見出し画像

シロガネの草子

「生殺与奪の権をあんなK氏に握らせるな!」と、若宮殿下は『穢れたものばかり見ている』“硝子の十代„


菊池契月 『麗人』

~9月11日に2度目のワクチンを接種(ファイザーです)しましたが、翌日の日曜日から38度を超す熱が出て、一日大変な目に合いました。
2日で治まるとの事で、月曜日には確かに平熱になりましたが、ホントにクタクタになりました。まだ倦怠感が残っておりますので、ブログは追々、追加します。熱が出ない出るは運次第ですので、全ての人がそうなる訳ではありません~

姫宮の結婚の事はもうどうにもならないでしょう。ご結婚が現実のものとなって、当ブログでも様々なご意見が寄せられております。

ありがとうございます。色々な思いを知りましてシロガネはとても参考になります。しかしどうにもならないお気持ちを思いっきり書かれて、少しでも気が紛れるのなら嬉しいです。

他の皇室ブログでも元から秋篠宮皇嗣家に批判的だった所では鬼の首を捕った以上の批判の嵐が続いているようです。秋篠宮皇嗣家に心を寄せるシロガネはただ黙って見聞きするのみです。

姫宮はK氏と出会ってからもうその意志を固められていたとの事です。問題は臣籍降下なさっても姫宮が皇室という名の菊をずっと持ち続けている事に何の変わりも有りません。


その自覚を当の本人がどれだけ自覚がおわりになられているか・・・・その菊はどうとでも利用されやすいのです。


それは過去の歴史が物語っています。それ故に多くの人達が、この結婚を反対しているのです。

渡邊みどり女史のお目出度い祝福ぶりには驚きました。とても長年皇室ジャーナリストを続けてきた人とは思えません。華やかな過去に固執して柔軟に物事を客観的に見ることが、出来なくなっているのでしょうね。目が曇っております。

それにもうお年ですから、自ら取材にする事も無いでしょうし。

信用出来ない人たちにどうして姫宮を託すことが出来るでしょう。皇室はとても利用され勝ちなのは昔も今も代わり有りません。外国の王室も同じでしょう。

それ故に皇族の結婚相手というのは、周囲の“大人„が相手の人柄や周辺の状況を良く見極めて、キチンとしたお相手をセッティングしてめでたく結婚へ・・・・と言うのが本当の皇室の結婚なのだとシロガネは考えています。ましてや悠仁親王殿下の結婚はこうしなければ絶対に無理です。

皇嗣妃殿下はその手順を踏まずに皇室に上がられた方ですが、ご結婚前から朝日新聞?の記者に接触なさってご自分の考えを伝えられていました。きっと然るべき誰かが、セッティングしての事だったでしょう。

しかしキチンとした大物の後見人を持たれていらっしゃらない妃殿下はこれでもかと、週刊紙、そしてネットYouTuberの動画で叩かれていまして、そして彼らの飯の種になっています。

別の見方からすれば一部の国民に凄く尽くされているのです。妃殿下は金のなる木です。

でも妃殿下も悪いところは多々あるでしょう。イロイロとこなさなければならない訳ですから。しかしその悪い大本は皇嗣殿下です。

ご自分の考えを、頑固にお変えになられず、そのママ実行されて、妃殿下のご負担、宮家を支える職員達の物凄い心労を良くご覧になられて、上手に組織を作られなかったせいです。

いくら高学歴の官僚といえども、勝手の違うところではじめから、何でもかんでも上手く出来る人などおりません。本当にそういう宮家に尽くす職員が欲しければ、人材を育ててゆくしかないのです。


折角来た職員も・・・・


上に立つ人がブラックで・・・・


無茶なレベルの要求ばかりすれば・・・

例え宮家でも戦後育ちなのですから、


サーーと、


居なくなります。

それで又皇嗣家が
「兎も熊も!みんな集まれ~~♪♪」と言っても集まりません。兎も熊も逃げ出す皇嗣家何て呼ばれてしまいます。

それでは、残りの職員の負担が増すだけですし、妃殿下だって追い詰められてしまいます。

人材を育つのは、時間はかかるけども今のご時世ではそうしないと、やってゆかれません。あっそれは昔も同じでしたね。すいません😢⤵️⤵️

高卒くらいの子を宮家で雇って挨拶からお辞儀から教え混んでゆかないと・・・・。(それと、今時の子ですから、“バイトテロ„をさせないようきっちり、働くという意味も教えなければなりません)

シロガネの会社はそんな感じです。高卒から入った子もおりますし、もう50年もいる人がざらにおります。70代の人がゴロゴロおります。

出入りはありますが、伝統産業の会社では若い社員は結構おります。そして彼らが育って着物を作る会社の支えとなっているのです。でもそれでも足りないのかも・・・・こういう伝統産業の悩みです。

一応シロガネもその中に入っております。・・・・はい。

話は逸れましたが、一役も二役も演じなければならない妃殿下が、お可哀想で、仕方が有りません。明日はお誕生日ですが、もう既に文書はスッパ抜かれている有り様です。きっとこんな風に非難の嵐となるでしょう・・・・。

文化大革命で批判にさらされる王光美(おう・こうび)さん。元国家主席の劉少奇夫人です。


元々政治に関わっていませんでしたが、夫が国家主席になったので外交の場で持ち前の教養の深さや語学力を遺憾無く発揮して海外で大きく脚光を浴びたのですが・・・・・


文革の時にその時の振る舞いがブルジュア的だとレッテルを貼られて悲惨な目に遭わされました。馬鹿馬鹿しい大きなハートのネックレスはビルマから送られたルビーのネックレスを模しているのです。外交儀礼で一度しか身に付けなかったのに・・・・・。

それもこれも全ては・・・・・


毛沢東夫人の江青の・・・・・


物凄く嫉妬深い性格で目立ちがりやだった元女優の江靑は華やかに活躍する王光美さんに深い嫉妬心を持ち続けていたのでした。

毛沢東が再び権力を握り、江靑自身も表舞台に立つと文化大革命を利用して気に入らない人物を次々と粛正・・・・真の“DEATH NOTE„を使用していたのです。その筆頭に挙げられたのが、王光美さんでした。


批判大会でも気丈に耐え続けた王光美さんは、死刑判決まで受けたのです。しかし毛沢東から「生き証人を残すべき」とのことで、10年以上も監獄に入れられました。その間、暴力も振るわれることもあったようで、余りにも辛い経験からその時の記憶が“無い„ということでした。

夫の劉少奇はとても書けないほどの悲惨な目に合わされて病没。


釈放された後の王光美さん
文革が終わった後、すぐに釈放されてれますが、しかし数年は満足に歩けなかったそうですが、亡き夫の劉少奇と共に名誉を回復。その後は貧しい人達の救済に努めるなどして、穏やかな老後を送り、2006年に85歳で亡くなりました。


いつもニコニコ顔の写真が多い王光美さん。


江青はご存知の方も多いでしょうが、文革が終わった後、女優冥利に尽きる裁判という名の大舞台で主演を演じきり、1991年に自ら命を絶ったのでした。迷惑な人ですが自分が殺りたいように殺り、激しく生きて死んだ生涯だったのでした。

皇嗣妃殿下と小室K氏の母・佳代さんが似てるとか共通点があるとか言われていますが、同じ年という位にしかないです。

王光美さんと江青の二人の写真を見比べても、共通点なんか無いのと同じです。

王光美さん

江青(長年のストレスで髪が抜けて常にかつらを被っていました)
もう・・・・生き方や気性の顔付きが、物語っています。妃殿下と小室佳代さんの顔付きも同じです。生き方、心掛け、教養の深さが顔に出ております。

皇嗣妃殿下はまあ、気性の激しい所はあるようですが、それが妃殿下の本性かは、分かりません。


高畠華宵 『鈴蘭のたより』


お誕生日の文書も事に長女の姫宮の事などは、ご本心で書かれてはいらっしゃらないでしょう。無難にというか・・・・“わたくしの思いは、昨年とは変わりません„という事でしょう。

しかし・・・・姫宮のご結婚はもう確実なのですから、妃殿下のあの文章は・・・・


「娘の意思を・・・・尊重・・・・したいです。どうか・・・・」


ミッチー
「お願いします」


「どうか、お願いします。お願いします」

妃殿下のその願い、例え安西先生が許しても!


国民は許しません!!全く💢💢💨


「くっ」


「娘の生殺与奪の権をあんなK氏に握らせるな!それでも母親か!!」


「そんな願い通用するなら、皇室は瓦解する!!」


「笑止千万!!」


「皇族に国民と同じ人権はない!!あるのは名誉と尊厳と品格のみ!!」


「それ等を守る為に国民の理解と寛容によって国民の血税が遣われるんだ!!何故きちんと教えてこられなかったのか!!」

「“憲法„は国民の権利を守るものであって国民ではない皇族には通用しないと!!」

「皇室を尊重する国民が反対する内親王の結婚を、一体誰が尊重するかーー!!それが現実だ!!」


「そんなことで娘を守っているつもりか!!理解ある母親だと思っておられるのか!!」

「この不心得ものがーー!!母である前に戯けた姫宮の結婚を何としてでも止める、妃でなければならない筈だーー!!」


「今回のしくじりで、国民の信頼を喪った皇室を一体誰が将来背負うのか、言わなくともご自分が一番分かっていらっしゃるはず!!」

「・・・・」


橘小夢 『隅田川』


妃殿下
「あぁ若宮・・・・吾子よ・・・・」


高畠華宵 『男だ我慢しろ!』




高畠華宵 『月見草咲く頃』




若宮殿下
「穢れた物ばかり集めているよ・・・・輝きもない、夢もない、それが現実~~♪♪」

炭治朗
「俺は長男だから、我慢出来だけど、次男だったら我慢出来なかった!」


「オレも長男だから我慢出来たけど、次男だったら我慢出来なかった!!」


炭治朗
「痛たたた・・・・」


「俺は長男だ、長男だ・・・・」


高畠華宵画
「俺は、長男だ!次男のおもう様にはその気持ち分かんねーだろ」


若宮殿下が昨今反抗期とか・・・・これも成長の現れです。ご両親殿下はそれに対して、こんな風に・・・・


進撃の巨人のライナー

一歩も怯んではいけません。

・・・・妃殿下の歩みも決して容易な事ではありませんね。


高畠華宵 『木の葉舞ふ』
しかしここで妥協なされば、大変な事態になってしまいます。


高畠華宵・挿し絵
戯けた姫宮の事等で、あたかも全てご自分のせいにされて、泣き叫びたいほどの思いに駆られていらっしゃいとお察しします。

本当によく堪え耐えておられます。しかしその妃殿下の態度が又反感を買うようです。


あの小公女セーラが何故あれだけ苛めを受けたのかと多くの人達が疑問に思っていたのですが・・・・


苛める側のラビニア曰く、


ミンチン院長(苦労人)じゃなくって、


上皇后様
「そういう流れなら、わたくしが出て来るのは分かっていましたよ」


「“昔は憎かったけど、今は憎くはない。昔は私を超える存在だから憎かった„・・・・のだそうよ💢」

「全くもう💢💢💨恭順な飼い犬だと思っていたのに、飼い犬に手を噛まれたわよ。わたくしの晩節を汚したのよ!今回の一連の出来事で、わたくしは一番の被害者なのよ」


甲斐荘楠音 『女と花札』

皇后陛下
「今回の出来事で一番得しているのは、私よね。ざまあないわ」


「“(セーラが)落ちぶれてしまった今は憎くはないがイライラする。落ちぶれたんだから、惨めな気持ちになったり、負けた顔をすればいいのに„」

「“私だったら絶対にそうなるのに、あの子は惨めな気持ちを顔に出さないし、負けた気持ちにもなっていない。そこがイライラする、腹が立つ、だから苛めるのよ„」


皇后陛下
「ラビニアの気持ちって分かるわ~~~だってあの人、意地か世間体なのかは、知らないけど、昔からそういうの表に出そうとしないじゃないの」


いつもにこやかに弱音を表に出そうとされない皇嗣妃殿下


皇后陛下
「そういうの見ている側からしたら凄くイラつかせるの、だからあんな風に叩かれるのよ全くもう、もっと上手く立ち回れないの?」


鏑木清方 『薫風』


~~~♪♪♪(前曲)


・・・・生きてみれば 分かると思う~~♪♪


高畠華宵 『新柳』


『花のささやき』は妃殿下の心の内を現しているようです。


皇后陛下
「ねぇ私のイメージソングとかあるの?」


「三百六十五歩のマーチです。(即答)」


「幸せは歩いて来ない~~♪♪」


皇后陛下
「あっそう」


高畠華宵 『雁わたる頃』


・・・・雁がわたる頃に姫宮は、K氏の元に旅立つのでしょう。その日を指を数えて待ち望んでいらっしゃるのでしょう。


高畠華宵 『幻を追ふて』


文春によれば、姫宮は国民の祝いはもう、いいと仰ったということです。何の感謝も無いままという訳ではないでしょうが、申し訳ない程度のありきたりの言葉でも、文章にでも出されて出発されるかもしれません。

多分こんな風に・・・・

姫宮
『国民の皆さまにはご心配をおかけして申し訳ありませんでした。このような形で、国を出るのは心苦しいのですが、わたくしとK氏にとりまして結婚は互いに生きるのに必要な選択でございます』


『わたくしの選択には、様々な意見があるのは承知しておりますが、どうか、わたくしの思いをご理解して頂ければ幸いに存じます』

・・・・とかそんな内容の文章を発表されるのではないでしょうか?ん?あっ!申し訳ありません。似ていらっしゃるのでうっかり間違いました。こちらです。


栗原玉葉画・表紙絵
申し訳ありません。うっかりうっかり。文春や新潮等を読みますとK氏のご母堂とは、とっても仲が宜しいとか。連絡も良くなさっているとかで、仲睦まじいエピソードが書かれてありました。

ご母堂は知人に対して姫宮様のことを、


「姫宮様はね、ご自分のお母様より『K氏のお母様の方が好きです』と仰って下さるのですよ」


ドヤ顔
そう言っているそうです。そんなこと当たり前じゃないですか。(笑い)好きな人と結婚したければ、まずは、彼のお母様に気に入られる事。母宮・皇嗣妃殿下だって同じだったでしょう。聡明な人だったらそれくらい出来て当然です。

お若い頃の現・皇后様はどうだったかは、知りませんが。

・・・・それで、姫宮様は常にご母堂に

戯(たわ)け姫宮
「お母様、ご機嫌如何ですか」

そんな風に、常々とても気遣っていらっしゃるそうです。妃殿下だって同じく・・・・


妃殿下
「皇后様、御機嫌如何であらしゃいますか?御用多き事、御察し申し上げます。くもじながら(恐れながら・御所言葉)、わたくしがお手伝い出来ることはあらしゃいますか?」

姫宮のご母堂への態度は、幼い時から母宮妃殿下のお姿を常にご覧になっておられた賜物です。

妃殿下は、姑に仕える嫁の姿をお手本として、なさっておられたのに、まさかそれが、こんな結果となってしまったとは、子育ては難しいものです。

戯け姫宮
「お母様❤️大好きです」

ご母堂
「天使のような方❤️」

天使のような方・・・・その天使のような姫宮の事を、


「姫宮様はとてもご立派な方で。曲がったことはお嫌いで真実のみを信じて、ご自分の意見もしっかり持っていらっしゃる。僭越ながら同じ女性として尊敬・・・・大尊敬しております」

ご母堂は姫宮様の為にマフラーを編まれてプレゼントなさったとか。


ご母堂の耳を疑うような出来事が伝えられて、世間がパッシングしても一向に疑問も持たれずに、どんな時もご母堂の味方でいたそうです。古(いにしえ)の貞女の鑑のような姫宮様です。K氏も鼻が高いでしょう。


きっと将来、婦女鑑とかに掲載されるでしょう。


「Kと姫宮様は、いつもスカイプを使ってやり取りしています。Kは画面の姫宮様に『宮様はいつでも可愛いですね』と話しかけているのですよ」


「宮さまはいつでも可愛いですね❤️」


ご母堂はそう知人に


話しているとの事です。あぁいけない。またやらかしました。姫宮の画像はこちらです。


高畠華宵画・雑誌表紙絵


戯け姫宮
「お母様、ご機嫌如何ですか。私は何時もお母様の味方ですよ」

結婚前の姫宮のご母堂の仲の良さを讃えていますが、『渡る世間は鬼ばかり』を知らないのでしょうか?“渡鬼„じゃ結婚前は互いの関係がよくっても、『嫁・姑』の仲になったらとたんに互いの関係が悪くなる。

そういうものです。上皇后陛下と皇后陛下。ことに皇嗣妃殿下はまさにその通りだった筈です。

それは姫宮とK氏のご母堂とて同じです。


高畠華宵 『もみぢ葉』

戯け姫宮
「ふふふ・・・・自由の国で愛するKとやっと伸び伸びと暮らせる。生きられる」


高畠華宵
小室姫宮
「毎日が幸せよ。お母様とも上手くやっているし🎵」

しかし・・・・その数年後・・・・


高畠華宵 『香櫨の夢』


小室姫宮
「ねえ、どうしてこうなったの、私の何が悪いの?言ってよ。何で何で、Kは、何時もお母様の味方なのよー。可笑しいじゃない。一体私がどれだけ苦労したと、思っているのよーーー。私とお母様の何がそんなに違うのよ!」

「ねえーK!お母様と、妻である私と、一体どっちが大事なのよー。どーして直ぐ即答しないのよ!まともに答えられない何て、信じられない」

とかなんとか大方予想通りの有り様になるんじゃないでしょうか。そんな娘の暮らしを、静かな目で見詰める、妃殿下のお姿が目に浮かぶようです。


高畠華宵・挿し絵

妃殿下
「全ては・・・・」


妃殿下
「計画通り」

「ようやく自身の辿る道が間違いであったと気が付いたようですね。人生はそう上手くゆかないものなのです。ましてやあの人達と共に歩くなら尚更ですよ」

「あなたが、自身の愚かさを己自身で気が付いた時、どう進むのか、例え日本中から、それ、みたことかと馬鹿にされても、わたくしは見守ってゆきますよ。姫宮・・・・あなたも愛しい我が子なのですから」


ご本人ですよ。



令和の皇室は何が起きても可笑しくないサスペンス劇場。


伊藤小波 『母と子』




ランキングに参加中です。ご支援お願いします。

コメント一覧

フアン
おひさしぶりです。ちょっと体調崩してネットから離れている間に、いい記事が書かれていました。うれしくて、元気になれそうです。
シロガネさん、いつも場所お貸し下さって、ありがとうございます!わたしは、一流の財宝の中で育って、しかも一流の人々に接見なさって来た眞子内親王の目を信じたい人間です。
マスゴミ総出でシナリオ書いている「お相手母子」は、庶民の我々でさえ、一目でお近づきになりたくない雰囲気の方々です。どんな人脈使って、どこから連れて来たのか。画策した人々の情報も、ほんの少しではありますが、集まって来ているようです。
私自身、小学生の頃、短期間でしたが、一人が大声で捏造情報で誹謗中傷して来て、級友たちが一気に冷淡になったことがありました。後日謝罪されて、関係は回復しましたが、その最中と言うのは誰もが声の大きい者の言葉を信じ切ってて別世界に来たかのようでした。秋篠宮皇嗣両殿下の優柔不断に見えるご様子の裏にこそ、真実が隠されている気がしています。近い将来に真実が顕れることに、期待したいです。


2021年 09月 15日 眞子内親王は凄い才女
https://naruzu3.exblog.jp/32305226/
研究者コラム - インターメディアテク;巻貝の赤—辛螺(ニシ)色—
https://naruzu3.exblog.jp/iv/detail/?s=32305226&i=202109%2F14%2F78%2Fc0385678_17071014.jpeg
るりからくさ
眞子さまのコラムの文章は、冷静で深い学識が現れています。
この文章と、「生きていくために必要な選択」ほか、眞子さまの文章とされるナマナマしい文章とは別人が書いたのかと思うほどの受ける印象の差があります。
紀子妃殿下55歳お誕生日の文書も、よく読めばマスコミに報じられるような、年内入籍などは決定事項ではないように読めます。
一般国民にはうかがい知れない、皇族方の絶対的な階級制度において、妃殿下としてはこれ以上の発言は出来ないのではないでしょうか?
数々の疑惑が報じられるk氏の母は何故逮捕されないのでしょうか?
まさに秋篠宮家よりも上の方々への忖度に次ぐ忖度、何か大きな力が働いているとしか思えないのです。
事態の逆転をひたすら祈っています。
マグノリア
シロガネさん、おはようございます。
いつも拝見していて、シロガネさんのブログのストーリー性に魅力を感じております。
かつて「魔法のマコちゃん」というアニメがありました。
構成の仕方次第ではシロガネさんのブログにマッチするかも、と思いました。
主題歌は「どこからきたのぉ、マコ、ねぇマコ・・・」から始まります。

ブログからちょっとそれてしまいました、スミマセン。
ファン③の3
★JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク★
■■研究者コラム
http://www.intermediatheque.jp/ja/rescolumn
■■巻貝の赤—辛螺(ニシ)色— 2021,08,26
色の中には、生物から名付けられたものが幾つかある。例えば、キツネ色などは分かりやすい。しかし、時には一目見ただけでは分からない色名もある。私にとっては辛螺色がそうであった。辛螺色は、巻貝(辛螺)の貝殻の内側のような黄がかった赤色を指す。古くから使われていたようで、南北朝時代に洞院公賢によって書かれた『園太歴』には、御随身の装いとして、面が黄香で裏が紅の辛螺色狩衣が登場する。黄香とは、薄い茶のような色合いの香色に黄みを加えた色のことであろう。紅は鮮やかな赤のことで、二色の組み合わせで赤と黄の混ざった色を連想させた。江戸時代に伊勢貞丈が記した『安斎随筆』では、辛螺色は柑子色や甘草色に類するとされている。柑子色は蜜柑系の果実である柑子から、甘草色はユリ科の植物である甘草から名付けられており、いずれも橙系の色である。辛螺とは特定の貝を示す言葉ではなく巻貝の俗称なのだが、貞丈によると、辛螺色はアカニシ(赤辛螺)の色に由来する。画像は、IMTに展示されているアカニシである。普段は外側を見せる形で展示されているが、色彩を確認するために内側を見た。
思った以上に色が薄かったが、確かに橙がかった色合いをしているのが確認出来る。それにしても、生物の名を冠した色を目にする度に想像力を掻き立てられる。誰が、どのように付けたのだろう。「この色はまさにアカニシの色だ」と言い出した人がいるのだと思うと、昔の人の色彩感覚に感心せざるを得ない。
秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)
ファン③の2
★JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク★
■■研究者コラム
http://www.intermediatheque.jp/ja/rescolumn
■■グリプトドン骨格図 2021,08,12
この骨格図は、19世紀後半に教材として使われた教育用掛け図コレクションの一部である。描かれているグリプトドンは絶滅生物で、こうして見ると小さく見えるが、実際には全長3mにも及んだ。図の下部に記されているPanochthus(パノクトゥス)は属名である。上は横を向いた骨格図で、下は装甲に覆われた背中から尾の部分が目立つように描かれている。この図を見た時に、おそらく出典があるのではないかと考えた。調べてみると、古生物学者のカール・アルフレート・フォン・ツィッテル(1839-1904)が編集したText-Book of Paleontologyの第3巻「哺乳類」に掲載されている図123、図124とそっくりである。図123は、アルゼンチンのパンパス(大草原)で見つかったグリプトドンの復元骨格(装甲なし)を、図124は、ブエノスアイレス州のパンパスで見つかったグリプトドンの復元された装甲を描いている。図と共に記載されている文章はグリプトドンの外見描写で、歯から始まり尾で終わる。これらの図がグリプトドンの身体的特徴を説明することを想定したアングルで描かれていることを思うと、実際に教育の場でどのように使われたのか、想像がしやすい。
秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)
フアン③の1
眞子様の研究者コラムが、更新されていました! 長文、3本ですが貼らせてくださいませ。


★JPタワー学術文化総合ミュージアム インターメディアテク★
■■研究者コラム
http://www.intermediatheque.jp/ja/rescolumn
■■三足蟾蜍 2021,07,15
https://nipponwomamoru.at.webry.info/upload/detail/032/862/65/N000/000/000/162711355365371899109-thumbnail2.jpeg.html
栗本丹州(1756-1834)が著した『千蟲譜』は、その名の通り虫類についてまとめられたものである。当時の虫類の範囲は現在「虫」と呼ばれているものよりかなり広く、カニ、ナマコ、コウモリ、カエル等も含まれている。実物は既に消失したとされており、画像は二十点以上ある写本のうちの一点とされている。このページに描かれている「三足蟾蜍」は、三本足のヒキガエルの標本である。この三本足の蛙は、宝暦(1751-1764)のときに下野州都賀郡田所村(現在の栃木県)で採集され、薬水で満たした硝子壜におさめられ保存された。壜の口と蛙の口の間に糸のようなものが見えるが、これは蛙が外から良く見えるように固定するためのものであろう。所有者は田村元雄とある。田村元雄は栗本丹州の実父で本草学者である田村藍水(1718-1776)の通称と同一である。田村藍水は、平賀源内の発案で薬品会を主催した際に硝子壜の中の薬水に浸した蛤蚧(オオヤモリ)と鼉龍(だりゅう、カアイマンと併記されていることからカイマンのことと思われる)を出品しており、その図が『物類品隲』に描かれているのだが、硝子壜の口を紙と思しきもので覆いそれを紐で固定している形式は、この図に描かれている壜の様子とたいへん似通っている。液浸標本は今となっては良く知られた保存形態であるものの、江戸時代当時は西洋から伝わった最先端の知識であった。そのような知識に触れ得る人間は限られていたと予想できることからも、ここに記されている田村元雄は田村藍水のことで間違いないであろう。
「今ニ於テ其家ニ秘蔵ス一奇ト云フベシ」と書いていることから、栗本丹州は三本足の蛙を直接見て描く機会があったと考えられる。
秋篠宮眞子(東京大学総合研究博物館特任研究員)
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「秋篠宮皇嗣家」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事