「作って」と頼まれてもいないのにお布団カバーなど孫2号が1年間だけ行った保育園で使ったカバーを使えないかと思い持ち出してみた。
隣の保育園同士ですが市立と私立では全く違ってました。
初めての子なので嫁の気に入った生地を購入しておくように話しておきました。
孫2号は1年間育休をとって復帰したのですが復帰後は保育園に。
1年間は預けないと幼稚園の年少組には入れません。
孫1号を幼稚園に、孫2号を保育園に通わせて大変だったので、
幼稚園にまとめて入れたので、保育園で使ったものは全て新品同様で倉庫に入っていました。
布団カバーはサイズが全く違うのです。
でもこのまま捨ててしまうのももったいなくて、丁寧にほどいて3枚を2枚に
つぎはぎしながら指定の布団カバー2枚にしました。
嫁も生地を買ってきたようなのでまたミシンを使いに来るでしょう。
2枚あれば金曜日に持ち帰ってそこで新しいのを付け替えておけば、月曜日の
朝のセッテイングに時間をとられることもないでしょう。
保育園の朝の時間は出勤時間ばかり気になってあわただしかったことを思い出してしまい、夢中でリメイクしてあげた。
どうせ感謝されないだろうけれど名前の白い布を縫い付けて、やれやれでした。
孫3号が使って、孫4号が産まれて同じ保育園に行けば、その時はそれを使えばいいでしょう。
孫1号は娘は育休を3年とっていたので年少組は自分が送り迎えしていた。
年中になって幼保連携幼稚園となったので預かり保育も使うようにして
と孫2号の出産をして1年育休をとってあけての2歳児枠で保育園に入れた。
(通算4年も育休をとったのです)少
そして孫1号と孫2号は年長組と年少組で1年を過ごす。
初めての小学校もコロナの流行で学校が一斉休業になり、入学式だけして7日から自宅待機だった。
分散登校だったりしたので本当に学校へ行けるのかと思う毎日でした。
小1と年中。小2と年長。そして小3と小1の変遷でした。
孫4号が産まれると年子になるのでこんな悠長なこと言ってられません。
私たちの時代には考えれない優遇です。
それでも産前8週間産後8週間の休暇がもらえて7月6日に産まれて9月1日には復職でした。
娘は預かってくれるところがないので産休明けから11月上旬まで実家に
預けて土曜日に仕事を終わらせて車で3時間かけて土日だけの母親でした。
母乳はだんだんでなくなりましたが、最初はお乳が張って更衣室で搾乳してました。
実家に帰って母乳を飲ませようとすると、母がフレッシュな母乳じゃないから
飲ませない方がよい。と言われかなり傷ついた。
母もまだ50代だったので頑張って孫育てをしてくれたのでした。
これではまずいと思い個人の方に保育をお願いしてみてもらっていました。
大田区は0歳児でも8ヶ月すぎないと入れないので、ちょうど8カ月で保育園に入園できたのでした。
慣らし保育も保育園の送り迎えも個人の方にお願いして二重保育でした。
働く女性のほとんどがこんな試練を乗り越えて子育てしていた。
先輩たちがやってきたことだ、自分も頑張ろうと思って歯を食いしばって
子育てした。
今孫たちに70歳を過ぎた私がやってあげられることをするのは
我が子たちへの罪滅ぼしのような部分もある。
長く生きてくると人生でいいことたくさんありますね。
命を大事にして健康寿命を延ばしていきたいものです。