2023年5月19日、アメリカの二ューヨーク メモリアル・スローン・ケッタリングがんセンターにて、ザ・スミスのベーシストアンディ・ルークが逝去しました。モリッシーも追悼文を出したので、こちらのブログにも書きました。
亡くなってから、アンディのベースプレイ映像を観たり、過去のインタビューなど見ていて、「そういえば15年くらい前に、アンディとマイクの出てるスミスのドキュメンタリーあったな」と急に思い出して、見直してみました。2007年に発表されたTVドキュメンタリーInside the Smithsです。
あれ、これフォールのブログじゃなかった?スミスの話なのに、書く場所間違えてない!?…と思われたでしょうか。実はこのスミスのドキュメンタリーにマーク・E・スミスが出ているのです。(そんなおもしろいこと)見直して、思い出しましたw なぜ忘れていたかというと、マークのカットは3度も出てくるのに、本論とあまり関係ない感じだった(当時はそう思った)のです。
このドキュメンタリーには、元ニュー・オーダーのピーター・フック、バズコックスのピート・シェリーなどなど豪華な面々が出てくるのに、はっきり言ってみんな言っていることが薄め…(フッキ―は、アンディのヘロイン中毒解雇の件にウケたり)…とは言え、本人たちがスミスのことを何かしら言っているのが映っているので貴重と言えば貴重なのですが。その他いろいろ残念なこともあり、すっかり記憶を封印していました。
それでも何と言っても見どころは、40代になったアンディやマイクが、メンバーとの出会い、スミスがレコード契約を獲得する過程やモリッシーとジョニー・マーの関係を自分の言葉で語り、またアンディにいたってはヘロイン中毒に陥っていきスミスをクビになった経緯を赤裸々に明かしているところです。マイクは1989年に印税をめぐってモリッシーとジョニー・マーに対するいわゆる「スミス裁判」訴訟を起こし、100万ポンド(訴訟を起こした1989年のレートで約2億2500万円)の賠償金を勝ち取っていますが、その話はなかったことかのように構成されているのは気になるけど、ふたりにとっていかに、ザ・スミスこそがすべてであったかが、よくわかる記録です。
ところどころにアンディがベースを弾いたり(なぜかCemetry Gatesのモデルとなったサザン墓地で…マイクはドラムを叩く…)、ギターもつまびく珍しいシーンもあり、元気にイキイキとニューヨークを歩いているところも見れます。今となってはとても悲しいけど、嬉しくもあります。
前に見た時は「なんだかなー、このドキュメンタリー」と思ったけど、まだまだ若いエネルギーに満ちたアンディとマイクのふたりで、なんかやっといても(イケイケDJじゃなくて)よかったんじゃないかな~とかいろいろ考えてしまいました。
で、前置き長すぎ。
マーク・E・スミスですけど、スミスがラフトレードに契約したところとか、モリッシーの話のところに急に差し込まれてきます。
ちょうど50歳くらいの映像で、まだまだ彼も元気…だけど、本当に何を言っているかわかりません。何度も何度も聞き直して、それでも何を言っているんだか?マンチェスターアクセント、というかマークアクセントがほんとにわからない。アンディもマイクもわかりやすいし、比較的癖のあるフッキ―の英語もわかりやすいので、マンチェスターのせいじゃないな、と思いました。
かろうじて聞き取ったマークの話によると、
「ザ・スミスはザ・フォールと同じレーベルのラフ・トレードからだったんだけど、1981年のうちらのすぐ後に契約したんだよな。ファーストシングルは良かった。リーバー=ストーラーみたいなアレンジで、センセーショナルだと思ったんだな。当時としては非常にユニークだった」
…と高評価。ファーストシングルと言えば1983年の「ハンド・イン・グローヴ」なので、これをマークは好きなのかとちょっと意外。そしてリーバー=ストーラー(ジェローム・リーバー と、マイク・ストーラー)とは、アメリカの50、60年代のソングライターで音楽プロデューサーのコンビ。ストーラーが作曲でリーバーが作詞を担当。彼らの生み出した有名曲は「スタンド・バイ・ミー」「ハウンド・ドッグ」「監獄ロック」…などで、マークはスミスからそのような古き良きロックのテイストを感じとったらしくて「けっこうちゃんと聴いているんだな」と思いました。
また、かろうじて聞き取ったマークはこんなことも。
「スティーブンからは、電話がかかってくることもあった。でも、ほとんどの場合、俺はその内容がなんだかわからなかったよ。彼はいつも親切で、コミニケーションをとってくれた」
と、「スティーブン」呼び!!マークはモリッシーが「モリッシー」という確固たる地位を確立しても、人前で「スティーブン」とあえて呼ぶのが好きなようで、この呼び方にこだわっています。電話と言えば、Simon Fordによる”Hip Priest: The Story of Mark E.Smith and the Fall”という本に載っていたマークのインタビューによると、「モリッシーは俺のパンツを見たいのかトイレについてきたこともあるし、エロ電話をしてきたこともある」そうです(あくまでもマーク談)。 マークはおもしろいことは真顔で大袈裟にも言うことも結構あるので必ずしも真実ではないことを祈りますw
マークはまた、「ザ・スミスの良いところは、ある種の人たちに注目されたこと」とし、またマイクのモリッシー評を裏付けるような編集がされているカットの中では、
「でも、モリッシーはいつも自分が何をしたいのかわかっていたんじゃないか?」
それは尊敬している、と言っています。ここではマークは「モリッシー」と呼んでいました。主語が「スティーブン」ではなくザ・スミスのフロントマンであった「モリッシー」であることが肝で、この一言はたった一言ですが、ザ・スミスの結成から崩壊までの核となる部分を言い当てていると思いました。
そしてアンディもマイクもいろいろあったけど、ザ・スミスに関してこんなにキラキラした目で、単なるノスタルジーではなく「いまだ誇り続ける宝」として語れるのは、ザ・スミスのメンバーひとりひとりの稀有な才能とバンドの宿命を、理解していたからだと思いました。ふたりのインタビューからは、ザ・スミスでの活動になんの悔恨も残していないように思いました(特に裁判で潤ったマイク…と思うのはうがった見方かなw)。
アンディの追悼の一環で観たドキュメンタリーで、マンチェスターご意見番マーク・E・スミスがこんないい働きしていたことに気づくとは思いもしませんでした。「マークのカットは3度も出てくるのに、本論とあまり関係ない感じだった」とか昔思ったまま葬り去らなくてよかった。
アンディのおかげ。ありがとう、アンディ・ルーク。