旭川美都にお付き合い頂き有難うございます。
これまで文化芸術都市北海道旭川で生まれ育ったアーティスト(文化人・芸術家・エンターテイナー)を紹介してきました。2021年東京(夏季)2022年北京(冬季)とオリンピック、パラリンピックが続く事もあり旭川出身のアスリートの応援紹介も始める事に致しました。
旭川市の文化芸術都市証明活動をする旭川美都らしくイラストを用いた応援紹介です。イラストを提供して頂いた作家さんも勿論旭川出身者です。
記事の最後にイラスト担当作家さんのリンクステッカーを貼っていますので、是非そちらもご確認下さい。
町田瑠唯さんは1993年生まれ北海道旭川市出身の女子バスケットボール選手。Wリーグ富士通レッドウェーブ及びWNBAワシントン・ミスティクス所属。ポジションはPG(ポイントガード)です。
※バスケットボールでポイントガードは司令塔的な役割を担う。チームメイトの特徴を知りゲーム(ボール)をコントロールする。コート上の監督とも呼ばれる重要なポジション。
バスケットボールを始めたのは小学校二年の頃、
友人と担任の勧めでバスケットボールを始めました。
中学校は旭川市立緑ヶ丘中学校へ進みバスケットボール部に入部。三年の時には全国中学校バスケットボール大会へ出場。決勝トーナメントに進みました。
高校は地元旭川を離れバスケットボールの名門、札幌山の手高校に進学。三年の時には主将としてしてチームをインターハイ・国体・ウィンターカップの三冠に導きます。自身は日本代表U-18に選出、アジア選手権に出場し準優勝に輝きました。
高校卒業後は現在も所属する富士通に加入。その年のU-19代表に選出、世界選手権でチーム7位であったものの町田選手はベスト5とアシスト王に輝きました。
2014年には日本代表(若手中心)に選出され、仁川アジア大会では銅メダルを獲得。
翌年のアジア選手権インド戦では16アシストを記録し優勝に貢献しました。
2016には、日本代表としてリオデジャネイロオリンピックに出場。結果、チームはベスト8、町田選手もPGでは二番手としての出場に涙を呑む事になる。
その後、日本代表としてアジアカップ優勝に貢献。Wリーグで二度目のベスト5に選出、四度のアシスト賞に輝く(2018年から三年連続)など輝かしい活躍をみせる。
Wリーグ前シーズンは全試合にスタメン出場。チーム全アシスト数292のうち町田選手のアシストは124、出場時間480:12という数字から彼女の貢献度とフィジカルの強さがみえてきます。
新型コロナウイルスの世界的感染拡大に伴い一年間の延期で開催された東京オリンピックで、女子バスケットボール日本代表は決勝で世界ランク1位のアメリカに敗れたものの、見事準優勝(銀メダル)に輝きました。
これまで日本代表として二番手三番手としての出場だった町田選手でしたが、東京オリンピックでは全6試合にスタメン出場。絶対的司令塔として世界にその名を轟かせました。
準決勝のフランス戦ではオリンピック1試合個人アシスト新記録の18アシストを記録するなど日本初のメダル獲得に導いた。
大会後のインタビュー(テレビ出演、雑誌の取材記事より)で「アシスト記録は周りのおかげ」「海外チームからの誘いに興味はあるがチーム(富士通)の優勝が優先」と謙虚で愛に溢れる姿勢も示します。スピードと高い技術に明るく控えめな人柄も評価され、世界中から注目の的となっています。
町田瑠唯選手は諦めない事の大切さを教えてくれた。
順々決勝のベルギー戦では残り約15秒、83-85の場面で、町田選手が基点となり林咲希選手の3ポイントシュートが決まり大逆転を収めた。フランス戦での大転倒後もすぐに立ち上がりディフェンスに加わった。
そもそも体格に恵まれなかった町田選手(現在身長162㎝、高校時代は150㎝台だった)バスケット選手として続けて行くか否かの岐路は何度もあったと推測する。その度に彼女はバスケットボールに対する愛と諦めない心で前に走り続けたのだと思う。
町田選手はこのオリンピックで身体が小さい事が、バスケットボール選手としてのリスクでない事を証明した。
そして日本のバスケットボールが世界に通じる事も確信させてくれた。
2022年2月14日、本場アメリカの女子バスケットボールリーグWNBAのワシントン・ミスティクスとの契約締結が発表された。Wリーグのシーズンの終了後に渡米しチームに合流。日本人四人目となるWNBA選手として始動した!
町田瑠唯選手の今後の活躍が楽しみです。
全力応援宜しくお願いします。
東京オリンピックでの功績を評価し旭川市は町田選手に市民栄誉賞を贈呈しました。
こうほう旭川市民「あさひばし」最新号(令和3年10月号)より
作家紹介
ささきさき
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旭川美都は出身アスリートも全力応援致します。