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日本の地域性は今でも残るな

2022-06-04 18:31:46 | 極東古史考
遺跡数の分布
BC900年 縄文晩期で弥生草創期
日本の総人口は8万人程度まで減少していた

当時の中国大陸人は朝鮮半島や ましてや日本列島の存在すら知らない
倭人が何故 朝鮮半島南部や九州の地理的知識を持っていたのだろうか
不思議だ 
水辺の民の行動半径は大きかったのだろうか?




AD200年 弥生末期 倭国大乱の時代
畿内主導のヤマト連合が拡大し始める頃
日本の総人口は70万人程まで増えている
九州倭国人口は11万人位だろうか?

既に列島各地の独自性が見えてきているな

AD239年 倭国の卑弥呼が「親魏倭王」に任ぜられる
ちなみに 
クシャン帝国のヴァースデーヴァ王(バゾデオス、ΒΑΖΟΔΗΟΣ、波調)「親魏大月氏王」
「親魏」の号を与えられたのは この2国のみ
魏にとってこの2国は 東西を抑える上で重要な国であったらしい

残るは沖縄地域
DNAでは当然日本人であるが
血の繋がりと意識は別問題だ

隋書に出てくる「琉球」は 台湾 沖縄列島付近を指す中国語であるが
「沖縄」はどうだろう?

「続日本紀」孝謙天皇の天平勝宝五年(753)遣唐使が帰航の途中三船とも「阿児奈波」島に漂着 とある
島の人に「ここは何処だ」と聞いたら 「あこなは」と答えたので
その島を「阿児奈波」島と勝手に思い込んだ可能性もある

沖縄の語源は
沖 漁 場(おき な は)
或は 
沖に縄が浮かんでいる(おき なわ)とも言われてるが

長かった縄文時代(沖縄では貝塚時代と言われる)が 突然終わりを告げる
弥生時代が無く いきなりグスク時代が始まる

農耕が始まった沖縄のグスク時代の始まりは12世紀頃だが
現在の発音「おきなわ」は 沖縄の平仮名で書かれた「おもろそうし」(1623)に初めて出てくる言葉だ

昔 尚氏時代 沖縄は明の属国であった 
明の冊封使は沖縄を
「倭急拿」うぉじな 「倭的拿」うぉでぃな 「悪鬼納」うくぃな と記している

沖縄では「お」が「う」へ「き」が「ち」に変化することが多いので
「おきなは」が「うちなー」となり
尚王朝時代では「うちなー」が自称だったのだろう

沖縄の言葉は面白い

太陽を表す言葉に 「ふぃー」と「てだ」があるという
「ふぃー」は日であるのはすぐ分かるが
「てだ」に諸説ある

我々は太陽を「お日様」と言ったり「お天道様」と言ったりする
多分この「天道」が「てだ」になったと言うのが納得できる

現在 関東方言の変形が 列島の標準語になって久しい
方言は貴重な無形文化遺産であるので
列島方言と共に沖縄方言も残って欲しいな

今日の集計
ようやく何処の国も落ち着き始めたようだ
台湾が心配だが
散歩に出るとマスクを外してる人も増えてきた
しかし 昨日の雹の嵐はすごかったな
吹き付ける雹で 窓ガラス割れるかと思った
昔はこんなのは無かった
温暖化は地球表面のエネルギー増加であるから
その分 変化も激しくなってるんだな


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