なんでも評論家

時事コラム。(1)

 歴史認識の問題について

 もともと大衆の大多数は歴史などには無関心だ。古今東西変わらない。だからこそ、学校教育という徴兵制で強制的に指導しないと覚えないのだ。この、人類の多数派をいかにして利用していくかを考えるのが効果的だろう。

 どっちもどっち

 保守派が改憲論としてよく持ち出すのが、例の憲法9条に象徴されるような、米国の支配下にあるような、あるいは独立国ではないような状態が気に入らないらしい。あえて改憲には反対も賛成もしないが、かりにどのように改憲しようとも、しょせんは米国内の一自治国としてやっていく以外に選択肢は存在しないという現実は変わらない。東側には米国、西側には中華人民共和国、北側にはロシアという、軍事大国に取り囲まれているのだ。日本だけによる独立した防衛など不可能だろう。こんなことは防衛の素人でもわかることだ。不可能なことをあえて実現させようとする、またしても保守派と左派との類似性が浮かび上がってきた。

 サッカーについて

 ところで、スポーツにはあまり詳しくないが、いくつか指摘できそうだ。
 野球とサッカーとで、「二兎を追う」あるいは、諸外国に対して漁夫の利のようなものを与えてはいないか? 私は強いて選ぶならサッカー派だが、野球派のひとが指摘するサッカーの問題点である「なかなか点が入らない」と「いったん差がつくと逆転するのが困難」というのには共感する。日本のサッカーを強くするには、優秀な選手をたくさん確保すればいいわけで、そのためには、高い報酬が得られなければならない。サッカーをもっとおもしろくして、選手が儲かるようにしなければならない。一番問題だと感じるのはPKだ。負けた側の精神衛生上の負担はかなりのものになる。すくなくとも、このような不条理な事態に陥る可能性を少なくするために、キーパーを廃止して点が入りやすくするなどの改革が必要だろう。

 オリンピックで日本が学ぶべきこと

 日本の伝統的な悪習である根性主義・精神主義が大した効果もなく、逆効果すらあるということにそろそろ気づいてもいいのではないか。「この悔しさをバネに」とか「死ぬ気で挑戦する」など、言葉だけが仰々しい。そうした影響を全部否定はしないが、多少の誤差はあっても結局は実力によって勝敗は決まってしまうのだ。
 
 大津市の問題について

 「大津市」がどこにあるのか知らないが、そんなことはどうでもいい。参考のために文科省のサイトのいじめの項目を見てみたが、予想通りの記述ばかりでとくに注目すべきものはない。

 優先させるべきは、いじめに限らず他者からの被害を減らしていくことであり、いじめをなくすなどという百年河清を待つようなことを第一目標にすべきではない。

 いじめの定義について。

 昔は「いじめ」などという名詞は存在せず、いつ頃からか「いじめる」という動詞に基づいて「いじめ」という言葉をマスコミが使い出したのだ。とりあえず課題をはっきりさせておくと、暴力や恐喝その他の犯罪まがいの行動による被害を減らしていくことを優先させるべきで、何が論点になってくるのかというと、、、、

 「いじめ」は教育問題ではない。

 いじめを学校教育の問題だと考えている時点でかなり思考停止気味である。まして、子どもたちに「いのちの大切さ」を教えていじめを減らせるなどと考えている人がいるとすれば、これはもう腐脳症に近い。まさか本気でこんな方法が功を奏すると信じているひとがいるとは思えない、というか、日本人がそこまでバカだとは考えたくない。

1具体的に、いつ、どこで、誰が誰に対してどんな行為をしたのか? ということについての、客観的な証拠が残らない。もしくは困難であるということ。

2いじめてもその行為に相当する罰則がない。反省しているふりをしていればいい。

3そもそも、自律的な言語能力や判断力が備わっていない未成年者に聞き取り調査したところで、どこまで効果が上がるのか疑わしい。

 これらの諸条件、というか悪条件を揃えているのが学校であり、その意味において、いじめが学校教育の問題だというのなら当たっているだろう。極端な話、大人、というか客観的な証拠が残るように、目の届かない時空間を無くしてしまえば、犯罪まがいのいじめは確実に減るだろう。たとえば、すべての教室と廊下・トイレその他あらゆる場所に監視カメラを設置して常時監視下に置くという。

 「教育真理教」と「子供真理教」

 このほか、あらゆる子どもは教育次第でどうにでも変えていけるという教育真理教と、すべての子どもを純真無垢な天使と考える子供真理教の信仰が被害を拡大させてきたと言える。いじめやその他の問題行動を起こすのは、「特定の子供ら」であり、遺伝的その他の要因による神経回路や脳の異変なのか、とにかく、生来問題行動を起こしやすい体質というのは間違いなく存在する。この考え方への反論として人権弁護士や左派のひとがよく持ちだすのは、問題児には家庭環境に問題があり、親からの虐待や暴力その他で家庭が荒廃しており、その原因を取り除いてやればいいのだという。これはある程度事実ではある、しかしそうだとしても、環境以外に、問題行動を起こしやすいという体質も遺伝している筈であり、この点については触れないのだ。いくつか列挙してみる。

 ラーメンの鬼として知られる佐野さんは、幼稚園児の頃に、別の園児を突き飛ばして大怪我をさせるという「犯罪行為」を行って、出席停止ならぬ登園禁止措置を受けていたらしい。離婚もしているらしく、おそらく妻に暴言を吐いたり暴力を振るうなどしていたのだろう。これを読んで納得した。

 田代まさしさんはかつて典型的な悪ガキであり、中学高校時代から問題行動を繰り返していたらしい。何度も再犯を繰り返したが、予想通りであった。今後も繰り返すだろう。

 麻原彰晃も養護学校時代は問題児だったらしい。なるほどと感じた。

 ノリピーの弟も予想通り再犯を犯した。軽度の知的障害の疑いがある。

 このほかにもいろいろいるが、きりがないので省略する。たとえ更生したとしても、問題行動を起こしやすいという体質は変わらない。ギャンブル癖や借金癖・詐欺的性向・虚言癖についても同様で、たいてい一生変わらない。
 1の問題をどうするのかということが最困難だろうが、2の対応について、教育的措置と罰則的措置を併置しなければならないのであり、従来から延々と後者について無視するか両者を混在してきたのだ。論点の混同を許してはならない。一定以上の行為が認定されれば、少年院か準少年院のような場所に収容することも検討すべきだが、かにりそうしたとしても、一生涯どこかに隔離するわけにはいかない。とすると、出所すれば新たな被害が出る危険がある。結婚すれば妻に暴力を振るったり子供を虐待したり、入社すれば部下を怒鳴りつけたり暴力を振るうといったパワハラまがいのことをやる可能性がある。となれば、性犯罪者へ検討されているような、衛星を使って常に居場所を注意情報として提供するなどの、社会的な管理下に置かなければならないだろう。
 こうした問題児を専門に収容する施設、これはすなわち、困難校の小中学校版ということになるが、この学校自体がいじめ多発校になってしまう危険がある。刑務所並みに、あらゆる場所へ監視カメラを設置しなければならないだろう。
 2は、いじめたほうが得なのであり、いじめ推奨策のようなものだろう。このような考え方を温存されてきたという意味でなら、教育の問題であると言える。子供真理教の悪しき副産物だ。

 とりあえず提案する

 文科省や意味不明の教育委員会その他のいじめ対策は、いつも通りのご都合主義であり、具体性が乏しくたいした効果はないだろう。主として夫から妻に対して行われる家庭内暴力と同じと考えればいい。客観的な証拠の残らない時空間は要注意なので、24時間警備員を被害者に常置させるくらいしかないだろう。別のどこかの施設のような場所に避難させるのか、学校内に配置したほうがいいのか、詳しく書いていくと長くなりそうなので省略する。

 花火大会への提案

 予算に限りがあるのだから、できる限り有効に使おう。煙火会社に丸投げするのではなく、正しい批評精神を身に付けるべきだ。
 思い切って打ち上げ時間を半分ほどに短縮する。そして、五寸以下の小玉による演出は同時打ちのみとし、単発打ちでもいいので六寸以上の大玉の打ち上げを主体とする演出にするべきだ。小玉だと連発ですらすぐに飽いてしまう。その分だけ予算と時間を無駄にしているというわけだ。打ち上げ開始時刻はやや暗くなり始める頃とする。最近の花火は明るくなっているので完全に暗くならなくても見えるし、むしろ少し明るいくらいのほうが美しく見える。もうひとつは、早めに開始して早く終わるほうがいい。花火の音を不快に感じるひともいるし、帰りの混雑や睡眠時間による翌日の疲労の問題からもそうしたほうがよい。

 天皇と皇族について

 天皇や皇族については論ずる知識が無いので、何も口出ししない。ひとつだけ指摘できるのは、保守派の主張するように、いかに歴史的対外的に天皇や皇族が多大な影響を及ぼし続けてきたという、その事実を認めるにしても、それ以外の一般国民の社会的経済的文化的活動が築き上げてきた業績と実績・影響力その他は、その規模に於いて遥かに超える。というよりも規模が違い過ぎて比較にならない。何人にもこの事実は否定できない筈だ。議論の前提として、まず保守派はこの事実を事実として正直に認めるべきだ。
 男系にこだわる理由のひとつとして、Y染色体の特性を指摘するひともいるが、そもそもそうした発想にどこまで根拠があるのかということはともかくとして、もしもそうした発想に立脚するのなら、男はみな万世一系だ。しかもその永続性は桁違いであり、やはり規模が違い過ぎて比較にならない。
 文明文化及び通信技術の進歩によって、今後もこの格差は拡大し続けていくだろう。これは必然的だ。ということは、皇族の社会的影響力は相対的に減衰していくことになる。国力の強化を目標としている右派にしてみれば、このことはむしろ喜ぶべきことではないかと思う。この現実を認めた上での、皇室の社会的なあり方について論ずるのなら賛同する。
 このほか、今後社会や文明の進歩や変化が進むほど、皇室の異質ぶりが目立つようになってくるだろう。

 日本社会の最大の権力者は普通の人たちである。

 日本社会のあるべき姿とは、「普通のひとが普通に頑張って普通に活躍でき、それなりに報われる社会。」だと思う。日本の最大の権力者は普通の人たちである。理由はかんたんだ。普通の人たちが大多数だからだ。

 橋下市長の提案について

 今ヤフーで知ったのだが、橋下市長が、「目標の学力水準に達していない子どもは留年させるべきだ。」と提案したらしい。おそらく波紋が拡がり実現しないだろうが、そのような意見が出てくる背景も分かるような気もする。この下側の「若い女性に人気!」にも書いたように、良し悪しはともかく、その「目標の学力水準」というものが何を指すのか不明だが、もしこんなことを強制的に行えば、おそらく児童の1割程度は二十歳を過ぎても小学校すら卒業できなくなるだろう。へたをすると一生卒業できないかもしれない。英検三級が中学校卒業程度の水準なので、これに合格できないと中卒は認めないということにすると、控えめに考えても人口の2割ほどは一生中学校を卒業できなくなってしまうだろう。
 逆に、1割程度の優秀な子供たちは、小学校か中学校くらいの年齢で高校や大学に進学できるだろう。このような提案に対する反応としてよくあるのは、「人間は学力だけでは評価できない。」というものだが、成績が優秀なひとはたいてい他の分野も優秀なのだ。問題行動もほぼ学力と負の相関があり、だから成績優秀な人材を優先的に採用するのだ。
 例を挙げるなら、不謹慎なことを書いてお叱りが来るかもしれないが、末端の中小の土木建築会社には低能力者が多いので、マナーの悪さ、交通違反の頻度で業種別に統計を取れば、ほぼ確実に上位に来るだろう。好意的に評価するとすれば、低能力者の受け皿としての社会的役目を果たしてきたと考えることもできる。民主党の、「コンクリートから人へ」というのも、賛成はするものの実行は難しいだろう。

 1月は行く。2月は逃げる。3月は去る。

 この諺には、心理的な要素もあるとは思うが、北半球は冬が短いのだ。春分から秋分までの日数よりも秋分から春分までのほうが8日ほど短い。地球の軌道は楕円であり、1月3日に最も太陽に近くなる。太陽に近くなると、公転速度が速くなるからだ↓



 この図は誇張してあり、これほど歪んでいるわけではない。なお、遠日点は7月3日である。
 因みに、この宇宙に散在する厖大な天体の中で、完全な円軌道を描くものはおそらく存在しない。

 野球VSサッカー

 野球ファンとサッカーファンは犬猿の仲で、互いに罵詈雑言を言い合っているらしい。不謹慎で申し訳ないが、その心情は多少理解できる。私自身は野球の経験はないが、近似種目のソフトボールで嫌な思い出しかないからだ。
 もともと体力が弱くてスポーツに向いていないのに、なぜか地区のソフトボールチームに入ってしまい、数年ほど頑張ってみたが、結局何がおもしろいのか分からずに辞めてしまった。そもそも入ったこと自体が間違いであり、自業自得なのだが、この世界は非民主的であり、レギュラー選手しか打たせてもらえないし、私のような万年補欠は玉拾いか過酷な訓練か、もしくは、炎天下の糞暑い中ベンチに座って見学しているしかない。もっとも、私のような下手な奴が打席に立たされても、万が一ボールが当たってもすぐに内野手に捕獲されてアウトになるのは目に見えているが。それでも、下手な奴にはへたくそなりに、たとえば極端に遅い球を投げてやり、ヒットぐらいは打たせてやって多少の面白みくらい味あわせてやろうとか、そもそもそうした発想自体ないらしい。体格と体力、及び能力の適した、特定の人間だけしか楽しめない競技といった感じだ。 
 サッカーでは実際にゴールを決めたことが何度かあるし、ゴール寸前まで持っていけたことも何度もある。したがって、プロの試合を見ても実感が湧くのだ。野球だと、ホームランどころかヒットすら打った経験がない。万が一、バットに球が当たっても、投手まで転がるかどうかすら危ういくらいの私ですら、サッカーボールだと50mくらいは飛ばせたものだ。脚のほうが力が強いからだ。守備の難しさについても実感がある。
 というわけで、野球は不向きな奴には難度が高過ぎる。私のようなスポーツ嫌い(遊びでやるのなら、野球やソフトボールやマラソンや格闘技を除き、そんなに嫌いではない。ドッジボールではよく遊んだ)で華奢な奴でも、サッカーではそれなりに活躍できたし、おもしろさがわかるのだ。

 若い女性に人気!

 さっきたまたま「黒人は知能が低いのか」というページを開いて見た。賛否両論あり、差別ではないかという批判も多々あるが、科学的、というか統計的な議論についはいまひとつ説得が弱い。私は詳しくないので触れないが、気になったことを書いてみる。
 ひとつは、黒人は貧困層が多いので、教育が満足に受けられずに平均値が下がってしまう。だから、彼らにも同等の環境が与えられれば差は無くなっていくという。
 本当がどうなのか知らないが、個人差という要素がほとんど出てこないのだ。人種はともかく、こちらのほうがずっと格差が大きいのだ。たとえば、日本の高校進学率は100%近くに達しているが、このことは、日本人の学力の平均値が優れていることを示すものではない。なにしろ、九九が満足に暗唱できない生徒が高等学校に入学して卒業できるのだ。高校に3年間も通学して、小卒程度の基礎学力も身に付いていないのにだ。これこそ、日本という国の偽善と欺瞞を象徴している。少子化の影響で、いずれは九九が暗唱できない生徒が大学を卒業するようになるのかもしれない。男女間の差についも同様で、昔から男のほうが知能が優れているという証拠を探すのが世界的な傾向だったらしいが、どうやら知能に性差はないらしいということが明らかになってきた。フェミニストは喜んだが、厳密には正しくない。男は理数能力の平均値が高く、女は言語能力の平均値が高い。だから性差は存在するという指摘もあるが、そんなことよりも、男のほうが個人差が大きいのだ。平均よりも優れた優秀な人が多いが、劣った人も同じほど多い。平均値はあまり違わないが、個人差で比較すると明らかに男のほうが大きいのだ。このことはあまり話題にならない。したがって、善し悪しや差別なのかどうかはともかく、黒人と白人と黄色人種間の知能の平均値の比較など、あまり意味がないと感じる。社会的な影響という点でも、個人差のほうがずっと大きい。それゆえに、閲覧した掲示板の書き込みは、そのほとんどか「若い女性に人気」という広告用語と同水準なのだ。若い女性といっても、好みは千差万別であるはずなのに。
 このことは、「たとえ黒人に白人と同等の教育環境が与えられても、格差が縮むことはない。」ということを必ずしも意味するものではないが、おそらく全人口の少なくとも2割くらいは、たとえ生涯勉強を続けても小卒程度の学力さえも習得できないだろう。小卒というのが言い過ぎなら、少なくとも中卒程度の基礎学力は一生身に付かない。たとえば、英検三級は一生合格できないだろう。実際には、四級の合格すら危うい。その学校にふさわしい学力を習得できた者だけに卒業を認めるという、学校の本来の在り方からすれば、全人口の2~3割程度しか高校は卒業できないし、それより下位の層は一生中学を卒業できず、それ以下の底辺層は一生小学校も卒業できないのだ。これが日本人の現実なのだ。
 
 それでもこだわりたい人のために・・・

 この問題はナショナリズムを刺激するので、ある程度気になってしまうのはしかたない。人種間の平均知能の差は存在しないという説明に、彼らは貧困層が多くて十分な教育を受けられないからだという反論がある。しかし、もし本当ならば、差別についてあれだけ敏感であり、国内では考えられないほどの巨額の賠償金が請求される米国内に於いて、もしも本当に人種間の機会不平等が存在しているのなら、なぜ問題にならないのだろうか? 不可解極まれりである。それに、本当に優秀で有能ならば、誰かが目をつけて投資する筈ではないか。
 この問題についてはこのような見方ができる。もし黒人への教育が普及して人種間の教育環境の差が少なくなってくれば、黒人同士の間での学力格差が拡大してくる筈だ。教育というものは、熱心に取り組めば取り組むほど、そして普及すればするほど、個人間の潜在的な能力格差が拡大してくるものなのだ。

 3Dの普及について

 映像が立体視できる3D機器の売り上げは、視野がほとんど埋まるくらいの広角度での再現ができる製品が実現するかが分水嶺と感じる。すくなくとも僕は、これくらいでないと買う気にならない。これが実現するのなら、多少高価でも買うだろう。凄まじい迫力が体感できるようになるだろう。

 小向美奈子

 このひとが覚醒剤の何とかの容疑で逮捕されたらしい。太っているらしく、こんなおデブちゃんのDVDを購入する人がいるというのに驚いた。私は太った女性には性的魅力を感じないので理解できない。それに、ネットに接続すればアダルト画像や動画が溢れているし、いくらでも見られる。蓼食う虫も好き好きというように、特殊な性癖なのだろう。

 パラリンピックの問題点

 パラリンピックを賞賛する報道ばかりだが、スポーツが嫌いな障害者もいるだろう。すべての障害者がスポーツ好きであるかのような雰囲気は好ましくない。

 腕と脚

 腕よりも脚のほうが骨太で筋肉量も多い。脚のほうが強いのは当然と考えるだろうが、厳密には正しくない。押す力で比較すれば脚のほうが圧倒的に強い。たとえば、体力の弱い人でも、かなり疲れるもののスクワット100回くらいはなんとかできるだろうが、筋肉隆々の体操選手といえども、逆立ちして100回腕立て伏せのできる人はあまりいないだろう。もしいれば恐るべき腕力だ(逆立ちすると頭に血が上るとか危険だとかいうのなら、ベンチプレスでもいい。たいていのひとは、自分の体重と同じ重さのバーベルだと、一度すら持ち上がらないだろう。)。ところが、引っ張る力で比較すれば、押す力に於ける落差よりはずっと小さいものの、腕のほうが強い。哺乳動物のほとんどは、おそらく前肢は引っ張り力に向いており、後肢は逆だ。二足歩行をするようになってからも、この特性が残存しているのだ。




 なお、全身のあらゆる動作の中で、直立した状態からかかとを持ち上げて爪先立ちになる動作がおそらく最強だ(上図)。平均的な成人男性だと、200kgほどは出るのではないか。足首から先は全体重が集中するので、最強の力が出るようになっているのだろう。車の1速みたいなものだ。かかとから爪先にかけてのアーチ状の骨格と腱も、おそらく全動物中最も頑強にできている(それだけではなく、この、足関節を支点とするつま先を下方へと押し付ける動作で発揮される力も、恐らく全動物中で最強ではないかと思われる。というよりも、突出して強力なのではないか)。
 全身の筋肉の中で最も強大なのは大臀筋だ。だが、大腿部は長いので、大臀筋が収縮することによる大腿部を後ろへと動かす力は、ふくらはぎが収縮することによるかかとを上げる動作よりも出る力が弱い。これは梃子の原理による。このほか、しゃがんだ状態から立ち上がるには、腰筋や大腿筋といった他の筋類も協調して動かないといけないので、そもそも大臀筋による大腿部を伸ばすときの力だけを測定することは困難だ。

 覚えておこう↓

引っ張る力で比較すれば脚よりも腕のほうが強い。構造上引っ張るのに適している。
・最も強大な筋肉は、大腿部を後方へと伸ばす大臀筋だ。
最強の力が出る動作は、かかとを持ち上げるときの動作だ。片足だけでスクワットをするのはたいへんだが、片足だけでかかとを持ち上げるのは楽にできるだろう。
 私の経験では、草むしりをしていたとき、腰を曲げた状態から雑草を掴んで抜こうとしてもびくともしなかった。ところが、直立した状態で草をしっかりと掴んで腰骨に固定し、そのままかかとを持ち上げたところ、バリバリと音を立てて根こそぎ引き抜かれた。その怪力ぶりに我ながら驚いたものだ。

 蹴りの本当の破壊力とは?

 久々になりますが、上述の事情に関連したことを書いてみることにしました。

 キックボクシングや空手やプロレスなどで、足による蹴り技が披露されますが、脚の本来の破壊力を発揮できてはいないと感じます。これはこれらの格闘技や選手のことを批判しているわけではなく、二足歩行という特異な姿勢のせいだと考えることができます。常時2本の足で全身を支え、移動と回転と跳躍といった重労働を担っています。一時も休むことがありません。じつはこれだけでも大変なことで、このことは逆立ちして試合をすることを想像してみるといいでしょう。おそらくほとんどの種目で試合自体が成立しないでしょう。腕によるパンチにしても、下半身の力と胴体のねじれによって最高の力が出るような体勢になった状態で行われているからこそあれだけの破壊力が出るのでしょう。筋肉の大部分は下半身に集中していると言われ、事実脚のほうが腕よりもずっと太くて筋肉量も多いです。しかも上述のように、腕というものが引っ張るときに強い力が出るようにできているのに対して、脚は伸ばす時に強い力が出るようにできています。ということは、それだけ脚のほうが攻撃に適している筈であり、格闘技を研究している人たちには、なんとかしてこの蹴りの破壊力を利用できないものかと思案している人も多いのではないかと感じます。
 ところが皮肉なことに、両脚は常に全体重を支えつつ移動その他の重労働を課せられている上に、立った状態で相手に対峙して攻撃するという特性のために、ますます脚本来の力が出しにくくなっているのです。蹴りの技にはいくつかの種類がありますが、その大部分はその蹴りの動作をしているときは片方の脚だけで体重を支えていないといけません。これだけでも蹴りの威力を弱くしてしまいますが、それだけではなく、相手を蹴るためには脚を前側に上げなければなりませんが、この動作は、全身の筋肉中で最大規模の大臀筋による大腿部を後方へと動かす動作とは逆になります。ということは、それだけ出る力が弱いわけです。蹴り技の中には、いったん脚を前方に持ち上げてから相手を押すような恰好の蹴り技もありますが、こうしますと反対の支えの脚がさらに不安定になってしまいます。脚の本来の力が十全に発揮される蹴りの姿とは、後方からライオンに飛びつかれそうになったところを後肢で蹴り上げるときのシマウマのような恰好になります。しかし、格闘技では相手に背中を見せることは致命的ですから避けなければなりません。あえて例外があるとすれば、プロレスでしばしば跳び蹴りが披露されますが、あれなら全体重が相手のほうに移動しつつ蹴り本来の動作ができるわけですから、かなりの破壊力を発揮できそうです。ただし、助走をしてジャンプしてからの蹴りになりますので、相手に察知されてしまうでしょう。プロレスは見世物ですからこの技が披露されたら避けることなく受けなければなりませんが、最初から蹴られることがわかっているので防御しやすくなり、ダメージも弱くなってしまうでしょう。
 人間の脚の伸ばす動作による蹴りの破壊力が最大限に発揮されるためには、両腕部に両足とほぼ同じくらいの骨格と筋肉を備えた第2の脚と、この両脚を駆動する大胸筋と背筋も大臀筋並みの強大なものが発達していることが必要でしょう。つまり、腕でパンチを出す時と同じ条件下で行うわけです。しかし、もしも本当にこのような体型で相手を攻撃できるとすると、平均的な成人男性の蹴りの破壊力ですら、1トン近くに達してしまうでしょう。とすると、喧嘩が起きればすぐに殺し合いの死闘へと発展してしまうでしょう。
 私のような格闘技に縁がなく、そのような状況とはなるべく関わりあいたくない人間にとってはこのことはむしろありがたいです。人間は野生動物と比較していろいな点で脆弱ですが、二足歩行という特殊性のために脚の強靭さはかなりのものになります(正確には、膝から下側が図抜けて頑丈にできている)。しかし、そのような体型のために本来備わっている強力な破壊力を発揮することが困難な状態に置かれてしまっているのです。
 サッカーにしても、なにしろ上述の通り、両足だけで全体重を支えつつ走ったり跳んだり急停止したりしながらボールを蹴っているわけです。このふたつの重責をたった2本の脚だけで担当しているわけですから、バレーボールとかテニスとかいった腕を使う競技との単純比較はできないでしょう。脚の威力を過小評価しています。
 格闘技を研究している人は、上記の事情を考慮すると蹴りの威力を向上させる手がかりが見つかるかもしれません。。


 小沢一郎氏と鳩山首相のおかしな会見

 両者ともに会見で、「国民の皆様にはご迷惑とご心配をかけて申し訳ありません。」といったような台詞を何とかの一つ覚えのように発するのだ。「何も迷惑していないし、あなたたちの心配などしていませんよ。」何を言っているの? 日本語がおかしいぞ。
 これは、NHKを含むメディアが最近やたら連発する「(懸念)連呼症候群」みたいなもので、誰かの言い回しをそのまま借用しているのだ。自分たち自身何を発言しているのか、おそらく自覚がないのだろう。

 出版物不況について

 新聞・週刊誌その他の刊行物の読者の減少が続いているらしい。なんといってもネットや携帯・メールの普及による影響だろうが、いくらかは自業自得と感じる。
 新聞については、反日的な編集もさることながら、半知半解丸出しの社説や、けっしてタブーに触れようとしないご都合主義的な記事など、読む価値の感じないものが多い。なぜ読者が減ったのかといえば、読む価値がないから読まないのである。新聞離れを嘆く前に、なぜそうなったのか検証する気はないのか。 
 週刊誌は、まず文体が重い。読んでいると気分が淀んでくるのだ。新聞やテレビが取り上げない記事を取り上げるところは評価できるものの、さまざまな問題を解消するためにどのようにすればいいのかという提言はあまり見ない。へたをするとサラリーマン川柳のようなぼやきかと感じさせるのである。読んで気分が沈むような刊行物を買う気にはならない。最近では病院の待合室でさえあまり読まない。精神衛生上良くないので。

 タレントの薬物問題について

 酒井法子や田代まさしらの薬物問題について、安易に復帰を認めるという怒りを聞く。同感であり、多額の投資と努力と苦労によってようやく入学試験や資格試験を乗り越えても就労できない人たちが溢れているのだから。
 この場で提案する。復帰は一度までなら認めてもよい。ただし、抜き打ち検査を無条件で受けなければならない。拒否した場合は、よほどの事情(緊急入院して集中治療室で治療していた等)を除いて永久追放が確定する。
 芸能人やタレントや歌手など、なりたい人が腐るほどおり、ごく一部の人間しかなれない。このことを考えれば、これくらいでよかろう。新陳代謝という点でもそうしたほうが好ましいだろう。

欧州原理主義

 少し前のことになってしまうが、欧州共同体が域内で条約に違反した企業に過大な課徴金を課すようになっている。温室効果ガスについても、目標を達成できなかった国に罰金を支払わせることも検討しているらしい。
 その一方で、欧州企業は先を争って新興国や途上国に進出しているのだ。こうした国の経済発展に参加すれば自ずと排出量は増えるだろう。金儲けだけはしっかりやって新興国の排出量の増加に手を貸しておきながら。他国の排出量増加には罰金を取るということらしい。まるで神の代理人だ。こうした欧州諸国の欺瞞についてはあまりマスコミは取り上げない。国内の、欧州のことを何でも進んでいて素晴らしいと無批判に絶賛する反日左翼の皆さん、これについて説明できるか? 

  インドにおける女の子殺しについて。

 インドではいまだに男尊女卑の考えが強くて、膨大な数の女の胎児が中絶されられ、もしくは出産後殺されているらしい。はっきりした数字は覚えていないが、とにかくとてつもない数であることは確かだ。国内ではやれ慰安婦問題がどうの、女性の社会的地位や議員数の比率が少ないだの、これらが世界ランクで最低に近いだの、といって、日本だけが女性差別的であるかのようなことを言う輩が多いが、インドの女の子殺しははっきり言って大量殺戮ではないのか。田嶋先生は抗議に行かないのか? インドといえば、経済発展やIT産業ばかり話題になるが、こういうことはあまり取り上げられない。こんな国が文明国と呼べるのか?
 だいいち、そんなことをしたら嫁不足で困るだろう。暴動どころか戦争になるのではないか。

 死刑存廃論について。

 この問題については、何人もの知識人が以前から長々と論じていることであり、事情にあまり詳しくない私に口出しすることはない。指摘したいのは、議論の前提がおかしいのではないかということだ。死刑を存続するにせよ廃止するにせよ、まるですべての人たちが満足するような方法があって、その理想に近づけようとしているのではないかという印象があるからだ。どのような方法を採ろうとも、遺族、死刑囚、犯罪者の家族、その他の人たち、の誰かが気まずくて納得のいかない気分になるだろう。
 政策論争も同じで、よく、「国民の声を聞け!」というようなことが言われるが、実体として「国民」という人物が存在するわけではないし、すべての国民が納得する政策など存在するわけがない。

 投資詐欺

 ワールドオーシャンファームなる、もっともらしそうな名前の投資詐欺会社が摘発されたというニュースを見た。以前からこの種の詐欺は後を絶たないが、いつまで経ってもだまされる人がなくならない。
 じつは、だまされた被害者と加害者は同じ人種なのだ。「こんなに儲かるんですよ」とか言って、仲間に勧誘していたりするのである。1年で倍になるなど、こんな馬鹿な話があるか! とあほらしくなるが、何度だまされてもくりかえすのである。この種の人種については、教育の項目でも取り上げる予定であるが、どうも生まれつき、金銭感覚、自己管理能力、意志力等の能力が欠落したひとがいるらしく、このような詐欺話にだまされやすいとか、何度も消費者金融から借金をするとか、ギャンブル依存症といった性向者は、教育によって直る(「治る」か?)可能性はほとんどない。
 受刑者の更生問題の一種でもあるが、おそらく逮捕された代表者も、これまでも何度も似たことを繰り返してきた筈なのだ。刑期満了後出所すれば、同じことを繰り返すことは明らかなのに、教育で正常化できると唱えた弁護士やこのことを問題視させまいとする勢力には責任はないのか?
 被害者を増やさず似たことを繰り返さないためには、このような人間の活動を規制するしかないだろう。人権問題として認めないのなら、ほかに効果のある防止策があるだろうか? 被害者も同様に、教育することは困難である。何度でも繰り返すだろう。社会的国家的損失としても問題視してもよいのではないか。
 
 年金の法改正によって、熟年離婚が増加するのではないかと話題になったが、もし自分の夫か妻が、上記のような金銭管理能力を欠くということが判ったら、すぐに離婚すべし。株や先物に於ける「損切り」ならぬ「縁切り」である。損害を最小限に食い止めるためだ。どんなに家族が苦労して借金を返済しても、何度でも繰り返すのだ。すっからかんである。一生を棒に振るだろう。本人はまだ自己責任ということで済まされるが、周囲の人間たちまで被害が広がってしまうのである。知人にもこのような人がいたら、縁を切るべきだ。
 親の覚悟
 (結婚についても)子供の意見を尊重するという風潮が蔓延して久しいが、無責任でもある。上述のような事態になったらどうするのだ? 本人たちだけは済まない。家族どころか親戚にも被害が拡大するのだ。親としてこのような覚悟が必要ではないか。「君がどんな人と一緒になってもかまわないが、もしこのような相手と結婚するのなら、親子の縁を切るぞ。」と・・・

 洞爺湖サミットと北京オリンピックについて。 

 例の地球温暖化の問題について、先進諸国が集まって議論するということらしい。いつものことながら悪口ばかり書くことになってしまうが、意味がないとは言わないものの、たいした成果はなさそうだ。そもそも各国首脳らは、この問題について門外漢である。専門的な議論ができるわけがない。「思い切った決断を!」とか、「大胆な削減計画に踏み込むべきだ」というのも空々しい。いくら削減計画を練っても計画倒れで終わっては意味がない。結果が重要なのである。
 地球温暖化については改めて詳しく論ずるつもりだが、分量が多くて間に合わないので、論点をいくつか取り上げて述べてみる。
 
1京都議定書通り削減しても、統計上はどっちもどっちであり、たいして変わらない。
2二酸化炭素のことを主要温暖化ガスと呼んでいるが、温室効果のほとんどは水蒸気であり、二酸化炭素による影響はわずかである。
3産業革命以前と比較して、大気中の二酸化炭素濃度が倍に増えたと騒いでいるが、大気中の二酸化炭素濃度は0.0数パーセントに過ぎず、倍増したといっても、1万分のいくらくらい増えただけである。

 ほかにもいくつかあるが、上記は温暖化問題に関しての基礎的知識である。少なくともこの程度のことは知ってもらいたいものだ。
 自然災害との因果関係についても、真相は神のみぞ知るというのが真実であろう。だから放置してもかまわないということにはならないが、あまりにもファクターが多岐に及ぶため、検証できまい。いずれにせよ、この問題は、超長期的視点から考え、取り組んでいかなければならないものの筈である。ここ10年や20年くらいでどうにかなるものではない。それなのに、台風や旱魃その他異変が起こるたびに、これらがすべて温室効果ガスが原因とばかりに大騒ぎしているのだ。日々の値動きに一喜一憂するデイトレーダーみたいなものだ。
 
 天才物理学者のびっくり説。
 車椅子の天才物理学者ことホーキング博士の、「このまま温室効果ガスの排出が増え続けると、やがて地球は金星のような灼熱地獄と化する」という警告が、たしか読売新聞だったか、はっきり覚えていないが、紹介されていたように記憶している。いくら地球温暖化の深刻さを訴えるとはいえ、これは言い過ぎである。むしろ、誇張しているのではないかと疑念を抱かれるだろう。ここで論評しておく。
 金星と地球とは条件が異なるため、このまま温室効果ガスが増え続けても金星のようにはならない。

1太陽から受け取るエネルギーは、距離の2乗に逆比例するため、かりに金星が太陽から地球までの半分の距離に位置しているとすると、地球の4倍のエネルギーを受け取っていることになる。
2金星の地表付近の気圧は地球の約90倍という、想像もできない超高気圧である。今後どれほど排出量が増えても、こんな超高気圧状態にはならない。
3すでに述べたが、地球の大気中の二酸化炭素濃度は0.0数%である。大気の大部分が二酸化炭素でできている金星とは比較にならない。

 これらにより、今後も地球は金星のような灼熱地獄にはならない。

 オリンピックの公益性とは?

 オリンピックとは催し物の一種に過ぎないが、公金が投入されているらしい。自国の選手が活躍してメダルを取れば嬉しいが、その一方で、「だからそれがどうしたの?」という疑問も沸いてくる。自国が勝ったからといって、収入が増えるわけでも配当金が増額されるわけでもない。ナショナリズムを刺激して、景気がよくなるという指摘もあるが、それなら、景気対策としてオリンピックを開催したり誘致したりするのか? ということになる。
 ナショナリズムに批判的な左翼は、オリンピックやワールドカップはナショナリズムを刺激するのでけしからん。ということにならないのか? 公金の無駄使いではないかと指摘するのなら、いくらか賛同してもいい。

 株主総会にて。

 今日株主総会に出席したが、退屈だった上、株主からのくだらない質問が続いたのでうんざりした。早めに退席すべきだったと後悔している。質問があるなら、あらかじめ論点を整理してからにしてもらいたい。会社側の説明にしても、営業利益や経常利益がどうの、こんなことは決算書に書いてあることだし、時間の無駄ではないのか。

  保守派の欺瞞。

 最近よくテレビで、いわゆる保守派の人たちと左翼との丁々発止の論争がよく放映されるが、どちらも議論がへたである。慰安婦問題などとくにそう感じる。「子どもにも人権があるのか?」という問題にしても、両者で人権の概念を異なって使用しているのである。議論が平行線になるのは当然である。こんなことをいちいち指摘してやらないと判らないのか? それとも、丁々発止をしているほうが視聴率が稼げるのであえて指摘しないのか? 
 フリーター、ニート、非正規社員等々、いわゆる社会的弱者のことが論題に上がると、保守派の態度はいつも決まっており、甘ったれに喝を入れるごとく、ことごとく論破するのである。それはそれでひとつの見解であるから、ここではそのことは批判しない。
 だがこのような指摘についてはどう答えるのか? 生まれつき能力の低い、弱い、あるいは障害者についても、あのような強硬な態度をとるのか? 拉致問題であれだけ人権のことを騒いでいるわりには、一貫性がないではないか。
 障害者だけは別なのか? それなら、健常者とどこで区別するのか? 障害者と健常者とは、境界を挟んで連続しているのである。また、健常者であろうが障害者であろうが、生来個人の間には途方もない能力格差があり、この現実を見て見ぬふりをしてきたのが左翼であり、この悪平等を批判してきたのが右派ではなかったのか? たいして勉強していないのに中学高校で英検一級数検一級に合格する生徒がいる一方で、一生勉強を続けても小卒程度の基礎学力を習得することすら困難な人たちも多数いるのである(知的障害児・者ではない)。彼らは四級の合格すらおぼつかないだろう。学力だけではない。マラソンの高橋選手のように、40km以上も走っても楽しいと感じる人もいれば、筆者のように数km走っただけで疲れる虚弱な人間もいるのである。なんのことはない、戦後民主主義についてあれほど批判してきた保守派自身が、人間は皆平等という欺瞞に汚染されていたのである。じつは彼ら自身が悪平等論者であり、左翼だったのだ。
 
 男性と女性ホルモン

 女性ホルモンに似た働きをする大豆のイソフラボンがどうの、といった健康情報をときどき聞くが、男性は身体生理の構造上、女性ホルモンが不足することはない。
1男性ホルモンのテストステロンと女性ホルモンのエストラディオールは化学構造が酷似しており、全身に散在するアロマターゼによって即座にテストステロンがエストラディオールへと変換される。
2高齢になるほど、アロマターゼが活性化してくる。
 上述の事情により、閉経後は、女性よりも男性のほうが体内のエストラディオール濃度が高くなってくるのである。 
 したがって、男性は女性ホルモン様の物質を摂取する必要はない。というよりも採らないほうがいいだろう。

 組長さんまでもが・・

 暴対法について、産経新聞が山口組系暴力団(彼らからすれば、「なんでわしらが暴力団なんじゃい!」というところだろうが)の組長さんにインタビューした記事を読んだ。それによると、「(中略)そのたびに山口組は「進化」してきた。」そうで、組長さんまでもが、マスコミが汎用用語に変えてしまったコピー用語の「進化」という単語を使っているのを知って、マスコミの威力を思い知らされた。本来「進化」という単語、というか概念は生物学用語であり、これを、製品の改良や性能向上を美化するコピー用語として誰かが使い始めたのだ。それをテレビが勘違いして、本来進歩というべきところをやたらと「進化・進化」と頻用するようになっていったのだ。そうなると当然のことながら、コピー用語としての価値は下落していく。私はひねくれているので、この用語は本来の定義内でしか使用しない。
 ついでに・・暴力団対策法についての私の基本的な考えを述べておく。これについての反論は、彼らは暴力団ではなくて任侠団体だとか、その歴史的経緯がどうの、社会的弱者としての前科者の再雇用先としての役目とか・いろいろあるらしい。そんなことは関係なく、違法行為に関与したかどうかのみによって取り締まられるべきだ。
(追記)暴対法は背景に米国からの圧力があるのではないかと思う。紳助さんの芸能界追放も同様だろう。

コメント一覧

なんでも評論家
Unknown様
四次元幾何学については追加したいのですが、なかなか時間が確保できなくて更新できていません。頑張って追加してみるつもりです。
Unknown
過去の記事にコメントつけるのもどうかと思いましたが・・・

慰安婦問題は決して「従軍」ではないので。
戦地には必ず慰安婦のテントが建つそうです。
そこの住民たちもお金がなく困っているわけですから。

繰り返しになりますが、「従軍」では決してありません。



P.S.
4次元の超サイコロのお話、大変興味深かったです。
2、3日に1度読み返して、4次元の理解を深めようと思っています。
niraukanai
大丈夫ですか
http://blogs.yahoo.co.jp/niraukanai
この言葉は救助する上で所見判断に使います。その本人の意識レベルなどひと言で判断できますから
ただし遭難など状況がハッキリしてる場合は決して使いません。
訪ねられた人間が救助を確信して自分で生還しなければという覇気を失ってしまうからです。
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