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アコール カウンセラー日記

カウンセラーのブログです。

自分を知りたい

2009-09-04 23:53:41 | Weblog
10年以上前に企業セミナーの新人研修で
ある女性に出会った

彼女は精神的なセミナーは初めてだったという

「このおばさん、何言っているんだろう」と私に対する
最初の疑問だったらしい

自分って自分の知らない自分がいるの?
私ってどんな人だろう

素朴な質問から
彼女は自分自身と向き合ってきた
ただ純粋に知りたかったという

内面を探っていくうちに知らなかった自分が出てくる
知っていくうちに、周りの人のことが良く分かるようになってきた

当たり前のことだが、
仕事でもグングンと実力が付いてきて業績が上がった
そして、部下が彼女の人間としての魅力に引き寄せられている

今は中間管理職になっている

更に見つめると
孤独で寂しい自分のブラックホールに入った
そして生まれ変わる体験をした

歩くとどこまでも歩ける、ウォーキングハイだ!
人を包み込む優しさが湧き出てくる
自分の意見に自信が持てるようになった

・・・いろんないい事は起きてくるが、
彼女は、ただ自分を知りたいだけという

事実を知ることの醍醐味を知っている臭いがする。

秋ですね。

2009-09-02 21:09:26 | Weblog
2ヶ月も更新しなくてご心配かけています。

今年の夏は、梅雨が長くて体調も崩れていた。
2年前は肝臓を患って3ヶ月仕事を休んだ。
今年はどうも腎臓の調子が良くない。
睡眠が少ないのが敗因だと思う。

孫が生まれて1年半が経ち、子育てのサポートは
2つの仕事をしながらではきつかったよう。
どうしても頑張ってしまう自分のやり過ぎだ。

この1週間、娘親子が私の実家に行っている。
久しぶりの独身生活だった。

一人になる実感は、少ない洗濯物で分かる。
お掃除をしなくても部屋が汚れない。
音が静か、もちろん夜泣きがないから静か。

寂しい・・・
でもやっと一人になれた、懐かしさ。

可愛い孫が明日には帰る。
鬼のいない間の命の洗濯が今夜で終わる。

兄夫婦も疲れたことだろう。
こうやって子供は大人のエネルギーを吸い取って
成長する。
多くの人に育てられていることがあり難い。

私もあなたもそうやって育ってきたんだろうね。
秋の涼しさが睡眠を深めさせますように。

誕生日

2009-07-03 22:19:25 | Weblog
今日は私の誕生日
58歳になった

やりたい一日を過ごすことにした

仕事をした後、
母親の胎内にいた再体験をするべく
フローティングセラピーをやる
すっかり眠った

カーブスにワークアウトに出かけた
しっかり運動して汗をかいて気分がいい

家に帰ると娘が食事を作って待っていた
私の好きな料理を並べ、久しぶりにビールを飲んだ

その後は孫と遊んで、最後は負んぶして寝かせた

波乱万丈な人生だったが
滞りなく感情が流れるようになったのが嬉しい

辛いときは便秘のように詰まるけど
それでもずっとはそこにはいない
辛さも味わっていると次の思いが生まれてくるから

そんなことが分かるようになっただけでも
半世紀以上はかかるのだから人間は奥深い

生かされるこれからの人生が
事柄はいろいろ来るだろうがしっかり受け止めたい

そして、豊かな人生にしたいなと思う一日だった




梅雨

2009-06-20 00:10:34 | Weblog
長い間更新できなかった

孫、娘、私と時間差で起きる風邪や不調
2年前に肝臓を患ったせいもあり、この時期はだるい

そのうち、娘親子の断乳のセレモニーでの生活の変化
から来るいろんなこと

大変と思われることが起きるとずっと続くように思うが、
それはいつか終わり、次のことが起きてくる
「風邪はふく、川は流れる」ように滞りなく進んでいるのを感じる

セミナーハウスも探している
お知らせするまではまだだが
大きな楽しみだ





GW

2009-05-04 23:49:06 | Weblog
捻挫も回復してきたこのGWに、また孫を負んぶして
散歩を楽しんでいる

萌える緑の中を歩きながら、話したり、
つつじや蝶やカラスをみては背中で嬉しそうに笑う
この楽しいひと時を、朝夕にせがまれる

まだ小さいのに4月から保育園に行き始めた
泣きながら帰るのはママの方だが
二人で頑張っている

頑張りすぎてママの方は体調を崩し、
孫も深い泣きをした

その泣き方に私の傷がうごめいた


久しぶりにセラピストが付いてベイビーブレスをやった

出てきたのはその「深い泣きをする赤ん坊」だった
私自身だった

幼い日、姉が母親に分かって欲しくて足の関節炎を患って
訴えたとき、いても立ってもいられず、3歳下の私が姉の面倒を見た
初めて他の人にやってあげることであり、それは認められた事柄だった

姉の叫びに気付かない母に私自身が傷ついたのだ
かつて私の悲しみに気付かない母がいたから

しかし、母もまた、母の深い悲しみを
本当に理解できない祖母がいた
悲しみと怒りが交錯する

祖母と母と姉と私・・・それは娘にも孫へも続く道

諦めるように、受け入れるように、よーく分かって泣く赤ん坊がいた
そこに落ち着いた

やがて、母の背中に負ぶわれている私がいる
母は働きっぱなしだ

それでも、放っておかれるより背中で縛られても、
母の声を聞き、動作を感じているほうがずっと良い
母のうなじのホクロをみている私は母と一緒の喜びがある

背負われてきた私は娘を仕事をしながら負ぶをした
そして今は孫を背負ってただ楽しんで散歩する