The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

家庭

2024-03-14 | 2024年
 
家庭(かてい)とは、
生活をともにする家族によって営まれる集まり、
および家族が生活する場所を指す。
家庭は、「家族が生活を共有する場」であり、
社会の最小単位である家族と、
家族が生活する場を内包する概念である。
 
 
 物心がつく(2~3歳)ころから
 私は
 自分の家族(家庭)に
 漠然とした[違和感]を感じていました
 
 何が? そうさせたのか..
 長い歳月
 その起因となるものを理解できず
 そのつど起こる[違和感]による反応は
 家族の判断として[わがまま]という結論に..
 
 確かに
 物事の善し悪しの判断基準が曖昧な年ごろだと
  なぜ? 否定を受けなければいけないのか?
  なぜ? 規制を受けなければならないのか?
 そのことへの説明が成されなければ
 全てが納得の行かないことに通じてしまう..
 
 まして
 私の場合 末っ子で
 上の姉や兄が許されていることは
 自分にとってもそうであるのが自然..
 そう思って成長して来たから
 やがて
 姉や兄の経験に近づく年代になって
  あなたはダメ
 と 妨げを受けることには不服でしかない..
 
 しかも
 先に経験した姉や兄までもが
  この子には これはダメ
  こうした方がイイ
 と..
 自分たちの経験からの助言のつもりなのか?否か..
 
 さらには両親がその意見を取り入れて
 姉や兄の世代とは異なる世代感を持って生きている
 私の時代の概念を認めない..
 
 そんな家庭環境の中で
 私は 多くの意見に翻弄され
 また
 家族以外の人にも翻弄され
 挙句は
 経済的な不遇に落とされ
 もはや 私にとっての思春期は
 問題を抱えた大人たちばかりに囲まれて
 それぞれが
 自分の生活だけで精一杯..
 
 これから さまざまな判断をして
 これから 自分の生きて行く道筋を決める時には
 家庭の現状を突き付けて
 周囲の勝手な理屈に翻弄される
 
 そんな中でも
 自分なりに活路を見出して
 自分の目指したい道を望んだけれど..
 勝手な否定と勝手な決定によって
 私が家庭を思いやってのことなど
 認めることもなかった..
 
 誤解に渦巻く家庭の中で
 自分の真実を訴えても
 だれひとり
 理解して手を差し伸べてはくれなかった..
 
 

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固定観念

2024-02-17 | 2024年
 
 *****************
 子どものわがままの根底にあるのは
 「自分の思いをわかってほしい」ということ
  *****************
 
 「わがまま」とは、
 人の迷惑を考えず自分の思いを通そうとしたり、
 思い通りにならないと怒ったりする様子を表します。
 かわいいはずのわが子があまりに自分勝手な行動をとると、
 保護者は本当に困ってしまうものです。 
                       Gakken HPより
 
 
 私は
 家庭内に於いては
 最年少(末っ子だから..)
 15歳になる頃に
 突然 家の中で一人
 取り残されたかのような心境に陥った 
 それ以前とそれ以後とでは
 家庭の中でのスタンスが大きく変わり
 自分でも 
 どのように振る舞ってよいのか..
 戸惑う日々となった
 
 以前は
 年の離れた姉 そして兄に紛れた存在で
 誰にとっても
  おさなく「わがまま」な子だ
 という印象だった様..
 
 否 違う
 私はただ
 自分の感性のままに
 自分の気持ちを伝えようとしていただけ..
 
 人の迷惑を考えず自分の思いを通そうとしたり、
 思い通りにならないと怒ったりする様子
 
 私の思いには
 そういう発想は全くなかった..
 
 しかも 相反することに
 友人たちの間では
  末っ子なのに ちっとも
  わがままなタイプじゃないね
 とよく言われていたし
  周りの様子を良く感じ取って
  思慮深くて配慮がある (←先生の評価)
 と言われて
 リーダーシップを担う立場に立たされて来た..
 
 すると
 他人より目立つこと(リーダー)への評価はあっても
 人間性への評価については
  外面がいいんだ
 と言われてしまう..
 
 家族(特に両親と姉と兄)にとっての私は
 いつまでも いちばん幼くて
 前例としての姉や兄の当時よりも
 必ず評価が低い..
 
 それは
 自分たちの固定観念(=勝手な妄想)の結果であること
 私という人格を
  正当に見ることができなかったこと
 すべては
 自分たちの妄想の中に
  私を閉じ込めようとしていたこと
 
 恐らく..
 両親は 亡くなるまで気づけなかったろう
 と思うのです..
 
 
  ************
  概念 と 観念
  ************
  概念
  物自体に関したものであり、定義によって与えられます。
  観念
  対象物に対して心の働きが加わったもの
  つまり認識されたものです。
  したがって、
  概念は 外的・共通的なものであり、
  観念は 内的・個人的なものです。
観念は ある人が自らの心中に潜在している
「主観」「物事について抱いているイメージ」に囚われており、
 考え方が凝り固まっている状態。
 
  ―「概念」と「観念」の違い で検索して参照―
 

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トラウマ

2024-02-13 | 2024年
 
 ラウマ
 心的外傷、つまり「心の傷」を指します
 
 その人の生命、存在に強い衝撃をもたらす事象を
 外傷性ストレッサーと呼び、
 その体験をトラウマ体験と呼びます。
 
 トラウマ
 単なるストレスとは意味が異なり、
 過去に起こったストレスフルな事象が、
 後の人生に
 様々な影響を及ぼしているような意味で使われます。
 
 *****トラウマに苦しまないために*****
     (医療法人中沢会 上毛病院HPから)
 *******************************
 
 物心ついた頃から
 私の心に潜伏する家族への『違和感』
 というものは
 いったい? 何を基準として
 そう感じざるを得なかったのだろう..
 
 その根拠となる思考は
 成長と共に改善される..というものではなかった
 いや
 成長するほどに その感覚は増幅されたように思える..
 
 しかしながら
 その漠然とした感覚は
 私にとっては
 常に『満たされないもの』として根強くあった
 
 
 祖父母が居て
 両親が居て
 年の離れた姉 兄 が居て
 近くには分家した父の弟一家が居て
 母方の叔母たちがよく尋ねてきて
 家業に関わる人々
  従業員や取引先の人が
  日々やってきて
  近所の人も多くやって来る..
 
 そんな賑やかな家庭の中で
 大勢の人に囲まれていながらも
 常に孤独感があって
 満たされない感覚が強くあった..
 (to be continued) 
 
 

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違和感

2024-02-09 | 2024年
 
 違和感とは、
 [心理的な不快感]を指す場合と
 [物理的な症状]としても現れる場合とがある
 
  [物理的な症状]というのは、
  例えば、
  体調不良や病気の初期症状として感じる不快な体感
  違和感と呼ばれる。
  このような違和感
  自身の健康状態を把握し
  適切な対応を摂るための重要なサインである。
 
 
 [心理的な不快感]に伴う違和感
 自身の感覚や認識と現実の状況が一致しない時に生じる
 これは、
 人間が日常生活を送る上で自然と形成される期待や予測が外れた時、
 または、
 自身の価値観や信念と矛盾する事象に遭遇した時に強く感じられる。
 
 違和感は、
 人間が自身の認識を修正し、
 環境に適応するための重要な指標なる。
 
 ***webio.jp/content/違和感 <引用して転載>*****
 
 物事になじめない..とか
 居心地が悪い..と感じるさまに対して 
 幼なければ 幼いほど
 何が? とは表し難い.. 
 その様子を見て
 周囲の大人たちは
 わがままを言っている とか
 妙な子どもだ と 決めつけてかかる
 
 私は
 物心ついた頃から
 理由もなく
 大きな違和感を抱いて
 家族を観ていた自分(インナーチャイルド)
 未だに抱きかかえて生きている..
 
 

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こころざし_二巡目の人生

2024-02-02 | 2024年
 

誕生月 - The Way We Were

三月は好きですやはり誕生月というものは幾つになっても嬉しいものなのですね..還暦はもう過ぎました60歳というのは生まれた年の暦に戻ると言う意味で人生二巡目なのだなぁ....

goo blog

 
 2023-03-01 に書いていたこと.. 
 
  還暦はもう過ぎました苦笑
  60歳というのは
  生まれた年の暦に戻る
  と言う意味で
  人生 二巡目なのだなぁ..
  と 妙な感慨がありました
 
  その時 思ったのですらぶ②
  60年前にスタートを切った人生は
  今日まで生きて来た奇跡&軌跡&歴史
  これからの歳月は
  過去の自分と手を取り合って
  丁寧に 生きて行きたい と
 
 ********************
 
 私はもう 二度目の小学生..
 
 一巡目の人生は
 なにもかもが「はじめて」のことで
 目の前に起こることに一喜一憂しながら
 とりあえず
 毎日をやり過ごしていただけ..
 
 自覚もなく成長し
 周囲から示されるがままを
 必要なこととして受け入れて来ただけ
 
 やがて
 自立のころになっても
 その自立を親が望まず..
 否定や反対ばかりを受けて来た
 そういう印象と記憶は
 未だに払拭できていない
 
 あまりにも無知 否、無垢で
 自分の意思で何かを決断するという
 地力が希薄だった..
 
 しかし
 脳裏には常に
 自分の置かれている環境への疑問
 どうやって脱却できるのか が
 見い出せないまま悩み続けていた..
 
 現在 二巡目の人生と捉えて
 私は再び
 自分の成長期に悩まされて来たものごとを
 しっかりと検証して
  やはり私は何も悪くはなかった
  私の悩みは
  その他の家族の放置していた事象による
  不可抗力でしかなかった
 と..
 当時 最年少でありながら
 すべての事象に負担を強いられたような
 強烈なフラストレーションの因果から
 解放してあげたいのです..
 
  あなたは
  やさしい良い子だった
  あなたは
  周囲の無意識によって
  自分の道を閉ざされてもなお
  自分が咲く場所を求めて
  彷徨い続けたのだ..
 
 そして 現在は
 幸せな家族に囲まれて
 本来の自分を生きている
 
 

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