The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

私は良い子ではなかった..

2024-07-11 | 2024年
 良い子 悪い子 ふつうの子
 ある時代
 司会者が応募はがきのエピソードを基に
 笑いを取るような判定をしていたコーナーが人気でした..
 
 笑えるレベルなら まだ良し
 
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  二巡目の人生を歩んでいる私
 (還暦を過ぎた と言う意味です)
 
 お浚いをするかのように
 幼かった当時の自分を振り返りつつ
 懐かしかったり..
 恥ずかしかったり..
 後悔も多い
 
 幼いころに多くの時間を共に過ごした
 従妹のことを時折思い出す..
 年の離れた姉兄の居る末っ子の私にとっては
 唯一の 妹のような存在
 でも
 彼女は 長女
 
 各家庭内でのポジションによって
 年下ではあっても
 しっかりと 母親の手伝いをしたり
 何事も器用な従妹
 
 片や私は
 家の中では放置された存在で
 特に母親から家事などの教えは何も受けていない..
 
 求められてきたことは
 前例(=兄姉)の基準に従って
 その水準(=世間的な評価)を下げないこと
 
 等身大の自分を評価されたという実感がなく
 いちばん下で 片隅の存在だった..
 それは
 ある意味「死角」の環境下で生きていたようなもの
 
 だから
 自由になれる(できる)存在を自由に操ろうとした
 そう その一人が従妹
 
 でも
 従妹は気立ての良い 優しい子
 かつ 長女でしっかり者
 それが 良かったのだろう
 私の 悪気の無い浅知恵による提案にも
 単純には乗って来なかった(笑)
 
 私は 唯一自由に扱えそうな従妹に
 ある時は誰よりも親しみを抱きながらも
 一方では
 完全には自由にはならない年下の子に
 イライラする感情も多々あっただろう
 と振り返る
 
 大きな意地悪行為はしてはいない(詭弁?)
 とても可愛いいと感じつつも
 自由にならない相手に
 悟られないような悪感情は抱くこともあったろう..
 
 そんな自分を反省するからか
  きっと従妹は
  幼い時分の思い出として
  私には良い感情は抱いていないだろう
 と 未だに思う..
 
 成長とともに
 身近な存在でありながら
 母親の求める価値感の違いの影響で 
 進路も異なり 距離感が拡大した
 
 私は
  他の人よりも卓越した存在である
 ということを自画自賛され
 経済的にも 教育的にも
 そういう環境下に追いやられ
 ある時期までは
 酷く歪んだ優越感の中に居たように思う..
 
 

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