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シロガネの草子

お怒りの伊都君様の小袿


 このお方は、近代女性皇族のなかで最高の美女と謳われる梨本宮伊都子妃です。御所風に言えば、伊都君様。この方の事は、皇室ファンで知らない人はいないでしょう。上の画像を見ましても「美貌」という言葉がぴったりです。長年日記を書いてらして「梨本宮伊都子妃の日記」として世に出ていますし、皇室番組でもよく取り上げられていました。あの例の記述ですね。

 美智子様伝説には伊都子妃の日記は、入江日記と共に欠かせません。これによって民間からお嫁入りされた美智子様は、やんごとなき方々から言われなき、イジメを受けたという半世紀以上に及ぶ伝説が誕生し、語り継がれ、そして美智子様は悲劇のヒロインとなったのです。現在は、皇后陛下に悲劇のヒロインの座は、受け継がれているようですが。日本人はとにかく「悲劇のヒロイン」が、ホント好きですよね~~。

 これも皇室の伝統なのでしょう。悲劇のヒロインの座は、上皇后陛下から皇后陛下へと受け継がれ、そして美智子様が(もしかしたら)一番恐れていたかもしれない、かつて平成の御代に、香淳皇后がさんざん言われていた嫁イビりをした酷い鬼姑の座に着かなければならないのですが・・・・困った事に美智子様は、最近捨て身の行動?をなされ、御痛わしい体調不良のせいは、心ない週刊紙のせいと抗議なさりました。ハ~なかなかご自身のお立場に馴染めないようです。


 「悲劇のヒロイン」の座でご自身がどれだけ恩恵をこうむってこられたのかそのご自覚がないのはホント困ったもんです。次は皇后陛下の番デスヨ。



 こちらの写真は、昭和22年(1947)11月の伊都君様は、もうこの頃はすでに皇籍を下りられ梨本伊都子となり平民の立場になられました。しかもご夫君である守正王が戦犯になりその間、多額の財産税をかけられ身の回りの調度品のみならず、ご実家の鍋島家が用意してくれた大切なティアラなどのジュエリーも売却するなど還暦を過ぎてはじめて金銭的な苦労をされました。美しいお顔に苦悩が見えます。

 あの時代は、皆等しくそれぞれ大変な苦労をしていましたが、分けて鍋島家の姫君に生まれそして、宮妃となられた伊都君様はさぞ大変な思いをされたのかは想像出来ます。

 その上せっかく焼け残った土蔵に残された衣類も泥棒に入られゴッソリと盗まれるなど酷い目に合ってもいました。

 今回、久しぶりに装束の紹介させて頂くのは、伊都君様がまだ皇族の身分でいらして、そして伊都君様が人生最後の装束をお召しになられた昭和21年の12月の出来事にちなむものです。

 その年の12月は、大正天皇20年式年祭が12月25日に行われる事になっていましたがその頃の伊都君様は、焼け跡に建てたお茶室を住まいとされ、財産の整理などでせわしなく日々を過ごしておりました。

空襲で宮邸が炎上した後に焼け跡に移築された茶室

 しかし20日、突然宮中から皇后陛下(香淳皇后)の代理で、玉串を捧げる「賢所御代拝」を命じられます。後、5日しか間がなく突然のことで大急で支度を整えるなどして伊都君様は、えらい目に合いまして、かなりお怒りだったようです。この時のお写真があります。


 お怒りを胸の奥に秘めての御大礼のさいの袿袴をお召しになられたとの事ですが、シロガネはてっきり昭和の御大礼の時の袿をお召しになられたとばかり思っていました。しかし、シロガネの持っている「宮廷の衣装」を見ていたらこの写真と同じ袿を、(正確には、小袿なのですが)見つけました。


 この小袿は、大正初期に大正天皇の妹宮の朝香宮妃允子内親王がお召しになられたとの事です。いつどのような時にお召しになられたかは分かりませんが、シロガネは、大正天皇の御大礼の時にお召しになれたと思います。だとすると他の女性皇族方も同ような小袿をご着用されたはずです。


小袿(表地)
 赤地に紺色の雲立涌を下文に黄色の鳳凰の丸紋を上文とした二倍織物
中倍
 黄色の平絹
裏地
 紅梅色の平絹



 この小袿の拡大の写真を貼りましたが、こうして見ますと、お怒りを胸に秘めてはおられますが、随分と華やかな小袿をお召しになられたと思います。しかし大正天皇の式年祭ですから、大正の御大礼の際のこの小袿をお召しになられるのは理にかなっていると思います。大正天皇への配慮でしょう。交流もありましたし。

 さて12月20日の大正天皇式年祭で無事に皇后陛下の代拝を務めるという大役を果たされた伊都君様は、翌26日に参内し、香淳皇后に拝謁しました。その日の伊都君様の日記。

「昨日の復命の為、参内。皇后陛下に拝謁。復命言上。『御苦労であった』との御言葉いただき、"象牙細工、大根にねずみの小さい小さい置物と、御反物として金150円"とを賜はり、退出す。失礼ながら、今の世に、150円の反物は何があるだろう。銘仙でさへ400円もするものを。」

・・・・・・とお怒りを込めて書かれております。

現在だと多分こんな感じでいらっしゃたかも知れません。

アニメ「ハイキュー!!」
 第10話・・・・試合に集中していなかった日向に対してマジ怒りの影山。

 突然の事でこっちはえらい目にあったのにもう少しその事を配慮して頂いてもいいものを。それが小さい小さい置物&銘仙一反分の金額にならないものが私の苦労への報酬というの・・・・・と、思いながら書かれていたのかも知れまセン。

 ちなみにこの時より、13年前の昭和8年(1933)の秩父銘仙一反のお値段は、8円50銭位だったとの事デス。400円まで値段が上がったのは、戦後のインフレで物価がはね上がった為です。香淳皇后の金銭感覚が、日々高騰してゆくインフレに追いつけなかったのは、無理ありません。

 やんごとなき雲の上の方々も戦後いろいろなご苦労がおありになったのはよく知られていますがそれもその一つです。


 御代拝をされる為、恐らく焼け残りの土蔵から、桐の衣装箱を取り出され、蓋を開けられた時、伊都君様はこの鮮やかな色彩の小袿を、どのような思いで見つめられたのでょうか、華やかなりし昔を思い出され、少しはお怒りをを鎮められたかは・・・・・ご本人にしか分かりません。



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