いつのまにか
三月=誕生月になりました。
誕生日の翌朝の目覚めは
誕生日の翌朝の目覚めは
久しぶりに夢の記憶がありました
が..快い夢 というよりも
やはり 私は
亡母が嫌いだったのだ
という実感を再認識
人は 母から生まれるのだから
誕生日には 少しはその母を想う..
けれども
自分が出産~育児を体験する中で
[母の愛(=親の愛)]というものを
親になって知る親の恩
の言葉通りに感じられなかった..
むしろ
成長して行く子どもに関わる様々な状況下において
成長して行く子どもに関わる様々な状況下において
やはり 私はおざなりにされていた
という感情が勝って行った..
子育て=人(ひと)育ては難しい
親の愛情が無かったわけではない、
けれど
育つ者に合わない感情と環境のおしつけ を
[愛情]と思い込んでしまうと
子ども本意ではなく
親の都合でしかなくなって行く..
しかし、それを
子どもの[わがまま]とされる
私が
自己の経験を基に
どれだけ注意深く自分を戒め
どれだけ[愛情]を取り違えないように と
心がけていてさえも
現実 子どもに起こる問題への対処を
冷静に判断できないことはあった..
しかし、
それは どんな親でも陥りやすい状況
それは どんな親でも陥りやすい状況
それを
親である自分が どれだけ
[客観]することに努めることができるか?
一瞬でも
冷静に 子ども本意の道を考えることができるか?
という
自己制御力が必要になる
私の母は自分の感情=愛情が最優先
そういう人だったから
そういう人だったから
情に厚い と言えばそうとも取れる人ではあっても
見境の無い自己満足の言動を取るでもあった
それを
それを
悪気はない というだけの理由で
親だから というだけの理由で
もちろん 子供側には
育ててもらったことへの恩義はあるものの
自分の人生を封じ込められつつも
忖度をして生きなければならないのか..
親孝行は
ある意味究極の忖度でもある
そこへの抵抗感が強くなるのは
育て&育つ関係を育む中で
何かが 間違っているのだろう..
私はこの歳になっても
亡母への怒りの感情を
夢の中で晒していた..