全国制覇、、“甲子園から消えた”かつての名門公立高校の現在、、現 野球部員がポツリ「甲子園は、、遠い夢です、、」「ウチは今、県内で○○のレベル、、“、、令和7年、2025年8月18日(月)報道より、、
勝てない! 名門復活 道険し
いにしえの 全国連覇 公立星
甲子園 出て当たり前 つまらない
(↓この背景は、以下に
記載致しました↓)
主に令和7年、2025年8月18日(月)
11時22分報道記事より、、
、、、
今年、令和7年、2025年8月、
第107回全国高等学校
野球選手権大会
(以下、夏の甲子園)。
別報道2025年8月4日(月)6時12分
報道記事による優勝候補の
前評判が報道されていた、
ところが、優勝候補の一角が
地方大会にて敗退ハプニング続出、
埼玉大会では浦和学院が
3回戦で早々と姿を消し、
センバツ4強の浦和実もまた
準決勝で敗退。
大阪では大阪桐蔭が
決勝で涙をのみ、
愛知大会では私学4強も
そろって甲子園を逃す
波乱が続出した大会だった。
その一方で、春のセンバツで
準々決勝まで進出した8校のうち、
浦和実と広島商を除く6校が
春夏連続出場を決めており、
これらの学校が夏も有力視された。
中でも1998年の
松坂大輔世代以来の
春夏連覇を狙う、神奈川の私立、
横浜や、
センバツ準優勝の
智弁和歌山あたりが
中心となりそうだと予想された。
この他強豪校として、
東洋大姫路や
沖縄尚学、
2024年夏優勝の京都国際、
仙台育英あたりが
優勝争いに絡んできそと。
さらには、全国最多となる
夏41回目かつ
2年ぶり出場を決めた北海
(南北海道)
なども注目されていた、、
結果、2025年夏甲子園は、
https://blog.goo.ne.jp/575/e/2db05b54cb7f3ed025659adf2facb6e6
コメント欄掲載備忘録
https://blog.goo.ne.jp/575/e/2db05b54cb7f3ed025659adf2facb6e6#comment-list
掲載の通り、
優勝、沖縄尚学 (沖縄)
準優勝、日大三 (西東京)
であった、、、
、、、
その陰で、、
かつて全国制覇、、
“甲子園から消えた
”かつての名門公立高校の現在、、
現 野球部員がポツり、、
を紹介したく思います、、
かつて、全国連覇公立、、
蔦文也監督などが率いた
「さわやかイレブン」や
「やまびこ打線」と呼ばれた
豪快な攻撃野球で著名な
徳島、池田高
そのほか全国制覇公立、、
黒潮打線で名を馳せた
千葉、銚子商業
木内幸男監督率いた
茨城、取手二高
などが思い当たりますが、
今回は、、、こちらの
令和7年、2025年8月18日(月)
11時22分報道記事より、、
人口2万5000人ほどの
和歌山県有田市。
ここに、かつて
日本で一番強い野球部があった。
10年ほど前は
100人近くいた野球部員が、
一時12人まで減った。
最後に甲子園に出たのは今から
13年前……
、、甲子園の名門・
箕島(みのしま)高校は
なぜ勝てなくなったのか?、、
全5回の3回目のみ以下掲載、、
、、「甲子園は、遠い夢だな…」
「ちゃんと答えろよ!
箕島高校やぞ」、、
野球部監督の北畑清誠に
活を入れられて、
3年生で主将の野村常登が
「はい!」と返事をする。
やや小柄で、
優しそうな顔をしていた。
夏の大会前に
東京からやってきた取材者を
不審がるでも迷惑がるでもなく、
“ちゃんと”質問に答えてくれた。
当然ながら、
彼ら現役の高校生に
箕島が甲子園春夏連覇を
果たした1979年、
昭和54年の記憶はない。
ただ、言葉の端々から
名門の歴史を
継承しなければならない、
という意志は感じられた。
「最初に『箕島やぞ』
って言われたときは
ピンとこなかったんですけど、
やっていくうちに
強かったんだって
意識は持つようになりました。
勝たなきゃいけない
プレッシャーもあります。
でも、現実は秋、春と
初戦で負けてしまって……。
強かった箕島とは違って、
目の前の1試合を勝つだけで
必死です」
どれだけ低迷していても、
高校球児であるかぎり
甲子園を夢見る自由は
許されている。
残酷かもしれない
と思いながら
「甲子園に行けると
思ったことは?」
と問いかけると、
野村はどこか寂しそうに答えた。
「思ったことはあるんですけど、
現実は甘くなかったです。
まだ遠い夢だなと感じます」
監督の北畑によると、
かつての野球部のような
厳格な上下関係はなく、
上級生と下級生の仲も
良好だという。
困り顔で
「後輩にイジられることも
ありますね。楽しくやってます」
と話す野村の雰囲気を見て、
それは本当だろうなと直観した。
北畑は
「3年生が頼りないんですよ」
と苦笑していたが、
穏やかでいいキャプテン
だと素直に思えた。
「監督、いっつも
怒ってるんですよ」
続けざまに、
2年生の西川篤人にも話を聞いた。
凛々しい眉が印象的な
細身のキャッチャーだ。
父は箕島高校OB。
「俺らで箕島を強くしようや」
という思いが合致した
和歌山有田ボーイズの
同級生6人と一緒に入学した。
「お父さんがいたから、
っていうのも
ちょっとあると思います。
それに単純に
野球に打ち込めるとも思ったんで。
難しいのはわかってますけど、
中学のときは
あんまり勝てなかったから、
高校でやり返したろうって」
監督の厳しさについて
質問したところ、
笑みを浮かべながらこう語った。
「監督、いっつも
だいたい怒ってるんですよ。
でも、たまに笑顔を見せるんです。
あの人、笑うんや……って。
でも厳しくて
よかったと思いますね。
厳しいほうが
やりがいも感じるので、
僕には合っていたと思います」
伝統のラントレをはじめ、
練習は想像以上にハードだった。
名門復活の道は険しく、
勝てない悔しさを
何度も味わった。
それでも西川は、
こちらの目を見つめて
「中学のときよりも楽しいです。
箕島に入ってよかった」
と言い切った。
初対面の大人に、
どこまで本音を
明かしているのかはわからない。
ごく個人的には、
厳しさを是とする指導に
疑問を抱かないわけではない。
どんな集団であっても、
厳しさが閾値を超えたとき、
暴力や暴言が
正当化される可能性があるからだ。だが、当事者の「楽しい」
という言葉に、
無粋な疑いを差し挟む余地は
ないのだろう。
、、現在の甲子園常連私立の
「報徳ではなく…
あえてかつての名門公立の
箕島を選んだ」、、
さらに西川と
バッテリーを組む
2年生エースの澤甚太郎も
取材に応じてくれた。
西川と同じ思いを抱いて
和歌山有田ボーイズから
箕島の野球部に進んだ
6人のうちのひとりだ。
父と3歳上の兄は
箕島の野球部OB。
そして2歳上の兄・剣太郎は
耐久のショートとして
2024年のセンバツに出場した。
名将・尾藤公の
薫陶を受けた父は、
息子にこう言った。
「俺が箕島やからって、
箕島に行ってほしいとかはない。
行きたいところに行ったらいい」
兵庫県の報徳学園高校も
選択肢に入っていた澤だが、
ボーイズの
仲間たちの存在もあって
箕島への進学を決めた。
「私学で当たり前に
甲子園に行くより、
みんなで力を合わせて
強いところを倒して
甲子園に行くほうが、
高校野球、
面白いんじゃないかって。
それが一番ですね」
入学後、
特に強烈だった記憶は
冬練習での
徹底した走り込みだという。
澤は「ほんま、
死にそうやったですね」と笑う。
身長168cmと
大柄ではない澤だが、
打線では中軸を担い、
最高球速は135km。
猛練習の甲斐あって
入学時から7kmアップした。
現在は145km到達を
目標に掲げている。
父や兄も背負った
名門・箕島の看板は、
澤にとって
どんな意味を持つのだろうか。
「この前、
岐阜に遠征したときに、
遠征先の学校の保護者の方に
『ユニフォーム、
すごいかっこええなあ』
って言ってもらったんですよ。
県外に出ても知られてる。
周りから見たらそうなんや、って。
このユニフォームを
もう1回甲子園に持っていって、
全国の人に
見てもらいたいなって思います。
お父さんも
尾藤監督にお世話になったので」
、、「和歌山で
“中の下”くらい」、、
甲子園出場を
目標に掲げる彼らにとって、
高い壁となるのが
智弁和歌山だ。
2025年の春季大会では
初戦で対戦し、
0対6の完封負けを喫した。
だが、
「5回コールドで終わることも
覚悟していた」
という監督の北畑にとっては
手応えを感じる善戦だった。
部員たちも
「あの試合は楽しかったです」
と口を揃える。
澤は智弁和歌山について
こう話した。
「いまは
智弁の時代になってる
かもしれませんけど、
名前負けしてたら
話にならないんで。
同じ高校生ですし、
100%負けるってことはない。
ひとりでも『勝てんやろ』
って思ってたら
絶対勝てないんで。
春の大会は、
全員が勝とうと思って
臨んだ試合だと思います。
そういう試合、
もっとやりたいですね」
話を聞いた部員たちは、
和歌山県内での
箕島野球部の立ち位置について
「中の下くらい」
あるいは
「真ん中より下」
と分析した。
一方で、北畑は
「夏の県大会に出場する
35チーム中、
上位10チームには
入っていると思う」
と話していた。
戦力の認識には
ややギャップがあるものの、
部として掲げた
夏の県大会の目標はベスト4。
それだけの
“しんどい練習”を
課している自負が北畑にはある。
「いまの高校野球は
私学が主流。
もちろんそれはわかってます。
(私立高校は)全国から
能力のええ子を集めてね。
ただ、それでも
何があるかわからないのが
高校野球だと思うんですよ。
大学まで行ったら
正直、能力の差はある。
でも高校レベルなら、
根性ヒット、高校野球ヒット
みたいなのが
生まれるじゃないですか。
いまの子はワンチャン
言いますけど、
努力すればワンチャンあると
思ってほしい。
500回振る子と
1000回振る子なら、
1000回振るほうが
勝ってほしいんですよ」
、、「コンプレックスを持つ
子たち」、、
人手の少ない箕島で
コーチの役割も担う
野球部部長の中尾慎太郎は、
「練習の濃さは
和歌山ナンバーワン
じゃないですか。
どこにも負けないと思います」
と胸を張った。
「たしかに入ってくる子は
少ないですけど、
『きついからやめる』
って子はいないですね。
それくらい情熱がある子が
集まってる。
監督にも愛情がある。
たぶん、何かひとつ
コンプレックスを持って
箕島に来た子も
多いと思うんですよ。
勉強できないとか、
野球でもエリートじゃないとか。
そのぶん本当に
みんな一生懸命なんです。
高校野球の魅力って、
結局そこじゃないですか。
だから、どの子も
かわいいですよね」
、、取材を行った監督室には、、
「KIYOSEI」の文字が
あしらわれたスリッパがあった。
「誕生日が七夕でして。
部員がくれたんですよ」。
自他ともに認める
“昭和型の厳しい指導者”
である北畑は、
ことのほかうれしそうに笑った。
「背番号は7月7日に渡すんです。
僕の誕生日。
1年で一番いい日や、言うて」
かつて甲子園を席巻した
野球名門校・箕島のいまを、
苦境という言葉で
表現することは容易い。
あえて刺激的な言い回しを
用いるなら、
「野球部存続の危機に
瀕している」
ということになる
のかもしれない。
だが、そういった見立て
とはまるで無関係のところに、
逆境のなかで
野球を楽しもうとする
部員たちの実際が
たしかに存在していた。
多くの強豪校のように
厳しい上下関係に縛られ、
ごく一部の選手しか
試合に出場できない野球部と、
決して強豪ではないものの
ほぼ全員がベンチに入り、
プレーのチャンスを
持つことができる野球部。
本人たちにとって
どちらが幸福
と言えるのだろうか。
2年生エースの澤は
「強い学校で
当たり前に甲子園に行くのは、
なんか違うと思って」
と話した。
その「なんか違う」は、
突き詰めて考えれば、
高校野球という文化
そのものに投げかけられた
違和感でもあった。
、、「いまの高校野球、
面白いですか?」、、
北畑の前任者にあたり、
名将・尾藤公の息子でもある
尾藤強、箕島前監督。
2013年から2019年まで
箕島の監督を務め、
就任1年目の夏に
甲子園出場を果たしている。
野球部を取材した翌日、
箕島駅で尾藤と待ち合わせた。
にこやかに挨拶を交わしたあと、
尾藤の運転する車に招かれ、
そのなかで取材の趣旨を
簡単に説明する。
甲子園が一大コンテンツ
となったいま、
顧みられなくなった
名門校の現状を伝えたい
――ハンドルを握りながら、
うん、うん、と頷いた尾藤は、
いきなり核心を突くような
問いを口にした。
、、「いまの高校野球、
面白いですか?」、、
、、以下、略、、
以上、令和7年、
2025年8月18日(月)
11時22分報道記事より、、
抜粋、校正あり、、、
かつての甲子園
公立名門高校野球部の
現状、、、
コメントご自由にどうぞ
575から、、再掲載↓
勝てない! 名門復活 道険し
いにしえの 全国連覇 公立星
甲子園 出て当たり前 つまらない
、、、
みだし写真、、
庭で自生し咲いている
桃色のナツスイセンの花、と
うしろに赤い彼岸花の花
咲き始めました、、
全国各地、35℃超えの
酷暑がつづきますが、
野生の植物が知る
季節移り変わり、
そして、癒しが
感じられましたので
写真撮影、、(暴騰見出し写真)。
そして、同じく庭に自生し、
今年は数が減り
わずか一輪ですが、
花を咲かせてくれた、
山百合の花、、、
楽しませてくれました、、

いつも、みなさま、当ブログ、
アクセス、リアクション、
さらには、たくさんのステキな
コメントを有り難う御座います、、
感謝、、575