行き先は、東京です。
経路は、八幡西区から、クルマで北九州空港
空路で羽田まで。空港へ降りたら、宿まで公共交通で移動
母の住むのは、都下・調布市内です。
あと、30分したら出発、母の家には午後2時か3時ごろですね。
こっちに帰ってくるのは、金曜の遅い時間です。
それまで、ここはお休みしますので、留守中ヨロシクです。
では、いってまいります〜〜〜〜
行き先は、東京です。
経路は、八幡西区から、クルマで北九州空港
空路で羽田まで。空港へ降りたら、宿まで公共交通で移動
母の住むのは、都下・調布市内です。
あと、30分したら出発、母の家には午後2時か3時ごろですね。
こっちに帰ってくるのは、金曜の遅い時間です。
それまで、ここはお休みしますので、留守中ヨロシクです。
では、いってまいります〜〜〜〜
長かったような10連休も、終わってしまえば、あっという間で、
耳に聞き慣れない新元号がスタートする中、
今日からエンジンかけて、お仕事に励まれている方も多いことでしょう。
わが家では、世の中の各方面とは何かにつけズレも大きいので、やっと明日から5連休のお休みがはじまります。
この機会に数年ぶりに上京して、80代の私の母の顔を見に行きます。
電話のやり取りだけだと、年齢なりに老化しているみたいですが、会ってみるまでわかりません。
上京したら、老いた母を連れ、お墓参りに行く約束をしています。
私の父は50歳を待たずに病没してるんです。その時、残された母は30代、私は中学生、妹はまだ小学校でした。
昭和も昭和、まだ時代は1970年代のことでしたからね。思えば時間は経つものです。
あの当時に住んでいた公共住宅なんて、もう老朽化でとっくの昔になくなっていますから。
思い出せば目に浮かぶものでも、今そこへ行っても、そんなもの跡形もないです。
ちょっと考えるだけで、ほとんど浦島太郎です。
実際、前回のときも、若い頃に入院していた病院や、暮らした街角を訪ねても、
あまりに様変わりしてるから、方角の見当すらわからないんです。
もう一度ひと目見ようと思い訪れたんですが、ひと目もふた目も、そんなの景色に存在すらしてません。
あれには驚きましたからねえ。人間の生きている間に、歴史は変わっちゃうんだなって。
たかだか、数十年です。
まだ、地方の景色のほうが、変わらないかなあと想像したんだけど、
それだって、今住んでる北九州でも、ふだんクルマで通る街中の道路が、昔は未舗装の砂利道だって聞かされて、
ああ、どこもおんなじなんだな。と、思ったことでした。
しかも、オリンピック前で建設ラッシュだから、あったはずのビルが消えて、見知らぬ建物があるはずです。
時の流れは、恐るべし
願わくば、昔は精神病院というのがあってね、
そこに障害者を閉じ込めてたらしいよ
ふうん、そうなんだ。今の時代で良かったけど、
そういうことしちゃいけないよね。
もう病院は、そんな昔語りにしてほしいけど、
今考えないと、その日はやっては来ないですからね。
先日、図書館で3冊本を借りてきました。
ぜんぶ、向谷地生良(むかいやち いくよし)氏の著書です。
1冊めに読んだのが、タイトル:「べてるの家」から吹く風(いのちのことば社)でした。
2冊めが、タイトル:ゆるゆるスローなべてるの家
副題:〜ぬけます、おります、なまけます(大月書店 ゆっくりノートブックス4)
これは、向谷地氏と、辻信一(つじ しんいち)氏の対談という形式です。
3冊目は、今まだ読んでる途中ですけど、
タイトル:統合失調症を持つ人への援助論 副題:人とのつながりを取り戻すために(金剛出版)
これから書くのは、読んだ内容のレビューだとか、これらの本の読後感とまた違うのですが
ふと、私が自分の生活の中で、思ったり感じたりした話についてのことなんですけど。
具体的には、家族とのやり取りの中で、起きた出来事に関してです。
誰でも、あると思いますが、何気なく言葉にしたことで、
よくよく考えてみれば、それ、もしかして、ちょっと気をつけないと、
マズイんじゃないか、みたいなことって、よくあると思います。
これもそういう内容ではあることなのですが。
それを書くには、まず多少その背景から説明がいるので、ここで、ちょっと前置き長くなりますが、
もともと私は家にいる頃から、まだ10代のときからでしたが、
自分の母親の用意してくれた食事を口にしたくなくなりました。
かといって、レトルトやインスタントとか出前のテンヤモノなども好きじゃないんで、
自然に自分の分は自分で調理をするような生活になっていたんですよね。
別に母が調理をした食事に毒が入っているなんて思いはしませんよ。
でも口にするのは、どうも何となく気持ちが悪いような気分を覚えるんで、
そうなったきっかけは家族の旅行中に一人で留守番しながら自炊をし出した頃からなのです。
もともと私は中学に入って、じきに不登校しだして、いつも家にいたから、
母親の調理するのは間近で見ていましたから、いつのまにか見様見真似で覚えてたんです。
だから急に始めたみたいでも。そういうことが私にもできたということなんで、
それは面倒臭いというより、むしろ作って食べるのが楽しく出来ていましたから、
続けているうちに、いつの間にか、少しも困らないで調理をするというのが身について、
買い物で食料品を選らんだり、家にあるもので作る料理を考えたり、そんな調理をすることも、
気がついたら一人前にできる能力はありました。
しかも、これを何十年と続けてきましたから、こう見えてもけっこう器用にやるんです。
かたや、家の奥さんというのは、正反対な生育歴の持ち主でして、
育ててくれた母親から包丁は危ないからと触らせてもらえないような接し方をされてきて、
いまだにリンゴを剥くときでも、信じられないような不器用な持ち方をします。
だから普段は達者な私が家では調理の当番をしてます。これはこれで上手く行くんです。
どこの誰だって、仕事で疲れて帰ってきて、それからオサンドンは、
どこの主婦だって億劫に感じるのは無理ないことです。
でもうちは、私が外で働けない・働かないような身であっても、家の用事は主夫の私がしますから。
このことは私は自分の中で納得ずくですから、自分の気持の上でも納まりがいいんです。
問題は、世間が持ってる要らない常識が、下手な作用を起こしてしまう場合があるんです。
昔なら、女性は料理ができるというのが、言わば花嫁道具みたいな感覚で、常識的だったりしますよね。
以前に私が利用してたデイケアでも、調理実習があると、どうしてそんなに上手なんですか、
そう言って、女性のメンバーは私の様子に驚いたりします。でもそれは錯覚ですよね。
女性だからできるとか、男性だから下手だとか、そうじゃあなくて、
いつもやってれば、そういうふうにできるようになるだけで。
さてさて。そんな、我が家では、妻の仕事が休みの日は、
家で調理の腕を振るうのは、私の奥さんの出番ということが定着してます。
妻:私が作っても、これぐらいしか出来ないから。
夫:いやあ、とても美味しいよ。
妻:でも、あなたが作ったときのほうが、もっと品数だって多く作るでしょ。
夫:別に作りたいから作るだけで、そんなことないって。
こんな感じで二人の間で、やり取りがありました。
前だったら、こんなことは気にしないで終わっていたんですが。
向谷地さんの考え方に触れてから、どうにもこうにも気になりだしたんです。
それは、何かが能力的に及ばないというのは、単純な足らないことに見ていていいんだろうか。
何かが出来ないということは、その人の能力不足を責められるような意味なんだろうか。
実際、この私にしても、今も外では就労して働かないし、過去に働いても、それを続けらるようにはいきません。
これは自分の能力が、そういう方面には適さないだけで、働こうにも無理だと身を持って知ったことです。
だから、非効率的に無理を押すような生活をするより、この自分に向いた暮らし方を選びました。
そういう養生を無視しない生活したからこそ、今は具合も安定し落ち着いて暮らしています。
だけど、私の妻の連れ子は、今は働くのが無理なくせに、自分は働けないからと、気を落としています。
外で働けなくても、いろんな暮らし方があるのに、それには目が向いてないような感じです。
だから思ったんです。世間では、何がふつうで、どういう風なのが常識だと考えるかも知れない。
でも、それが当てはまるのは、他の部分も、世間でいうような条件が該当する場合だけです。
つまり最初から、条件限定で適応されているのが、その当たり前というもので、
そこの最初からの条件が違ってる人に、そもそも当たらない話だろ、というのは明らかなのに、
それを頭ごなしに、何が普通で、何が普通に及ばないは、無茶すぎる判断なんです。
自分の現状を無視して、別の背景の人と、自分を比較しても、それ意味がないことですよね。
そんな風だから自分が病気や障害を抱えて暮らしている、この大前提を疎かにしてるんで、
そこの土台を忘れてるようだから、実際の積み重ねなど成せるはずない、という結果を招くはめになるんで、
それこそ、岩の上に家を建てる人の真似をして、砂の上に家を構えたんじゃ、大雨で流されます。
自分の足元を忘れて、上背だけ比べたら、身の丈が比較できるなんて、これ罠ですよね。
それは、比べる相手も、比較の仕方も、間違っています。
もっと別の言い方をしたら、表面的に、何ができる、何ができない、そういう比べ方は無謀で無分別なことです。
なぜ相手は、それをそんな風に出来て、自分がどうして、それをそんな風にやれないのか、そこには根拠があることなのです。
あまりに非科学的な、上っ面しか見てない心情論で生きてるんじゃ、本当に根が生えるような木は育てられないことです。
そういうことを考えてたんで、これを共有したくて、書かせていただきました。
この連休に映画を観て来ました。
今回は、妻が観たいという「キングダム」でした。
原作も知らないで、誘われて付き合ったんですが、
久々に楽しめた邦画のエンタテイメントだったなと感心しました。
ただね。それが歴史上の他国の設定ではあっても、これも紛れもなく戦争映画です。
しかも、見ていて、単純に爽快さを覚えてしまうようなテンポで魅せてくる演出でしたし、
これを見たあとで、何かを深く考えさせるような内容かといえば、そうではないし。
あられもない戦闘シーンの楽しませ方は娯楽以外の意味ではなくて。
そこ考えると、はっきり言って、私はいい気はしなかった。
今の時代、こういう作品には、金を出して作らせるんだなあって。
そういう点で、これでいいんだろうかなって。
いやあ、そういう時代なのかしらって、ヒヤリとしました。
なんか、今年の賞でも取りそうな小気味よさが薄ら怖かったなあ。
今から数年前、私は自分の再婚を期に転居するかたちで、ここ北九州まで参りました。私は当時、まだ都内で生活保護を受給しながら暮らす最中にありましたし。過去に何度か転居は経験してますが、東京からは出たことないし、まさか病気障害(=障碍)の身で、自分に1千キロを要す引っ越しが待っているとは予想もしません。ほとんど、もう外国へ移住する気分でした。「ああ、またこれで1年以内に再入院するハメだ」と、覚悟をしたくらいです。
それは、再婚相手の老いた父親に介護の手が必要になってきたので、郷里の身内たちから請われて、故郷である北九州へUターンをしなくてはならず。それで私も一緒に伴って移り住むことにしたという。そういう事情からでした。しかし、ここでややこしいのは、何も私一人ばかりではありませんでした。妻には二人の連れ子があり、いずれも成人はしていますが、どちらも障害(=障碍)があり、その子たちの面倒を一人親である妻が看続けているのです。
下の子は重い知的障害で施設で生活しています。そして、その2歳ほど上には、ちょうど昔の私の体験とも重なるような中学時代からの問題で、精神科に掛かりながら、家から出たがらない引きこもり状態を続ける昭和生まれの子供がおりまして。まあ、そういう子を抱えている事情のせいで、私とも出会うキッカケになったという、そんな経緯があったのです。つまり考えようによっては、その子が縁を取り持つ背景だったと言うべきでしたけれどもね。
転居にあたり、まず施設入所をしている子供には、転出先で別の施設を見付け出して来て、そこに入所ができるように手配を考えてやらないといけません。転居先が遠隔地なので、探して見学に訪れるだけで、それは一苦労な骨が折れますし。家から出たがらない子については、どんな風に交通機関の利用をさせたら移動ができるのか、それを思うだけで、けっこう気の重い話でしたから。私達がこうして転居できたのも妻の知恵と工夫だったのです。
こちらに引っ越してきてから、最初の年、ガンで入院する岳父のところへ、妻と一緒に私も何度も見舞いに行きました。翌年の春、亡くなりましたが、私に岳父と会話するような機会は持つことができませんでした。それは、認知症がすでに進行していたからです。私は自分の父を早くに亡くすという経験をしてきたので、自分が岳父とも話が出来なかったのは、その相手をせっかく目の前にしながらも、何も語り合えないとは残念な心持ちが致しました。
妻の母親は夫を看取ったあと、一人暮らしを続けている気丈な頑張り屋さんなのですが。去年でしたか、救急車を呼ぶ経験をしたあと、周囲からしても心配があるし、本人も自信は持てないし。それで、今は妻の同胞が一緒に生活するという選択をしたのが、最近の出来事です。私たち夫婦の家からクルマで10分ですが、ともに暮らすに勝ることはありません。近頃は、お母さんも無理をしてまで強気は張ることはしないで済んでる様子にも伺えます。
さて、ここまでは前置きなのです。私が思い立って、ここへ書いておこうと考えたのは、何でこんなに「引きこもり」という生き方を大勢の日本人が選んできているのか。その理由について、私なりに謎が解けた部分が見付けられたので、それを多くの方たちとも共有を図りたいなと感じ、それを記すべく、こうして書き出したところです。一部の人は、そうまでして自分の恥を書き連ねなくてもと、思われかも知れないが、そこをも指摘したいからなのです。
私がこれに気が付けたのは、最近ある上映会で観た映画『夜明け前・呉秀三と無名の精神障害者100年』であり、それと並行して催されたシンポジウムが、キッカケとなり、自分の中でコネクリ回すように考える中で、ああ、そういうことが背景なんだ。と、気が付けたのです。何だか勿体ぶった言い回しにも聞こえることでしょうが。ある程度ややこしいというか、盲点のような世界なので、別の見方をしてほしいと強調したいので、こんな風にしています。
それは過去の時代において合法的な私宅監置がなされてきた日本という国であった訳ですが。その座敷牢と呼ばれた場所に、病気・障害(=障碍)の人間は閉じ込めにしておけば構わないのだとされてきた時代のコンセンサスが、未だに潜むかのように燻り続けて残ったままであるせいで、そうした偏見でも、非人道的な非常識であっても、社会の人々の心の中で、打ち消されることなく残ってきて引き継がれてきているまま伝えられてしまっていたのです。
その間違った過去を意識して否定をしていないままにしておくと、結果として、今の時代に何が残るかといえば。それが一方では「イジメ」になったり、さまざまな「ハラスメント」の起こる原因にもなっているし。また他方においては、なぜか「引きこもり」という生活スタイルの選択を押し付ける社会ができてしまっている。そういう困ることなのに、何故それらが終わらないかといえば。根本は過去の間違いに無自覚なままでいる無責任さがさせるのです。
これは言わば社会の中に横たわる「コンプレックス」ということです。日本で「コンプレックス」というと、端的に劣等感の意味に受け止めている人が大勢いますが。これは少し違う部分があります。「コンプレックス」は正確には、本人が無意識的に心の中に持ち続けている思いのせいで、気が付かないうちに自分の行動が左右されてきてしまう。その心の中の仕組みのことを指してるのが「コンプレックス」という言葉が意味してるところなのです。
例えば、ここに人前で恥ずかしい思いをさせられた過去を持つ人物があったとします。それが思い出すのも辛いので、過去にあった事実は記憶の中から取り出せないくらい深くに仕舞われている状態になったとします。その人は忘れてるんだけど、何故か人前にいるのが気詰まりで、どうしても人中に出られなくなる。自分では理由が思い出せないのに、なぜか人を避けてしまう。この人が心理療法を受けるうちに、忘れていた体験を思い出す。
すると、得てして起こるのは、その気が付かない内に自分が左右されていた、その訳が分かったときには、あの時には、ああいう風だったんで、別のときには、それはそれで、別の対処を考えれば、人前に出てもやっていけるんだ。そういう洞察を見出すようになることがあります。つまり、意識に昇るのを封じていれば、気が付かないうちに同じことを繰り返して止めることもできなくなるけど。原因になった理由がわかれば変えられる部分になるのです。
これは、この私設監置でいえば、村々の人、地域の人間は、そういう人間は人目につくような場所に生活をさせていてはいけない。そういう判断があるから、座敷牢を作るし、それらの人は閉じ込めてしまうのですが。それは、やはり押し付ける側でも辛い思いはすることです。そうさせてる人々にしても思い出したり、考えたり、話題に取り上げたりは避けたいことになりますから。口に出して言うこともしたくないから忘れたい事実になります。
忘れたい事実は、いつの間にか人々の間には伝えたくない事実、触れたくない現実として、なるべく封じ込めておきたい気持ちになるので、それが全く伝わらないかといえば、これは無意識に対して、あまりにも無防備すぎた行動なのであって。知らないふりと、本当に知らないとは別の話であって。避けてることは、避けてるなりに、相手にも伝わっているというのが、人間の心の無意識こそがなせる技でもあるのです。見ないふりは伝わる。
話が飛ぶようですが。戦争が正確には伝わらないのも、そこの問題です。いいですか。被害体験の口伝だけでは、本当の戦争の悲惨さは継承されないのです。触れたくない部分。つまり加害行為、暴力体験としての戦争の痛みを語らないことには、戦争は不味い、絶対に避けなきゃいけない。これが伝えたくても伝わるはずがないのです。酷い目にあったと、いや、それ以上に、卑劣な行為をしてしまった。ここを語らないとイケないのです。
嫌なこと、見たくないこと、これに対処するというのは、その現場、その時代、それが終わったあとも、どんなに酷いことが行われたか。いや、違うね。自分たちの手を汚して、どんなに過酷なことを、相手に対して働いてきたのか、その罪の部分を悔いないことには、過去にしたいことは過去にならないのです。学ぶというのはキレイ事なんかじゃないのです。痛みを伴う痛さを伝える苦しさがないと、共有なんかされていかないのです人間は。
自分の罪を認めるというのは、犯罪に手を染めた場合を指しているんじゃないんですよ。いいですか。普通に暮らしているだけでも、自分が食っていける影で、飢えて苦しむ人に目を瞑ってることであるし。生きて活きていかれるというのも、殺されて死ぬ人と背中合わせの現実を命しているだけですから。長生き長寿が幸せだという分だけ、見えないところで、誰かを長年に渡り死に追いやってきた世界を、掻い潜り続けてきましたを意味してる。
見える世界だけが事実で現実だと思っていたら、それは大馬鹿なことだというべきです。キレイなことだけで、美しいなと言ってたら、大阿呆の誹りを免れないのです。汚いこと、穢らわしいこと、そういう世界とペアになってるから、キレイなことも、あるように見えてるだけですから。その美しさと同じ強さで、醜さも、われわれの心の中から消し去り切れないのを、忘れたい、忘れようなんて。生易しく浅はかでは、人の痛みは汲み取れないのですから。
まあ、話がとっ散らかってる風に聞かれるか知れないが、あなたや親戚に病気・障害(=障碍)の人間が近くにいて、見て見ないふりで打ち捨ててきた人たちがあるでしょ。自分の周りにはそんな人間はいないから。平気でそんな言葉を言ってるのは、どんだけ罪なのか。そこを自覚できていないでしょ。他人事みたいに考えてるから、自分のしている問題に目がいかないのです。誰でもない、他でもなく、自分のことなんです。これは全部。
何十年でも、これは続くことです。何世代も、あなたの孫でも、曾孫でも、繰り返し、同じ間違いを繰り返し続ける。これは連鎖を止める方法は、ただ一つだけしかない。今まさに自分がしている、その歪んだ行為を、けして目を瞑ったり、逃げ腰でいようとしたり、まずこれを留まるところから、何かアクションを、この場で始めること。それしかないと思います。まあいいや、違うけどこのままで仕方がないや。それは未来に対して蓋をしてます。
ここで考えないと本当に終わるんです。人生も、社会そのものも。