畑ニ居リマス・田舎暮らしPHOTO日記

畑のかえるくんの楽しい日記です。

ムラサキカタバミ

2018年06月25日 | 自然
新しいカテゴリー「雑草」を設けました。


伸び放題の雑草を5月中頃にきれいに抜いたのにまた広がってきた。
その雑草の中でも特に困りものがムラサキカタバミだ。
薄ムラサキの花が華奢なので見過ごしてしまうが、繁殖力がすごい。
地中の根の上にたくさんの種がまぶりついている。
抜いてもその種が残ってしまうのだ。
管理機を入れると種を蒔き散らしてしまう。
ほとんどの農家は除草剤で対応しているようだ。

なお、他のカタバミの繁殖力も旺盛で、抜き残した根から広がっていく。
もちろん種からも広がる。
花は黄色、こちらも見た目の可愛さに騙されてはならない。

呉の旅(3日目) ④情島沖、日向の終焉(前)

2018年06月15日 | べんちゃん
父親が乗っていた戦艦日向の終焉の地に向かった。
これについてのんびり百名山さんの旧海軍史跡巡り軍艦日向が詳細でわかりやすい。


「旧海軍史跡巡り軍艦日向」には係留地を情島西側に記載してあるが、文献によれば西側としているものもあったと思う。わたしは東側だと思っていたので、情島の向こう側に着底したものだと思って見入っていた。また確認しておきたい。
森重昭氏による「昭和20年7月28日呉沖海空戦艦船配置図」によると情島の西側と明示してあった。したがってわたしは倉橋島の東海岸にほぼ沿って移動したので、日向終焉の海を眺望したことになる。
同ブログは、
「7月24日の呉軍港空襲で米軍空母機の波状攻撃を受け、艦長草川淳予備少将(戦死後中将)も戦死する。この年7月の時点で乗組員のうち約半数が退艦していたが、これらの攻撃による乗組員の被害は、残存乗組員千余名中戦死者204名、重軽傷者600余名に及んだ。7月26日、「日向」は水平状態で着底した」との重要な記録を取り上げていて、これによると父親が退艦していた可能性もある。
しかし、立田正雄氏著『心晴朗なれど波高し』には7月24日の状況について以下の記述がある。
「この日、大日本帝国海軍少尉の私は戦艦「日向」に乗船していた。対空兵器を担当とする第七分隊の指揮官として分隊員220名を率いて、25ミリ機銃92門、12ミリ噴進砲(対空兵器)28門の指揮にあたっていた。日向は呉湾浅海の情島沖に停泊していた(以下略)」。
父親は噴進砲の分隊に所属していたのでこの戦闘に参加していた可能性が高いと思っている(平成30年現在では)。