聖書と共に

イエス様の姿変わり

イエス様は29才までは大工として働いておられました。兄弟姉妹も多く家計を支えられた事と思います。時が来て30才から公生涯に入られました。
多くの人に神の国の事を述べ伝え、多くの人の病を癒し、多くの奇跡を行われました。
しかし、当時の指導者層(パリサイ人、律法学者達からは、嫌われていました。何の権威によって語っているのか?、己を神と等しくする冒涜者と思われていました。
ある日、イエス様は、弟子3人(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)を連れて高い山に登られる。
『人を避けて高き山に登り給う。斯くて、彼らの前にて、その姿かわり、その顔は日の如く輝き、その衣は光の如く白くなりぬ。視よ、モーセとエリヤとイエスに語りつつ彼らに現る。……視よ、光れる雲、彼らを覆う。雲より声あり、「これは我が愛しむ子、汝らこれに聞け」弟子達、これを聞いて倒れ伏し、恐る事、甚(はなは)だし。イエスその許にきたり、此に触りて、「起きよ、畏るな」と言い給へば、彼ら目を挙げしに、イエス一人の他、誰も見えざりき』
山を下るときイエス彼らに、命じて言われた。「人の子の、死人の中より、よみがえるまでは、見たことを誰にも語るな。」(マタイ17-3、マルコ9-9、ルカ9-36)
ペテロは晩年、殉教を前にしペテロ第二の手紙を書きました。
『我らは、我らの主イエス・キリストの能力と、来たりたもう事(再臨、イエス様が再び地上に来られる事)とを汝らに告ぐに、巧みなる作り話を用いざりき。我らは親しく、その稜威(みいつ)を見し者なり。いとも貴き栄光の中より、声出でて「こは我が愛しむ子なり、我これを喜ぶ」と言い給へる時、主は父なる神より尊貴と栄光を受け給へり。我らも彼と共に聖なる山に在りし時、この声を聞けり』(ペテロ第二1ー16)
ペテロと同じく、主の栄光を見た、ヨハネは、晩年、ヨハネの黙示録を書きます。
『(天の)都は、日月の照らすを要せず、神の栄光これを照らし、羔羊(イエス様)は、その燈火なり。』(ヨハネ黙示録21ー23)
天国にては、太陽や月は無く、イエス様の栄光が照らしている。

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