こんばんは、かねこです。休みの度にサーフィンに行ってます。
もはやサーフィンのために生きていると言っても過言ではない(笑)
明日は地元・松阪市で松阪祇園まつりです。三社神輿が有名です。
私の家の前も通行止めになり、1日中賑わいます。
過去にはバレルズ活動としても松阪祇園まつりを観ているので、
ブログでご確認ください↓↓↓
https://blog.goo.ne.jp/a_barrels/e/c0971341ba26d08c90603a093b7b7702
祇園祭りが来ると夏だなぁって感じがしますね。
さてさて、暑い夏にホットな話題をもうひとつ。
松阪の偉人の一人、松浦武四郎が嵐の松本潤さん主演でNHKでドラマ化されました。
なんと祇園まつりの翌日の7月15日に全国放映されます。
公式HPはこちらです↓↓↓
https://www.nhk.or.jp/sapporo/nispa/index.html
ちなみにタイトルの「永遠のニシパ」のニシパは紳士という意味だそうです。
松浦武四郎は19世紀生まれの冒険家で、北海道の名付け親として有名です。
ここからは武四郎の豆知識を少し。
現在の三重県松阪市小野江町出身で、伊勢神宮の参宮道の近くに生家があります。
備前の松浦氏の一族らしく、松阪では庄屋の四男として生まれます。
庄屋なので、将来のために比較的に英才教育を受けています。
私は小学生のころに武四郎記念館で武四郎の手記を観ましたが、
ものすごい細かく几帳面に書かれていたことを覚えています。
伊勢神宮参りは江戸時代に大流行し、「伊勢神宮にお参りする」というと、
職場では長期休暇を出すのが当たり前になっていたそうです。
また街道沿いの家は参拝者をもてなすことも当たり前にあったそうです。
そして武四郎はもともと冒険への興味は高かったようで、伊勢神宮参りのために参宮道を歩く人から
全国各地の話を聞いていたという逸話もあります。
いや、もしかしたら、参宮道を歩く人々の話うちに冒険への興味が高まったのかもしれません。
その後、大人になった武四郎はいろんなことが縁で蝦夷地(後の北海道)を
13年間もの間、地理の調査するようになります。
調査はその几帳面な性格を生かし、とてつもなく精密な蝦夷の地図を製作します。
地名はアイヌ語にあて字をしたもので、現在でも多くの地名がそのときに付けられたものです。
また、武四郎は各地のアイヌの文化を尊重し、生活や文化も記録をしていました。
アイヌは文字を持たない文化だったので、その記録自体が貴重で、
今日にアイヌの文化を伝えるために大きな貢献をしました。
しかし、幕府や松前藩の方針は先住民のアイヌの人々を守りたいと
考える武四郎と相反するものであり、ケンカ別れのように幕府の役人をやめてしまいます。
江戸時代に松浦武四郎の名が広まらなかったのはこれが原因だと思います。
その後は一度も北海道を訪れることはなかったそうです。
アイヌの人々に顔向けできないと考えたのかもしれません。
しかし晩年には蝦夷地やアイヌの文化を伝えようと自費出版で何冊も本を出版しました。
武四郎の北海道やアイヌへの想いは、とても1冊では留めきれなかったということでしょう。
そういった想いがドラマではどのように描かれているのが楽しみです。
武四郎の晩年ですが、年老いてからも登山や各地への冒険はやめることはなかったそうです。
まさに冒険家!
ちなみに北海道はもとは北加伊道と表記されていましたが、明治に入ってから
今の北海道に変わったそうですよ。
もはやサーフィンのために生きていると言っても過言ではない(笑)
明日は地元・松阪市で松阪祇園まつりです。三社神輿が有名です。
私の家の前も通行止めになり、1日中賑わいます。
過去にはバレルズ活動としても松阪祇園まつりを観ているので、
ブログでご確認ください↓↓↓
https://blog.goo.ne.jp/a_barrels/e/c0971341ba26d08c90603a093b7b7702
祇園祭りが来ると夏だなぁって感じがしますね。
さてさて、暑い夏にホットな話題をもうひとつ。
松阪の偉人の一人、松浦武四郎が嵐の松本潤さん主演でNHKでドラマ化されました。
なんと祇園まつりの翌日の7月15日に全国放映されます。
公式HPはこちらです↓↓↓
https://www.nhk.or.jp/sapporo/nispa/index.html
ちなみにタイトルの「永遠のニシパ」のニシパは紳士という意味だそうです。
松浦武四郎は19世紀生まれの冒険家で、北海道の名付け親として有名です。
ここからは武四郎の豆知識を少し。
現在の三重県松阪市小野江町出身で、伊勢神宮の参宮道の近くに生家があります。
備前の松浦氏の一族らしく、松阪では庄屋の四男として生まれます。
庄屋なので、将来のために比較的に英才教育を受けています。
私は小学生のころに武四郎記念館で武四郎の手記を観ましたが、
ものすごい細かく几帳面に書かれていたことを覚えています。
伊勢神宮参りは江戸時代に大流行し、「伊勢神宮にお参りする」というと、
職場では長期休暇を出すのが当たり前になっていたそうです。
また街道沿いの家は参拝者をもてなすことも当たり前にあったそうです。
そして武四郎はもともと冒険への興味は高かったようで、伊勢神宮参りのために参宮道を歩く人から
全国各地の話を聞いていたという逸話もあります。
いや、もしかしたら、参宮道を歩く人々の話うちに冒険への興味が高まったのかもしれません。
その後、大人になった武四郎はいろんなことが縁で蝦夷地(後の北海道)を
13年間もの間、地理の調査するようになります。
調査はその几帳面な性格を生かし、とてつもなく精密な蝦夷の地図を製作します。
地名はアイヌ語にあて字をしたもので、現在でも多くの地名がそのときに付けられたものです。
また、武四郎は各地のアイヌの文化を尊重し、生活や文化も記録をしていました。
アイヌは文字を持たない文化だったので、その記録自体が貴重で、
今日にアイヌの文化を伝えるために大きな貢献をしました。
しかし、幕府や松前藩の方針は先住民のアイヌの人々を守りたいと
考える武四郎と相反するものであり、ケンカ別れのように幕府の役人をやめてしまいます。
江戸時代に松浦武四郎の名が広まらなかったのはこれが原因だと思います。
その後は一度も北海道を訪れることはなかったそうです。
アイヌの人々に顔向けできないと考えたのかもしれません。
しかし晩年には蝦夷地やアイヌの文化を伝えようと自費出版で何冊も本を出版しました。
武四郎の北海道やアイヌへの想いは、とても1冊では留めきれなかったということでしょう。
そういった想いがドラマではどのように描かれているのが楽しみです。
武四郎の晩年ですが、年老いてからも登山や各地への冒険はやめることはなかったそうです。
まさに冒険家!
ちなみに北海道はもとは北加伊道と表記されていましたが、明治に入ってから
今の北海道に変わったそうですよ。
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