INSIGHT

ある化学工学系大学教員の大学とあまり関係ないブログ.twitterやFacebookに載りきらない長文の置き場.

出前講義に行ってきた

2012年07月18日 | 講義(実験)
宮城県工業高校で特別講義と実験をしてきた。
いわゆる出前講義というもの。

この高校はJSTのサイエンス・パートナーシップ・プロジェクト(SPP)採択校の一つで、バイオエタノールの合成に取り組んでいるとのこと。それでバイオエタノール関係の研究者による講義ということで僕のところに話が来たというわけ。

実のところ僕自身はバイオマスからエタノール合成する反応そのものについては全く素人。合成されたばかりのエタノールはお酒と同じで8割方が水で、僕がやっているのはここから水を取り除いて純粋なエタノールにする脱水技術の部分。特に脱水能力に優れた材料を開発することをターゲットにしてきた。だから、最初大学の広報担当から「微生物などを使ったバイオエタノールの合成技術について話をしてほしい」と依頼が来たときは、お断りせざるを得ないかもと思ったほどだった。しかし結局は脱水技術の話でもOKということになり、お引き受けすることに。

だけど、講演はまあいいとして実験は何をやればいいだろう? 僕が取り組んでいるエタノール脱水用の分離膜自体開発途上で、電子顕微鏡やX線回折で構造評価している段階だから、実際に運転してみせることはできない。仮にできたとしても、装置が大きくて一人では運べないし。

そんなことをぐだぐだ悩んでいる間に実施日が目前に(汗)。

考え方をチェンジして、自分の研究を見てもらうのではなく、1時間という枠の中で脱水技術というものをシンプルに体感してもらうことにした。思いついたのは、脱水用の膜や吸着剤に使われるゼオライトに水を吸着させること。ガラス容器の中でエタノールと水の混合溶液にゼオライトを浸すと水だけがゼオライトに吸着されて取り除かれるので、残りは純粋なエタノールになるというわけだ。

さて、エタノールから水が取り除かれたことをどうやって確かめるか。高価な分析装置なしに、しかも一瞬で。水分指示薬が混入されたタイプのゼオライトを使えば水が吸着されたことは変色で確認できるのだが、もっと直接的な証拠がほしい。そうだ、火をつければいいじゃないか。

予備実験してみて、エタノールの重量濃度で30%付近が着火するかどうかの境目だとわかった。それより少し水が多めの溶液なら脱水することで着火するようになる。よし、これでいこう。

ところが本番の前夜、濃度を正確に決めるためにもう一度実験すると、脱水前でも簡単に着火してしまう。どうやら前回よりも気温が高いのが災いしたようだ。さらに溶液を入れておく器の形次第で着火のしやすさが変わることもわかった。

更に悪いことに、水が激しくゼオライトに吸着するために大量の吸着熱で溶液が熱くなり、ゆっくりやらないと沸騰して危険ですらあった。



うーん、どうする、俺。

いろいろな濃度の結果を見なおしてみると、30%付近では着火はするが水が燃え残る。80%以上では水もすべて蒸発してしまうようだった。それなら水が残るかどうかで脱水の効果を判断できるんじゃないか。結局70%の溶液に点火してもらうことにした。比較として研究室に眠っていた多孔質アルミナでもゼオライトと同様にやってもらうことにした。こちらは脱水効果がないので浸した後に燃焼させても水は残るはずである。もう午前様だったのでこの辺は確かめずにぶっつけ本番ということに。神様よろしくね。



本番では6つのグループにわかれた生徒さんにやってもらったのだが、どこも成功したようで、目論見通りゼオライトを浸した溶液は脱水されたため燃焼後は完全に燃え尽き、アルミナを浸した方は水分が残った。神様ありがとう!

あとで担当の先生に伺ったところでは、これまでアルコール合成に取り組んできて木質バイオマスから菌体を使って合成するなどかなり高度なことにも成功してきたのだが、アルコール濃度が低く、その後の濃縮・脱水に苦労してこられたとのこと。今回の話と実験はそのあたりの問題意識にきちんと噛み合ったようで、ひとまず良かったと思っている。

校長先生ともお話をさせていただけたのだが、工業系の教育をどうしていくか深く考えて学校運営にあたっておられる様子が印象的だった。今回のSPPのようなプログラムを単なる高度教育の機会にとどめるのではなく、普段の授業に外部からの風を当て、継続的に改善していくためのツールとしても位置づけられていた。生徒に対しても高度な専門教育というよりも問題解決への取り組みやそこで培われる粘り強さの方を重視しておられる様子だった。これは個人的に大いに共感するところ。

正直なところ当初はあまり乗り気ではなかったのだが、やってみて感じるのは高校から見れば「外部」の僕にとっても自分の殻である大学に閉じこもらないためのツールの一つだったのだな、ということ。終わってみて良かったと思えるのだから、間違いなく良い体験だったのだ。