聖書と共に

せめて、み衣にでも、さわれば

「さてここに、12年間も長血を患っている女がいた。多くの医者にかかって、さんざん苦しめられて、その持ち物を、皆、費やしてしまったが
なんのかもないばかりか、反って、ますます、悪くなる一方であった。」
万策尽きた彼女は、イエス様が病める人を多く直している事を、回りの人から聞いた。
彼女は、「せめて、み衣にでもさわれば、直して頂けるだろう」と思った。
イエス様が群衆に囲まれながら歩いておられた。
彼女は群衆に紛れ込み、後ろから、イエスの衣に
さわった。すると、血の元がすぐに乾き、ひどい
痛みが直った事を身体に感じた。
イエスはすぐ、自分の内から力が出ていった事に気ずかれて、群衆の中で振り向き「私の着物にさわったのは誰か」と言われた。そこで弟子達が言った「ごらんの通り、群衆があなたに押し迫って
いますのに、誰がさわったかと、おっしるのですか」
しかし、イエスは、さわった者を見つけようとして、見回しておられた。
その女は自分の身に起った事を知って、恐れおののきながら、進み出て、み前にひれ伏して、すべて、ありのままを申し上げた。
イエスは、その女に言われた『娘よ、あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい』
(マルコ5ー25~34)

「たといそうでなくても」の著者 安利淑さんの母親が、言った言葉があります。
「聖書を良く読んでごらん、神様はいつも一人びとりの個人に目を注がれています。大衆とか、大群ではなく、貧しい無名の人間を召し寄せ、お用いになっていられるのです。神様の目には、信仰のない千人よりも、神様を本当に知っている一人の方が、もっと大事なのです。アブラハムも一人、モーゼもひとり、ダビデも一人、それぞれ
神様に召されてご用に当たりました。主なる神様は、今でも同じ事だと、私は信じています」
(287ページ)

長血を患う女は、イエス様と1対1に信仰で対面し
問題を解決されました。
回りの群衆の信仰は、どうだったのでしょう。
物見雄山で集まったのかな?

私は、2月20日にモデルナのワクチンをうちました。翌日、ひどい寒気で目が覚め、ダウンジャケットを着て寝ました。ファイザーでは、これほど
ひどくなかったのにと思います。
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