旭川美都

文化芸術の力で北海道旭川市と世界を繋ぐ!
文化芸術都市北海道旭川と出身アーティスト達の輝きをお届け。

豊嶋祐壹(声楽家・オペラ歌手・バリトン)

2019-03-21 12:20:27 | 輝く旭川人アーティスト達

文化芸術都市北海道旭川市。

そんな旭川市で生まれ育った素晴らしい才能の持ち主達を紹介しています。

本日も皆様に素敵な方をご紹介いたします。

豊嶋祐壹さんは旭川市出身の声楽家・オペラ歌手(バリトン)です。

(藤原歌劇団団員、日伊音楽協会会員、武蔵野音楽大学講師) 

 北海道旭川東栄高等学校卒業、武蔵野音楽大学音楽学部声楽学科卒業、同校大学院音楽研究科声楽専攻修了。

1998年『リゴレット』(ヴェルディ)のタイトルロールでイタリアデビュー。1999年3月藤原歌劇団公演『ラ・ボエーム』(ミレッラ・フレーニ、ニコライ・ギャウロフ共演)で日本ビュー。1999年よりリクルートスカラシップ奨学生として更にミラノにて研鑽を積む。

帰国後、新国立劇場にて『仮面舞踏会』、『トスカ』『ドン・カルロ』『ウェルテル』『カルメン』等に出演。

2003年12月より文化庁芸術家在外研修員として再度渡伊。最近では、欧州で絶賛を受けている、メゾソプラノの女王ヴェッセリーナ・カサロヴァとの『カルメン』で共演の他、藤原歌劇団公演『蝶々夫人』をはじめ、『オテッロ』『道化師』『ラ・ワリー』、第23回国民文化祭・いばらき2008の委嘱作品『小町百年の恋』や『白狐』『高野聖』の初演作品や日本オペラ協会公演『天守物語』、『春琴抄』の日本オペラ作品への出演の他、『ヴェルディ・レクイエム』『ドイツレクイエム』『スタバトマーテル』『カルミナ・ブラーナ』『メサイヤ』等のコンサートソリストとしても活躍。2012年夏には、ザルツブルグにて『かぐや姫』での公演や2013年のあいちトリエンナーレ『蝶々夫人』、藤原歌劇団80周年『蝶々夫人』にも出演。

2015年には、新国立劇場にてバリトンには数が少ないタイトルロールを『袈裟と盛遠』のタイトルロール盛遠役で好評を得た。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックの記念オペラの出演が決まっている。

 

生れつき片目が不自由だった豊嶋さんは、遠近感を感じ取る球技や運動が苦手でした。    

残るもう片方の目も極度の弱視で、小学校入学時も、市教育委員会より盲学校での教育を勧められましたが、両親の希望もあり普通教育を受けることがでました。

ある日小学校の校門で音楽の先生に言われた一言が現在の音楽活動のきっかけとなります。

「僕、器楽クラブでラッパ吹いてみない?」

それまで、あまり自分に自信がなく、何することなくフラフラしていた生活が活気あふれる、「目標」を持った生活となります。

中学3年生の夏、東京から指導に来た合唱講師の先生より音楽大学進学を勧められ本格的な音楽教育を受け始める。

音楽大学進学後、残るもう片方の目まで「網膜はく離」になってしまい、盲目の世界を味わうことになってしまったのです。

主治医の見解により「明るさは取り戻せるが、細かい字や楽譜を認識出来るまでの視力は難しい」と

だが、そんな中で豊嶋さんは音楽との新しい付き合い方を見つけたのです。

手術の恐怖と今後の生活の不安の中で、手術内に流れている静かな音楽に心が休まった。

闘病生活も、仲間が見舞いに持って来てくれたミュージックテープを聴き、ラジオの深夜放送に耳を傾けた。そして「音楽は、クラシック音楽だけでは

なく、様々な音楽が悲しい時には心の支えとなり、楽しい時にはより一層の歓楽を演出してくれる」と気付いたのです。

幸いにも手術は成功し、楽譜も読めるように回復できました。

その後、師匠の勧めでイタリアに留学。

初めての海外生活での言葉の壁、そして声楽活動において更なる挫折を味わいますが、貴重な経験が詰まった7年間となりました。昨年帰国。

自分の子どもが生まれたことにより、子どもたちに夢と勇気、そして『生きる力』を

与えたいと考えるようになったのです。

 

2002年社団法人日本青年会議所『人間力大賞』受賞 

これを機に「豊嶋祐壹スクールコンサート生きる力を伝えたい」を全国で開催。特に旭川市内 市立小中学校全学校巡回を目指している。

2003年第45回全日本音楽教育研究会全国大会旭川大会においてスクールコンサートの概要を発表。

2014年11月には、旭川信用金庫創立100周年記念コンサートを開催。

2011年旭川市観光協会観光顕功賞、2012年旭川ななかまど文化賞受賞。