ご紹介します。
密室祈祷に喜びと祝福を見出だしている人
は、本当に少ない。どうして密室祈祷に
ついて、こんなに無力なのか。その理由は
人間が罪深いからである。
せっかく自分を力付けて祈らせようとされ
る御霊を寄せつけないからである。
祈りという武器を、敵であるサタンに奪わ
れるままにして、取り返そうともしない
からである。
ここから「贖罪の動力」から抜粋しご紹介
します。
もし、私達が攻勢をとり、敵の陣地におい
て、悪魔の意のままにされている魂を、
その権力から取り出そう、とするなら、
私達が神の武具を以て処する必要がある。
この攻勢の態度は、もちろん祈祷と執り成
しである。
私達は、悪魔の私達への攻撃を防ぐだけで
はなく、執り成しと、イエスのみ名に対す
る信仰によって、捕虜を解き放つ様に召さ
れている。
パウロが言う戦闘は祈祷における、戦いで
ある。彼は武具の一つ一つを数え上げ、
それで「鎧う」ことを勧めた後、その戦場
を明示して『常に様々の祈りをして』と言
う。
私達が、仇に会って、イエスの御血を用い
るのは、主との交わりと、隠れた祈りの
場所においてである。これによってのみ、
私達は悪魔の火矢を消すことができる。
私達が、感じるのは敵の執拗な反抗の障壁
、感情の遅鈍、私達の神の沈黙、神への
接近の困難、祈祷が無益で思わされる事、
など、みな敵の反抗である。
しかし、イエスの血を提出し、信仰を
もって懇願すれば、私達は、これによって
全てを打ち破って進み、敵を追い返して
勝ち得て余りある者となる事が出来る。
「最後に言う。主にあって、その偉大な力
によって強くなりなさい。
悪魔の策略に対抗して立ちうる為に、神の
武具で身を固めなさい。
私達の戦いは血肉に対するものではなく
諸々の支配と、権威と闇の世の主権者、
又、天上にいる悪の霊に対する戦いである
……救いの兜をかぶり、御霊の剣、即ち、
神の言葉を取りなさい。絶えず祈り、
どんな時にも御霊によって祈りなさい」
(エペソ6-10~18)
また「祈りの生活」に戻ります。
私達への祝福が毎日、繰り返し養われる
には、キリストとの密室での親しい交わり
を通してしか、保たれ、強められる事は
ない。
○聖霊は十字架から私達に来られる。
○聖霊の来られる目的は
①私達に受難のキリストの命を分け与える為
②私達が本当に
「私はキリストと共に十字架に付けられた
もはや私が生きているのではなく
キリストが私の内に生きておられる」
と言える者にする為。
聖霊が私達にされる最上の事は、私達を
十字架の交わりに導く事。