女性週刊誌が 菅首相など政権幹部の主な「言い間違い」リスト
<官房長官>
'19年3月11日、大震災追悼式
○追悼式 → ×記念式典
<首相>
'20年10月19日、ベトナムでの演説
○ASEAN(東南アジア諸国連合)→ ×アルゼンチン
'20年10月29日、政権への期待について
○そこにある → ×そこそこある
'21年1月13日、緊急事態宣言の対象地域拡大で
○福岡 → ×静岡
'21年1月22日、緊急事態宣言の延長で
○翌月まで → ×翌日まで
これ、指摘して喜ぶのは余程のへそ曲がりか日本侵略を考えている方々だけじゃないでしょうか?
ほんとうに寛容さが無くなって来ました、日本社会。
人のミスについては徹底的に批判。私個人は二階に操られているように拝見される菅首相を支持していませんが、超業務過剰・超多忙な高齢者である指導者にも情け容赦なくこき下ろしているような人間になりたくはありません。
この記事をみたのが愚民なら次期選挙で口先だけの政党に投票してしまう惧れもあります。
ライフルマンが息子マークへ掛けた言葉を想い出します『マーク、そんなことをしているのはお前の心が醜いからだよ』と。。。
よっぽど書く記事が無いんでしょうね~
こういうので、発行部数が伸びるの??
こういうので、喜んで買う人いるの??
大事な事は、書かないで 同でも良いコトだけを・・・
面白い国ですよねぇ~
僕が思うに、マスコミは(ほぼ)全ての政権を批判しますが、逆にいえば、どの政権であれば良かったのでしょうか。監視機能云々はわかりますが・・・。先日、中曽根首相以降の歴代内閣総理大臣一覧を見てみました。この中の誰であれば「概ね良かったのか」。良かった政権は一つもないとしたら、どこを目指しているのか。いやそういえば、あの悪夢の民主党政権はリアルタイムの批判は少なかったのでしょうか。あれが目指すところ??
最近では「田中角栄の時代は、ある意味よかった」みたいな風潮がありますが、当時だって金満政治といって批判の嵐だったのでは想像しています。良かった時期なり、人がいて、そのうえで現状を批判している訳ではないんですよね。揚げ足取りと重箱の隅つつきが、この国に閉塞感をもたらしているような気がしてなりません。
国民?マスコミは僅かなミスも許しませんね。その割にテレビ報道でミスがあってもアナウンサーが最後に「○○とした○○については○○の誤りでした、ここに訂正させていただきます」だけですね。テレビ局は編製局長などの下っ端でなく社長が頭を下げて間違えた理由や改善方策を発表すべきでは?と思います。
総理や各大臣と違って公器とはいえ単なる私企業の社長なんですから政府の大臣などと比べたらヒマすぎるポストですから。
東京都知事になろうとした鳥○越俊太郎とかいう自称ジャーナリストが「ジャーナリストは政権を批判するために存在していますから。。。」とのたまっていました。でも「特定の政権だけ」批判して「特定の政権だけ」は批判しませんでした。
本人も知事になったら批判される立場になるということを理解せず都として国に意見(批判)しようとしていたと話していて驚いた記憶があります。
揚げ足取りと重箱の隅つつきのような下品な真似はもう止めて欲しいです。