聖書と共に

わが神よ、私はあなたに信頼します

今日は、詩編25編、「旧約聖書1日1章」からで
す。(著者は榎本保郎先生)

ある時、一人のおばあさんが、「これまで、
…してください、…ください、と言う祈りをしてい
たが聖書を読んでいくうちに、感謝します、感謝
します、と言う祈りに変えられた。その時、私の
信仰は180度の転換をした。」と言う証しをされた

自己中心的な祈りではなく、みこころのままに、
成したまえ、という祈りによって神に一切を、
ゆだね、主権を渡してしまって、初めて本当の
信頼が生まれてくるのである。

しかし、私達は神様は全能である、神は天地を造
たもう、お方である。神はひとり子を私達に賜
った方である、という事を何度も聞き、覚えて
いるのに、やはり、自分の生活を神に委ねる事が
出来ないでいる。

信頼する事は「やさしい」事の様に思っている人
があるが、それは、その人が信頼した事が無いか
らで、本当に神に信頼して行こうとする時、
それが、どんなに難しい事であるかを知らされる
のである。
だから、私達は、ともすれば、自己中心的に
なろうとする、思いとの戦い無しには、本当に、
神を信頼していく事は出来ない。

この世の矛盾の中で、本当に、神を信頼していく
事は、この詩編にうたわれている様に、多くの
苦しみや、悩みを伴う。
しかし、その一つ一つの苦しみや悩みとの戦いに
おいて、神への信頼は成就され、22節の終わり
に「全ての悩みから救い出して下さい」とある様
に神に一切をゆだね、神が与えたもう助けを待ち
望む、神による、勝利の信仰に導かれる。

9節にある「へりくだる者」とは、神の前に自ら
姿を知り、主の前に恐れと、おののきをもって
立つ者である。それは、神の前に自分が憐れみを
受けなければならない者である事を知り、今日も
神のみことばと、赦しを頂いて行かなければなら
ないのだという、そういった求めの姿勢を生涯
持ち続けていく事なのである。

   **************
「主の親しみは、主を恐れる者と共にあり」
               (詩編25-14)
「主は…道を罪人に教え、へりくだる者を正しき
道に導き」          (詩編25ー8)

どうすれば、主を畏れ、主の前にへりくだれるか
私は、これも、聖霊の働きに依らなければ、と思う
「私は、彼らが、私から去らない様に、私に対する
恐れを、彼らの心に与える。」 (エレミヤ32-40)

「私は、私の律法を彼らの中に置き、彼らの心に
これを書き記す。」      (エレミヤ31-33)

聖霊のきよい臨在が、恐れと、へりくだりを生む。
アンドリュー・マーレーは「キリストの御霊」で

私が、あなたの大いなるへりくだりの前に、恐れ
おののいて、ひれ伏します様に。(P22、23)
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