東海岸 - 音楽、食、犬の娘など

クラシック音楽、オペラ、食、ふわふわの犬の娘のこと、などをつれづれなるままに...

[ウェブキャスト情報] ザルツブルク、ナクソス島のアリアドネ (8/5 鑑賞後の感想追記)

2012-08-05 | メディアもの

 

3日追記: いよいよ今週末ですよ。
ゴールドの豹がらスーツの猫族カウフマン、なんて笑っていましたが、CSTMさまにメールで、猫とは非常に関連がある、と教えて頂きました(ありがとうございました!)
調べたところ、ディオニュッソス(バッカス)はお父さんのゼウスの替わりに豹に育てられたという説もあるそうな。それで豹の毛皮を纏ったり豹に乗っている絵を見ることもあるわけなのですね。カウフマンはディオニュッソスのようにわたしたち観客を熱狂の渦に巻き込んでくれるでしょうか、楽しみ!

 

 

注: メディチ視聴は、生放送、そしてその後の期間限定オンディマンドも無料です。配信期間はものによって1ヶ月から3ヶ月ほど。ログインしないで視聴すると、途中配信が止まってしまうことがあるので、無料会員登録してくださいませ。


カウフマンのゴールドの豹がらのスーツも話題になっているナクソスのアリアドネ(1912年版)、8月5日19時(現地)のライブストリーミング以降メディチで視聴可能だそうです。

静養明けのカウフマンがどういう調子なのか興味深々です。当初の予定のシャイーの代理で取り組んできたダニエル・ハーディングも楽しみです。

 

Daniel Harding  ダニエル・ハーディング 指揮  ウィーン・フィル

プリマドンナ/ アリアドネ: Emily Magee  エミリー・マギー
ツェルビネッタ:  Elena Moșuc  エレナ・モシュク
テナー/ バッカス:  Jonas Kaufmann  ヨナス・カウフマン
作曲家:  Thomas Frank  トマス・フランク

Sven-Eric Bechtolf ズウェン・エリック・ベヒトルフ 演出

 

ほか、以下の出演者
Eva Liebau (Naiad/A Shepherdess); Marie-Claude Chappuis (Dryad/A Shepherd); Eleonora Buratto (Echo/A Singer); Gabriel Bermúdez (Harlequin); Michael Laurenz (Scaramuccio); Tobias Kehrer (Truffaldino); Martin Mitterrutzner (Brighella); Peter Matić (The Major-Domo); Cornelius Obonya (M. Jourdain); Michael Rotschopf (Hofmannsthal); Regina Fritsch (Ottonie/Dorine); Stefanie Dvorak (Nicolina); Johannes Lange (Flunky)

 

トマス・フランクはわたしは知りませんでしたが、よっぽど声域が高い方なんでしょうか。
こちらのチラ見せ紹介クリップもどうぞ


オリジナル投稿日: 07-30-2012


(8/5 追記) 以下は鑑賞後の感想です、まだご覧じゃないかたはねたばれになりますので、ここでページを閉じてくださいませ

 



CSTMさまから、作曲家のアリアがない、ホフマンスタールと彼が恋していたアリアドネの正体オットニー*が出てくる、テナーも出てこないかも、と事前にお聞きしましたが、なんともこれは・・・

(* オットニー・デーゲンフェルト伯爵夫人。夫は早世、子供の誕生で車椅子生活を強いられ極度の憂鬱症に悩むオットニーは若い詩人ホフマンスタールと出会い、文通が始まります、書簡は本になっていて、当時の貴族社会と芸術との係りやシュトラウスとの創作活動が垣間見れるそう。興味のある方はこちらからどうぞ)

ハーディングの出だしが随分柔らかくて大人しいと思ったらそれもその筈、おやしきのリビングルームでのホフマンスタールとオットニーのまったりとしつつも感情的な会話から始まります。なんだかノリとして、もしやこうもり風になっていく? の予感。と思っていたら今回は貴族の主人は寝てしまうかもしれないセリアな「高尚」風な陳腐な音楽やおふざけや「若くて美しい女性」が歌うことだけが魅力の歌なんかがあって、どんどんオペレッタ調に。


俳優のオボーニャ


一般に身に着けておくべきとされる趣味や技(音楽やダンス、フェンシング)の練習なんかをする貴族の主人を滑稽に描いている部分やフランス語なまりでふざけるホフマンスタールも加わって、と貴族のばたばた劇があんまり長くて、とってつけたようなバレエなんかもなんだかなぁ。今まで慣れ親しんでいない版をこういう演出で出すことによって、現代の観客を実際にいらいらさせて、開幕当時の違和感と同じ思いを持ってもらおうということが狙い?

たいくつ


同じく歌わない俳優たちによるホフマンスタールとオットニー


オペラとおふざけが混在するこの作品の奇妙さ、その心は、ホフマンスタールを招いたおかしな貴族の思いつきだった、というわれわれ馴染みの版ではほんの数分のせりふで終わることを長々と、まぁ延々と経緯を実際に演技で見せてご親切に説明してくれるのですが。なんと面白みに欠けることよ。挙句の果てには貴族の「うちでオペラをやろう!」、発言の後、楽屋を見せて、薔薇の騎士やマルシェリン、エレクトラまでちらみせするという演出。わたしには想像力豊かなリブレッティストの世界を垣間見せてくれたというより、悪趣味で滑稽としか思えませんよ。(ここではカーラーを髪に一杯つけたイタリア人の我侭テナーとしてカウフマンもちらっと登場します。)

シュトラウスやホフマンスタールの最初の意図も、スノッブなくせに趣味が良くないパトロンへのいたずら心があったんでしょうが、わたしにとっての今までのアリアドネ観はこういうのとちょっと違う。シュトラウスはカプリッチョでもプリマ・ラ・ムジカかそれともプリマ・レ・パローレかの問題、一見それぞれ対立するかにみえる問題を扱っていて、結論はさすが、パローレを通じてでも筋を通じてでもも出してくれない。そういう結論を言葉ではださない終わり方や音楽からシュトラウス自身の意見はこうかな、とは想像するけれども、基本的には観客の皆さんそれぞれ考えてくださいましな、となっているんじゃないかな。アリアドネはわたしは「大衆芸能対芸術」のこれまた一見相反する問題の話だと思っていて、カプリッチョの答えをはっきり出さずに余韻を残した感じじゃなくて、おいしいとこ取りというか、二つの対立を止揚(aufheben)して第三の答えを出しているように見えるのが面白いところだと思います。馬鹿にしていたゼルビネッタも彼女なりの真剣な人生哲学があって、ソプラノ歌手も彼女から学ぶところがあったり、作曲家も惹かれてしまったり、というところは、この二つは相反する乖離した世界じゃないんだよ、ということを言っている、そしてギリシャ神話を題材にするとか高尚な芸術かもしれないオペラにしても、これも非常に美しくて盛り上がるんですが、詰まるところはすべての人々がピンとくる色恋の話だったりする所なんかも、あんまり妄想かもしれませんが、これはシュトラウスは片目をつぶった笑顔なんじゃないかしら、ふふふ、とわたしは思っています。

ということで最初は青臭いなぁと思っても心を揺り動かされれてしまう美しい作曲家のアリアがないだけが残念だっただけじゃなくて、プロローグでの登場人物の絡みも全くなかったので、上記の前提となるA対Bの命題が明確に提示されていなくて、単に貴族の悪趣味の反省話のようになっている、そしてプロローグが非常に非音楽的だった、ということで、この版はわたしはあまり感心しないなぁ。勿論わたしのアリアドネ観が絶対正しいとも思っていませんが、少なくともなんでもかんでもオリジナル版に戻ったら目新しい以外にもいいことある、かはとても疑問。そして今回の演出の味付けのホフマンスタールとオットニーについてもさほど素晴らしいとも感じられず、リブレッティストを持ち出したことでオーセンティックなものを見ている気にさせるだけで、なるほど、と思わせてはくれるような興味深い点もわたしには見当たらなかったので残念な演出だったと思います。

後半になってやっと音楽的になります。出演者が客席に座る劇中劇。ニンフたちの美しい歌唱に文字通りゆらゆらと揺りうごかされながら即座に「オペラ」の世界に入り込んでしまうオットニー。ここからは一途で道徳的な悲劇のヒロイン的顔と現実に素敵な男性に出会うとほだされてしまう顔を同時に持つオットニーの心の移り変わりと重なってくるということなんでしょうかね。


マギー、オットーニ役の美しい女優さん


モシュクは素晴らしい歌唱でよくやったとは思いますが、So war es mit Pagliazzo、美しい歌唱が心地よくていつまでも、というより、わたしはもう充分、早く終わってくれないか、なんて不敬な気持ちになったりしたのは、多少面白みと繊細さに欠けていたところがあったかもしれません。高音も出るけれど肉厚なところもある声色なので、次回は技巧的じゃなくて彼女のいい持ち味をよりドラマに活かせる役で堪能したいものです。その他の劇団のメンバーもなかなか、それぞれ次回が楽しみです。


歌わない俳優の作曲家とモシュク


 


エミリー・マギー、まぁ端麗で艶のある美しい声、早くメトに連れてきてください!!!


そしてカウフマン、堂々の歌いっぷり、気味がよいです。



ハーディングは前半は聴かせどころも少なくてぱっとしなかったけれど、いよいよカウフマンとマギーの二人の世界になる直前に一番のピークを持ってきたつくり、どきどきをしっかりと盛り上げてくれたのはさすがでした。


わたしは犬好きで、猫好きとは言えないんですが、野生の猫族の男性的魅力、そしてごろごろと甘えてくるのに圧倒的に心を溶かされ、否応なしに恋に落ちてしまう、いいじゃないですか! カウフマンの歌唱はわたしは完璧、実に素晴らしかったと思いました。アリアドネの心の変化をもうすこし動きでも表現させてあげるような演出だとより良かったけれど。
兎には角にも、愛こそすべて、色々煩かった登場人物もこれには引き込まれて、ホフマンスタールとオットニーもいちゃいちゃ。


ぐっと感動したのか、「自分は分かっていたようなつもりだったけれど」、となんでもかんでもだった趣味を反省する貴族、これはわれわれ観客の姿だったんですかね。わたしはそこまでは反省できず。今日の午後、この版をこの演出で観て唯一価値があったのは、マギーとカウフマンの何十分間かの歌唱、あの何十分間は本当に素晴らしかった、あれだけで午後を潰したかいがありました。堪能いたしました。



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12 コメント

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ほうほう (みやび)
2012-08-06 13:18:55
>オリジナル版

「町人貴族」が付いている版ってことですか?
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うーん (Kinox)
2012-08-06 21:14:51
もどき?、・・・のようなもの、という感じです。
このプロダクションはわたしはものめずらしさで一度見たらもう沢山、次回はいつもの版で見たいです。
返信する
アリアドネ (CSTM)
2012-08-06 22:05:37
Kinox-さま、

昨日のうちにもう立派な評をお書きになってびっくりいたしました。私は昨日はオペラの続きにVillazonのプログラムを見たりVerbier音楽祭の二三のコンサートを見た後、夜はメトのネと子ちゃんのマノンを,もう去年見たのだけれど、そのHD が近所のPBSから再放送されたのでしめしめ、と真夜中まで見てしまいました。それでアリアドネは楽しみにしていたわりには考えもせずにいたのですが,今朝になって評を拝見してよく分析していらっしゃるのに全く感心してしまいました。

私もオペラ歌唱のない、まるで下手なドタバタ演劇だけで出来ているような第一部にも、第二部のザービネッタの一座のしつこいほどの「アリアドネさまお慰め劇」には退屈させられました。ザービネッタのエレナモシュクさんは誰よりも活躍したけれど,普通の彼女の歌唱部分の二倍くらい歌ったのじゃないかしらと思う位、もういいよっ!と言いたくなりました。
第一部で大衆オペレッタの連中、音楽の先生、アリアドネ役の女優やテノールも出て来ない代わり、俄作り町人貴族が紳士になるための貴族学を執事やダンスの先生や料理人に全部教えてもらうドタバタ騒ぎ、衣裳だけで侯爵になりすませた町人のジョルダン氏 (名前??もう一度見ないとはっきりしない)はもともとバカバカしい部分を強調しすぎていました。
そうしてこの版で全体のつなぎのために持ち込まれたホフマンスタールとオトニーの求愛話も、ホフマンスタールの、手をかえ品を変えてパトロンとオトニー両方を説得するための大努力が最後の最後まで効を発さないで退屈なばかりでした。

けれどもプロローグのいい材質の、白に統一された衣裳は素敵だと思いました。大金持の話だからお金は十分誰にでもチップをふるまうし、従僕や料理人まで立派なお仕着せを着せてるよ,という所でしょう。けれどにわか侯爵の夫人がきれいな洋服を着て掃除道具を持って出て来て夫を怒鳴りつける合間に床を掃いたり拭いたりしたのには呆れました。
だから第一部、プロローグは普通のアリアドネのオペラと全く違う感じでしたね。原作のモリエールの貴族に対する皮肉や,ストラウス/ホフマンスタールの大ブルジョワパトロンに対する諷刺もこうなるとまあ趣味が悪い,と思われるだけでしょう。

けれどもストラウスの意図する所は Kinox-さまのおっしゃる事が正しいと思います。
『ア リアドネはわたしは「大衆芸能対芸術」のこれまた一見相反する問題の話だと思っていて、カプリッチョの答えをはっきり出さずに余韻を残した感じじゃなく て、おいしいとこ取りというか、二つの対立を止揚(aufheben)して第三の答えを出しているように見えるのが面白いところだと思います。馬鹿にして いたゼルビネッタも彼女なりの真剣な人生哲学があって、ソプラノ歌手も彼女から学ぶところがあったり、作曲家も惹かれてしまったり、というところは、この 二つは相反する乖離した世界じゃないんだよ、ということを言っている』
というのは全く同感です。私もカプリチオを去年見たときにストラウスの言いたい事がはっきり出ているのを始めて感じました。

この演出で感じたのは、 Sven-Eric Bechtolf氏の演出はユーモアをどたばたで出そうとした所は失敗してるけれど、第二部があくまでも大邸宅内の内輪のオペラ上演だという事をはっきりさせるためにいろいろ工夫していることでした。プロローグとオペラ公演の間に楽屋のシーンを入れて、カウフマンは縮れっ毛なのにわざわざカーラーだらけの頭にしてちらと出したり,オペラの場に客席を並べて偽侯爵に度々批評や口出しをさせたり,ホフマンスタール、オトーニーや作曲家を舞台に常在させたり、アリアドネにわざと昔のサラ・ベルナールあたりのつくり悲劇的動作をさせたり、バッカスに普通のトガ風の服装で突っ立たせる代わりに,豹のパンツスーツを着せて猫風に這い回らせたり、それからそれを一番はっきりさせたのは(もう一度見ないとよくわからないのですが)最後の最後、俳優に帰ったアリアドネとバッカスが舞台の後で公演の成功を祝い合い,その後で男優が後ろを向いた途端に正体をあらわして女優のことをばかにしたような顔(動作?)を見せるーーこういうさまざまな工夫をして、これはあくまでも現実ではなくて劇なんだよ,という事を強調しているところがベヒトルフ氏が持ち込んだ要素じゃないかと思いました。

始めにザルツブルグの前騒ぎから懸念していたほどEurotrash 的な演出ではありませんでしたが、成功はしていないと思いました。全く退屈だったのです。これは私がドイツ語がわからないという理由もあります。最後はさすがに待った甲斐はあったのですが、これは私がカウフマンひいきだからです。 Kinox-さまに申し上げたのですが、バッカスは最後に30分たらずしか歌わないのに、大分終った頃にチャッと入って来てチャッとアリアドネを取っちゃって、それで最後には拍手喝采をうけて、まるで鳶が油揚をさらうみたいでちゃっかり過ぎじゃないかと思っていました。けれどどの公演でも一応アリアドネとバッカスが主役なのだから、ほんとにずるいとはいえないんですよね。バッカスはどの公演でも英雄的に突っ立って歌って英雄的にアリアドネと海の彼方に消えて行く役ですから。カウフマン氏は、 Kinox-さまがおっしゃった通り立派な歌いぶりだったので、病気が全快したのだ,と安心しました。
これから一ヶ月間、時間があるときだけmedici-tvのライブ中継とアーカイヴを楽しませていただきます。
ありがとうございました。
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少しは反省 (Kinox)
2012-08-07 11:17:45
折角推敲してより面白いものにしたというのに、自分だったら書き直す前のもののグロテスクな部分をより強調したような滑稽な出し方をされたらイヤだろう、とつい腹が立った勢いのまま、見終わって半時間ぐらいの間に書いてしまったのですが、皆さまからコメントを戴いてほんと良かったです。

> もともとバカバカしい
>「町人貴族」が付いている版
> 衣裳だけで侯爵になりすませた町人のジョルダン氏
> 大金持の話だからお金は十分誰にでもチップをふるまうし、従僕や料理人まで立派なお仕着せを着せてるよ
> にわか侯爵の夫人がきれいな洋服を着て掃除道具を持って出て来て夫を怒鳴りつける合間に床を掃いたり拭いたり
> 原作のモリエールの貴族に対する皮肉や,ストラウス/ホフマンスタールの大ブルジョワパトロンに対する諷刺
わたしは見ているときは、町人貴族のことをすっかり忘れていて、朝みやびさまにご指摘いただいてそうだわ町人貴族もどきだったわ!でした。しかしプロローグ部分もこれも後の版との比較という視点じゃなくて最初っから素直に喜劇を楽しむつもりだったとしても、そうですね、わざとらしいどたばたの演出は、この人あほやけど憎めへんなぁ(と東京出身のわたしがなぜか関西弁になってしまうほどには)、おかしくなかった、です。

> 全体のつなぎのために持ち込まれたホフマンスタールとオトニーの求愛話も、ホフマンスタールの、手をかえ品を変えてパトロンとオトニー両方を説得するための大努力
今回気づいたのですが、作品の演出に作曲家や原作者のエピソードを持ち込む手法がわたしはどうも苦手なんだと思います。文章でそういう点を分析するのを読むのはなかなか興味深いですが、作品=作者や周りの実在人物という図式の欲張ったオペラ演出は、作品自体からは注意を逸らすし、作者の人となりの描写もオペラの場合は自由がきかないかなり限定された場で行うことになりますから、嘘っぽい浅薄な印象になってかわいそうと思ってしまって基本的に好感が持てないんだと思います。そうですね、ご指摘の通り、つなぎが必要、という観点は大納得するし、そしてホフマンスタールのミューズであったかもしれないオトニーをオマージュとしてぜひ登場させてあげたかった、かもしれない気持ちも分かる。しかしホフマンスタールは実生活からインスピレーションを受けたとしても、いったん作品に昇華させたものを、こういう形で、奔走する自分も実際に出てきて、オットニーとの関係をよくある「頑張って彼女をゲットした」的な次元に還元したようにも見える今回のプロダクションを見せられたら、わが意を得たり、で嬉しいもんなのかは、わたしには分かりません。

> Sven-Eric Bechtolf氏の演出はユーモアをどたばたで出そうとした所は失敗してるけれど、第二部があくまでも大邸宅内の内輪のオペラ上演だという事をはっきりさせるためにいろいろ工夫
> オペラの場に客席を並べて偽侯爵に度々批評や口出しをさせたり
> さまざまな工夫をして、これはあくまでも現実ではなくて劇なんだよ,という事を強調しているところがベヒトルフ氏が持ち込んだ要素
> 懸念していたほどEurotrash 的な演出ではありません
ほんとにねぇ、劇中劇を強調してプロローグ部分とオペラ部分との「つなぎ」を持たせるのに随分努力・工夫していたのでした。この頑張りを指摘されるとは、さすがCSTMさま。あの口出しやカウフマンが美声を響かせると、ひっくり返って驚く、のとかも、わたしは、わざとらしくてちっともおかしくないし、単純に五月蠅い!という思ってしまいましたから、大人げなかったです。

ホフマンスタールや楽屋の部分や猫族のバッカスは少なくともベヒトルフによるものだとは思うのですが、わたしはこの版の正確な内容は全く知らないので、「オペラ」編でその他の登場人物が口出し、の部分はもともとそうだったのか、ベヒトルフが付け加えたのか。
もともとあったのだったら、よくまぁマギーのあんな美しい歌唱を妨げて神経逆撫でするような絶妙なタイミングの演出にしたこと、なので、お見事、自分で付け加えたなら、このやろう!(笑)、です。

> 最後の最後、俳優に帰った
> バッカスが
> 正体をあらわして女優のことをばかにしたような顔(動作?)を見せる
そうだったんですってね。わたしは二人の完璧と言っていいほどの素晴らしい歌唱に、あたしゃこれだけで充分!とうっとり感動していたので気がつきませんでした。
> 鳶が油揚をさらうみたいでちゃっかり
とんでもない、わたしは二人の素晴らしい歌唱にほんと、それまでのぶーぶー思う気持ちを忘れて、救われたような思いでしたよ。

> ザービネッタのエレナモシュクさんは誰よりも活躍したけれど,普通の彼女の歌唱部分の二倍くらい歌った
町人貴族もどき部分をいくつかのせりふまでに短縮、「オペラ」部分のゼルビネッタの意味の無い技みせもばっさり。そういえば、この版のこのプロダクションを鑑賞して、もう一つ良かったことは、このプロダクションのおかげで、いつもの版でさえもどたばた秩序がないと思う人がいるけれど、あれは最初はここまでも退屈で散漫だったんだな、こんなのをタイトにして、意味的にも音楽的にもよりよい作品にしたシュトラウスの才能をつくづく感心したことでしょうか。あ、あとこれをきっかけに、最終版になるまでシュトラウスもホフマンスタールも随分苦労があったんだろうなぁということも想像できましたし、今回の演出ではそういう描写はされてないですけれど、芸術、ホフマンスタールとの交流を通して生きる気力を取り戻したんだろうオッターニの人生にも心を馳せられたのは良かったです。

まぁわたしも偏屈で意固地で理屈っぽいところがあるかもしれない。こんな見方をしてしまいましたが、十人十色、お客さんにも受けていたし、不運にもわたしの記事を見る前にうっかり読んでしまった方に水をさすことだけにはなっていないといいなぁ、とは思っています(そういう方がいらっしゃったら本当にごめんなさい!)


> 昨日はオペラの続きにVillazonのプログラムを見たりVerbier音楽祭の二三のコンサートを見た
ヴィリャソン、わたしも見ました。まぁモーツァルトを最初の一音から熱烈情熱いっぱい。うへっ、そしてこんな勢いだとまた喉を痛めるんじゃと心配になりましたが、幕間のこれまた熱烈な勢いの熱いインタビューを見て、あぁこの熱烈モードがこの人のどうしようもない地なんだ、それならば気持ちを込めるとどうしても熱烈になってしまうのは仕方ないんだな、と思えました。

わたしも感想は滞っていますがちょこちょこヴェルビエは鑑賞しております。いままでで一番素晴らしかったものは、トリフォノフのリサイタル。先シーズンはあちこちまわってたようで、カーネギー・ホールのをラジオで聴きましたが、チャイコフスキ協奏曲#1(このワンパターンのデビューのさせ方、もういい加減若い優勝者がかわいそう)はがっかりしたものの、その後の短いアンコール曲は自分はあまり好きでない曲でしたが、ちょっと目を見張るほど素晴らしかったです。今回のリサイタルはそのアンコール曲の素晴らしさの記憶の延長線上でしたよ。そして、レンタル期間中の今、もしCSTMさまがこれは!と思ったものがあれば、鑑賞してみたい、ぜひ教えてくださいませね。
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わからん・・・ (Kew Gardens)
2012-08-07 22:04:05
何も知らずに視聴しました。 長さが3時間12分と表示されていたので、MET Viewingみたいに休憩時間にインタビューでもあるのかしらなんて、思いながら・・・・。 

結果は、ドイツ語が全くもってわからないので、つまらなかった・・・。 オペラそのものも、あまりなじみがないですが、ズボン役が歌う音楽家を楽しみにしていたのに、でてこない。 後からネットでかる~く調べてみたら、演劇とバレイが含まれている話は以前から公表されていたことか。 さらに、町人貴族がついているので、セリフがフランス語風になまっている所があったりと、喜劇の要素満載で、とても笑える内容だそうです。 

肝心のオペラにたどり着いた段階で、疲労しすぎて集中力なし。 演出についてどうのこうの言えませんが、歌手はそれぞれよかったんじゃないかしら? って、われながら、適当な感想。 

E. Mageeは日本で、影のない女(皇后)や、Elsa (Lohengrin)で聞きましたが、体のわりに声が大きくないとか、高音がやせちゃうとか印象はあまりよくなかったです。 でも、今回はまろやかな声に聞こえました。 本領発揮かしら? まだMETでは歌っていないのですか? 欧州での活躍が最初みたいですけれど。 

Kaufmannは、本調子でしたね。 パッショネートで、なんか神々しいといったら変ですが、ヒロイックな歌いっぷりで、これがバッカス? と思ってみたり いえ、ご立派すぎちゃって、役にあっているのかと個人的に思っただけです。 人間の感情を表現するという意味では、前日に口ぱくベチャワの代わりに歌ったRudolfoのほうが興味があります。 そうは言っても、Prologueでのカーラーや、ピンを頭に一杯つけてオネエぶりを発揮したり、最後にAriadne役歌手から、あっさりとばいばいされた後の、Cosa vuole?風なイタリア人ジェスチャーとか、おもしろかったです。 あんな様子が見られる役って彼のレパートリーにはないですものね。

ところで、私もちらりと見ましたVillazon。 でも、彼、この後大丈夫だったかしら? ミューヘンのオペラフェスでのホフマンを鑑賞した友人たちによると、2公演とも悲惨だったとか。 特に2日めは、あきらかに高音がでないのを振り絞っている様子だったそうです。 不思議なのは、なぜか調子が悪いのでという事前アナウンスはなかったそうです。 今後はMozartのオペラなどを中心にしていきたいと話してそうですけれど、やるとなるときっと熱くなっちゃうのでしょうね。 自分をいたわってほしいです。
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おおぼけ・・・・ (Kew Gardens)
2012-08-08 12:59:36
同じ話をした気が・・・、ってVillazonのことでしたね。 失礼しました。 記憶力の低下というより、ア○○はいっちゃったあも。
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何も知らずに視聴 (Kinox)
2012-08-09 11:25:34
しても凄い!と思うのが本当は一番いいんですけれど、ね。

> 演劇とバレイが含まれている話
> 肝心のオペラにたどり着いた段階で、疲労しすぎて集中力なし
CSTMさまから色々ヒントを頂いていたのに、ちゃんと自分でこの版について調べなかったので、わたしもこんなに演劇部分が長くてびっくり、そしてわたしの場合次第にふつふつと怒りが・・・(自分が知らなかったのが悪いとも言えるが、笑)。

> 町人貴族がついているので、セリフがフランス語風になまっている所があったりと、喜劇の要素満載で、とても笑える内容
いやぁ、もうこんなもんだとご存知で納得されている方々は笑えるのかなぁ。それにしてもわたしもパイソン好きでどたばたも外国語アクセントねたも好きですけれど、この版も演出も毒気や皮肉っぽさがないストレートな古典的どたばた、ホフマンスタールのフランス人ぶりっこも最初の一瞬以降はさほどおかしくもない、かなぁ、そして今回のジュールダン氏、ずーと大声の叫び声で、そういう芸風のコメディアン演技をおかしいと思う人もいれば、すっと冷めてしまう人もいるでしょう。わたしの場合は怒りを増大させてくれただけでした(笑)。
ただね、今日調べていたら、当時の客も一幕後から大ブーイングだったそうですので、みなさまドイツ語に関してご謙遜なさっていらっしゃるけれど、面白くないと感じるのもさほど不思議ではないのかもしれないです。

> E. Mageeは日本で、影のない女(皇后)や、Elsa (Lohengrin)で聞きました
> 体のわりに声が大きくないとか、高音がやせちゃう
おぉ、そうだったんですか。やっぱりライブじゃないとミキシング技術で補正されたりすることもあるのかもしれませんね

> Kaufmann
> あんな様子が見られる役って彼のレパートリーにはない
鋭いご指摘、そうですね、ダークな声色の悲劇系? めちゃくちゃ上手いとは言えなくともカウフマンのコミカルな演技がちら見できたのは希少価値だったのでした

> 同じ話をした気が・・・
いえいえ、今後はモーツァルトなどを中心、というのは初めてお聞きしましたので。しっかし、熱烈モーツァルトかぁ・・・
返信する
おくればせながら (CSTM)
2012-08-10 10:58:08
Kinoxさま、 Kew Gardenさま、
私はいつも人の後について行ってやっと気がつくのろまですから、 Kew Gardenさまがおっしゃった「人間の感情を表現するという意味では、前日に口ぱくベチャワの代わりに歌ったRudolfoのほうが興味があります。」という意味が分かりませんでした。そしたらさっきザルツブルグの批評を見ていたら、ラボエームをずっとネと子ちゃんとうまく歌っていたPiotr Beczalaが土曜日の公演の十分前になって喉が潰れて歌えないっていったんですってね!ザ祭りの支配人のAlexander Pereira氏がそれを発表したら満員ブーって大騒ぎだったけど、その代役を確保するのに40分は待たなければならないと言ったそうで。でもそれをカウフマンを引き受けてくれたので皆大喜び四十分待つのも辞さなかったそうです。そうして、ほんとにカウフマンは家に居たときの格好のまんまへんな兵隊ズボンみたいなものをはいて白い下着みたいなシャツを着て出て来たんですってね。夕食もまだだったらしくて歌の間にサンドイッチむしゃむしゃプラスチックびんの水を飲んでましたって。
そうしてこの演出は特に全然新しくてとてもとてもリハーサルなしには出来ないという事で、カウフマン氏が舞台の左袖で歌い、ベチャワが口パクやったんですってね。Kew Gardenさまはそういう情報をちゃんと早く御覧になってたのね。私は唖然としました。カウフマンはそれで8月3日4日5日と続けて歌ったってことなんですか。そんなことして大丈夫かしら。まあバッカスは30分くらいだからそんなに辛くはなかったかも。でも指揮者が大の奇妙なDaniel Gattiでこの人と来たら表情は二つだけ、すごく早いかすごく遅いかのテンポで全部片付けるんだそうです。そんな人と一度も合わせずに歌うには『鉄の神経』が必要だと批評家が書いていました。
絶対に一生記憶に残るボエームだったと非常にほめていたので、カウフマニアの私はにやにやわらっちゃいましたね。ほんとにお疲れさまでした、と言いたい所です。ネと子ちゃんもとてもよく歌ったそうで、それも嬉しく思いました。彼女好きなので。

Villazonさんほんとに自分をいたわって上げて欲しいですね。私が見たのはドンジョヴァンニだったけど素晴らしい、声は全快したんだわ、と思ってひょっとみるとこれは喉をいためる以前の録音だったんですね。ああア。。。。。ととたんに心配にはりました。次のシーズン彼は私の市に来てヴェルデイのレクゥイエムを歌います。心配です。ソオプラのがMarina Poplavskaya なので私は気にいらないのですけれど。。。
返信する
さすがCSTMさま (Kinox)
2012-08-10 11:57:04
> カウフマンは家に居たときの格好のまんまへんな兵隊ズボンみたいなものをはいて白い下着みたいなシャツ
> 夕食もまだだったらしくて歌の間にサンドイッチむしゃむしゃ
いやぁわたしは口ぱくをしたというのは聞いていても、ここまで詳しいことは知らず、大笑いさせていただきました。まぁこんな公演に居合わせたらどんなに楽しかったことでしょう。

> Daniel Gattiでこの人と来たら表情は二つだけ、すごく早いかすごく遅いかのテンポで全部片付ける
あぁそうか、ああいうのを単細胞ととる方もいらっしゃるのでしょうね。わたしはラジオで聴いていましたが、濃ぃい(熱い?)けれどなかなかつぼを押さえているので、うん、ボエームはこれくらい大げさの方がいい、と、のりに乗ってラジオを聞いていました、あはは。
ネト子ちゃんは2幕が少々暗すぎるかという気がしましたが、わたしはめちゃくちゃ感動しましたよ、特に三幕。
他の歌手はベチャワは、On/Offのスイッチしかない感じが残念だったのですが、その後不調になったなら、そんなコンディションでよくあれだけやったな、と褒めたいです。マチャイゼはおばさん的な声のムゼッタで、ラジオで聴いていた限りではつまりませんでした。
ボエームのYoutubeはすぐに全幕出ていて、8月のウェブキャストのページに載せたのですが、今見たらすでに消去されているようです。わたしもまだ見ていなかったのですが、CSTMさま、ネト子ちゃんがお好きだったなら、メールでお知らせすれば良かった、気が利かなくて申し訳なかったです。
返信する
ボエーム (CSTM)
2012-08-10 22:34:33
『 気が利かなくて申し訳なかったです』なんて!!
Kinoxさまが何時もちゃんと(毎日?)いろいろしらべて掲載して下さっているのに
私が調べないのが悪いのです。ごめんなさい。
今 ボエームTV録画断片を見せていただきました。ありがとうございました。
最後の場面だけでも見られて嬉しゅうございました。ほんとにネト子ちゃんは健康美人過ぎますが、彼女は演技がうまいので、そら今から死ぬぞ、というのが信じられます。 Piotr Beczalaさんは去年マノンで見てなかなかいいと思い、ネト子ちゃんともよく息があっていたので今度のルドルフォもよかったでしょう。ちょっと見た所でも信じられるルドルフォでした。
ネと子ちゃんは『ダイエットは明日から』というのを信条にしてるほど食べるのが好きなんだから仕方がありません。けれども出て来た頃はほんとにほっそりといいスタイルですてきでしよねえ。
でもやせ細っているのよりはいいかも。私はちょっと前にナタリー デセーのAix-en- Provence祭だったかでのトラヴィアタをちょっと見ましたが、ほんとに惨めな位痩せてて、声もまだの高音は何とか出していましたが、瞬間声が割れましたし、ハラハラするほど可哀想でした。だからその反対の方がいいと思います。いつか KinoxさまのPostingで見せていただいたオペラクックのYouTubeのネト子ちゃん、口を突き出して片手を腰にあててパンケーキをひっくり返してた映像、可愛らしくて忘れられません。あの頃はまだ丁度いいくらいのふっくら度でしたけれどねえ。

今年のオペラニュース賞の受賞者、私もどこかで讀んで喜んでいましたが、8月7日のその掲載も又拝見して嬉しく思いました。受賞者の ミレッラ・フレーニ、ドーン・アップショー、DD氏、キーンリサイド、エリック・オーウェンズ、私みんな好きな歌手です。キーンリーサイドは特に。そしてドーン・アップショーも。エリック・オーウェンズはフィラのAVA出身でメトで大活躍していますし、ミレッラ・フレーニはドミンゴとの蝶々さん以前から大好きでした。もうとっくに受賞してもいい人です。
ありがとうございました。

ああそれから、『もともとあったのだったら、よくまぁマギーのあんな美しい歌唱を妨げて神経逆撫でするような絶妙なタイミングの演出にしたこと、なので、お見事、自分で付け加えたなら、このやろう!(笑)、です。』あれはだんぜんBechtolf氏の演出です。だから『このやろう』どころか『こんちくしょう!』
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