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The Way We Were

誰しも通り抜けてきた
切なくも愛おしい時代
My Adolescence

誕生月

2025-03-11 | 2025年
 いつのまにか
 三月=誕生月になりました。

 誕生日の翌朝の目覚めは
 久しぶりに夢の記憶がありました
 が..快い夢 というよりも
  やはり 私は
  亡母が嫌いだったのだ
 という実感を再認識
 
 人は 母から生まれるのだから
 誕生日には 少しはその母を想う..
 
 けれども
 自分が出産~育児を体験する中で
 [母の愛(=親の愛)]というものを
  親になって知る親の恩
 の言葉通りに感じられなかった..
 
 むしろ
 成長して行く子どもに関わる様々な状況下において
  やはり 私はおざなりにされていた
 という感情が勝って行った..
 
 子育て=人(ひと)育ては難しい 
 
 親の愛情が無かったわけではない、
 けれど
 育つ者に合わない感情と環境のおしつけ を
 [愛情]と思い込んでしまうと
 子ども本意ではなく
 親の都合でしかなくなって行く..
  しかし、それを
  子どもの[わがまま]とされる
 
 私が
 自己の経験を基に
 どれだけ注意深く自分を戒め
 どれだけ[愛情]を取り違えないように と
 心がけていてさえも
 現実 子どもに起こる問題への対処を
 冷静に判断できないことはあった..
 
 しかし、
 それは どんな親でも陥りやすい状況
 それを
 親である自分が どれだけ
 [客観]することに努めることができるか?
 一瞬でも
 冷静に 子ども本意の道を考えることができるか?
 という
 自己制御力が必要になる
 
 私の母は自分の感情=愛情が最優先
 そういう人だったから
 情に厚い と言えばそうとも取れる人ではあっても
 見境の無い自己満足の言動を取るでもあった

 それを
 悪気はない というだけの理由で
 親だから というだけの理由で
 もちろん 子供側には
 育ててもらったことへの恩義はあるものの
 自分の人生を封じ込められつつも
 忖度をして生きなければならないのか..
 
 親孝行は
 ある意味究極の忖度でもある
 
 そこへの抵抗感が強くなるのは
 育て&育つ関係を育む中で
 何かが 間違っているのだろう..
 
 私はこの歳になっても
 亡母への怒りの感情を
 夢の中で晒していた..