今日のあの日仙台に居た私は津波には免れましたが宮城県沖地震のそれよりも遙かに大きい地震に会いました、弟の家は瓦が落ちて交通機関はストップガソリンの品切れ食料品一人10個まで買うのに300人以上並んで避難所ではないので自分ですべて片付けや食料品の調達をしなければ、病院にも行かなければ薬が無いのです、つかの間のバスが運行しているところまで自転車行き乗り換えて何度も病院に電気は切れているしガスも水道も使えずに又再び乗り換え乗り換えて自転車で家まで、地震の日は有る施設で起きたのでスタッフが様子を見て夕方に成って送って頂きましたがほとんどの方は歩いて家に家は散乱していて携帯も繋がらずに近くが閖上だったので近くまで津波が来ていました、雪が降り寒さが有り長い揺れで大きいので電信柱も揺れていました生きた心地がしませんでした、早10年、まだ被災している方もいられます、そして3月で被災者への援助は打ち切りとなるとか、そうでなくても夫婦して大病年金は目減り食べるものと生活費は私が負担又地震が起きています、危なくないように体力のある時に少しずつ片つけています、生きているだけで有難いことです。怖い地震そしてコロナ病を抱えながら何とか頑張るしかありません。