この1週間、執筆中の論文原稿とにらめっこする日々。
グルグルと廻りだした思考はやがてその遠心力で重力を振り切り、「今、この職にいる自分」へと向けられる。本当は学位をとるまで伏せておくつもりだったけれども、この機会に自分の考えを書き留めておこうと思う。各方面からお叱りを受けることは覚悟の上で。
現時点での結論は「この仕事は将来辞めるかもしれないが、学位をとるまでは辞めるつもりはない」である。
以前の記事に書いたとおり修士課程を出てすぐに今の職についたが、9年かかってまだ学位を取れずにいる。任期制でなくパーマネントの職を最初から得た点で他の多くの同世代の研究者よりも恵まれた環境にいることは間違いない。予算や設備の面では確かに厳しいけれども、応援を申し出てくれる人が学内外に大勢いて下さるのも大変有難いことである。学位取得が遅れていることは自分自身の問題による以外の何物でもない。
自分に近い世代の研究者を見渡してみると、結婚・出産・育児などで研究を研究を中断せざるを得なかったり、何年研究室でポスドクを続けても助手・助教になれず大学を去ったりするのは珍しいことではない。特に大学や旧国研において、若手が研究職を続けようとすると、このように個人の能力だけでは如何ともしがたい壁があるのが現状だ。皆、その中で文字通り身を削る思いで業績を上げ、キャリアアップを目指している。そして少なくない人が悩んだ末に方向転換を余儀なくされている。そんな中で独身・パーマネントで大したパフォーマンスも示せずに今のポストに居続けている自分の状況は、周囲から見たら理不尽なほどに贅沢なものと映るだろう。
それならば、なぜ今の仕事を続けているのか?
一つには、今のところ他に自分に向いた仕事が見当たらないという、消極的な理由だ。以前書いたこととも関係するけれど、学生のときに「自分探し」をきちんとやってこなかったツケを今、払っている。もちろんきちんとやったからといって見つかるとは限らないけれど、気付いたらかなり狭い道に入り込んでしまったような気がする。この道を進み続けるのか、方向転換するのか、自分の将来をどちらに見出すのか決断しなくてはならない。それも、年齢を考えれば残された時間はあまりない。
しかし一方で、学位をとらずには引き下がれない気持ちがあるのも事実だ。何しろもう9年もかけている。無駄の多い時間だったことを悔やむ暇があったらまず学位をとってこの年月に落とし前をつけねばならない。それに今後大学以外の道に進むにしても、今の仕事は自分のキャリアとして生かさなくてはならない。そのためにも学位は必要だ。そしてそれは今の職場でとる以外に道はない。
もう一つの理由は、研究職へのある種の固執だ。学生時代に今の職を選んだとき、漠然と考えたことは、何をどのように追究するのかを自分の価値観に従って自分の責任で決められる仕事がやりたい、ということだった。今思えば赤面しそうなくらい青臭い考えではあるが、大学教員という仕事はそういう意味で魅力的なものと映った。
2年ほど中央省庁に研修に行った時には、研究活動をサポートしたり実用化に結びつけたりするために国や民間の様々な立場の人が活動していることを間近で学んできた。そうした場で自分の力を活かせると感じたことも度々あった。だからそこを去るときに「ここに残らないか」と言われたときは正直心が揺れた。それでも戻ってきたのは、自分自身の探究心の存在を信じたからだ。その省庁では大学や民間の様々な第一線の研究者・開発者とお話させていただく機会に恵まれたが、話をすればするほど、自分自身もこの人達のように仕事に没頭してみたい、(学問的であれ産業的であれ)新しい価値を創り出す仕事をしてみたい、と思う気持ちは強くなっていった。研究をサポート・マネジメントする側も確かにクリエイティビティは必要だけど、どちらかといえばバランス感覚を要求される仕事。今そちら側に回ったら、きっと一生研究者を羨む気持ちで眺めることになるに違いない。とりあえず今は、やり切ったといえるまで一つの研究をやり遂げてみたい。そのように考えた。
そして、話は今に戻る。
やりたいはずの研究をやっているはずなのに、なぜこんなに逡巡するのか。また贅沢を言うようだが、やり甲斐のあるテーマを見つけていないことが大きいように思える。この職に就いてからというもの、ほとんどのテーマは他の誰とも相談することなく自分で見つけてきている。大きな研究チームに入ってテーマを与えられたという経験もない。先述した「自分で決める」という自ら望んだ環境を手に入れたわけだが、それが仇となって極めて限られた知識・考察のもとに研究の方向を決めざるを得なくなり、行き当たりばったりになっているのだ。底の浅い研究を嫌いながらも、そこに落ち込んでいかざるを得ない状況を変えずにいた。そうしているうちに研究へのモチベーションを失いかけてきたのだ。
もう一つ、大学でのキャリアアップに展望を見出せないこともある。年齢的にもう助教の公募に応募できる年齢ではなくなりつつあるし、このままいけば准教授も厳しいだろう。何よりも、論文の本数やインパクトファクターで輪切りにされるこの業界では競争に勝つことにエネルギーの大部分をつぎ込まなくてはならないことを考えると、気が重くなる。何のための研究? まるで一直線のコースを倒れるまで走らされる実験用ラットのようだ。大学でこれから生き残っていくつもりであれば、とてもじゃないが「楽しんで」研究をやる暇などない。ただでさえ自分は論文数で言えば同世代の中で競争の最後尾付近にいるのは間違いないのだし。
そんなわけで、あまり悩んでいる時間はないとはいえ自分の将来像を見定めかねている現状である。いずれの道に進むにせよ、クリエイティブワーカー(クリエイティブクラスというと「階級」みたいで抵抗がある)にどうにか留まりたいという願望はある。ひょっとするとクリエイティブワークという職種があるというよりも、いろいろな職業において自分の気の持ちようでそのような要素を見出すことができる、というものかもしれないし、そういう視点で職探しをしてみたい。
グルグルと廻りだした思考はやがてその遠心力で重力を振り切り、「今、この職にいる自分」へと向けられる。本当は学位をとるまで伏せておくつもりだったけれども、この機会に自分の考えを書き留めておこうと思う。各方面からお叱りを受けることは覚悟の上で。
現時点での結論は「この仕事は将来辞めるかもしれないが、学位をとるまでは辞めるつもりはない」である。
以前の記事に書いたとおり修士課程を出てすぐに今の職についたが、9年かかってまだ学位を取れずにいる。任期制でなくパーマネントの職を最初から得た点で他の多くの同世代の研究者よりも恵まれた環境にいることは間違いない。予算や設備の面では確かに厳しいけれども、応援を申し出てくれる人が学内外に大勢いて下さるのも大変有難いことである。学位取得が遅れていることは自分自身の問題による以外の何物でもない。
自分に近い世代の研究者を見渡してみると、結婚・出産・育児などで研究を研究を中断せざるを得なかったり、何年研究室でポスドクを続けても助手・助教になれず大学を去ったりするのは珍しいことではない。特に大学や旧国研において、若手が研究職を続けようとすると、このように個人の能力だけでは如何ともしがたい壁があるのが現状だ。皆、その中で文字通り身を削る思いで業績を上げ、キャリアアップを目指している。そして少なくない人が悩んだ末に方向転換を余儀なくされている。そんな中で独身・パーマネントで大したパフォーマンスも示せずに今のポストに居続けている自分の状況は、周囲から見たら理不尽なほどに贅沢なものと映るだろう。
それならば、なぜ今の仕事を続けているのか?
一つには、今のところ他に自分に向いた仕事が見当たらないという、消極的な理由だ。以前書いたこととも関係するけれど、学生のときに「自分探し」をきちんとやってこなかったツケを今、払っている。もちろんきちんとやったからといって見つかるとは限らないけれど、気付いたらかなり狭い道に入り込んでしまったような気がする。この道を進み続けるのか、方向転換するのか、自分の将来をどちらに見出すのか決断しなくてはならない。それも、年齢を考えれば残された時間はあまりない。
しかし一方で、学位をとらずには引き下がれない気持ちがあるのも事実だ。何しろもう9年もかけている。無駄の多い時間だったことを悔やむ暇があったらまず学位をとってこの年月に落とし前をつけねばならない。それに今後大学以外の道に進むにしても、今の仕事は自分のキャリアとして生かさなくてはならない。そのためにも学位は必要だ。そしてそれは今の職場でとる以外に道はない。
もう一つの理由は、研究職へのある種の固執だ。学生時代に今の職を選んだとき、漠然と考えたことは、何をどのように追究するのかを自分の価値観に従って自分の責任で決められる仕事がやりたい、ということだった。今思えば赤面しそうなくらい青臭い考えではあるが、大学教員という仕事はそういう意味で魅力的なものと映った。
2年ほど中央省庁に研修に行った時には、研究活動をサポートしたり実用化に結びつけたりするために国や民間の様々な立場の人が活動していることを間近で学んできた。そうした場で自分の力を活かせると感じたことも度々あった。だからそこを去るときに「ここに残らないか」と言われたときは正直心が揺れた。それでも戻ってきたのは、自分自身の探究心の存在を信じたからだ。その省庁では大学や民間の様々な第一線の研究者・開発者とお話させていただく機会に恵まれたが、話をすればするほど、自分自身もこの人達のように仕事に没頭してみたい、(学問的であれ産業的であれ)新しい価値を創り出す仕事をしてみたい、と思う気持ちは強くなっていった。研究をサポート・マネジメントする側も確かにクリエイティビティは必要だけど、どちらかといえばバランス感覚を要求される仕事。今そちら側に回ったら、きっと一生研究者を羨む気持ちで眺めることになるに違いない。とりあえず今は、やり切ったといえるまで一つの研究をやり遂げてみたい。そのように考えた。
そして、話は今に戻る。
やりたいはずの研究をやっているはずなのに、なぜこんなに逡巡するのか。また贅沢を言うようだが、やり甲斐のあるテーマを見つけていないことが大きいように思える。この職に就いてからというもの、ほとんどのテーマは他の誰とも相談することなく自分で見つけてきている。大きな研究チームに入ってテーマを与えられたという経験もない。先述した「自分で決める」という自ら望んだ環境を手に入れたわけだが、それが仇となって極めて限られた知識・考察のもとに研究の方向を決めざるを得なくなり、行き当たりばったりになっているのだ。底の浅い研究を嫌いながらも、そこに落ち込んでいかざるを得ない状況を変えずにいた。そうしているうちに研究へのモチベーションを失いかけてきたのだ。
もう一つ、大学でのキャリアアップに展望を見出せないこともある。年齢的にもう助教の公募に応募できる年齢ではなくなりつつあるし、このままいけば准教授も厳しいだろう。何よりも、論文の本数やインパクトファクターで輪切りにされるこの業界では競争に勝つことにエネルギーの大部分をつぎ込まなくてはならないことを考えると、気が重くなる。何のための研究? まるで一直線のコースを倒れるまで走らされる実験用ラットのようだ。大学でこれから生き残っていくつもりであれば、とてもじゃないが「楽しんで」研究をやる暇などない。ただでさえ自分は論文数で言えば同世代の中で競争の最後尾付近にいるのは間違いないのだし。
そんなわけで、あまり悩んでいる時間はないとはいえ自分の将来像を見定めかねている現状である。いずれの道に進むにせよ、クリエイティブワーカー(クリエイティブクラスというと「階級」みたいで抵抗がある)にどうにか留まりたいという願望はある。ひょっとするとクリエイティブワークという職種があるというよりも、いろいろな職業において自分の気の持ちようでそのような要素を見出すことができる、というものかもしれないし、そういう視点で職探しをしてみたい。