今日は、大学入試の2日目だったみたいですね。
ニュースや日曜天国の放送を聞いていると
、自分が受験生だった頃を思い出したりいろんな人の受験にまつわる思い出を聞いてそっかそっかーとしみじみしています。
私は法学部への進学を第一志望にしていましたが、巡り合わせで社会学の勉強ができる学部へ推薦で進学しました。
大人になった今思うと、受験というのは自分のいくつかある進路選択にまつわるイベントの一つでしかなくて、その時にした失敗や後悔はいくらでも挽回できるんだよなぁって頭では考えています。就職や転職を選んできたように。
でも、心のどこかでまだ発達途中だった私たちの時間の中で、受験という存在はとても大きかったなぁ、あの時に感じた思いは1つの通過儀礼だったなんて言葉では片付けられない、大きな大きなものだったなぁって思います。
私は、学生時代、美人でもなければ部活をに打ち込んでいたわけでもなく、これと言って秀でているものがない、同級生と話すのにもとても気を遣ってビクビクしているような子でした。
勉強だけは、人より少しだけ出来たので、
私にはこれしかない!って勉強にしがみつ人と同じではダメだ、だって他に何もいいところなんてないんだから!ってコンプレックスをカバーするように躍起になって受験勉強をしていた記憶があります。
でも、受験って学力だけじゃないんですよね。ストレスやプレッシャーをどう流すか、自分がどんな進路を選択するか、塾や学校でどう人と関わるか、ケアレスミスばかりしてしまう自分でいかに戦うのか、
いろんな、本当にいろんなことを潜り抜けて当日を迎えて結果を受け入れなきゃです。
大学受験の時、推薦で進学することを最終的に決めたのは自分だけど、そこに至るまでには担任の先生や母親からの言葉がありました。受験勉強に打ち込み追い詰められている私を見て、周りの人たちはこのままでは2月まで体も心も持たない!と秋に決まる推薦での進学を強く勧めてくれたのです。
進学先での社会学の勉強はとっても楽しくて、今までコンプレックスをカバーするためにしていた勉強が、もっと知りたい!と前向きなものに変わりました。
だから、あのときの選択はうまく行ったんだなぁと思っています。
でも心のどこかで、自分の大学合格は受験日当日まで行き着かなかった挫折の1つとしてちょこんと居座っています。
私は去年の秋から司法書士になる勉強をしています。10年遅れてまた法律の世界を目指し始めたのです。10年遅れたことは私にとってとても意味のあることでした。
受験をした人もしなかった人も
合格した人も浪人した人も進路を変えた人も、みんなそれぞれの物語があるんでしょうね。
受験の先に続く世界は、当時必死で覚えた過去問のように⭕️❌をつけられないお話になっているから受かってよかった!あの時落ちたから今の自分はもう...とか、そんなことにはならなくて。
受験にまつわる思い出はその先の自分の人生の土台にしっかりとなってくれます。それはいい思い出だろうと悪い思い出だろうと。ただの通過儀礼の1つと割り切れない人こそ、その土台は確固たるものになるんだろうなぁと。
だから、今その瞬間に一生懸命向き合っている学生さんたちは本当に、本当に偉いなぁと。すごくすごく偉いなぁ、と。
学生さんたちをみると、大きな尊敬の気持ちと一緒にちょびっと涙が出そうなよくわからない気持ちが沸き起こってきました。