ロジエ
マルト Wendy White ウェンディ・ホワイト
ワーグナー Jonathan Beyer ジョナサン・バイヤー

指揮 Yannick Nézet-Séguin ヤニック・ネゼ=セガン


失敗したのは今日はHDの予備日でカメラが入っていて多少気が散るところ。

スクリーンに大写しになるイメージ、合唱団は楽屋で歌わせ、白衣を着た多くの役者さんたちが演技することもあり、ダンサーもバレエというより現代的な踊り、長いすを色々な場面でこじゃれて上手く使う・・・ 現代舞台演劇のにおいがぷんぷんします。

カウフマンはラジオで聴いていたときはとろけてしまいそうにうっとりとさせてくれたが、今日はとても大人しめ。もし、3千人のこの場の観客より、ライブでラジオを聴いている人たち、あるいはHDで見るかもしれない全世界の大勢のファンのために、ボリュームを出さずに集音マイクに向かって細かなニュアンスで勝負、とひょっとして計算していたとしたら、姑息でいやだな。清らかな住まいのハイCもすこし揺らいでしまったし、流石と思う場も何度かあったが、最後まで心を動かされず残念。



ポプラフスカヤは馥郁とした中音部はとてもよかったのだけれど、わたしには高音が非常に汚く聴こえ、アリアの最後に高音を伸ばすところでは叫び声になるのがあるのも不愉快。演技に夢中になると変な地声も出てきて、せっかくよい面を持っていてもそれが台無しになってしまう。なにより主要なアリアもなんとか歌っているけれど、歌い上げられてはいない。この歌唱でメトでプリマを張るんか!と思ってしまった。

不思議の国のアリスのような夢ごこちのドレスを着てブロンドの巻き髪をなびかせるマルグリートも汚い音がでてくると、かわらしいというより、わたしにはこんな感じに見えて来てしまう…



しかしカウフマンもポプラフスカヤもアリアが終わるたびに大喝采を浴びていたという意味では、おめでとうございます。

一番光っていたのがルネ・パーぺ。ソリストの中で一番(唯一?)終始歌唱が冴えていた上にとても魅力的な悪魔だった。ROHのマクヴィカーの演出は逆ホームベース型の顔の(? なんて表現したらいいのあの形...)怪人的ターフェルの凄みは上手く魅せていたが、パーぺには少々合わなかった。今回はパーぺの地の魅力に近い、ちょい悪おやじ風メフィストで、ちらちら見せるユーモアや凄みをとても自然な感じで出せていたのがとても良かった。特にけろっとして言う rien(平気へいき、)脅しながら言う rien (いいか、何でもないんだぞ!)の演じ分けや、目をカッと広げるだけで悪魔的凄みを出していたのには感心。背後で杖を使って人間たちを操るメフィスト、とてもよかった。



金の子牛ではダンスがなぜか今は亡きマイケル・ジャクソンのスリラー調でこれは繰り返し出てくるゾンビ的被災者のイメージの一つ。

メトの合唱団特に男性パートが非常にまとまりよく上手くなったのはサティアグラハに感謝すべきか。声を伸ばして自己主張する人はいなくなり、調和が取れてとても良かった。特に5幕のピアニッシモはとても微妙に美しく聴かせてくれて、本当によくやった!

ラッセル・ブラウンはプレミア日よりメダルの歌は上手く言ったが声が伸びず印象に全く残らない。ミッシェル・ロジエはROHのHDやラジオでズボン役にしてはおばさん的声色だと思ったがライブではずっと澄んで聴こえたのはよかった。

メトオケ、金管の外しには泣かされたけれど、ネゼ=セガンの歌わせ方と盛り上げ方、音楽自身の魅力を引出していたのが美しかった。ネゼ=セガンは全幕、歌の部分はずっと自分でも口ずさんですべての音楽家たちのまとめを図ろうとしていたが、女性コーラス、そしてなぜかカウフマンとはギクシャクする感じがあったのは残念。女性コーラスが合わなかったのは彼らが舞台裏で歌っている時だったのでこれは演出のせいにすべきか… 幕間、すぐに楽屋に帰らず、いくつかのパートと話し込むネゼ=セガン。楽譜を指しながらだったので、問題があった部分についてここの部分は次回はこうしたほうがよい、とでも話していたのか。熱心なこと。

今回の演出で面白いと思ったのは2箇所。一つは村人たちのお祭りで丸く並べた椅子に座った女性たち。ファウストがぐるぐる回りながらマルグリートを探すのはスタイリッシュでよく出来ていた。

もう一つ興味深かったのは、ファウストとマルグリートが、従来の、お互いに好きだという感情を抑えきれずに一夜を共にする、という演出でなかったこと。このマルグリートは、後に大きな不幸がくることをあたかも知っているように、兎に角逃げ回る。追いかけるファウストは捕まえたと思ったのにさっと逃げられると、まるで蝶々を追いかけている少年のようにその度にがっかりする。そういうファウストは即物的で、恋愛感情よりも、下品な言い方だけれど「やらせろ!」と迫っているようにも見える。最後誘惑に負ける部分では、まるで生贄の羊のように、あきらめたように身を投げ出すマルグリート。変わっているなぁ。



二人が間違いを犯すわきで、ジェダイ風の騎士団管区長がメフィストに近づく。そうだったファウストはドンナ・アンナのお父さんも殺した悪人でまた違う女の子を手篭めにするとは本当に悪いやつだなぁ・・・ ってそれは違うオペラだ。これはきっと死神が、これで悪の道を一歩踏み出したファウストは死を撒き散すね、いよいよ僕の出番だね、よくやった、とメフィストにあいさつに来たということなんだろう。

変だなぁといまだに思う部分はある。最初の場面でファウストがテーブルに張られた大きいシールをはがすんだけれど、あれは何なんだろう。あと触る花がすべて萎れてしまうのろいをかけられたシーベル。この演出ではそののろいをとく聖水は、水道から取ってくる。わたしにはつい田舎のお便所についているような手を洗うシンクを大きくしたものに見えてしまい、効いた!と喜ばれてもなんだか…

この演出で一番読み替えがすごいのがヴァルプルギス。これは説明するのはやめましょう。



ポプラフスカヤは最後の死の場面がプレミア日と同じく全幕中一番出来が悪いのは後味がわるい。彼女が上っていく階段ははたして本当に天国につづくのでしょうか…

そしてファウストはメフィストフェレスに付いて奈落に消えていく。

最後、再びカウフマンが登場し、最初に毒薬をした場面に戻り、あたかもメフィストが現れなかったかのように、なんと手にした毒薬を飲み干し、息絶える。すべては自殺直前の白日夢だったのか…

それにしても白日夢ってあんなにネガティブになるかしら。普通死の直前にあんなサディスティックな妄想する? やめてという女の子をしつこく追いかけて婚前交渉、彼女のお兄さんは邪魔になって殺害、歓楽のワルギルプスの夜はゾンビと原爆パーティ、自分の子どもを生んだ彼女も捨てて精神的に追い詰めて人生をめちゃくちゃにさせる、なんという変態野郎、たしかにこんな奴は自殺して正解だった。

え、そんな筈はないでしょう。カウフマンが言っていたように、一生を研究に捧げたのにそれが原爆投下という結果になった罪の意識から、「もう一度よりよい人生を送る」セカンドチャンスを与えられ、第一次世界大戦前にタイムトリップする、わけだから、結局自殺をしたのは、第二の人生もやはりひどい罪を犯してしまったから? でも原爆と被災者のイメージはその第二の人生中もあちこちにあらわれてくるのはどう関連づけたらいいの?



帰宅途中ずっと考えた。

うーん、やっぱりあれは妄想だったのかな? 研究室のおたくだったので、女の子と恋に落ちて... で始まる普通の人生を夢みても、ねたがあまりなく、いきなり「愛してる」の告白でセックス、そのあとの幸せな生活を想像できるほど実生活が充実してなかったもんだから次が思いつかず、ついその白日夢も、原爆投下のトラウマと罪の意識に彩られてしまい、悪夢と変わっていく? ゾンビのような行動をする被災者や原爆のイメージのワルギルプスの夜の意味はそういうことだったのかな。

もっと考えると、白日夢・妄想説も一理あるけれど、もしかしてこれはファウストの話を寓話的に使った、非常に倫理的な話かもしれないと思った。

意図して犯す罪だけが倫理的罪ではない。よかれと思って一生懸命にやったことが取り返しのつかない結果を生むことがある。何の気なしに周りや状況に流され行動してしまい、気がついたときにはにっちもさっちもいかなくなり、なんであそこでこっちの道を選択してしまったんだろうと後悔してももう遅い。実は意識しないで犯す罪ほど恐ろしいほどの後悔があとから襲ってくるものなんじゃないか。おそらくその不幸は戦争時には究極の形になる。戦争は本当に恐ろしい。普段なら考えられないような、人を殺すという最悪の犯罪に、「正義」の名のもと、家族を愛する優しいお父さんお兄さんが積極的に手を貸すことを強要するのだ。

不思議に魅力的なメフィストフェレスの誘惑に乗り、メフィストに操られるまま、状況に負けて間違った選択をしてしまい、思いもよらなかった不幸をつぎつぎと引き起こしてしまうファウスト。これは、よりよい明日のために科学を進歩させようと日々励んでいた研究者が、戦争に勝つことを目的とした政治指導者に上手い口調で操られ、利用され、大量殺人兵器を作り出すことになってしまった悲しみと重なってくるんだろう。

研究に人生を捧げるのではなく、別の人生を歩もうとしても他人任せ、状況に流されてしまうと前の人生と同じように人々を不幸に陥れてしまい、同じ道をたどってしまうものだから、やはり自殺するしかないということか。

そうすると逃げ続けたマルグリートは、戦争反対者? 戦争という事態を避け続けようと努力を続けても、国民の大多数が好戦的な政府を支持してしまうと、戦争は国全体を巻き込むものであり、そういう状況になれば一個人はなすすべもなく、それに身を任せるしかなくなる。そういう「良心」という存在だったんだろうか。

ここまでたどりつくのに情けないけど時間かかった。個人的には一旦納得してこれで寝られるかな。だけどこれだけ読み替えしていて、即座に誰もが「なるほどねぇ」と思える演出ではないんだから、もっと説明してもらいたいなぁ。ねたばれになってしまうからマッカナフもメトも事前説明が薄いのかしら。本当にマッカナフの意図はどうだったんだろう。もし最初からファウストの罪とオッペンハイマーの罪をパラレルに描いているとすれば、演出家は普通前もってキャストに説明するだろうし、先日のカウフマンの「納得できない」発言はなかった筈なんだけれどなぁ。前にファウストは最後が少々尻つぼみと書いたけれど、この演出は尻ひろがりというか、あとから観客がそれぞれ「どういうことだったんだろう」と考えさせるところが、人によっては魅力あるいは嫌なところになってくるんだろう。

まとめもせず、とりとめもなく考えた流れのままに書いてしまって申し訳ないです。多分観る人によってこの演出の解釈は違うんでしょう。ご覧になった方々の感想、好き・嫌いでもいいので、聞きたいです。ぜひコメントください!

(追記 12月10日 HD日、映画館で聴いたときは、ポプラフスカヤは不快な音一切なし、高音はもこもこしていたけれど、彼女の声の美しさが最大になるようにミキシングされていて、良かったです。カウフマンも熱唱していたし、わたしから見るとライブの日はポプラフスカヤはキスをする一歩手前でいつも顔を避けるようにしていた感じに思えたのですが、ラブ・デュエットのあたり、今日は伝統的に熱い感情たっぷりに見えました。かなりよく撮られていて、ライブの日には後半、ポプラフスカヤの汚い音で邪魔されて堪能できなかった彼女の壮絶な死に際、今日は映画館では素晴らしいパフォーマンスだと感じました。
ただ2度みてはっきりしたのは、この演出は、オッペンハイマー的な科学者が原爆投下の原因を作ってしまったことに絶望して自殺をする瞬間、それまでの経緯をファウストのストーリーを借りて思い出す、というもの。メフィストは科学者を利用し、人々を戦争という大きな破壊に鼓舞する政治家のような役割。「決してこえてはいけない一線を越えてしまう」ファウストの婚前交渉は、原爆を作り出すことであり、一旦この罪を犯したことで、多くの死は避けられず、死神の出番となります。
2回の原爆投下でそれまでのメフィストの努力は成功に終わり、ヴァルプルギスはそれに祝杯をあげるもの。オッペンハイマー(ファウスト)は上手くしてやられた、取り返しのつかないことをしてしまったことに気がつきます。
演出家のもともとの戦争反対の意向は買ってもいいですが、そう読むと細かい部分が非常に悪魔的になってしまっています。個人的には人道的に許せない場面もあり、おそらく2度と見ることはないと思います。)

(追記 1月14日 ひょっとして私の記事を不運にも読んでしまった方、トラックバックにリンクがある記事をお読みになることをおすすめします。コメント欄で展開されたMadokakipさまのこの演出への鋭い解説は、非常に参考になります)



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24 コメント

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HD観てきました (galahad)
2012-01-17 11:05:27
この演出のコンセプトってあるんでしょうか? 原爆開発と科学の倫理を『ファウスト』の宗教的倫理観とすりかえるアイデアというものはあるけれど…。
アイデアと読み替えそのものに関して悪いとは思いませんし、こういう類のは嫌いではないです。(不愉快に感じたところはあります)
でもリブレットの内容と合わないから、しょっちゅう???となり、自分の納得できる解釈をいちいち考えないといけないし、カウフマンの苦労がしのばれました。
それに出演者に相当の演技力、歌唱力がないとすごくつまらないのではないかと思います。
ポプラさん、牢獄から昇天までなかなかすごいと思いました。
ファウストはあっさり死にすぎで拍子抜け。
それにファウストの悩みや後悔というのがいまひとつよくわからなかったです。
 
>最初の場面でファウストがテーブルに張られた大きいシールをはがす
下に何か書かれていたようなので、(マンハッタン計画の)ストラテジーか設計図面を隠していたのをシール取って再確認したのかな。

ああ~、なんだか自分の頭の悪さを露呈しているだけのような気がしてきました。 失礼しました~。
マッカノフの演出 (Kinox)
2012-01-18 09:34:02
これはねぇ、本当に一筋縄ではいかない、感触としては、演出家もはっきりと歌手に自分の描きたいストーリーを伝えていない、ファウスト役の歌手も悩みつつやっていたので、その日によってかなりぶれがあったり、難しかったと思います。ポップなグノーのファウストに慣れ親しんだ歌手やオペラファンには特に足元をすくわれたのでは。私は個人的に原爆に関してはもしかして異常にセンシティブだったりして、(今までこれほどとは気付かなかったんですけれど、)そして今回は、非常に悩み苦しんでいたカウフマンをずっと追っていたので、彼の発言に足を引っ張られたところもあって、随分変わったストーリーを読んでしまったなぁ、と思います。

という感じなので皆様の読みをお聞きするのが本当に面白い。トラックバックにあるサイトのコメント欄(後半)で、Madokakipさまが展開しているのは、このファウストは原爆を生み出したことが人生における最大のアチーブメントで、その思い出の陶酔に微笑みながら死んでいく、というものです。なるほどなぁと思いました。そしてそれまではカウフマンが最後の自殺時に微笑んでいたことには気がつかなかったし、もしかして微笑みが出てきたのは公演後半になってからだったのかも、と思うと、まぁあんなに悩んでいたカウフマンもやっともしかすると自分自身で納得できるストーリーが最後の最後になってやっと描けたのかも、とも思え、そういうところはほっとするような気がしました。

galahadさまが表現なさった“神の領域に踏みこんでいるような科学の力の傲慢さと万能感を、「悪魔」のメフィストとして表現”これはイェーイ、万歳ですわ。素晴らしい。

メフィストがファウストの悪魔的心の部分を人物化していたとすれば、それではマルグリートの存在の意味は、に答えてくださったのがShivaさま。あの聖水は神のことばに従って生きる聖女マルグリートのお家にある水道だから、田舎のお便所にあるような形をしていても聖なる水だったんですね。なんだか今までの俗世間的でちょっと愚鈍なマルガリータにとらわれすぎていて、本来のグレートヒェンという存在を忘れてしまっていました。

今回は、せりふをちゃんと叩いた上でのことかは分からないけれど、あまりにテーマが重く、演出・リブレット・音楽、のバランスが非常に悪いプロダクションだったような。単なるドラマとして、ブロードウェイやウェストエンドで舞台俳優を使ったものを観たなら、感想は全く違ってたと思います。でもその場合、マッカノフはどうせグノーの音楽は使わないんでしょう、そしてリブレットも随分編集するんでしょうと思う(笑。)このマッカノフのストーリーを語るのにこの作品がふさわしかったのかどうか・・・ 私は今回の演出は、せりふとの整合性もおやおやな箇所があって、よく練られているとは感じないし、演出の文脈に気をとられていると音楽的には点、点、点、とアリアやメロディの良さをなんとなく部分的に遠慮がちに味わっていたような気がした。なんだか中途半端で、個人的にはオペラの演出としてはとてもじゃないけどいい点をあげられないです。

この演出じゃなかったら、ライブでは歌唱まで残念に聴こえていたカウフマンも演出に悩まずもしかして始めっからとうとうと歌えてたかもしれない、難はあってもポプラフスカより歌唱力が上のゲオルギューもキャンセルしなかったかもしれない、それで最強だったパーぺとの3人を主役で観れていたらと思うと、なんだか余計に残念でもあります。
こちらで (素人耳)
2012-01-27 12:56:06
まだこのページを読んでおらぬことに、今頃気付きましたw。
Madokakip殿はお忙しそうじゃし、「ファウスト」に関してはこのページがよろしいかと思うておりますと書き込むつもりでおったら、先にKinoxどのが・・・w。
アメリカではblog内容もチェックされておるのか、ちと心配w。「原爆神話」のことなど、Kinox殿に危険がない程度のことで結構じゃよw。Kinox殿の個人的・政治的な意見が知りたいわけではないので。一般の人はどうなのかなー、という話じゃ。
少々お待ちを (Kinox)
2012-01-27 15:27:02
こんなにお気遣いしていただいて、申し訳ないです。今回、めちゃくちゃ沢山支離滅裂なことを書いているのであんまりじっくり読まれても、ちょっと困るかもしれません(笑)
このファウストに関するお返事は沢山あるのですが、明日はちょっと時間がとれず、週末になってしまうと思います。すいません。
あ、ちなみにバイロイトの「胎児」はこんな感じで見ました。この頃は非常に日記調なので、自分でも読みずらい(笑)
そういえば、これに関して、「東西ドイツの統一と絡めてしまうと、長いことは使えぬ演出」というのは少々難解なので、説明していただければうれしいです。

http://blog.goo.ne.jp/affettuosissima/e/7652126b5e91e73cdfe1e2ee0969aaca
ご参考までに・・・ (素人耳)
2012-01-27 22:54:48
評論家の東条さんの感想を、一応ご紹介しておきますぞ。彼は時々Metにも行っておるようじゃが。
http://concertdiary.blog118.fc2.com/blog-entry-1272.html
素人耳さま、遅くなりました (Kinox)
2012-02-08 09:12:30
今回のストーリーA
わたしは、やはり後悔であって欲しい。後悔から自殺するその一瞬手前でいままでの経緯を思い出すというストーリーだったらと思います。科学の最先端にいた人が、胡散臭いとは思いながらも口が上手く、色々融通を利かせてくれる政治家に踊らされる。ナイーブに「科学の意味深い使い道」を見出したつもりになって、政治家の真似事をするファウスト。もともとのストーリーも、観客にはこういうことをすればこういう不幸な結果になるというのは明らかに見えているのに、自分の目的に夢中なのか、日常や人間関係に疎いようなファウストにはそんな当たり前のようなことが全く見えていないふがいさがありますが、今回のファウストもメフィストがよくしてくれるのは自分から原爆が欲しいだけだというのに全く気付かず振り回されるまま。人間の破壊を生きがいにするようなメフィストにとっては素晴らしいヴァルプルギスの夜、その異様さにやっと悪魔の計画に乗ってしまった自分の間違いに気付き始めても時すでに遅し。

ストーリーB
原爆をつくりだしたことが人生最大のアチーブメントであった男、その思い出の陶酔の中で微笑みながら死んでいく。ヴァルプルギスの酒の酔いは偉業をなしとげた自分に酔っていたのか。メフィストはファウスト自身の悪魔的な心の投影だったとして、どこまで悪魔的な意図があったか、どこまで悪魔的な心を許せない自分が残っていたかによって、ストーリーB1、B2と違うストーリーも描けるんでしょう。

後悔か陶酔か
これははっきりいって分かりません。ライブで観たときとHDでは3主役も随分違った感じでしたし、演出家のもともとの意図ははっきり言って分からず。話としてはDNA操作やクローンなどもそうですが、科学を追求するあまり人の道を踏み外してしまう危険、の話なんですかね。

被爆者の役割
ヴァルプルギス、仰るとおり、悪夢に変わっていくという文脈だと私も思っていて。ただ、これはいくらなんでも、と個人的に文脈を離れて嫌だなと思った部分は、HDのカメラワークのせいもあったと思います。ファウストを連れてきたメフィストが被爆者を指して、ほらダイアナもいるよ、と言う、カメラは、メフィストの褒め言葉に答えるかのように、にこにこ笑顔を見せる被爆者の表情を大映し。人間の破壊・破滅が存在目的の悪魔にとっては、被爆に苦しむ人が集まる情景、これを素晴らしく美しい光景だと言っているのか、人間の苦悶の表情が心温まるような笑顔に見えるのか。あんたそこまでやる必要あったの、ここでどうしても被爆者をこういう風に使わなければならなかったの?、ここまで悪魔的な描写をされると、やっぱりついていけない、と思ってしまいました。そんなことを言っている人はまわりにも全くいないので、「私は異常にセンシティブ」なんだと思ったわけです。

ワーグナー問題、その他
今回、思いがけず文脈を離れてしまうという経験をして以来、この問題の難しさも少し身にしみるものがあります。マイスタージンガーのベックメッサーの扱い、ほらみろやっぱりワーグナーは反ユダヤじゃないか、と毎回話題になったりしますよね。今週もベルリンで、ヒットラーが好きだったというリエンツィの上演がヒットラーの誕生日に当たっていたので、スケジュールを変更したというニュースがあったり。他の国はどうか分かりませんが、アメリカのTVではナチス映像のバックには相変わらずヴァルキューレを流したりしますから、切り離して考えられないという気持も分かります。ユダヤ人でも色々で、音楽に政治や過去の歴史を持ち込まない人もいれば、新しい世代でもドイツに関するものはすべて忌み嫌っているような徹底した人々もいますよ。個人的にはバレンボイムやメータ
のように音楽自身の力を信じた活動には頭が下がるばかりですが。
大戦中の悲劇とは別に、現政府の方針を問題にする人々もいて、去年、逆に政治を音楽に持ち込まれたということもありましたね。http://www.bbc.co.uk/news/uk-14756736

この演出、被爆者は救われることがないんですよね。その一方、色々罪も犯したマルガレートは救われる。原爆はヨーロッパからの頭脳流出で可能になったなんて話もありますけれど、収容所の女性にみえるようなマルガレートが直接原爆製作に従事したラボの人々に、神は許されたと言われながらラボの階段を上っていく。ここでの寒々とした違和感、これにもし意味があったとすれば、同類の悲劇を語るばかりでいいのか、「悪者」の国の人々の犠牲は当然なのか、今の政府がやっていることは罪ではないのか、という皮肉もあったのかも。これは読みすぎなんですかね。しかし自国の罪の正当化・敵国の悲劇の軽視という傾向は特定の民族・国でしか起こらないわけではなくレベルの差はあってもあちこちでいつも行われていますよね。

この演出家
HDのインタビュー、ここまで大胆なチャレンジをして、一体なにを言うんだろうと期待していました。科学者がオッペンハイマーのラブを訪れた翌日に科学の道を放棄したという話が強烈に印象に残っている、と。うん、うん、それで? と思っても、それについて価値的なことは言わず、自分の意見や今回の演出については全く発言をせず、すぐさまグノーの描いたストーリーと合ってる、と話は客観的なことだけで終わらせる。あ、細かいところはグノーの後ろに隠れるつもりだな、逃げられた、と個人的には好感は持てず。カウフマンに色々質問するな、ただ言うとおりにしろと頭ごなしに言って、裏ではファウスト役を変えようとしていたという風評もこういう人ならありうるかなと思ったり。人間、溜め込まざるをえないフラストが妙なところで噴出することはよくあるし、バトルのようなプリマな態度を急にとったカウフマンにも同情してみたり。演出家が枠だけ提示して出演者が悩みつつ公演途上で役を固めていく、というようなアプローチは現代舞台では普通なんでしょうか。演出家とオペラ歌手、どちらに非があったとしても、オペラ観客としては幕が開く前に演出も固まっていて欲しいし、演出に歌手のパフォーマンスが足を引っ張られた今回のプロダクションにはどうしても賛同できず。音楽に政治を持ち込むなと言われても今回は強制的に政治や過去の歴史を必然性もよく分からないまま絡められた訳で・・・ 次回全く違うアプローチを取ってくれるなら別ですが、個人的には今のところ危険演出家マークが付いてます。

巷の意見
こちらでは大抵の批判はこの演出訳わかんないというレベルで政治的や倫理的な話は全くないです。批判する人はもともとのグノーのファウストに慣れ親しんでいた人が多いかな。賛同派は興味深い舞台劇を見せてもらったという意見のようです。それは逆に今回初めて観るという人たちやつまらないと思っていたグノーを今回は面白く観せてもらった、あるいは今までオペラ歌手に期待することが考えられなかったような舞台演技がすぐれたオペラ歌手をポップちゃんに見出した感動だったり、というケースのような。どちらにしても今回の演出とグノーの音楽はばらばらに語っても、そこにシナジーがあったかどうかを語っている意見がまだ聞こえてこないのも不可思議です。オペラの演出ってそういうものになってきたんですかね。
マッカナフのインタビュー (みやび)
2012-02-08 18:02:54
>科学者がオッペンハイマーのラブを訪れた翌日に科学の道を放棄したという話が強烈に印象に残っている、と。

横入りしてすみません、私は日本語字幕しか読んでいなかった(どうせ聞いてもわからない)ので、原語と翻訳が違っていたのかどうか確認させて下さい。…と、そういいながら、すでに私の記憶が曖昧になっているところがなんともはや、ですが。
日本語字幕は「ブロノフスキー夫人と話したことが今回の演出に影響した」となっていました。「ブロノフスキーは物理学者で、長崎の惨状を目にして物理の世界から引いたのだ」と。(←これが違う!というのをご記憶の方がいらっしゃいましたらご指摘下さい。)

マッカナフのしゃべったことがKinoxさんのおっしゃるとおりなら、字幕の方を事実に合わせて補足あるいは修正したことになります。翻訳時に、逐語訳ではなく、わかりやすいよう補足されたり言い換えられたりということはあり得なくはない気がします。それ自体は構わないのですが、彼の実際の発言がどちらか、というのはマッカナフはこの演出にあたってどの程度のことを知っていたのか、あるいは調べたのか?というあたりに関わってくる気がして、ちょっと伺ってみました。
もちろん、こんなところに特に興味を引かれることも少ないでしょうから、Kinoxさんが「原爆投下後に科学から引いた科学者がいる」というところだけ記憶されていたとしても当然だと思いますし、実際のところ主旨はそれで正しいですし。仮に記憶違いをされていたとか、もう覚えていないとかでも突っ込むつもりではありません。私の記憶にも間違いがあるでしょう。ちょっと不躾な質問といわれればそうなので、失敬だとお感じになられたらお詫びします。

>人間の破壊・破滅が存在目的の悪魔にとっては、被爆に苦しむ人が集まる情景、これを素晴らしく美しい光景だと言っているのか、人間の苦悶の表情が心温まるような笑顔に見えるのか。

ここまで考えて演出しているなら、ある意味立派という気もしてきました。それを見せつけられるのが不快、というのは別として。
ワルプルギスの場面が嫌、という人は結構いるように思います。この演出でのあの場面は「地獄」を示してはいないように思いますが、やはり「被爆者が今もなお地獄で苦しんでいるような光景はみるに堪えない」とか「メフィストの手先となって原爆製造に加担しているなんて有り得ない」とか。たとえ、演出上の理屈がついたとしても、感情的に嫌だというのはあると思いますし、それは言ってもいいんじゃないかな、とも思います。
私自身は、字幕を追っかけていたのか、少々呆けていたのか、やっぱり見たくない感じだったのか、「にこにこ笑顔をみせる」も「water, water」も印象に残っていませんでした。

で、「water, water」、マッカナフは意味がわかって使っているのか?と。
Kinoxさんの「にこにこ笑顔をみせる」という言葉から私が思い浮かべたのは、「メフィストは被爆者を差別しない」のだな、ということでした。マッカナフはそこまで考えていないと思いますが…というか、もし考えていたのならキツイですね。彼らを差別して追い詰めたあんた達も同罪でしょ?って言われてるようなものですよね。

と、こんなことを考えていたのが重箱の隅をつつくというか、揚げ足取りとも見えかねない質問につながったわけです。こんなに言い訳するなら聞くなよ、と言われそうなのですが、やはり聞きたい気持ちが抑えられず…どうか、お許しあれ。
マッカナフのインタビュー (Kinox)
2012-02-09 08:20:38
みやびさま

いや、これは意訳ではなかったんじゃないでしょうか。わたしのあやふやな記憶の過ちでしょう。
ブロノフスキも不勉強でした。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jacob_Bronowski
たしかに日本での惨状を目にして生物学に転向とあります。

失敬なんてとんでもない、間違えを正していただいて、さらに自分でも調べ、ブロノフスキの著書を読んでみようかと興味も出てきたので、感謝あるのみ! です。素人耳さまもきっとそう仰ってくださると思いますが、横入り、わたしは大歓迎です!

> ここまで考えて演出しているなら、ある意味立派
わたしもwaterは気が付かず。フランス語のオペラだとしても、ここはブロノフスキのイギリス視察団の目に映った光景でもあった、ということだったんですかね。マッカノフはびっくりするくらい発言が少ないので、どこまで狙ったものなのか、どこまでわたし達のほうが意味を読み込んだのか、よく分からないところがありますよね。どちらにしても観客の我々はこれをきっかけに、派生してほんとうに色々なことを考えさせられてしまう舞台劇でした。

>「メフィストは被爆者を差別しない」
そうですよね、日本人の中でも差別ということがあったんでした。そうか… と、またじっくり考え込んでしまいます。

うーん、これは色々興味深い問題に繋がりますよ。素人耳さまの真似をして、今回の演出で思ったことを、それぞれ1000字以内にまとめて全員提出するように、と言いたいような、皆様のお考えになったことをもっと聞いてみたい、という気持になります。
ちょうど良いところにw (素人耳)
2012-02-09 13:00:03
みやび殿、横入り大歓迎じゃよ。あるいはMadokakip殿が現れてもw。まぁ、わしのblogでもないのに、なんじゃがw。

ところでお聞きしようと思っておったのじゃが、みやび殿はプレートル指揮パリ国立歌劇場o.、ドミンゴ、フレーニ、ギャウロフの「ファウスト」のCDをお持ちなんじゃろうか?LPでは出ておったようじゃが、現在CDは見つからぬので・・。あるいはmami殿はご存知かのう。
water (みやび)
2012-02-09 13:35:16
>ブロノフスキも不勉強でした。
>
>生物学に転向とあります。

いえいえ、私はたまたまMadokakipさんのところで「ドクター・アトミック」関連の記事を読んだ時(MET上演よりだいぶ後に)に少し調べまして、名前がうっすら記憶に残っていただけです。著書も今のところ読んでいません。知らない外国人の名前を一度で記憶するのは、私にはたぶん無理。
ブロノフスキーも、一般的な知名度が高いわけではないと思いますし…というか、生物学ですか?日本語で調べると科学評論家とか科学史家とか出てきたのですが…広い意味では生物系なんでしょうか。彼の主張は科学の倫理性の必要、科学と人間性の調和ということであって、物理学の世界を引いたといっても、物理学を否定したのではないと私は思っているのですが、何せ著作等読んでいませんので、単なるイメージにすぎません。

アダムズはジョン・ハーシーの「ヒロシマ」を読んで「人々が口にしていたのは水を求める言葉」と知ったそうですので、マッカナフもそのつもりで「water, water」と言わせたのかもしれませんが、でも「水ヲクダサイ」は特別(という認識に世代間差があるようだということを最近知ってショック)なので、あれでは駄目…というか、私的には「water, water」はヘレン・ケラーなんですが。

この演出については、ブロノフスキーが発端になっていることは確かなのでしょうが、「原爆を開発した科学者」のイメージとファウストのイメージが重なったということではあっても、原爆投下自体をメイン・テーマとして掘り下げているわけではないような気がします。なんですが、そのわりには具体的にリトル・ボーイとかファット・マンとかが出てきたりするので、意図が読みにくいというか。日本とアメリカではずいぶんと受け取り方に差がありそうですよね。

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