ひな祭りの想いで ゆさんばこ

2021-02-27 20:42:18 | 日記

 

 

もうすぐひな祭り

娘が嫁いでから殆どひな人形を出すことがなくなった。

ただ面倒に感じてたから。

 

子供のころ、親や村の人は季節の行事は大切にしていた。(たぶん日本中)

どっぷりとそんな環境で育ったのに、自分でも不思議なくらい子供の巣立ちとともに薄らいでいる。

 

 

ゆさんばこ…遊山箱と書くのかわからないけど この二つの ゆさんばこ は何となく大切に持っている。

(とは言うもののけっこう埃がのっている) 弟使用のものと。

 

 

引き出しを開けてみた。

小ささに驚いた。

当時はお腹いっぱいの 海苔巻き(関東では太巻き)

透き通る優しい色の寒天(また食紅のシミも付いたまま)

     もう一つの引き出しに何があったのか記憶にない。

 

 

村の子供たちはそれを下げてご近所をはしごする。

それぞれのうちの雛壇の前で遊び、村のはずれのれんげ畑でゆさんばこを開ける。

 

                               🍱

明日はオンラインでの生け花のクラス。

桃の枝を準備しようかな。

 

 


作業室と花

2021-02-26 22:16:19 | 日記

 

自宅オフィスにあるシンピジウム(ラブリーエンジェル)が遂に弱り始めた。

 

少し戸惑い、勇気が要ったけど、処分する前に何かと組み合わせて生けてみようと!切った❕

👆(この写真はまだ元気な時です)

 

ショップに行く前に生花店へ。

ビンテージという名のバラを買ってみた。ちょっと、ひとめぼれ💛

 

 

主役が入れ替わった感が少しします。

 

 

面白半分に普段は画面では見せない場所に花をおいてみたら

修理工場の油臭いところで花を生けてみたいと思った。

ショップ内の作業室(アトリエ)

 

一見相反する物、事との組み合わせは好きです。

 

 


生け花の歴史と華萠(かほ)スタイル ⑶

2021-02-21 13:33:57 | 日記

(続き)

生け花の歴史・・・(私個人の独断解釈理解が多く含まれています。ご了承ください)

昨年秋、NHK文化センターと大人の休日俱楽部趣味の会 共同開催のセミナーに参加してみた。

タイトルの「日本文化の源流をさぐる」に惹かれて。

教科書と学者たちとの意見は一致していないことが多いと知る。

 

🌷🌷🌷

 

これまで生け花の歴史、って探してみても納得するものには出会っていない。

 

インドから仏教の伝来とともに~~とか、飛び級では室町時代になって生け花のスタイルが確立された~くらい。

 

室町云々は、戦国の世、京都六角堂の池坊専好が立華というスタイルを確立させた、と。

 

それから時を経て、この立華がヨーロッパに伝わり、

左右対称のかたち、フラワーアレンジメントとなったと、かつての師から聞いたことがある・・・

日本は建築様式にもみるようにアシンメトリーの文化。

床の間に合わせて生け花も本勝手、逆勝手の生け方へと確立する。

 

床の間のない現代の生活様式でもこの本勝手か逆勝手かは大切な要素であり、今の生徒さん達にもしっかりと伝えている。

 

🌷🌷🌷

 

戦国の世。

お寺には花僧が花を生け、競う風潮はあったらしい。

江戸にはいり、庶民の文化が広がるとともに、生け花も庶民に広がり、それと共に流派が次々うまれてくる。

明治時代になって、政府は不況対策の一つとして池坊に若い女性のめの生け花学校を要請した。

生け花は花嫁修業の一つとして成り立ち、男性文化から女性へと移行していく。

 

🌷🌷🌷

話、飛びます!

アメリカ在住の妹が、子供が幼稚園年齢のころ(現在甥は28才)、学校から生け花のワークショップを依頼された。

その時にやはり歴史をさがした。

そんななかで、妹と私のお気に入りは・・・・・

 

四季の移ろいに心を寄せる日本人、庭(か道端か)にあるの風雨で傷んだ草木を持ち帰り水に満たされた器に入れる。

命をとりもどした植物への喜びと、四季に対する感性が絡み、生活芸術、生け花へと成長した・・・というものがあったらしい。

 

残りの花材で

        農道に捨てられていた黄色い実(名前 ?)と庭の水仙

 

日本人は四季に対して特別な感情を持ち続けたのだろう。世界のどんな時代や地域においても花を生ける楽しみはあったはず。

それが文化、芸術と育ったのは日本だけである。

このDNAにすでに組み込まれている「生け花」を産んだ感性は絶やせない。

ドアの外での四季をインドアでも楽しみ味わおう!

 

樹花kahostyle

HP:ggcs-style.com

 

 


私の生け花歴史と華萠(かほ)スタイル ⑵

2021-02-18 22:29:37 | 追憶

(続)

教室では私自身も気軽に、生徒さんとの時間を楽しんだりしていたものの、一方で下火になっていく生け花界を眺め続けている自分がいた。

🌷🌷🌷

在日外国人や留学生との関わりが多い中で、彼等は生け花のワークショップなどには時々参加し、日本の文化を楽しんでいる。

海外にも広げたいという夢は大きくなっていく。

流派を時々聞かれることもあり、名前をKahostyle(華萠スタイル)とした。

 

         ネパールからの留学生                   バングラディッシュ出身の親子

                                  

ある時、ふと浮かんだことがあった。

🌷🌷🌷

お花を生けている生徒さんを見ていて

自分たちの好きな、得意なことが誰かの役にたち、そして報酬が得られたら・・・

自分の得た収入で家族へのプレゼントであったり、ボランティアに使ったり・・・これって素敵なこと  と!

そして一つの事業として "Anniversary"の企画に入った。

生け花本来の歴史も辿ってみた。

 


私の生け花歴史と華萠(かほ)スタイル ⑴

2021-02-16 22:35:48 | 追憶

(編集しました)

私は小学校入学と同時に望んでいた「お花のおけいこ」を始めることができた。

記憶にはお稽古の様子は殆どなくて、お稽古あとの師の庭にある花と遊んでいる光景しか浮かばない。

 

当時はどこの家にも庭に季節の花が咲いていたし、お玄関には それぞれのおうちの花が生けられていた。

 

村に花屋さんはなく、お稽古の花材がどのように運ばれてきていたのか今になっては不思議の一つ。

四国の南部、田舎の村のこと。

 

 🌷🌷🌷

 

楽しんできたお花のお稽古は結婚後仕切り直し、指導者をめざしてみようと意識と視点を変えることにした。

 

流派も変更し、合間にフラワーアレンジメントも始めた。

 

楽しんできたお稽古は修行へと変換していったが、それはやりがいのあるものであり充実した自分時間を持つことができた。

が、気質的にしばりに弱い。

 

師との関係はさほどの問題はなかった。

家元制度の中に潜む空気感、慣習などは重荷になってくる。

 

師の勧めがあり、教室を開いてからは更にいろんな難題や疑問がでてくる。

             

🌷🌷🌷

 

結果、家元制度からは離れる方向を選び、暫くして師からも離れた。

 

生活芸術、文化としてのすばらしさを抱えながら日常の暮らしの中にさりげなく存在する生け花を広めたい、ただそれだけなのに、

という想いが強くなっていた。

かつて子供時代、母が生けていた暮らしの中にある生け花のような。